皆様のメール・コーナー!!
 皆さんのご意見を載せさせていただくコーナーを作りましたので、よろしくお願いいたします。
 
 
1999年12月までの皆さんのメール

 
 18/APRIL/2000  S.Yさんよりのメール「感動しました」
 横浜在住のYと申します。
 本日、偶然に貴ホーム・ページを拝見し、驚きました、感動しました。
私は既に50歳を数年越えております。貴ホーム・ページの内容の、ほとんどが、私が若い時期にリアル・タイムで見たレース!モデル・カー・レーシング!いやあ、懐かしい、本当に懐かしい記事、写真が続々と登場するではないですか。すばらしいです。
 私は、今だに、車に狂ったまんまの「とっちゃん坊や」で、「年寄りの冷や水」などと、言われながらも、まだ、モータースポーツを続け、そして、昔の友人達と、古いレースの「くちプロレス」が大好きなオヤジです。
 先日は71年のCan−Amのビデオを入手し、風戸がローラで走り、しかも、インタビューを受けてるシーンを見て涙し、今日は、69年のJAF−GPでスカGで2位になった、高校時代からの友人であるH君と晩飯を食いながら、当時のレースの話で盛り上がって帰って来たばかりです。
若干ではありますが、当時の資料は私も保存しているものがあり、ご協力が出来るかな?とも思ったのですが、貴ホーム・ページは、既に完璧だと思います。
 本日は全部、読む事が出来ないので、是非、またお邪魔して、じっくり、拝見させて頂きます。
本当に、すばらしいホーム・ページを作って頂きたいと思います。
今後も頑張って下さい。本当に有難うございました。


WEB MASTER: Yさん、本当にありがとうございました。リアル・タイマーであり、人生の先輩でもあられるYさんに、完璧なHPなどといっていただき、嬉しいやら恥ずかしいやらで穴があったら隠れたい心境であります。
私がモーター・スポーツを初めて知りましたのは、1966年の「第3回日本グランプリ」をTVで見たのが最初でありまして、実際にレース観戦をしましたのが、1971年から始まりました「富士グランチャン」
が最初でありました。酒井正さんと田中健次郎さんの「マクラーレンM12」の野太いエンジン音が今だに耳にこびりついています。また、「ポルシェ908II」で出場しておりました風戸裕さん、そして、最終戦に出場した生沢徹さんの「ポルシェ917K」などは忘れようにも忘れられません。
ところで、現在もモーター・スポーツをされているとのことですが、「ヒストリック・カー・レース」などのイベントに出られておられるのでしょうか。そうであれば、本当に羨ましい限りです!
ぜひ、これからも良きアドバイスを頂けたらと思っております。
これからもどうかよろしくお願いいたします。
主宰者
 17/APRIL/2000  Yさんからのメール「はじめまして」
 はじめまして Yともうします。
友人にこちらのホームページを紹介してもらいました。『瀧進太郎』さんはお亡くなりになってたんですね。
全然知りませんでした。
 私の親父は瀧さんのレーシングクラブ(クラブ名は聞いていませんが)に所属していました。
私のうちは三重県で瀧さんは鈴鹿がホームグラウンドだったのかな?
三重県内のどこなのかまでは聞いていませんがレーシングクラブがあったそうです。
うちの親父は国内Aライセンスを持っていたそうです。
なによりも一番思い出深いのが、「箱スカ」スカイラインGTーR2000(’71年式サファリカラー)を瀧さんに取り寄せてもらったことだそうです。三重県では販売されないので東京で瀧さんが手配してくれました届いたときは練馬ナンバーだったと聞いています。
今でも実家においてありますが、その話をすると親父はとてもうれしそうに話してくれます。
 親父も今年で50歳、瀧さんが亡くなられても仕方のない年代になったのかもしれませんがきっと寂しがるでしょうね。
瀧さんのご冥福を心からお祈りいたします。


