皆様のメール・コーナー!!

 皆さんのご意見を載せさせていただくコーナーを作りましたので、よろしくお願いいたします。
 

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平成11年12月12日 S.Dさんよりのメール 「感激の余りにメールしてしまいました!」
初めまして。マキノさん。Dと申します。
36歳の2児の父親です。現在住んでいる所は静岡県御殿場市です。富士スピードウェイまで車で20分の所に住んでいます。
 マキノさんのHPを見つけたのは、「風戸 裕」関連のHPを探す為、検索エンジンで行き着きました。
自分はF1ファンでありまして、自動車もHONDA以外には乗ったことが無い位のHONDAファンです。F1が好きになったきっかけは軒並みでは在りますが、あの故アイルトン・セナの影響が在ります。
しかし、マキノさんのHPを拝見させて頂き、大変ショックを受けました。それは1960年代後半から1970年代前半にかけて、日本でこんなにモータースポーツが盛んな時期があり、そしてなんと言っても素晴らしい走りをしたであろうドライバーが沢山居た事でした。
この頃は丁度幼稚園から小学生時代で、自動車には全く興味がありませんでしたので、全く判りません。
もっと、早い時期から車について興味があれば、もう少し違ったモータースポーツが味わえてかもしれませんね。
 先日(といっても、2年くらい前かな)、富士スピードウェイにF3000の最終戦を見に行きました。レースが終わり帰りの渋滞が空くまで時間があったので、娘と歩いて色々と回りました。そのとき初めて30度バンクを見ました。凄いですね。しかし、なぜ廃止になってしまったのでしょうか?
やはり、風戸 裕の事故が関係あるのでしょうか?凄く気になります。
30度バンクの特集など掲載されては如何でしょうか?
 マキノさん、もっともっと色々と書いてください。そして応援します。
それでは、頑張ってください。

PS:余りにも感動してしまい、乱文で御免なさい。

WEB MASTER:  HPを見ていただくだけでも光栄ですのにメールまで頂き誠にありがとうございました。
 Dさんは富士スピードウェイの近くにお住みとのことですが、私としてはとても羨ましい限りです。
私が富士スピードウェイに通ったのは、1971年の富士グランチャンピオンシリーズが最初でした。
酒井正のマクラーレンや風戸裕のポルシェが目の前を走りすぎていくシーンを見て感激したことが今だに強く脳裡に焼き付いています。

> 1960年代後半から1970年代前半にかけて、日本でこんなに
> モータースポーツが盛んな時期があり、そしてなんと言っても素晴らしい走りを
> したであろうドライバーが沢山居た事でした。
>
当時の日本のモーター・スポーツは、まだまだ一般的でなく一部のファンが熱中していたとでも言ったらいいのでしょうか、とにかく、今のF1ブームとは少し違っていたのではと記憶しております。
ドライバーも最近引退宣言をした高橋国光選手なんかは当時はもっとすごかったです。特に、日産チームのエースだった頃は本当に凄い走りをしていました。
スカイラインGTR(2代目)が50勝を達成したレースでは、雨の中、他車を寄せ付けずブッチギリで優勝しました。このレースは特にすばらしかったですね。
 私のHPでは、当時私のヒーローだった生沢徹選手を中心にいろんなレースの企画ページを作らせて頂いておりますが、当時の生沢選手の活躍は、Dさんが好きだったアイルトン・セナとも匹敵するような人気でありました。

> そのとき初めて30度バンクを見ました。
> 凄いですね。しかし、なぜ廃止になってしまったのでしょうか?
> やはり、風戸 裕の事故が関係あるのでしょうか?凄く気になります。
> 30度バンクの特集など掲載されては如何でしょうか?
>
結果として、その事故が発端で30度バンクは廃止になりました。風戸裕は、あの事故がなければヨーロッパF2選手権にワークス・シェブロンF2で出場するところだったのです。誠に残念でした。
以前にもDさんと同じことを言われた方がいらっしゃいましたのでぜひ「30度バンクヒストリー」を今度作ってみようと思っておりますのでその時はよろしくお願いいたします。

> マキノさん、もっともっと色々と書いてください。そして応援します。
> それでは、頑張ってください。
>
本当にありがとうございました。
まだまだ、不満が残るHPですが、今後もよろしくお願いいたします。

