皆様からの御便り紹介


IN THE YEAR 2004 


TOP : Hiroshi Fushida and his Chevron B21P in 1973.
(C) Special thanks Hiroshi Fushida

 皆さんのご意見を載せさせていただくコーナーを作りましたので、よろしくお願いいたします。
 
 

1999年12月までの皆さんからのメール

2000年5月までの皆さんからのメール

2000年12月までの皆さんからのメール

2001年5月までの皆さんからのメール

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 27/NOV/2004  K.Nさんから頂いたメール紹介「素晴らしいHP!」 

 初めまして
時々(月2回くらい)みています。素晴らしいHPです。
小生、生沢徹ファンです。古本のAutoSoprtを探しています。

本田中村良夫監督のエッセイ集、生沢徹の文章は今でも覚えています。日本初のF1ドライバーになれなかったですが、あこがれの人物ですから。牧野様の文章は小生と時を同じくしたと思われる部分が多々あります。今までの思い出での一番は74年富士GCの大事故を目の前で見たことです。
78年のマカオGP/79年のロングビーチGPのはAutoSpors主催ツアーに参加しました。今でもそのとき初めて会ったモータースポーツファンとは26年来のお付き合いですよ。チームオーナーになる夢を持っている中年(初老)より。
今後とも色々な情報、期待しています。
 

 WEB MASTER : 

 くるま村の少年たちを主宰しております牧野です。
N様、この度はまだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂いただけでなくメールまで頂きありがとうございました。生沢 徹さんのファンということをお聞きしてとても親しみが沸いてまいりました。
私がHPを作るきっかけの1つが生沢 徹の当時の活躍を歴史の中に埋もれさせてはいけないという気持ちがあったからでした。最近フジミ模型と共同で生沢さんが71年GCで乗られたポルシェ917Kをモデル化したり、2年前にはやはり写真家のジョーホンダ氏と生沢さんに協力していただき、67年ニュルブルクリンクに生沢さんが出場されたホンダS800をモデル化することも出来き、なんとか違う形では有りますが生沢さんの当時の活躍を今の人たちに知ってもらう事が出来て少しは目的に近づいたかなぁ!?と思っている次第です。
ところで、AUTO SPORT誌ですが、東京 神保町にありますブックパワーRBという古本屋は車が主の店で、そこに沢山あります。
ところで、オートスポーツツァーですか!懐かしいです。行かれた経験はかけがえのないものなのではと想像いたします。
これからもよきアドバイスお願いいたします。また、チームオーナーになる夢、是非実現してください。
では、どうもありがとうございました。

 24/SEP/2004   Sさんから頂いたメール紹介「69年日本グランプリの映像について」 

牧野様、69年グランプリの映像について再びメールを送らせて頂きます。
私もこの中継映像については、1つのシーンも記憶にありません。その後カーグラフィックTV等で見たニュースフィルムらしき短い映像が全てでした。
K様の言われるようにあの当時VTRテープは,放送局にとっても貴重なもので、使いまわし、つまり重ね録りしたりして元の映像が失われてしまったドラマやドキュメンタリー番組がたくさんあったと聞いておりました。
 私もここ数年、NISMOやトヨタ、富士スピードウェイフィナーレ等のイベントに行く度に映像を求めて会場を歩き回りましたが、見つかりませんでした。それでもう中継映像はテレビ局にも残っていないのだと思い込んでいました。それ故にあの映像を見た時は、本当に驚きました。
テレビ朝日は元NETでしかも、3時間を越すレースでしたが、スタートとゴールのシーンがあるということは、その間の映像も残っている可能性が高いのではないか、69年があれば68年も、66年は TBSが放送した気がする等と興奮して眠れませんでした。

それからこれらの映像をもう一度見たい、それにはどうすればよいかを考えるようになりました。最初は、自分一人ではどうすれば良いかわかりませんでした。テレビ朝日へリクエストしても3時間の放送枠を取れるわけがありません。
しかし今年に入ってチャンスがやって来ました。テレビ朝日がスカイパーフェクトTVで717CHを立ち上げたのです。TBSも去年、363CHを始めました。
717CHは、アニメ、ドラマと90年頃のカーグラフィックTVを、363CHは、ドラマや具志堅のボクシング等を放送しています。
牧野様のHPを訪れる方の中には、66年から70年代に架けて日本テレビで放送された青春ドラマシリーズをご覧になった方がいらっしゃると思いますが、その中のでっかい青春は、ほかのドラマが何度も再放送されているのに中学生以来、一度も見たことがありませんでした。青春ドラマのHPでも原版が無いのではないかと噂されていました。
そのうち、スカイパーフェクトTVのドラマ専門チャンネルにリクエストしてみようということになり、実際に何人リクエストしたのか分かりませんが、2年前35年振りに放送されました。
CS放送は、有料で又視聴者の絶対数が少ないこともあり、リクエストが反映されやすいと思います。
私は717CHを視聴しているので、リクエストしてみます。もちろん視聴していなくてもリクエストは出来るので、363CHにもメールを送ろうと思います。 あの当時、グランプリに携わった方、実際にご覧になった方、テレビを見た方も歳を召され、映像を保管している放送局の人々も替り、日々記録され蓄積される膨大な映像情報中に、あの頃のすべてのレースの映像が埋もれてしまうと思い、このメールを書きました。長文にて失礼いたしました。
それから 栄光への5000kmは、大画面で無ければスケールの大きさがわからないという、裕次郎の意思で、見ることが出来ないようです。  

追伸、今月スカイパーフェクトTVの261CH,チャンネルNECOで、グランプリの映像が放映されています。
R380とトヨタ2000  GTの谷田部での記録会、67年、68年、69年のグランプリ,そして、第1回、2回グランプリです。第1回、2回グランプリの映像は、先日のプロジェクトXにも使われていましたが、それぞれ20分以上あり、様々なクラスのレースが映っています。企画は、東洋工業となっています。
67年、68年、69年 の映像は、3年分で15分しかなく、日産のものらしく,今まで何回か見た映像です。R380の谷田部の映像は、15分程度ですが、映画のような画面で、250キロ以上でバンクを疾走する姿が、美しくて迫力あります。トヨタ2000GTは、短編と長編があり、見たことのある映像ですが、長編は、30分以上あり、初めてのシーンも沢山ありました。その中で、福沢幸雄さんが印象に残りました。
福沢さんというと、クールで近寄りがたい人だと思い込んでいましたが、準備体操をしたり、左手に箸を持ってラーメンを食べていたり、笑っているシーンを見ていると、とても親近感が沸き何故か熱いものが込み上げてきました。それから、細谷さんがベッドから走る2000GTを見ていました。
 