WEB MASTER: Yさん、このたびは私のHPにメールを頂き誠にありがとうございました。
お話しをうかがっておりますと、お父様が滝進太郎さんのレーシング・スクール(?)か、クラブでしょうか、にいらしたということですので、当時は大変なレーシング・ファンかドライバーを目指しておられたのではと想像いたします。
滝進太郎さんは、自らのレーシング・チームである「タキ・レーシング・チーム」を作られて、日本中が熱狂していた1966年から1969年の「日本グランプリ」においてニッサンやトヨタのファクトリー・マシン相手に善戦し、私たちに大変強いインパクトを与えてくださった方でした。
 お父様が、大事になさっている「71年スカイラインGT−R」は、きっと滝さんが当時のスカイライン開発者であった桜井真一郎さんとの友好関係から手に入れることが出来たものではなどと想像してしまいます。
いずれにしても、これからも大切にしてください。お父様もきっと当時の想い出が沢山入っているからこそ大事に手放さずにおられるのではと想像いたします。
ありがとうございました。
 3/MAR/2000  J.Kさんよりのメール「懐かしい〜富士GC」
 はじめまして、なんとなく車のレースを検索して偶然拝見致しました。わたしは、貴方が少し興味が薄れてしまったという時期の72-74年?(の頃だ他と思いますGC高原時代)にJAF公認審判員の資格を取り、オフィシャルをしていました、オフィシャルの花形は旗振りの役員ですが、私はパドック委員と言ってパドックの交通整理の様な役目でした、なんかせっかく資格を取ったのになんとなくアルバイトの警備員みたいでしたがお金を払ってチケットを買えばかなり高いチケットでしか入れない所での委員ですから交代でサボッテ
色々なところへ行き観戦も少しだけしました。警備員と違い、レースでのはっきりした役目(本業で一番事な事は事故などの時緊急車両の通路確保)はがあるのであまりサボッテは居られないので、当時の公式プログラムのパドック委員に名前が載っています。話が逸れましたがとにかくなつかしいです。


WEB MASTER:  HPを見ていただけるだけで幸せなのにメールまで頂き誠にありがとうございまた。
K様は、JAF公認審判員をされていらしたということですので、私などからしましたら当時は、直接の関係者の方でいらしたわけですから、さぞかし大変な仕事だったのではということとまた、毎回レースを見ることも出来たということでうらやましいななどと考えてしまうわけであります。
ところで、当時のドライバーとKさんは話す機会などあったのでしょうか?
今と違いレースクイーン等もほとんどなくパドックでもレース関係者だけの時代ですから、60年代のレースのにおいをまだまだ残していた頃のレースであったなとしみじみ思ってしまいます。
K様は、現在も、レース関係の仕事をなさっておられるのでしょうか。
では、本当にありがとうございました。
16/FEB/2000  H.Mさんよりのメッセージ 
 HP拝見致しまして大変懐かしい思いがしました。
内容がかなり充実して読み応えあります。ゆっくり見させていただきます。
 私は1967年の日本GPでの高橋国光と生沢のバトルをTVで目にして以後、クルマ好きが加速しまた。私の生まれたところは、谷田部の自動車研究所に近いところなのです。日産R380のテストを金網越しに見ていました。家にいても走行音が聞こえるほどだったのですよ。祖父がプリンスR380のテスト走行に招待されて見てきた話を昔聞きました。
 実際のレースを見たのは筑波サーキットができてからですが、「オートスポーツ」を1970年ころから読み始めていました。好きなレーサーといえば、ジム・クラークと福沢幸雄です。
 プラモデルもタミヤのポルシェ906など、それ以降はよく作るようになりました。1967年以前は、ウルトラマンや鉄腕アトム、鉄人28号ばかりでしたね。スーパージェッターも好きでしたよ。最近は、もっぱらミニカー収集で、100台、200台と増える一方です。エブロからプリンスR380が発売されたので、大変感動しています。メイクアップのトヨタ7やR381、R382も宝物です。
 私は、1957年生まれなので、ほとんど同じような世代と思います。なんとなく「浮谷」で検索して・・・たどり着ました。
 それでは、このへんで失礼致します。ご無礼はお許しください。
 私も一応HPありますので、もしよろしければご覧下さい。
 http://www.asahi-net.or.jp/~GX5H-MYZK/index.htm