平成11年12月7日 H.N さんよりのメール 「はじめまして」
 谷川さんの浮谷東次郎web siteにリンクされている牧野さんのHPを見つけ、覗かせて頂きました。
日本の黎明期のモータースポーツに興味があります。もちろん、リアルタイムで見ることは出来ませんでしたので、牧野さんのページで勉強させて頂きたいと思っています。
 以前カナダにいた頃、アルバイト先でお世話になっていた方が元メカニックでして、カナダ在住の「日本人初の女性レーサー」という方に会わせて頂いた事があります。当時の話に胸を躍らせたことを思い出します。
また、イタリアで知り合ったインドネシアの方は、当時日本でレースをされていて、日野コンテッサで走っていたそうです。(といっても私は実際にコンテッサというものも見たことがないのですが・・・)
私も、来年こそはTOJI'S CLUBに参加したいと思っています。機会がありましたら当時の事を色々教えてください。
宜しければ、私のページにリンクを貼らせて頂きたいと思います。
宜しくお願いいたします。
WEB MASTER:  メール本当にありがとうございました。
NさんのHPは、TOJI'S CLUBの谷川さん作成HPにて拝見させて頂いておりました。
現役ドライバー、それもこれからF―1を目標に頑張ってらっしゃるということですから、私としては思わず応援する心境となっております。
私は、1954年生まれであります関係上、モーター・スポーツに関しては、1960年代半ばからのファンであります。生沢徹などはすでに伝説化されているとは思いますが、今でも私のヒーローであります。
何か、Nさんのレーシング・ヒストリーを読ませて頂いていると当時の生沢徹が、イギリスの「ジム・ラッセル・レーシング・スクール」に通い、そしてイギリスF−3選手権に優勝したことが何かダブってきてとても感激しております。
これからも山あり谷ありだと思いますが、とにかくやるだけやって燃え尽きてください。心から応援しております。
では、これからもよろしくお願いします。
それからこちらこそリンクを貼らせていただきますのでよろしくお願いします。
平成11年11月29日 I.Kさんよりのメール 「写真が違う?!」
 初めまして、ペンネーム・サマータイム・モームです。貴方様のホームページを初めて拝見しました。
フランス映画「男と女」について取り上げられており、しかも画像付きで紹介されているのはファンとしては嬉しい限りです。
 そこで一つ気になったのが、アヌーク・エーメ紹介の項でアヌークの顔写真が違う事です。(あれは確か同作品でジャン・ルイ・トランティニアンの奥さん役の人だったような・・・名前忘れましたけど)
 できれば、そこの部分だけ変更を加えればもっといいような気がします。
 私は大学一年の時に同作品を見て、車(初代フォード・マスタング)とボサノヴァ、大人の男と女の接し方といったものを実にロマンティックに陰影感を漂わせながら表現していたあの世界に大いに魅力を感じました。トランティニアンが勇壮なBGMをバックにフォードGT40のテストを行うシーンも興奮しましたが(ジャン・ルイの親戚にモーリス・トランティニアンという50年代に活躍した実在のF1ドライバーが居ます)、中盤のパリの街を徘徊するアヌークの美しい表情は今も強い印象が残っています。
 ネット上でアヌークを紹介しているページをなかなか見つけられなく、彼女の美しさを他者に伝えられずに歯がゆい思いをしていましたので、このようなページが公開されたのを非常に嬉しく思います。
 これからの同ページの発展を祈りつつ、では失礼します。
WEB MASTER: メールまで頂き誠にありがとうございます。私のまだまだ未熟なHPは、皆さんにいろいろ御指摘いただきながら現在にいたっております。
K様のご指摘の写真についても早急に見直してみるつもりでおります。
“くるま(特に60年代のレーシングカー)”が好きでこのHPをはじめさせていただいた関係上、映画につても車関係を自分なりに解釈して載せさせていただきましたので、K様のように“男と女”について深く考察することが出来ておらず文章にも御不満も終わりだと思いますが、そこのところは、なにとぞお許しください。
では、本当にメールありがとうございました。
今後もよろしくお願いいたします。
平成11年11月25日 Yさんよりのメール 「HPの感想」
 はじめましてYと申します。
私は年齢34才ですがかすかに76年日本GPを覚えているくらいからのモータスポーツファンです。
当時はスーパーカーブームでF1もスーパーカもごっちやにしていましたから。そして20才の頃ふと古本屋でみかけた生沢徹著モータースポーツ入門を読んでいらいずっとモーレツに温故知新を常に熱心にモータスポーツを趣味としています。
  牧野さんのHPは当時を知っている人たちの熱い思いが伝わってきます。やはり「日本モータースポーツ史」や古いオートスポーツにはない臨場感があります。HP掲載されていた内容はほとんど知っていまが、今私は富士の30バンクコーナーについて凄く興味があります。GCの最終戦(86年?)に始めてFISCOにいきまいしたが、サーキットを回っているうちに度肝を抜かれました。
その後もFISCOにいくたび30バンク巡りはかかしません。特に現1コナーのエスケープゾーン部分はどの様になっていたのか、またバンクが終わりかけた部分の坂のあたりなんてどの様にマシンが走ったのか興味があります。もし当時の写真なんかあったらHPで公開してください。30度バンクの特集もいいかもしれませんね。毎回バンク巡りをしていてここで5リッターのマシンが走っていったなんて考えられません。またそれを肉眼で見れたなんて最高ですね。たまに30度バンクがまた復活したなんていう夢をみます。 

それでは!

WEB MASTER:  このたびはメールまでいただき誠にありがとうございました。
先日は、当時の私のヒーローでありました“生沢徹”氏御本人からメールによるお褒めの言葉をいただき感激していたところでした。
 1974年ごろまで使用された“決死の30度バンク”は、まさに圧巻でしたが、安全性の問題により廃しされました。イタリアのモンツァ・サーキットにも昔はバンクがありました。チャパラルやフェラーリP4なんが、猛烈なスピードでレースをしていたのですが、これも安全性の問題で廃止されました。
Yさんのおっしゃるように、バンク特集なんかいいかもしれませんね。
今後もよろしくお願いします。
では、失礼します。
平成11年10月25日 J.Oさんよりのメール 「懐かしい」
初めましてOと申します。
今NHKで小川知子と谷村しんじの放送をしています思い出して福沢幸雄で検索貴サイトへやってきました。
 巣鴨サーキット懐かしいですね!
巣鴨の英雄、馬木氏が高名な耳掻きづくりの名人とは後で知りました。
インターネットてすばらしい!
いろんな人と思い出を語り合える。
WEB MASTER:  Oさん、メールありがとうございました。
HPを見ていただくだけでありがたいのに、メールまで頂き本当にありがとうございました。