 WEB MASTER : 

 S様、貴重な内容のメールを頂き感謝感激であります。
先日のプロジェクトXについては、何通かのメールを受けました。初めて見る方からのメールや内容不十分で勘違いされる内容だというご意見の方もいらっしゃいました。
とにかく、当時のTV映像(以前某ビデオ会社から68年NETスピードカップのビデオを作っているので協力してほしいなどというメールも頂いたことがありますが、その後何も連絡がありません)は本当にあるのでしょうか。
当時のTV会社はフイルムの節約のために残ってないなどという話も聞いたことがあります。
フジファイナルの時に、第3回日本グランプリの模様が日産のブースとパドック外大画像で放送されていたのを友人が撮ってくれました。かなり長い時間でした。この映像は先日のプロジェクトで流れたものの全編だと思います。
また、トヨタ2000GTの記録会ビデオは以前市販されていて購入しました。
今は売っているのか分かりませんが・・・。以前元チーム・トヨタの大坪義男さんが映像関係の仕事をしているのですが、当時のトヨタ所有の記録フイルムは全て会社の方針で処分したとおっしゃっていました。
しかし、どこかにあるのではと密かに思っていますが・・・。また、先日、実際に鈴鹿にいらして第2回日本グランプリを8ミリ映写機で撮影された方からビデオに焼きなおしたものを頂きました。素人が撮られているので映像と言う事からするとちょっとと言う感じですが、とにかく貴重な映像でした。船橋サーキットでのレースも撮られていました。Sさんがおっしゃるとおり、なんとかリクエストとして放送されたら最高ですね!
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
 

 14/SEP/2004   S.Dさんから頂いたメール紹介 「ご無沙汰してます!」 

 平成11年12月12日に「感激の余りにメールしてしまいました!」を送りました、S.Dです。バンドルネームは、40歳のパパと言います。
 今日、NHKのProjectXと云う番組をみていましたら、昭和41年の日本グランプリでR380が優勝するまでの事をやっておりました。それを見ながら感動していた訳ですが、その時にマキノさんのサイトを思い出しメールさせて頂きました。凄いですね。R380はプリンス自動車の社運をかけたマシンであり、日本グランプリに優勝する事でそれを繋げた訳ですが、結局のところ、日産に吸収合併されてしまいました。
番組中、プリンスが日本グランプリに初挑戦した時に、個人でポルシェを輸入してレースに出て優勝した事を言ってましたが、これはもしかして、「風戸裕」だったのでしょうか? 物凄く気になります。
これからも、ご活躍をお祈りします。 
 

 WEB MASTER : 

 D様、こちらこそご無沙汰しております。
 プロジェクトxは、60年代ファンの方々は、たぶん皆さんご覧になっていたんだと思います。ただ、いかんせん短い時間内でのまとめでしたので、当時を詳しく知るファンにとっては少々不満が残る内容だった気がいたしますが、現在となっては過去の貴重な映像と事実関係をよくぞあそこまでまとめ上げてくれたという思いでいっぱいです。
 Dさんが気にされていた第2回日本グランプリに出場し優勝したポルシェ904GTSのドライバー兼オーナーは、式場壮吉氏であります。
1964年ですから、まだ風戸 裕は幼少のころだったはずです。
今回のプロジェクトXにおいて、是非話してもらいたかったのは、やはりこの式場壮吉氏が乗ったポルシェをわずか1周だけですが、抜いた人物です。彼は砂子義一氏ではなく、生沢 徹氏でした。日本グランプリにおけるプリンスのエースドライバーは、生沢氏でした。
しかし、66年第3回日本グランプリが終わった後、プリンスを飛び出してヨーロッパにドライバー修行に生沢氏が行って以来、プリンス(ニッサンも含め)とはあまり良い間柄ではなくなっていたことが原因なのか、本来の主役を抜きにしてのこの企画は、何か気が抜けたものに感じてしまいました。式場壮吉氏も生沢氏同様の理由で名前が排除されたものと思われます。
まあ、その点だけを除けば貴重な映像も見ることが出来たわけですから、放送されてよかったと思っています。私個人としては、桜井真一郎氏の涙、そして、滝進太郎氏のカレラ6が富士の最終コーナーでスピンした映像を見れただけでも幸せだったと思っています。
また、桜井真一郎氏が最後にエンジンをかけたR380は、何年か前にシャーシから作り直されたレプリカマシンだと思います。
当時の設計図を元に作られたものですから、現代に甦ったR380だと言えると思います。
では、これからもまだまだ未熟な私のHPをよろしくお願いいたします。
メール本当にありがとうございました。
 

 31/AUG/2004   Sさんから頂いたメール紹介「HP拝見しました。素晴らしいです!」

 牧野様
 はじめまして、HPを偶然、見させていただきました。正直、感激でした。
1956年生まれの自分も、小学生の頃、66年日本GPを友人の家で、偶然、TVで見ていました。
R380とカレラ6の戦いは、その後の何年かを、私に将来のレーサーを夢見て、日々を送らせたものです。確か、田舎の書店で、初めて手にした自動車関係雑誌がオートスポーツの創刊号だったような気がします。
その後、関心は消えていましたが、20を過ぎ、つまらない日々を送っていた81年頃だったでしょうか、ホンダのF2復帰のうわさが出ていた頃、唯一の楽しみで、オートスポーツを再び買い出し、また、何年か、それを楽しみにして日常生活を送っていました。
今は、車の運転も出来ない、さえない毎日ですが、今にして思えば「大草レース」としての、66年からの日本GPから、R382の圧勝までの日々が、夢のような日々であったことに気がつきます。
大変な労作と思えるHPで、あの頃の興奮が、少しだけ、よみがえった気がしています。
数々の写真、エピソード、良くぞ、集められました。また、寄らせて頂きます。
 