WEB MASTER :  Mさん、HPを見て頂いただけでもありがたいのにメールまで頂きまして、誠にありがとうございました。まだまだ不満ばかりの残るHPですが、懐かしく思っていただければそれだけでありがたいです。MさんのHPも拝見いたしました。とてもすばらしいです。実車を運転する事は、てんで疎い私でありますが、とても羨ましくもあり、またつい乗ってみたいなという衝動にかられてしまいました。これからもHP、続けてください。
 ところで、お父様が、プリンスR380の記録会に御招待されたということですが、とても貴重な体験をされたのだと思いました。また、宮崎さんもニッサンR380の走行をご覧になったということですが、これまた大変貴重な体験だったのではないかと思います。(赤白のカラーリングのヤツですよね!)
さらに、ミニカー採集も200台ということを聞き、すばらしいコレクションをされているのだなと想像しています。また、浮谷東次郎で、検索されたとのことですが、偶然にも昨年東次郎のオフィシャル・クラブである「TOJI'S CLUB 」に入会したばかりでありまして、HPでは、1966年からのレースシーンを回想する主旨で作っておりました関係上、まったく浮谷東次郎については触れておりませんが、私にとっても浮谷東次郎はとても大きな存在である事は確かなのです。
では、これからもこのへなちょこHPにちょくちょく寄ってください。
どうもありがとうございました。
 13/FEB/2000S.Kさんよりのメール
 今日は、初めてお便り致します。 私もVintage Slot Carに、魅せられて数年前よりCollectionと、修復を趣味にしているものです。牧野さんのページを拝見し、大変懐かしく、楽しく読ませてもらいました。私も牧野さんと同じ世代の人間だと思います。   パソコンを今年になって、 購入したので、いまワ―プロから勉強中です。以前、Mで一年ぐらいレースを友人たちとやっていました。現在10台程の車をレストア中です。その中には、レジンのマンタレイも含まれています。しかし、日模のシャーシーの予備が無い為 中座しています。牧野さんが引用されていた、模型と工作のモデルカーレーシングハンドブックの第一集と第三集は在りますので、御入用でしたらお知らせください。以前は、第四集も持っていたのですが、Mで友人に貸してあげた際に行方不明になってしまいました。今では、本屋でも中々みつからないので、ざんねんでなりません。申し遅れましたが、私は、Kと申します。今年で47才になります。
生まれは、世田谷でしたので子供の時は、三軒茶屋サーキットがホームサーキットでした。五反田、祐天寺、経堂サーキットなどえも遠征にいった思い出があります。最近ではサーキットも近所に無く,走らせることも無くなり寂しい限りです。又、車の修復をするにも目が悪くなり、なかなか進まない今日この頃です。最後はだんだん愚痴になってきましたので、そろそろ失礼します。