> NHKで小川知子と谷村しんじの放送をしています
> 思い出して福沢幸雄で検索
> 貴サイトへやってきました
>
見よう見ようと思っておりましたが、見れませんでした(涙)。
“福沢幸雄”にしろ、当時のドライバーには何かオーラのようなものを感じます。
また、巣鴨サーキットについて、御存知だったとはうれしいです。
では、今後共よろしくお願いいたします。

平成11年9月23日 T.Sさんよりのメール 「HP拝見しました」
 初めてメ−ル差し上げます。HP拝見しました。
本当に私が欲しい当時のスロットの情報がいっぱいで楽しいサイトですね。
 申し遅れましたが私は42歳で小学1年のとき?にたしか初めてスロットキットを親に買ってもっらったと思います。TAMIYAのR380です。蒲田在住(今も)グランドサ−キットに1度だけ連れていってもらった記憶があります。少年キングを毎週買い、<レ−シングカ-なんでもこい>という連載ペ−ジを何回も読みました。
近所の年下の子がニチモのマンタレイをもっていました。たしか薄緑色のボディ-だったと思います。
その後、牧野さんと同じようにバンドをやったり、***60sのギタ−も好きです。****
渓流釣りにはまったり、してますが時々60sのレ−スシ−ンに思いを馳せます。
スロットも*MINT*や*IRIS*から買いました。1/24が主ですがキット、RTRあわせて30台くらいあると思います。
 最近そちらの趣味から離れていますが、牧野さんのHPなどみますと、*緑製のアルファ・カング−ロ*はどうしても欲しい、一度観て見たいと思ってしまう今日この頃です。
WEB MASTER:  Sさん、メールどうもありがとうございました。なかなかこの手のHPを楽しく見ていただく方がまだまだ少なくこうやってメールなどを頂けるとなにより励みになります。

> し遅れましたが私は42歳で小学1年のとき?にたしか
> 初めてスロットキットを親に買ってもっらったと思います。
> TAMIYAのR380です。蒲田在住(今も)グランドサ−キット
> に1度だけ連れていってもらった記憶があります。
>
私が、小学校6年の時ですから、Sさんはきっと4年生の時だと思いますが…。
R380ですか、僕も買いましたが、TAMIYA仕様が日本グランプリ仕様でなかったのがなんとも残念だったというのが当時の気持でした。

> 近所の年下の子がニチモのマンタレイをもっていました。
> たしか薄緑色のボディ-だったと思います。
> その後、牧野さんと同じようにバンドをやったり、***60s
> のギタ−も好きです。
>
結構マンタレィを持っていた人っていたんですね!子供が興味を示すデザインだったからですかね!
バンド…。ヴェンチャーズ派ですか?
> 牧野さんのHP
> などみますと、*緑製のアルファ・カング−ロ*はどうしても
> 欲しい、一度観て見たいと思ってしまう今日この頃です
>
緑製は今でも結構人気あるようですね。
本当にありがとうございました。また、暇があったら立ち寄ってください。

平成11年9月22日 H.Oさんよりのメール 「はじめまして」
前略
 初めましてウェッブページを見てたまらずメールを送らせてもらいます。私は42歳男性です。
1960年代後半から1970年代前半は私自身がレースに目覚めた時期でした。
その為かサイトを見てる内に子供時代の純粋なレースの思いがわき上がってくるようでした。
この当時のレースを語れる人が私の回りには誰もいないので今後も寄らせていただきます。
いまでも私の部屋には第4回日本グランプリで優勝した生沢徹氏のカレラ6のグラビヤページが飾って有ります。(モーターファン誌の折り込みページ)
父にねだってJAF グランプリのジャッキー・シュチュワートや第2回日本カンナムを見に連れてってもらったりしました。(父の車はスズライトのバンでした)
日本カンナムは寒かった。JAF-GPのジャッキー・スチュワートは滅茶苦茶速かったです。
彼は確か日本に来る際タイヤを相当な数を用意してきたと聞き、子どもの私は結構感動した記憶が有りす。
当時日本カンナムのテレビ中継があったようですが関東地区はうらやましい限りです。
今後のウェッブページに期待しております。またメールを送らせていただきます。
WEB MASTER:   Oさん、ホーム・ページを見ていただくだけでもありがたいのにメールまで頂き本当にありがとうございました。
同年代の方に感動していただけただけでもこのHPを作ったかいがありました。
いや〜、うらやましい限りです。私が、富士スピードウェイに行ったのは、1971年の富士グランチャンが初めてで、T.N.T対決時代のレースは今でも憧れがあります。
今度暇な時があったら、観戦記でも送っていただいてこのHPに紹介させて頂きたいな…などとかってに思っております(笑)。
また、TV中継は、欠かさず見ていました。それとHPにも書かせていただきましたが、モデルカー・レーシングにも熱中していた関係上、実車のレースとモデルカーレーシングが互いにリンクして私のレーシングカー・オタク(?)の原点となっています。
これからも、こんなHPで良ければ時たま寄ってください。
本当にありがとうございました。
平成11年9月13日 TOJI'S CLUB のHさんより 
 拝啓 牧野様
 
 トージズクラブ、会報担当のHです。ホームページを少しだけ拝見しましたが、これだけのボリュームをきれいにまとめてあるので、感心させられました。特に「ファッション」村の子供たちはとても面白かったです。それで会報の記事に牧野さんのホームページを紹介したいのですが、よろしいでしょうか。特に”THE TOPICS OF A WEEK”の「TOJI’S CLUBに参加して」の記事は、会報の記事にぴったりだと考えているのですが。掲載の可否を下記アドレスまでご連絡ください。
WEB MASTER: 先日は楽しい集いに参加できて本当に感謝しております。ありがとうございまた。
皆さんの暖かさを感じて本当にTOJI’S CLUBに入会して良かったと思っております。
それから、本当にこんなHPで良いのでしょうか?!よろしければ、どうぞ掲載してください。
総会当日本田さんに、オタクなページだなって言われましたが、気に止めて頂けただけでも幸せでした。
では、これからのクラブの益々の発展を祈っております。
メール本当にありがとうございました。