 WEB MASTER : 

 S様、この度は、まだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂いただけでなく、メールまで頂き本当にありがとうございました。
私と同世代の斎藤さんのリアルタイムでの感激は、本当に私も今だに忘れられない出来事でした。
しかし、残念ながら日本ではこの大切な日本のモータースポーツ史を語られる事はほとんどなく、これではまだまだ欧米のモータースポーツ界の仲間入りは出来ないのではと思われ、とても心配です。
では、これからもどうか良きアドバイスなどを頂ければ幸いです。ありがとうございました。
 

 26/JUL/2004   Gさんから頂いたメール紹介「デイトナ・コブラについて」

 貴方のディトナ コブラのウエブサイトを興味深く拝見させていただきました。ディトナ コブラに大変詳しいので、教えていただきたいことがありまして、突然ですがメールさせていただきました。
質問は下記2点です。
1)ディトナ コブラ車は英AC社製ACコブラのシャシにフォード製エンジンを搭載しておりますが、アメリカ・フォード社製の車両なのでしょうか?

2)第3回日本GPに出場した酒井正のディトナ コブラは 1963年型コブラ289(排気量4727cc)でしょうか?それとも 1966年型コブラ427(排気量6997cc)でしょうか?
以上 お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
 

 WEB MASTER : 

 
 G様、この度はメール頂きありがとうございました。
早速ですが、1)の質問の答えは、キャロル・シェルビー氏(ル・マンなどでドライバーとして活躍した実績を持つ)のシェルビー・アメリカン・チームが作ったものです。もちろん、フォードからの援助は受けており、1964年にはマニファクチャラーズ世界選手権(メーカーの世界一を決める選手権)において、フェラーリを破りデイトナ・コブラがスポーツカークラスのチャンピオンになっています。ちなみに、デイトナ・コブラのデザイナーは日本でもなじみがあるピーター・ブロックで、彼も当時はシェルビー・アメリカン・チームに在籍していました。ヒノ・サムライなどの製作者として日本では有名です。
2)ですが、289です。デイトナ・コブラは公式では全て4.7リッターエンジンを載せていたと思われます。これ以上のことはわからないのですが、少しはお役に立てたでしょうか?!
と言う事でこれからもよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。

 16/JUL/2004   Tさんから頂いたメール紹介「ホームページを拝見して・・・」 

 初めまして、東京のTと申します。
ひょんなことでこちらのホームページにたどり着きあまりの懐かしさにいてもたってもという思いで書いております。
 第3回日本グランプリのダイハツP3の写真や当時中学生の分際で年間購読していたAUTO SPORT誌通いつめたスロットレーシングカーのサーキットなど昨日のことのように思い出されます。まさに同世代の共有体験ですが、私はズボラで記録も資料も持ち合わせず残念でなりません。まだ全ページ読んでおりませんが、ページをめくるたびにワクワクしております。
 その後高校に移り、軽自動車免許が廃止されるという情報を知るに及んでエレキバンドにうつつを抜かすことになっていき車とは離れてしまいました。大人になってから乗った車はどれも楽チンで、走るだけで楽しかった悦びは(無免許(^^ゞ)微塵も感じられず、ただ眠くなるばかり・・・
つい余計なことを書いてしまいました。
これからもこのホームページを続けていってくださること心より期待しております。
懐かしさへの御礼をこめて
突然のメールで失礼致しました。

WEB MASTER : 

 T様、この度はまだまだ未熟なわたしのHPに立ち寄って頂いただけではなくメールまで頂き本当にありがとうございました。
T様、同様60年代の日本グランプリなどを夢中になってオートスポーツ誌などを読みあさり、現在も頭の中は当時のままと言う成長しない(!?)オヤジであります。しかし、当時の事を残したものも現在ではほとんど皆無と言う状態が我慢できなくてこんなHPを作ってしまった次第であります。
 生沢 徹、風戸 裕、鮒子田 寛など今でこそ海外で活躍するドライバーは沢山いるのですが、今から30年以上前となるとまさに驚異的出来事だったと思います。
その人たちの活躍を偉業として現在で語られなくてはおかしいとも思っています。
これからもどうか良きアドバイス等よろしくお願いいたします。

 07/JUL/2004   Mさんから頂いたメール紹介「CAN-AMビデオ&R382」 

 こんばんは、牧野様。ご無沙汰しております。以前、メールさせていただきました仙台のMです。
 前回のメールにて「CAN−AM Reunion」のビデオが有るということを教えていただき、色々と調べてみました。きちんとした商品として流通していたようですが、いまではAmazonでも新品では手に入らないようでした。その他にも、プライベートビデオをマスターにした物を出しているところが有るようですので、もう少し調べてみたいと思っています。
 今手元にあるのは、CAN−AMシリーズの始まる前年の1965年RiversideのTimes GPの様子を撮影したもの(シャパラル#65優勝)で、V8サウンドと共に後年のビッグブロック時代を想像しながら楽しんでおります。同時にCAN−AM関連の洋書を7,8冊買い込んで、辞書を片手に楽しんでおります。その中で、McLarenの本のカスタマーレビューを宮野様が書いているのをみつけて、何となくうれしくなってしまいました。
 今日、購入した「Racing on」という雑誌の8月号に私にとっては大変興味深く、嬉しい記事が載っていました。
それは、1969年日本GPの優勝車のニッサンR382#21号車が本格的にレストアされるというものでした。今回、4ページのカラー写真も豊富な第1回の記事ですが、今後も連載されるようです。
私は、以前のメールでも書いたと思いますが、当時憧れてはいましたが、実際に当時のレースや大好きなビッグマシーンを実際に見たことはありませんでした。海外では当時のレーシングカーが歴史と共に大事にされ、現役当時さながらに整備され、思い切り走り、そして維持されているのを見ると、本当に車と言うものが文化として活きているように感じて嬉しく思います。
日本でも、当時の歴史を背負ったこうした貴重な車がレストアされるようになったことを本当に嬉しく思います。R382も飽きやすい日本の悪癖に染まることなく、レストア後も大切にされ、車文化を正しく後世にも引き継いで欲しいものだと思います。
本日はこの辺で失礼いたします。