WEB MASTER:  このたびはメールを頂き、誠にありがとうございました。
この自分勝手に書いておりますHPを見て喜んでいただき、尚且つこのようなお褒め(?)の言葉をいただきHP未熟者としましては、主宰者冥利につきます。本当にありがとうございました。Kさんのメールを読んでいて、私より2歳先輩であられることもわかりましたが、なにより現役でスロットを続けられている事にとても感銘を受けました。パソコンを今特訓中とのことですが、私も2年前にパソコン教室に通い(腰を痛めて当時の会社を退社したばかりの頃で、何かしなくてはと思っていたころでした)をして何とかキーボードを打てるようになりました。しかし、まだまだ上手くなるには程遠いです。
ところで、10台ほどのスロットをレストアされているとのことですが、どのようなスロットカーをされておられるのでしょうか。
 私は、現在は、スロットを続けてはおりませんが、1985年以後にあった「さかつう」等のスロットシャーシでの第2次スロットブーム(?)に乗じてニチモの新設計ホーム・サーキット等を買いこみまして、1973年以来となるスロット・レーシングを楽しんでおりました。
しかし、仲間がいない事と自作シャーシや自由なモーター等の使用が出来ない為などの理由でスロットを続ける意欲がなくなりまして、現在に来ております。
 このHPを作らさせて頂いて、いろいろな方からメール等を頂き、大変勉強になっております。そして、スロット(モデルカー・レーシング)とはこんなに奥深いものなのかと今さらながら感じさせられております。
では、これからもスロットレーシングを末永く続けてください。
ありがとうございました。
 26/JAN/2000 兵庫県のSさんよりのメール
 本日、初めて貴HPを発見し、懐かしさに胸が締め付けられる思いがしました。
当時の実車の写真を見ることはあっても、モデルカーとなると何年ぶりでしょう。雑誌の表紙や記事に至るまで、当時を思い出し懐かしい限りです。
貴兄と同じく、カーキチ少年で、小学校一年の頃から「フジペット」で、車の写真を撮り回っていました。 
   モデルカーレーシングにはまったのは、第3回日本GPの年、CGやAUTO SPORT誌を購読し始めたのとほぼ同時でした。最初、母にレベル社のフォードコブラ(1/24 FT−36 1800円)を買って貰い、友人達5〜6人のバトルに参戦しました。友人達のマシンは田宮のロータス30、エルバ・マクラーレン、ニチモ
 (?)のBRMやフェラーリ、(いずれもフォーミュラ1でしたが、型式不明)それに1/32のコーヴェット・スティ
 ングレイ等々。 
   その年のクリスマスに叔父からCOXのフォードGT(確か3900円)を買って貰った時はうれしかったです
ねー。今でも覚えています。その後、青柳のパイプシャーシーを使ったり、剣持氏が雑誌に書いていた、自
作パイプシャーシーにDV18(?)とデュプロのチータ・リバーサイドとの組み合わせなどを試しました。 
   モーターを巻き直したり、入沢のタイヤにオイルを染み込ませたり、色々やりましたね。 
その後、中学3年の後半になると、「お受験」で、次第にモデルカーレーシングからは遠ざかりましたが、未
だに車好きは治らず、所有する車も、初代シビックGL,シビックRS, シトロエンGS,アルフェッタGT、シトロエンBX、MB190E 2.3−16、同2.5−16、ポルシェ911(993),MBEー430など、脈絡無き遍歴を続けています(ポルシェも良かったけど、一番感動を与えてくれたのは、シトロエンGSとアルフェッタでしょうか、どちらも雨が漏ったり、ヘッドライトが突然ブラックアウトしたり、大変でしたが。今乗ってるE−430はホントにつまらん)。 
  それにしても昔はのどかな時代でしたね。 レースの結果だって、知るのは1〜2ヶ月後のCGやAS誌上。1967年のルマンでしたか、CGの「フォード遂に勝つ」の見出しは忘れられません(悔しくて)。 
  ホンダのモンツアでの勝利、ホッケンハイムに散ったジム・クラーク、シャパラルの異様なマシン、日本GP
での滝新太郎のカレラ6やジョーシファートの917のカッコ良さ、どれも忘れることが出来ません。もう一度、
あの時代に戻りたいと思うことしきりです。 
 今後も貴兄のホームページを楽しみに拝見させていただく所存です。 
 何卒宜しく御願いします。


 WEB MASTER :   このたびは、メールを頂き誠にありがとうございました。 
  S様のメールを読んでいて本当にこのHPを作って良かったとしみじみ感じているところであります。 
S様は、私より2歳年上ということで、当時の2歳差は今の歳で言えば、5歳ぐらいの差を感じる年齢だった
のではないかと思います。それだけ、当時の2年先輩は大人に見えたものでした。 
 しかしながら、COXのフォードGTなどを当時手に入れられたということを聞き、誠に羨ましい限りでありま近いろいろな60年代の話題が世間で聞かれ世間で聞かれることが多くなりましたが、「モデルカー・レーシング」についてはまったくといってよいほど聞きません。
そんな私の不満などによって、このHPを作らせていただいているわけであります。そして、Sさんのような幼年時代を送られたことを知ることによってやはりこの「モデルカーレーシング」の時代は確かにあったのだと確信することが出来ました。重ね重ねありがとうございます。
そして、実車のレーシングカーも、当時はSさんがおっしゃる通り最高の車たちのオンパレードでしたね!私は、このまだまだ不完全なこのHPを書いております時、ふと自分がその時代にタイムスリップして当時の自分になりきっている錯覚に落居ってしまいます。
いつまで書けるかわかりませんが、出来る限りつづけていこうと思っておりますので今後共よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。