 
平成11年8月11日 東京都大田区のK.Uさんよりのメール「くるま村…を見て」
 はじめまして、東京大田区のK.Uと申します。
「クルマ」村の少年たちを楽しく拝見させていただきました。
久しぶりに興奮する内容のHPで一気に読ませていただきました。特にモデルカー・レーシングのコーナーは私が知りたくても資料がなくてあきらめていたことがいろいろ書かれており、夢中になって読みました。
 モデルカー・レーシング入門記にあったマンタレィは私の兄が持っていたというキットで、私は実物を見た記憶がないのですが、よく話には聞いており、どんなものか一度見てみたいとずっと思っておりました。
「重いボディにFT16の非力なモーターなので遅かった」と話していました。また宙返りコースがあった話なども聞いてましたが、半信半疑でした。
#ちなみに兄はh-makinoさんと同じ54年生まれです。
 私は1961年生まれで、モデルカー・レーシングの全盛時にはまだ幼稚園児ということで、幼稚園の帰りに祖母に連れていってもらったプラモ屋の車庫のサーキットを見ていた想いでだけですが、70年に田宮のポルシェ・カレラ6を買ってもらってからモデルカー・レーシングの世界にはまりました。
友人はR380を買い、2人でよく武蔵小山サーキットで走らせていました。#図らずも日本グランプリの再現をしていたのでありました。
 当時はもうプラモメーカーのキットは最後の方だったと思います。日模のF1などが売られていたのは見ましたがクリアボディ全盛になりつつありました。私もカレラ6に限界を感じ、こずかいをためては部品を等々力サーキットまで買いに行き、クリアボディ一のクルマをやっと手に入れたものでした。
その後は進学や就職などで環境が変わって、休みの期間もありましたが、スロットカーは細々と続けており、後期はもっぱら東洋一を誇る白金サーキットに出かけて行き、レースにも参加したりしておりました。
その白金サーキットも92年頃についに幕を閉じてしまい、私もスロットカーから遠ざかって現在に至っています。
 最近、等々力の新しくできたサーキットを覗いて見ましたが、私がやっていたころとはまた違ってきているようですね。プラボディにミニ四駆用みたいな小さいモーターを載せたのやら、外国製の何万円もするシャーシーなど見たことの無いようなクルマが走っていました。時は流れたという感じがします。
 これからも昔のモデルカー・レーシングの情報をどんどん載せて下さい。当時のサーキット(特に蒲田)や外国製キットの内容など興味があります。モデルスピードライフなる雑誌も初めて知りました。私が記憶にあるのは模型とラジオ(68年頃から)なのでその内容もできる限り載せて戴けたらと思います。
楽しみにしております。
WEB MASTER:  このたびは、見ていただけるだけでもありがたいのにメールまで頂戴して本当にありがとうございました。
HPにおいても書かせていただきましたが、60年代後半から70年代初期にかけての「日本のモータースーツ」と「モデルカー・レーシング(あえてスロット・カーではなく)」が築いた現代のモータースポーツや模型界における貢献度や影響力たるや大変なものであったと思っています。ところが、それを伝える書物などないに等しく、あまりその当時のことを語りたがらない人も多いのが今の現状でした。
今、音楽界でも昔の「グループ・サウンズ」を中心としたHPも数多く見られる中、なぜ、あれほどみんなを熱中させた「モデルカー・レーシング」や「日本グランプリ」について誰も語ろうとしないのかが私の長い間の疑問でした。そんな事がきっかけで昨年からパソコンを覚えてなんとかこの“遺産{ちょっとオーバーですが…(笑)}”をHPにしようと計画し、やっと今年3月にUPすることができました。
だから、K.Uさんのようなメールを頂くとほんと励みになります。

> その後は進学や就職などで環境が変わって、休みの期間もありましたが、スロット カーは細々と続けており、後期はもっぱら東洋一を誇る白金サーキットに出かけて 行き、レースにも参加したりしておりました。
> その白金サーキットも92年頃についに幕を閉じてしまい、私もスロットカー から遠ざかって現在に至っています。
 その気持ちはわかりますよ。私もそうでしたから・・・。大学に入ると同時にモデルカーレーシングから遠のき10年ぐらい後に、今の“プラモデル+市販シャーシー”のブームに遭遇したのですが、いま一歩入りきれずK.Uさんと同じように外から見ていました(笑)。
今、HPで知り合った人の中で、ここ5〜6年の間に今のスロットカーに夢中になりながら、自分は趣味で
レジンボディーの製作メーカーになって当時発売されなかったレーシングカーを作り、売っている人もいます。

> プラボディにミニ四駆用みたいな小さいモーターを載せたのやら、外国製の
> 何万円もするシャーシーなど見たことの無いようなクルマが走っていました。
> 時は流れたという感じがします。
>
 何もかも違うんですよね?! 昔の常識が常識でなかったり、たとえば「スイングアーム」は、昔は必需品でしたが、今は、必要ないとか…。