 WEB MASTER : 

 M様、こんばんは。そして、ご無沙汰しております。
 R382のレストア記事私も本屋で見ました!そして、あの第3回東京レーシングカーショーでの北野元が乗ったR382が日本グランプリ優勝車として飾られていたことは当時中学生だった私も不思議に思ったものでした。
毎年メーカーが力を入れているヒストリックイベントであります「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」の影響でしょうか?!メルセデスやBMWなどが積極的に参加しているこのイベントにホンダ、トヨタに続いてニッサンも将来R382で参加するのでしょうかね!?昔からモータースポーツに参加していることを示す事が今は重要になっているようですね!メルセデスとスターリングモスなんてコンビは不滅のようです。ホンダとサーティーズもしかり・・・。国さんとR382なんてコンビで是非出てもらいたいものですね!
では、これからもよろしくお願いします。

 06/JUL/2004   Kさんから頂いたメール紹介「鮒子田選手の思い出ベスト3」

   毎度、お世話になります。
 69年日本GPの映像が残されているらしい、とか!もう、こうなるとカラーだろうとモノクロだろうと、見たい!全部見せてくれ!
桂小金治アフタヌーンショーの間に、何が起きたのかも明らかにしてくれ!!!! ・・・って、気分ですね。
 当時のビデオテープは、大変に高価で、NHKですら、潰して使いまわしていたのに、何故残っていたのか? 奇蹟としか思えません。世の中には、信じられないことがあるもんですね! 

鮒子田選手の思い出、私的ベスト3!
<第3位>
 1971年モナコグランプリを解説!これは、いささか曖昧な記憶になるのですが、NETで放送したモナコGPの解説をされていたように思います。このとき、J・スチュワート選手が、シケインで周回遅れを抜くときに、フロントタイヤをフェンスぎりぎり、ちょっと当たったくらいに思えるパッシングを見せました。
鮒子田さんは、これを見て「目がいいんですね」と、述べられていたように思います。「なるほど、上手ってことの要素には、そういうこともあるのか」と納得しました。
間違っていたら、本当にごめんなさい!(この年のモナコは、当時の人気番組「ザ・ガードマン」でも見ることが出来ましたね)
<第2位>
 1972年富士グラチャンに輝く!優勝インタビューで、はっきりスポンサー名を口にして謝辞を述べた姿には、感動しました。
後日、雑誌のインタビューで、「プロなんだから、当たり前」と語っていたのを読み、野球の選手で、こんなこと言う人はいないと、変な感心をしました。
いまだに、いないと思いますが、この感覚が、球界再編成とか云うことにも繋がっているような気がします。ファンに対して、「見にきてくれてありがとう」どまりじゃないですか。どうして自分が野球をやっていられるのか? どれだけの選手が考えているのか、私は疑問です。ビジネスとして「プロ感覚に欠ける、代表的プロスポーツ」と云う気がします。そして、あの時の副賞「セリカ1600GTV」は、その後どうなったかのも気になっています。
<第1位>
ラジオ関東の「ザ・モーターウイークリー」に出演!このとき、ヤマハのモトバイクに乗っていると聞き、私もカタログを取り寄せました。・・・けっきょく買えませんでしたが。また、なぜかJ・スチュワート選手の話題になったとき、こんなことをおっしゃいました。「彼は、持ち上げられるのに弱いんですよ」褒められて、悪い気はしないんだろうと、誰もが思った次の瞬間、「ジャッキだけに・・・」などと、全聴取者を凍りつかせる落ちを披露されました。これが私の、ダントツのナンバーワンです。
 実は、J・スチュワート選手は、私のアイドルでした。牧野様が、池袋のデパートに、彼を見に行ったとき、同じ会場には、私のクラスメート、S君がいました。彼は、授業をフケッて駆けつけたのです。私は、このとき行かなかったことを今でも悔やんでいます。S君からは、安っぽいポスターのお土産をもらいましたが、ああ、悔しい。
 来月1日に、私のHPが更新されます。そこで書いたのですが、映画「栄光への5000キロ」が、急に見たい気分になっています。
だらだらと長文失礼しました!
ではまた!!

 WEB MASTER : 

 K様、大変興味ある内容のメールを頂きありがとうございました。そして、貴殿のHPも楽しく読ませていただいております。特にレースのところは本当に正確で勉強になります。
鮒子田選手の思い出ベスト3はのちほど鮒子田さんご本人に問い合わせてしてみますね!
 ところで69年日本グランプリの映像ですが、当時の放送映像はさすがに知りませんが、89年にカーグラTVで放送されました「日本グランプリ」特集のスペシャル番組は貴重なものだと思います。これはカラー映像ですが、メーカーと新聞社関係の映像を使用して構成しているようです。第1回から69年までの日本グランプリの映像(ただし、この番組では第2回と3回が写真だけでの説明となっています)が見れます。また、先日の富士スピードウェイフィナーレ時に第3回の映像がニッサンブースで放送されていたのをビデオで撮りましたものもあります。
 それにしてもジャッキースチュワートの池袋のデパートでの会にいらっしゃった方が身近にいるとは・・・驚きです!あのもらったTシャツが今でもあればなぁ〜(笑)。タイレル(当時はタイレルでした!)のイラストが入ったTシャツでした。
 裕次郎の「栄光への5000キロ」ですが、裕次郎館でもないそうです。
68年日本グランプリのR381のシーンを使ってのインチキシーン(!?)を今でも見てみたい!!
タキレーシングとの共同で行った富士でのレースにはハイウイング仕様のR381が出ていました。本来は日本グランプリ決勝の前に撮影を申し込んだそうですがダメだったため後日撮影になったとか・・・。
 そう言えば、九重佑三子(だったか!?)の主演した初代「コメットさん」に67年の「富士1000Km」のシーンを使ってコメットさんの家のお父さんがトヨタ2000GTでレースに出るシーンがありました。結構面白かったです。あと、見崎清志氏の「ヘアピン・サーカス」も江夏夕子の演技が面白い!
ということで鮒子田さんからのメール来ましたら連絡します。
                         ありがとうございました。