> これからも昔のモデルカー・レーシングの情報をどんどん載せて下さい。
> 当時のサーキット(特に蒲田)や外国製キットの内容など興味があります。
> モデルスピードライフなる雑誌も初めて知りました。私が記憶にあるのは
> 模型とラジオ(68年頃から)なのでその内容もできる限り載せて戴けたら
> と思います。
>
 ありがとうございます。蒲田サーキットについても資料探して今度企画してみます。
また、何か私で分かるようなことがありましたら、いつでもメールください。
では、失礼します。

平成11年7月19日 T.Wさん(40代男性)より 「ファッション村の少年たちを見て…」
 楽しく、懐かしく読ませていただきました。
私も以前この業界にいた事がありましたので、メールを差し上げます。
一番懐かしいのは、少々係わっていた事もある ミスターヴァン ですね...
おっしゃるとおり、60年代後半スタートで、当初はモッズ?だったような記憶があり
ます。
結末は残念な事になった、アルファキュービックのS氏はここの出身でした。
リヴゴーシュを経、レノマで大ブレイクしていくのですが・・・よくも悪くも70年代〜80年代のファッションリーダーであったと思っています。
ミスターヴァンは当時の歌手などにも愛用者がけっこうおりました。代表的なところでは、布施明氏あたりでしょうね。それと、あのロックバンド“キャロル”の73年のコスチューム(黒革のライダースーツ)もそう。
ただ、このブランドは一般的には売れませんでしたね(笑)、いつもバーゲン玉!
ビギ、ニコルなどの台頭もあり、ますます霞んでいってしまい、ついにはVANそのものがあんなことになってしまい、永遠に?封印。
そうそう、同じY氏企画の 404 というブランドもありました・・・

楽しませていただいてありがとうございました。

WEB MASTER: このたびは、不慣れで不完全なHPに寄っていただき、さらにメールまで頂き誠にありがとうございました。そして私の知らなかったミスター・VANについても詳しく書いていただき重ね重ねありがとうございました。
 ファッション時代の幕開けだった(?)60〜70年代は、今考えると本当に楽しかったですね!特に、T.W様もファッション業界におられたということで仕事もさるこながら多いに楽しまれたのではと想像いたします。
 私は、元々くるまの趣味がありまして、本来は関係のない企画ページだったのですが、まぎれもなく1973年頃から77年頃までは、ファッションに興味を持っておりましたのも事実でしたので、番外編ということで書かせて頂きました。
本当にありがとうございました。
平成11年7月8日 東村山のM.Kさんより 「はじめまして・・・」
 はじめまして。同じ病(腰痛)で苦しんでいるものです。お身体、いかがですか?
私は昭和28年7月生まれですから、もうほとんど同世代ということになりますねぇ。
先日、E−BAY(アメリカのオ-クションサイト)で偶然、当時は高くてとても買えなかったコックス製シャパラル(ご存知ですよねぇ)が売りに出ているのを発見し、「もし仮にせり落としたら、はたして国内(都内)で遊べるんだろうか」などと思い、それじゃ、スロットカーで検索だぁ..というわけで偶然、貴方のページに出遭ったわけです。
 私ももってました。「マンタレィ!」。懐かしかったなぁ。でもそれに前後して買った、タミヤの”ジャガーDタイプ”や”フェラーリF1”がすご〜く遅かったので、それをきっかけに反タミヤ党となり、遅いと知りつつも、大滝の「スカラブ」などで友人達のエルバマクラーレンやサイドワインダー車などに果敢に挑んでいました。(でも殆どが返り討ちでしたが)その後、レーシングカー(当時はスロットカーとは言いませんでしたよねぇ)は貴ページにもあるとおり、クリアボディ・パイプフレーム、オフセットマウントなどと熟成し、めちゃくちゃ早くなていったんですが、それととともに次第に私からは遠ざかっていってしまったことを覚えています。でも、牧野さんはすごい!そこまで突き詰めたんですかぁ。
 現在、自宅で療養中とのこと。私も、数年前思い切ってサラリーマン出家し、現在ほそぼそと翻訳などで食いつないでいる毎日です。現在妻+子供2持ちの身ですが、時間に制約されず、現在はクラシックカメラなど、結構お気楽に生きております。牧野さんもお気楽に頑張って下さい!お身体よくなったら、今度昔をなつかしみレーシングカーなどご一緒しせんか?

今日はとっても楽しいHPありがとうございました。

追伸:与論の順子さん、GOOD!!  JUST MY TYPE!

WEB MASTER:MKさん、私のHPを見ていただいた上、メールまでいただき誠にありがとうございました。
また、同年代で私と同じように腰痛で会社をお止めになったということですが、もう直られたのでしょうか?私は、医学治療よりも、むしろスポーツ・リハビリにより回復いたしました。現在は、職捜しとでも申しましょうか、このかつてない失業率の中、捜し続けている訳であります。
モデルカーレーシングを長くすることが出来た理由は、勉強もせずに、レーシングカーばかりしていたからでしょう?!HPにある通り、日本グランプリなどの実車のレースとのリンクによりやってこれたと思いますし、一緒にやってくれた友人がいたからこそ出来たのだと思っています。
でも、1度も大きいサーキットでは、レースはしていません。全て、ホームサーキットでのレースでした。
 私は、今だ独身で、77歳になる母親と同居しておりますが、MKさんは、ご家族持ちということですから、さぞ奥さんやお子さんがあなたの身体を心配しておられるだろうとお察しいたします。頑張ってください!
追伸の件は、まったくはずかしいかぎりです!!
では、今後共よろしくお願いいたします。
平成11年6月22日 名古屋のY.Aさんより 「クライマックス特集拝見しました!」
クライマックス特集、拝見させていただきました。
僕が記憶しているだけでもあの中で15台は作った覚えがあります。
印象に残っているのは、ロータス49とマッキースペシャル−くさび型のフォルムでしたよね、それとR381。それぞれ、サスペンションを付けたりハンモックシャーシーにしたり、ウイングを動かしたり、ギミックに凝ったせいかもしれません。
 ラインナップを見て衝撃的だったのは、僕の今の作品(エランは当然として、ローラ160、マーク3、3809、917も、)を作った記憶が無いことに気が付いた時でした。
 こういうのをトラウマと言うのでしょうか、まったく無意識のうちに子供の頃作れなかった車種を選択していたなんて、とても偶然とは思えません。ちょっと不思議な気分になりました。
 パート2も楽しみにしています。それではまた。
WEB MASTER: Y.Aさんありがとうございました。
クライマックスのクリヤーボディは、スロットブームが去った後で、かなりの数が発売されており、私なんかは、クライマックスのおかげでモデルカー・レーシングを長く続けられたと思っております。今は、どうなっているのでしょうか?なんか探してみたいという衝動にかられます。
でも、Y.Aさんも、当時ただでは造らなかったことが文章で分かりました。ウイングが走行中に動くギミックは、当然の追求だったものと思われますが、当時うまく動いたのでしょうか?私は、ホームサーキットを延長してレースを行っていましたので、どうしても8の字交差をくぐる時にチャパラルのウイングが当たってしまいずいぶん苦労しました。
いずれにしましても、Y.Aさんには、現在日産R−380−2の製作を是が非でも完成させていただきたいと節に思っている私であります。
どうもありがとうございました。
平成11年6月17日 名古屋のY.Aさんより 
TOMさんのBBSからちょっと立ち寄ってみたところ、「わ、凄い」感動しています。
年代が私と一緒なので「日本グランプリ」、モデルスピードライフ、全輪サスペンション、(船のジョイントを利用した「ハンモックシャーシー」なんてのもありましたよね)など私がやってきたことや、やれなかったことの全てがここにありました。
当時の資料を保存されていたなんてすばらしいです。

私の住んでいる名古屋地方ではいまだに田宮のD型シャーシーが現役で活躍しているヒストリックカーレースがシリーズ戦で毎月行われています。近いうちに私のホームページで紹介するつもりでいます。

私の今の楽しみに、60年代のレーシングカーにこだわったフルスクラッチモデルを作ることがあります。当時の資料で困った時、あつかましくお邪魔させてもらってよろしいでしょうか。
http://www.gld.mmtr.or.jp/~anzai/

WEB MASTER:はじめまして。寄っていただき誠にありがとうございました。
当時あれほどブームだったのですから、私やYAさんのように今だにこだわってスロットを続けていることは珍しくないと思います。しかし、田宮D型シャーシーが現役だなんてうれしいですね!
私なんかでお役に立てることでしたら、なんでも協力いたしますので、これからもよろしくお願いいたします。
PS:HP拝見しました。すばらしいです。私なんか今製作する気力は余りありませんから、憧れてしまいます。これからも情報交換お願いします。
平成11年6月12日 TOMさんより、「感動しました…」

初めまして。
TOMともうします。"くるま村"拝見させていただきました。ちらっと覗いただけで感動してしまいました。
私の好きな年代の車、それもレーシングカー(スロットカー)としてあるではありませんか!

当時のキットは今ではとんでもなく高価で手に入れることはできません。
しかし、このような貴重な資料を見ることができて嬉しいです。
よく保存しておられましたね。

私など、資料らしきものはほとんどなく、作るときが大変です。
何か解らないときはメール差し上げて良いですか?

私も古い車のギャラリーとしてHPを作っています。
よろしければ遊びに来て下さい。
間違いを指摘されそうですが、大目に見て下さい。
http://member.nifty.ne.jp/SlotGallery/
 

WEB MASTER: 「くるま」村の少年たちによっていただき、誠にありがとうございました。
見ていただくだけで光栄なのにメールまでいただき恐縮です。
1960年代の車、特にレーシングカーについて興味を持っていただける方は、私の知る限りごくごく少数です。
モデルカー・レーシングとなると、さらに、狭まってしまいます。私は、当時小学校6年生でしたが、実際この興奮が今でも忘れられず、なんとかこの60年代モデルカー・レーシングブーム(?)を単なる徒花で終わらせたくはないと思い過去形式になってしまいますが、当時どんな風にみんな夢中になっていたのか、また、どんな組織で日本のモデルカー・レーシングが運営されていたのかなどを60年代の遺産(少々オーバーですが・・)として残したい一身で、HPを立ち上げたわけです。
ですから、現在進行形の企画は、今のところありません。
そのような中で、TOMさんのHPを拝見して、私が、もし進行形のHPを作っていたら、多分TOMさんのようなHPを作っていただろうなと、拝見しながら、感激しておりました。
もちろん、私でわかることでしたら、なんでもお答えいたしますし、なにか提案がありましたら、どんどんいっていただければありがたいです。
私は、60年代日本グランプリや、CAN−AMなどを見て育ち、その興奮をモデルカーレーシングに託したことで、ブームに関係なく長期間楽しむことが出来たと思っています。
ですから、TOMさんのHPは、数ある現代のスロットカーHPの中でも唯一昔のにおいを感じるHPだと思ましたので、ぜひ今後も頑張ってほしいです。
また、良かったら私のHPにリンクさせてください。お願いします。
では、長々と申し訳ございませんでした。
では、ありがとうございました。
4月26日 千葉県のMITSU先生よりのメール「Good Evening!」
 

Hi, Hirofumi.
I really enjoyed your ホームページ。
I liked あの素晴らしい愛をもう一度 very much.
I didn't know you had had a lot of girl friends.
Let's talk more about this tomorrow in the class, ok !?