<鮒子田さんからのメール紹介>

 Kさんという方より メール頂きましたので紹介いたします。
<<色々と細かく書いていますが、モナコの件は記憶にありません。忘れているのかも??
<<スポンサーの名前は常に言うように心がけていましたので。
> >
> >
そして、あの時の副賞「セリカ1600GTV」は、その後どうなったかのも気になっています。
<<しばらく(2-3年)自分で乗っていましたが、誰かに売りました。

以上、よろしくお願いします。 鮒子田 寛

 

 05/JUL/2004   Oさんから頂いたメール紹介「こんにちは」

  数年前にも投稿したことが有るOと申します。ひさしぶりに貴ホームページに寄らせて頂きました。
 F1での佐藤琢磨選手の活躍で週末が大変待ち遠しい最近です。やっとここまで来たのか、と思うのは私だけでしょうか?
 私が子供だったころ生沢氏、風戸氏、桑島氏が欧州でF1を目指し、それを雑誌で読み応援し願っていました。
テレビ中継もなくネットもなどもちろん無く最新のニュースは雑誌のみでした。
F1など見たこともないのに、雑誌を擦り切れる程読んだおかげで見た気になっています。F1が日本ではじめて開催された時、F1に中島悟氏が日本人ではじめてフル参戦したとき、鈴木亜久里氏が表彰台に立った時、いつも、子供の頃の漠然とした夢が実現する感動がありました。
 いままた佐藤琢磨選手が上位を狙える最近は、子供の頃のあの純粋な期待や思いが湧いてきます。生沢氏をはじめとする当時のレーサーが僕を魅了してくれたことに感謝してます。
上手く思いがかけません。とりとめもない文で失礼しました。

 WEB MASTER : 

 O様、お久しぶりです。お元気でしょうか?!
O様を始め、たくさんの皆様のお陰で私のHPも6年目を迎えることが出来ました。こんなに続くとは当初は考えもしませんでした。本当にありがとうございました。
また、佐藤琢磨選手の活躍は大村さんがおっしゃる通り凄いですね!島国根性丸出しの私としては国際人としてりっぱにシューマッハらと話す琢磨選手は本当に見ていて爽快ですね!
 では、これからもよろしくお願いします。ありがとうございました。

 23/JUN/2004   Sさんから頂いたメール紹介「日本グランプリ」 

 初めまして、53年生まれのレース好きのSと申します。69年のグランプリの映像ですが、H様が言われるように白黒放送でした。何故、はっきり言えるかと申しますと、去年この映像を見たからです。テレビ朝日のニュースステイションで、トヨタが富士スピードウェイを買収した目的はF1を開催する為だと言うニュースの中で、僅か5,6秒でしたが34年ぶりに見ました。まず、日の丸の旗が振り下ろされスタート、そして黒沢のR382がストレートから30度バンクに突っ込むシーン、チェッカーフラッグが振られストレートを疾走するR382,トヨタ7、カレラ10。優勝日産21番黒沢、砂子とテロップが流れました。
映像は、間違いなくフィルムではなくてVTRのもので、30年以上前のものとは思えないほど鮮明でした。幸運にもビデオに録画できたので、そのシーンを何度も再生して見ています。牧野様、素晴らしいHPを主宰していただき、感謝しております。
 

 WEB MASTER : 

 S様(で宜しいのでしょうか?!)、この度は貴重な情報ありがとうございました。
なるほどニッサンやトヨタ、そして新聞社等のフィルムを見ることに慣れてしまっていた私は当時の放送が白黒でありながそれらのカラー映像をTV放送と同じだと思い込んで錯覚していたようですね!本当に貴重な情報ありがとうございました。
当時午前中から放送されて高橋国光選手のニッサンがトップで快走中で中断されて「アフタヌーンショー」だったでしょうか?!
その後放送されていて終了後再びレース中継が入ったと思いましたら、なんと高橋R382は、すでにいなくなっており黒沢がトップとなっていたのはなんともショックでありました。そんな思い出が今蘇ってきました。(記憶があっているかどうか自信ありませんが・・・)
 ということで、どうかこれからもいろいろアドバイスや情報ありましたらよろしくお願いいたします。これからも少しづつですが更新して行きたいと思っています。
ありがとうございました。

 19/JUN/2004  富士市にお住まいの大田さんから頂いたメール紹介「リンク依頼」 

 牧野様。
 いつも楽しく拝見しております。
 富士市でBANDINI MODELS というミニカー・スロットカー屋やっております、太田マサト と申します。
1958年生まれ、小学1年生の時にFISCOがオープンして以来、少年期、青年期をFISCOで過ごし、ついには中年期にはスタンド裏ブースでミニカーを売る人生を送っております。
 富士市で店を構えて8年になりますが、この度WEBサイトを立ちあげましたので、ご案内申し上げます。
http://www.bandini.jp/
 つきましてLINKさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?宜しくお願いいたします。
                                             BANDINI MODELS 太田マサト
PS.
・30年以上前の自分の記憶と、牧野様がUPしてくださる情報とが、ピシリ一致したときはちょっとした興奮状態におちいります。
・鮒子田さん、ガンバッテますね!(中学生の時、シェブロンB21P:鮒子田寛さんのファンクラブに入っておりました。)
 レース終了後(だったと思いますが)ちょっとしたファンクラブの集いのあとパドック内の使用済みタイヤ置き場のような所へ鮒子田さんが案内してくれました。そこでいただいたDUNLOP極太スリックタイヤは今でも部屋の中に鎮座しております。
 深谷シャパラルは行ってみたい所です。32スロットコースも常設してるらしいですね。
 こちらでも 8/1(日)11:00ー19:00
恒例となりましたスポーツプロト8時間耐久レース 強行いたします。
FLY社の 512S vs 917K でのこのレース、今回は有力ゲストチーム さかつうさんチーム、ガレージクゲヌマさんチーム、神戸チームCROUTO、参戦で レース前の今から異常な盛り上がりを見せております。こちらも是非機会がありましたら遊びに来てください。
詳細はおなじみ・・http://www2.wbs.ne.jp/~mockun32/
それでは、また寄らせて頂きます。
 