Mitsu.

Web Master: 本当にありがとうございます。
Thank you for mailling!
なんと“Mitsu”さんは、私の英語の先生であります。いつもとても楽しい授業でありまして、初心者の私でも英語の面白さを教えていただいております。今後共よろしくお願いいたします。
4月5日 千葉県柏市のNOBU君よりのメール「なつかしい!!」(大学時代の悪友より?!)

 さっそくHP見させてもらったよ。 
なんとなつかしい 時がいっぱいで 感激でした。それに輪をかけて 私を感激させたのは あのすばらしい愛をもう一度。そうです・・・! 思ってもいなかった“ あけみちゃん”と再会できたのです。実は、今1枚も彼女の写真を 持っていないのです。だから、 牧野に感謝! 迷わず保存しました! 
そうそう、 和枝は、 高橋和枝ですよ!一時期 私と付き合ってたよ。 
なんだか あの頃に、 戻りたくなったよ・・・。 
近いうちに 逢いたいね 
そんじゃまた。

WEB MASTER:感激してもらえてうれしいですよ。それにしても独身時代あれだけ持っていた“明美ちゃん”の写真はどうしたのでしょうか?写真は、もっと画像が良いもの良かったら送りますよ。 そうそう、高橋和枝さんでしたね!ところで、白いロングコートの女の人…、誰でしたっけ? 
まあ、そのうち会ったときにでも、他の写真お見せますよ。
では、またよろしくお願いします。
ところで、昭和49年に“明美ちゃん”から私に来た暑中見舞いがありましたので載せてみました。
よくそう言えば、当時“明美ちゃん”に私は、よくからかわれていましたね!
という事で内輪話などしてしまいまして誠に申し訳ございませんでした。
4月3日 S.Sさんからのメール「こんなものいかがでしょうか?」

前略 牧野様  

 当方で提供した資料をお使い頂きましてありがとうございます。 
 私も少しずつではありますが、牧野様がお気に召すような資料を蔵書の中から探しております。いざ本を開けてみると、つい文章を読み始めてしまい、なかなか先に進まない状態です。蔵書といってもたいした量ではないですし、特にレースとなるとほんの少しですが・・・ 
 さて、今回もつまらないものを2点お送り致します。チラシと壁紙です。壁紙はHPを作製するつもりで私が作ったものです。もちろんお気に召さない場合には御削除頂いて結構です。よろしければどうぞ。 
 話は変わりますが、ニューイヤーミーティングは私も行ってます。ただのギャラリーですが・・・。どこかでお会いしてるかもしれませんね。当日の私の格好は、皮ジャンに白のヨットパーカー・スリムのジーパン靴がピンクのコンバース・ハイカットで青のキャップ。ワンポイントで、胸にベイシティ・ローラーズのカンバッチを付けてました。まあ、こんなこと書いてもわからないでしょう。きっと・・・。60年代通信の鈴木様もお子様を連れて行かれたとのことです。いつかお会いできるといいですね。その日が来るのを楽しみにしております。 
 長くなってしまいましたので、今回はこのへんで。 

        OLD CAR CLUB 船橋サーキット代表 
                 SUBARU360 OWNER 
         S.S

WEB MASTER:須田さん、よくこのチラシ(?)持っていましたね。なんでも鑑定団“モーター・スポーツ”編だったらきっと高い査定がついたこと間違いないですよ。本当にありがとうございます。必ずや使わさせていただきます。ところで、HP用にとおっしゃっていましたが、作られないのでしょうか?頂いた壁紙は、必ずや違う企画で使わさせていただきます。
それから、実は「ニューイヤー・ミーティング」は、鈴木さんに無理をいって私が来てもらったのです。お子さんはラジコンレースに夢中だった様ですが。私は、スワップ・ミートで“オリジナル・GC・フォト”や“プラモデル“などを売っていました(友人所有のイエローの“DINO206GT”のまえで・・・)。近いうちに、お会いできれば良いですね。
では、今後ともよろしくお願いいたします。
4月3日 N.Mさんよりのメール 「拝見しました」

ホームページ完成 おめでとうございます。チョロQとスロットページのMです。 
昨晩 拝見しましたが大量な資料と内容にビックリです、まだ全てを見て無いですが、懐かしい雑誌の表紙から福沢幸雄のプロフィールまで良いですね とても。 ちょっと文章が多く私には読みにくいのが気になったけど、、、 
 でも、それを読んでみると良く読んだボーイズライフは出てくるは、スロットでは私も作ったシンチュウフレーム!(モータの巻直しもしてたのかナ)等々、楽し懐かしですね。  で!自己紹介を見てビックリ!私も同じ1954年生まれの一人っ子長男!! なーるほど 同じ物を見てきたんだなーーっとみょうに納得。 
 それにしても 楽しいホームページが又一つ増えて最高です。 
 私の方は 忙しさを理由に更新をサボってますが 次回更新時にはリンクさせて頂きたいと考えています(OK?)。 
*******では今後もよろしく 
 

WEB MASTER:ありがとうございました。本当にまだまだ直さなくてはならないHPですのでアドバイスどんどん頂ければありがたいです。でも、同じ1954年生まれで一人っ子とは奇遇ですね?!
 文章が多いという指摘、その通りなのです。でも、当時の思いを画像等で表現するのが出来なくてどうしても文章での表現になってしまいます。その点に付きましては徐々に直していこうと思っておりますので末永く見守ってください。
 リンクの件、もちろんOKです。私の方こそリンク集を考えているところなのでその時はぜひリンクさせてください!?
 本当にありがとうございました。
4月1日 S・Sさんからのメール
  前略 牧野様 

  HP更新のご連絡ありがとうございます。 

 早速拝見させていただきました。自分のメールまで書いてあるとは嬉しいやら、恥ずかしいやら・・・。少しずつデザインも変わり、見やすくなっていますね。牧野様ご本人は多分納得はされていないでしょう。
少しずつ納得のいくページに仕上げて下さい。個人的な意見を述べますと、壁紙が欲しい気が致します。小さいものよりも、画面のフルサイズハーフサイズ・クオーターサイズの物の方が画面的にも映えると思いす。 
 さて、今回は船橋サーキットの見取り図をお送り致します。当時の資料を元に、ウインドウズ付属のペイントソフトで書いたものなので少々難はあると思いますが、よろしければどうぞお使い下さい。 
 これからも体に無理せずがんばって下さい。また、お探しの資料がありましたら、なんなりとお申しつけ下さい。当方にあるものでしたら、探してご提供致します。

 それでは また。

WEB MASTER: 本当に度重なる資料提供ありがとうございました。船橋サーキットでの当時のレースをテレビで見た記憶があるのですが、あまりよく覚えておりません。確か、酒井正ドライブの“デイトナ・コブラ”が優勝したレースだったと記憶しております。1967年だったと思いますが、Sさんはまだ生まれて
ないのでは?他に、安田銀治ドライブの“ジャガーEタイプ”なども出ていました。
送っていただいたコース図を見ると、こんなに小さかったかなと、思うほどこじんまりしているサーキットだったんだと今更ながら思ってしまいます。

そうなんです。毎日どのようにしたらいいか考えているところなんです。今は、とにかく全体が“シンプル”にを心がけていましたので、あまり凝ったことはしてないんです。というより、私の技術がまだそこまでいっていないというのが正直なところです。いずれにしましても、いいアドバイスありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

1999年3月28日 S.Sさんよりのメール「突然のメール・…」

 前略  

   突然のメールをお許し下さいませ。 

 私は、旧車が好きな33歳の男です。60年代通信より参りました。プロトタイプのレースにはあまり興味はないのですが、手持ちの資料に、お喜びになるのではないかと思うチラシがありますので早速スキャンし、お送りさせていただきました。もしよろしければHP上の資料としてお使い頂ければ幸いです。 
 さて、HPの方もざっと拝見させて頂きました。スロットルカーへの想い、レーサーへの憧れが、克明に記されており、とても興味深いHPだと思いました。特に目を引いたのは、福沢幸雄の名があったことです。60年代レーサーといえば浮谷東次郎の名が必ず出てきますが、福沢幸雄・風戸裕・川合稔らの名は ほとんど出てきません。出てきても二番煎じ・・・。個人的にはオートスポーツの熱烈な読者だった(!) 中野雅晴を出して頂きたいと思います。 
 HP作製の上でお困りの点がございましたら、お気軽にご連絡ください。お力になれるかもしれません。 
 それでは、このへんで。これからのご活躍、期待しております。 
 また、乱文をお許し下さいませ。 

WEB MASTER本当にありがとうございます。
 まったく面識のない人よりのメールはS.Sさんが初めてですのでとてもうれしい気分です。
1度 60年代通信の鈴木さんより船橋サーキットの代表の方(?)がいらっしゃるとは聞いておりましたが、スバル360をお持ちのオールドカー関係のクラブの方なのですね。とにかく貴重な資料をいただき誠にありがとうございました。
第3回日本グランプリのチラシには感激しました。福沢幸雄は、当時としてはまさにスターになる要素を持ったドライバーでした。福沢諭吉の孫ということも1つの要素ですが…。
彼については、今資料を集めているところです。
中野雅晴は、私がGC観戦に行かなくなってからのドライバーですが、非常に繊細なイメージを持っているドライバーだなという記憶があります。
私は現在市川市に住んでおりますが、目と鼻の先に変わり果てた船橋サーキットを見たとき、時代の移り変わりの速さを感じるのと同時に、なんともいえない空しさも感じました。何か当時の資料をお持ちでしたらお願いいたします。
私のHPは、まだまだ直すところがたくさんあり、たえず減量することを心がけておりますので、たまに寄っていただければ同じ所でも変えていこうと思っておりますので飽きずに見てください。
また、週末に一度は新しい企画を入れたいきたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。
どうもありがとうございました。

 
1999年3月23日 千葉県浦安市のクマさんから・・・。「ホームページ拝見しました!」

ホームページ拝見しました。 
全部は見ていませんが、ところどころ誤字がありますよ(Welcomeの他にも)。 

今度牧野さんの部屋に行ったときに教えてあげます。 
 

あの素晴らしい愛をもう一度   はヨカッタですなあ。 
ヴァレンティノ時代の女性は出てこないのですか? 

ワタシもホームページを作製したいと思ってしまいました。 
完璧に自己満足の世界ですよね。 
 

Web Master:クマさんありがとうございます。まだまだ不完全さが残るこのHP、いったいいくつ誤字があるのでしょうか?これからもよろしくお願いいたします。実は、このクマさんは、以前の会社の後輩でありますが、いろいろ過去に助けていただいている“恩人”でありまして、非常に私とウマが合う人間であります。そしてクマさんは、某有名ビジネス雑誌の会社に勤めるエリートであります。しかし、少々“エッチ”であるがため幅広い人間性があるのではとかってに思っている次第であります。