 WEB MASTER : 

 大田様、お返事が遅れましてすみませんでした。そして、まだまだ未熟な私のHPへ立ち寄って頂いただけでなく、メールまで頂き本当にありがとうございました。
BANDINI MODELS名前は以前から存じておりました。ロレンツォ・バンディーニのBANDINIですよね!?
67年のル・マンに出ていれば必ずや優勝争いに加わっていただろうと今でも思っております。お店はミニカーだけでなくスロットカーもお扱いなんですね!先日さかつうの特注1/32日本グランプリ出場ポルシェ917(ジョー・シファート)を手に入れました。走らすと言うよりはディスプレイ用ですが・・・。1/24でもいつか作ってみたいアイテムです。さて、リンクの件こちらこそよろしくお願いします。こちらも近日中にリンクさせていただきます。ところで、鮒子田さんのファンクラブにお入りだったそうですね!
鮒子田さんに話したらきっと喜ぶと思いますよ!そう言えばその時「フシダ・レーサーズ」のマークあったと思いますが、今でもお持ちでしょうか?!鮒子田さんも現在お持ちではなくどのようなマークだったのか覚えていらっしゃらないそうです。(林みのる氏デザイン)もし、お持ちでしたらぜひ教えてください。
 

 17/JUN/2004  「週間ファミ通」Fさんより頂いたメール紹介 「雑誌掲載依頼の件」

 突然のメール失礼します。ゲーム雑誌『週刊ファミ通』でライターをしております、Fと申します。
 現在、誌面上でスケートボードのゲームの紹介しているのですが、同時にスケートボードの歴史的な背景も掲載したいと考えております。
 そこで今回、HPを見させていただいたのですが、日本のスケートボードブームの発祥ということで、70年代のスケートボーダーの写真が掲載されてますよね?(雑誌『ポパイ』のつぎの写真です)もしよろしければ、画像をお借りできないでしょうか?
 ご面倒をおかけしてすみません! お返事を頂ければ幸いです。
どうぞよろしくお願いします。

 WEB MASTER :

 F様、メールありがとうございました。
実は、Fさんが見られたページは主宰者が学生時代に遊んでいた頃に撮った写真なんです。HP全体としては60〜70年代の日本モータースポーツ関係の歴史を扱ったHPを作っております。
http://www.ne.jp/asahi/60srace/models/index.html
もちろん、こんな写真でよければ掲載に関してはOKです。
(C)Photograph by Hirofumi Makinoとでも記載して頂ければ問題ないです。
では、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。

17/JUN/2004 Fさんより頂いたメール紹介

 ホームページ楽しく御拝見いたしました。私もスロットが好きで(しばらく休んでいたのですが)10数年振りに作りはじめました。 今回作成しようと思う車輛はマイナー車種ですが「デル・コンテッサ」です(市販1300のボディにトヨタクラウンのエンジン)。モし管理人様の知識・資料のなかで外見だけでも解る資料など(情報)が御座いましたら御紹介を御願い出来ませんでしょうか?(私の記憶ではリアフェンダーの片方にルーバーが有ったような気がするのですが・・・
 どうぞ宜しく御願いいたします。 乱筆乱文を御許し下さい。

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 F様、この度はまだまだ未熟なHPに立ち寄って頂いただけでなくメールまで頂きありがとうございました。
さて、スロットカーを再び始められたとの事、本当楽しいですよね!
でも、私もそうでしたが、これからどんどん泥沼(!?)に入って行って抜け出せなくなるのではないでしょうか!?(笑)
 「デル・コンテッサ」ですが、私の中のデル・コンテッサは下記の特集でも書かせていただいたのですが国産初の市販フォーミュラジュニアであった「デル・コンテッサ」がどうしても頭に浮かんでしまうのですが、Fさんの言われているマシンは違うもののようですがどのようなマシンだったのでしょうか?
ちなみに昔日東から発売されていたデル・コンテッサは下記のページにあります。
 http://www.mmjp.or.jp/60srace/NittouCM1.html
では、これからもどうぞよろしくお願いします。

06/JUN/2004 さんより頂いたメール紹介

 初めまして、当方1957年生まれの立派なオヤジです。楽しくHPを拝見しておりましたが、一箇所とても気になる記述に出くわしました。それは、以下の部分です。
**********************************最初に私の目に飛び込んできた画像は、ブルーの高橋のニッサンではなく、イエローのニッサンだったのでした。**********************************この放送は、たしかにNETで、午前と午後の二回分けて行われました。そして、新聞のテレビ欄にも「カラー」放送と表示されていました。しかし、この放送は、モノクロだったと記憶しているのです。
私の家では、この年の春にカラーテレビを買ったばかりで、放送が「白黒」と知ったときの落胆はかなりのものでした。放送中に、テロップでお詫びが出たことも記憶しております。R382が黄、青、赤の三色だと知ったのは、この日の夕方18:30からのTBSニュースを見たときでしたから、一層鮮明な記憶として残っております。今さら確認の取りようもない話ですが、完全に私の記憶違いでしたら、平に御容赦ください。
 また、私どもでやっている呆れたHPもご覧ください。私は、ここの「アニメ回顧館」を担当しています。アニメと言いながら、R382とマクラーレンM8Dでは、どちら が速いかなどと言う話を展開しております。お暇なときにでも、是非。

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 K様、この度はまだまだ未熟極まりない私のHPに立ち寄って頂いただけでなくメールまで頂きありがとうございました。
早速、HPを拝見させていただき感激しているところです。
私は鉄人派でありながら8マン派であるのですが、本当に今でも引きずっております。(笑)
また、R382とM8Dの話題やトヨタ7などの話題、本当に楽しく拝見させていただきながら久島さんの熱烈なる気持ちを感じさせて頂きました。本当に正確ですね!
ところで、69年日本グランプリのTVについてですが正直言ってカラーだったか白黒だったかの記憶が曖昧で良く分かりません。
実際に見ているのですが、その後のAUTO SPORT誌などの影響なんでしょうか、脳裏にあるのはカラーだけ・・・。
でも、K様の記憶が正しいのかもしれませんね!しかし、ちょっと違うかもしれませんが、68年日本カンナムになぜマリオ・アンドレッティが同年のカンナムで乗っていたマシンだけが来てドライバーがアル・アンサーに変ってしまったのかと同じで今さら疑問に思ってもしょうがないですね!
ということでこれからもよろしくお願いします。ありがとうございました。
なお、Kさんの素晴らしいサイトは下記の通りです。ぜひ、立ち寄ってみてください。感激する事うけあいです。
http://www.tky.3web.ne.jp/~kimera/index.html

 09/APR/2004 仙台にお住まいのMさんから頂いたメール紹介「驚きの連続です!」

 こんにちは、HP拝見させていただいた仙台のMと申します。
とにかく、あまりの内容の濃さに最初からびっくりいたしました。しかも、読み進むうちに管理者様が多分、私とほとんど同世代の方らしいことに嬉しくなってしまいました。(私は1956年型です。)
こちらにたどり着いたのは、多分、CAN−AMか、69’日本GPか、LOLA T70を検索していた時だと思いますが色々読ませていただいているうちに何を検索しているのかも忘れて夢中になっている自分に気が付く有様でした。
何よりも、もっとも感激というか、感謝の気持ちでいっぱいなのは、コンテンツの素晴らしさはもちろんですが、こちらのHPのおかげで私が自分でも忘れていた、「自分自身の車好きの原点はなにか」と言うことの答えに気が付くことが出来たということでした。
 私は、子供のころより車が好きで、中でもとりわけV8エンジンのアメ車になぜか強く惹かれていました。
それは、形でもありエンジンの唸り音でもあったのでしょう、当時の国産車とは何かが違うということがいつも自分の中にありました。もちろん小学生のころより、国産車でも格好の良いスポーツカーには目がなく同級生の中でもちょっと話が合わない時が多々ありました。小学生のころ父に連れられ仙台の西公園プールのそばで開かれた小さなカーショー?のような展示会を見に行き真っ先に乗り込んだのは、ホンダのF1(多分1500CCのレギュレーションのもの)やS600だったと記憶しています。トヨタの車では当時なんと行っても2000GTであり、1600GTであり、S800などが私にとって最高の車でした。小学生も高学年ころになると、自然とモータースポーツに興味を持ちニッサンR381のプロトタイプだと思いますがクローズドボディのもののプラモデルに夢中になったり、今にして思えば、オートスポーツ誌の特集号などを買い込んで、当時のCAN−AMドライバーの動向などに夢中になったものでした。(当然、同級生と話が合いません)当時の本や資料は、何度かの引越しなどで散逸 してしまい、次第に私の記憶の中から薄れていったのでした。
小学生でもあり、遠く富士スピードウェイへレースを見に行く事など叶わず、中学にあがるころには、部活に体力を消耗する毎日で、自然と車関連の事から遠ざかって行ったようです。
 社会人になり、車に接する機会が増えてきた時なぜか、目が行くのは冒頭に書いた当時の国産車より大き目のアメリカンV8カーであり、ビッグパワーの72’TRANS−AMなどに乗るようになり、自分の車好きの原点は、60〜70年代のアメ車だと思い込んでいました。80年代には、縁あってレースのオフィシャルとしてツクバのストックカーレースや、82年から87年には富士のWECジャパン等にお手伝いにいき、レーシングスポーツカーって(決してF1などのフォーミュラーカーでは無い)ホンとかっこいいな〜と思っていたものでした。
 そんな私も、ここ2〜3年ほどダイキャストミニカーの1/18物に興味を惹かれ、私が自分で原点と思い込んでいた60〜70年代のマッスルカーのモデルを多く集めていました。
そんな折、外国から取り寄せたダイキャストカーの総合誌で見かけたLOLA T70に何ともいえない懐かしさを覚えMcLaren共々何台か集めるようになり、色々と資料をめくったり、ネットで調べるうちにこちらにたどり着いた次第です。
そして、判ったんです!!私の車好きの原点が、実は、60〜70年代なのは間違いないのですが、もっと深い原点は日本のモータースポーツの黎明期であった当時の状況と、ロマンと何となくヒューマンな雰囲気とを併せ持つ当時の先端を行くビックパワーの競演だったアメリカンレーシングのCAN−AMマシーンに有ると言うことだったのです。
 ああ〜すっきりした!(笑)
こちらのHPで見させていただいた、「アメリカンV8エレジー」等のコンテンツを見ているうちに、聞き覚えのあるドライバー名やマシーンのゼッケンNO、に薄れていた記憶がどんどんと甦り、本当に嬉しくなってしまいました。
私の大好きなV8エンジンのもっともピュアなレーシングユニットを搭載し、カッコいいボディカウルを纏ったレーシングカー、これこそが、原点であり、ばらばらになっていた記憶の断片を見事につなぎあわせてくれた当HPに大感激です。
 最近は、あまりの嬉しさに、本物のMcLarenやLOLAを運転してみたいとか、持ってみたいとか馬鹿なことを考えるが、私の楽しみになってしまいました。
 これからも、当時の車文化を伝えると言う点でも素晴らしい貴HPを楽しみに拝見させていただきますので、よろしくお願いいたします。

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 「くるま村の少年たち」を主宰させて頂いております牧野です。M様、この度はまだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂いただけでなく、メールまで頂き、本当にありがとうございました。
 私は今年で49歳になります中年親父です。(笑)最近は、60年代に流行りましたスロットレーシングに再びはまりまくっておりまして、同年代から50歳中盤の方々とスロットレースを楽しんでおります。
 その中身もCAN-AMを中心としたもので当時を懐かしみながらも室内スポーツとして勝った負けたとかを親父同士子供のように真剣になりながら行っています。
 60年代後半の日本モータースポーツは明らかにアメリカの影響力が大きく、日本グランプリなどはCAN-AM規格で行われていました。そして、富士での日本グランプリと2回開かれた日本CAN-AMはまさにその頂点でしたね!そして、その当時のことが今でも忘れられず5年前よりHPを書かせていただいているわけです。
 それに同調して頂いて、私は運良く色々な方々から当時の貴重な資料やご協力を頂きやっとここまでこれた次第です。Mさんが集められているミニカーは本当に良く出来ていますね!
これからもどうか当時のお話お聞かせください。そして、アドバイスも頂けましたら幸いです。では、よろしくお願いいたします。

16/FEB/2004 Johnnyさんより頂いたメール紹介「初めまして」

 ふと、インフォシークで「1964 Ford Galaxie 500」の検索をすると、貴殿のHPと私のサイトが出てまいりました。「レッドライン7000」の映画の存在を知らなかったもので、教えて頂き有難うございます。「1964 Ford Galaxie 500」を日常の足にしているものにとっては、なんだか嬉しくなるような情報で、いずれまたじっくり拝見させていただきます。私のサイトにも是非、遊びに来てくださいませ。ではでは・・・


TOP : 1964 FORD GALAXIE 500
(C) Photograph by Johnny.

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 Johnny様、この度は私のHPに立ち寄って頂いただけでなくメールまで頂きありがとうございました。しかし、1964Ford Galaxie500を普段の足に使っているとの事を聞いて凄いなぁ〜と思ってしまいました。スロットカーでは64年型はとてもレアな車ですから私も感激してしまいました。これからも大事にしてください。
ところで、上の画像は、Johnnyさんが毎日の足として使われているギャラクシーであります。いや〜60年代のアメリカしてますね!!
そして、Johnnyさんのサイトも凄い!!久々にカルチャーショック受けました!!皆さんも是非Johnnyさんのサイトに立ち寄る事をお勧めいたします。ありがとうございました。
(注)Johnnyさんのサイトへは上の画像をクリックすれば行けます。

09/FEB/2004  Tさんから頂いたメール紹介「感激しました!」

 はじめまして。Tと言います。とにかく感激しています。同じ思いを持ったかたがいらしたことが凄く嬉しくて。
私は1957年生まれで現在46歳です。静岡県の富士市に住んでいます。勿論、スピードウェイ大好きのフジッ子です。
幼稚園に入る前から車が好きで好きで。当時憧れた車はダイハツ・コンパーノスパイダー。とにかく格好良かったのを覚えています。
先日、トヨタ2000GTを東名のアシタカサービスエリアで見かけ、懐かしく思い、パソコンで色々検索中に、このホームページに幸運にもたどりつけました。徹ッチャン格好良すぎましたよね。憎いほど格好良かった。富士のファイナルにも行ったんですが、来ていなっかたですよね。雄姿を是非拝見したかったのに。あの人を語らずにモータースポーツは語れませんよね。
 これから時間をかけて隅々までこのホームページを見させていただきますね。これからも大変でしょうがより多くの写真等掲載してください。できれば一度是非お会いしたいです。このホームページのファンより。        

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 くるま村の少年たちを主宰しております牧野です。T様、この度はまだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂いただけでなくメールまで頂きありがとうございました。生沢さんは現在マウンテンバイクのスペシャルマシンを作られたり、マウンテンバイク界の繁栄のために尽くされています。第2の人生と言う感じでしょうか?!2年前にお会いした時にまだまだ未熟な「帰ってきたTETSU」HPを喜んで頂き主宰者冥利に尽きる思いで涙しました。  これからも是非いろいろな当時のエピソードありましたら教えてくだされば幸いです。では、よろしくお願いいたします。

 12/JAN/2004 神奈川県のHさんから頂いたメール紹介「はじめまして」

 突然のメールお許し下さい。
私は神奈川県のHと申す者です。1965年生まれです。
牧野様のHPでは楽しむというよりは、いつも勉強させて貰っています。
私は1976年の富士F1で自動車レースに目覚めたので、『オートスポーツ』等でそれ以前の事を「〜の事は記憶にあたらしい」といった記述を読む度に歯痒い思いをしていました。私の世代では風戸選手は歴史上の人物、生沢選手は中嶋悟選手の育ての親日産、トヨタのワークスチームは幻のドリームチームというのが殆どの印象だと思います。生沢氏は高校時代に246の三宿辺りででJPSカラーのクラウンに乗っていたのを見て「かっこ良い〜」と思ったのを覚えています。
60年代の事は古本屋で当時の『オートスポーツ』誌等を探して、なんとか分かるようになったのですが、70年代前半の事は今一つ判り難いのですが、牧野様のHPは当時の息吹が伝わって来るの
で非常に勉強になります。
 

さて、トヨタ7の3リッターモデルの詳しい排気量等が分からないとの話ですが『CAR GRAPHIC』誌2003年6月号に桧垣和夫氏が詳しい解説を掲載しています。この記事によるとボア・ストロークは83×69mmで総排気量は2986ccだったそうです。8、10月号には5リッターとターボモデルの記事が掲載されています。一読をお勧めします。
初期のトヨタ7は私たちの世代には謎が多い存在で、私が持っている1979年に出版されたオートスポーツ別冊『栄光のビッグマシンたち』でもトヨタ7の排気量は3Lとしか表記されていませんでした。
尤もこの本自体日産主体なので仕方ないのかもしれませんが..。
トヨタ側が桧垣氏の取材に答えた事がきっかけになって、自らの手で謎にしていた部分をもっと公にしていって欲しいと思います。早く、何処かに眠っている筈の3リッター7がトヨタ博物館に展示されて欲しいものです。

読み難い文章を長々と書き連ねて申しわけ有りませんでした。それではまた楽しく拝見させて頂きます。

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 H様、この度はまだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂いただけでなく貴重な内容のメールまで頂き本当にありがとうござました。
トヨタ7の詳しい排気量を教えていただき本当に感激であります。CG誌は古本などを探して見させて頂きたいと思っています。
70年代初頭は、ワークスドライバーがプライベートとしてGCなどに出始めた時で本当の実力を試し合うレースの曙の時代だったと思っています。
また、高性能な外国製のマシンを手に入れる事がまずは勝利の第1歩だった時代でもありました。
これと同時にシグマなどの国産マシンも登場して本当に面白い時代であったと思います。
これからもどうかよろしくお願いいたします。ありがとうございました。