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25/DEC/2000 富士市にお住まいのOさんよりにメール紹介「インディ200」
インディ200、当時私は、小学1年生。 左回り4.3Km、裏の最終コーナー手前で金網越しに見てました. #43 J.スチュアート #24G.ヒル、昨日のことのように鮮明に覚えています. 私たちの目の前でコースアウト・リタイヤしたクルマがいました。 その時父親が教えてくれました.’ルマンで勝ったクリス エイモンだよ’ 夢のような出来事でした。 |
WEB
MASTER : くるま村の少年たちを主宰しております牧野です。
この度は、未熟なHPに立ち寄って頂き、それにもましてメールまで頂きありがとうございました。 1960年代にサーキットまで行かれ実際に伝説となっているレースを見られたとのことですが、大変羨ましい限りです。 わたしは、60年代は小学生から中学生の時代で全てTV観戦でした。実際のレースを見に行ったのは、高校生になってからの富士グランチャン1971年初年度が初めてでした。 > #43 J.スチュアート #24G.ヒル、
> 私たちの目の前でコースアウト・リタイヤした
> 夢のような出来事でした。
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19/DEC/2000 アクティブ・ネットネット事務局と申します。
突然のメールにて失礼致します。こちらはアクティブネット事務局と申します。 私どもでは、“アクティブシニア”の皆様の交流の場のお手伝いをすべく、アクティブ・ネット(主催:産経新聞社)のサイト運営を致しております。 先日貴ホームページを拝見し、ぜひ当サイトの「シニアサイトリンク集」に掲載し、当方よりリンクを張らせていただきたくご連絡致しました。 また、リンクをさせていただく場合、当サイトからは、貴サイトのトップページへのリンクとさせていただく予定です。 ◆アクティブネットURL◆
◆アクティブネット「シニアサイトリンク集」◆
もし当アクティブネットのリンク集からのリンクをご希望しない場合のみ大変お手数ですが、下記事務局メールアドレスまでその旨をご連絡ください。
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MASTER : くるま村の少年たちを主宰しております牧野です。
この度は、当HPを気に入って頂けただけでなく、「シニアサイトリンク集」に掲載していただけるというなんともうれしいお話しをうかがい大変感激しております。 先ほど、アクティブ・ネットを拝見させて頂きました。大変ボリュウムのあるシニア向けのサイトだということがわかりました。 もし、私のHPをリンクしていただけるのでしたら、宜しくお願いいたします。 また、ジャンルとしてはこの60年代のモータースポーツ、および60年代にブームとなりましたモデルカー・レーシングを扱っておりますこのHPは、どのような扱いとなるのでしょうか? ところで、私のHPの中で、番外編として扱っております私の亡き父親が残した遺作「紙彩画」などもとてもこの「シニアサイトリンク集」にあっているのではないかと思います。 http://www.ne.jp/asahi/60srace/models/shisaiga1.html では、ありがとうございました。 |
12/DEC/2000 Tさんからのメール紹介「トヨタ7」
トヨタ7の話しを楽しく読ませていただきました。私の知っている懐かしい話や知らない感動的な事がたくさん有り牧野さんの豊富な知識には敬服いたします。 トヨタがF1に挑戦するにあたり気になることがあります。過去のトヨタが挑戦したビッグレース(日本グランプリやルマン)において優勝できなかったとゆうこととスタードライバーの死です。私としては優勝しなくても良いから事故無く末永く出場しF1を盛り上げてくれれば良いと思います。 |
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MASTER : くるま村の少年たちを主宰しております牧野です。
T様、この度は、まだまだ未熟な私のHPを見ていただくだけでなく、メールまで頂き誠にありがとうございました。 60年代のトヨタは、ニッサンの壁を超えられずたえず苦杯をなめていました。 そんなトヨタでしたが、ニッサンが年1度の日本グランプリだけに標準を絞ったのと違い、ほとんどの耐久レース に出場していたトヨタ2000GTやトヨタ7の功績をもっと評価してもいいのではないかというのがこの企画ページを作ったきっかけだったんです。そして、若いドライバーたちの生きざまをもっと知ってもらいたかったことも理由の1つでした。 古くは、浮谷東次郎(テスト中事故死)から川合稔まで数々のカリスマ的ドライバーがいたのも興味をそそる原因でした。そして、トヨタF1が走り出すわけですが、Tさまの言う通り、トヨタのジンクスが良い方向に出ることを期待したいところです。では、どうもありがとうございました。 これからも宜しくお願いします。 |
10/DEC/2000 東京都にお住まいのDさんよりのメール紹介 「タミヤ製ストックカー用ダイキャスト・シャーシを捜してます。」
初めまして、Dと申します。いつも楽しいHPを拝見しております。 1つお願いがあるのですが、私は、かつて私自身が持っておりましたタミヤ製“ストックカー・シャーシ(ロータス40等に付いていた同型シャーシのホイールベースを長くして作り直し、プリムス・フューリー等に付いていたもの)”を捜しています。そして、当時のストックカーを再現しようと持っています。 どなたかお持ちでしたら、お譲り頂けないでしょうか? こんな個人的なことをメールいたしましたことをお許しください。 では、これからもすばらしいHPを楽しみにしております。 ありがとうございました。 |
WEB
MASTER : D様、メールを頂き誠にありがとうございました。
D様が、かつて持たれていた田宮製ストックカーとは、なんだったのでしょうか。 私の知り合いの方々も多分このHPを見られていると思いますので、もし、連絡等がございましたらすぐに御連絡いたします。 また、取引上のトラブル等は申し訳ございませんが当HPとしては、無関係とさせて頂きますのでその点を御考慮の上、宜しくお願いいたします。 では、これからもお立ち寄り頂ければ幸いです。また、D様のストックカー製作が早く実現されることを祈っております。 ありがとうございました。 主宰者
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10/DEC/2000 岡山にお住まいのWさんよりのメール紹介「おもしろかったです」
素晴らしいホームページ有り難うございます。 69年生まれなので石油ショックで日本グランプリが中止になったことが、かすかに記憶にあります。 ところで、六〇年代の日本グランプリのレースパンフは、今いくらぐらいで手に入れることができるのでしょうか?どこかいい書店があれば紹介してください。 これから、時々よらせてもらいます。では、また! |
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MASTER : くるま村の少年たちを主宰しております牧野です。
W様、この度はまだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂き、さらにメールまで頂きありがとうございました。 さて、御質問の件ですが、私の知っている限りでは、60年代の日本グランプリ・パンフレットを売っている店はまずないです。ただ、70年代の富士グランチャンピオンやF−2レースなどのパンフレットは、東京の神保町にある「ブックパワーRB」という古本屋にあります。車と汽車等、または古いカメラなどの古本を中心に扱っています。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~rb_/ 1度問い合わせれたらいかがでしょうか。 私のHPに掲載されている60年代日本グランプリのパンフレットは、ほとんどが私の知り合いの方から、頂戴している物ばかりです。(ただし、70年代富士グランチャン・パンフは、私が当時観戦した時に購入した物です。) また、Yahoo!オークションでもたまにですが、登場することもありますので、まめにご覧になってみてはいかがでしょうか! さらに、当時の実況録音盤レコードなども、たまに神保町の古レコード屋さんに出る時があります。 では、今後共よろしくお願いいたします。ありがとうございました。 |
25/NOV/2000
倉敷市の日下さんよりのメール紹介「はじめまして」
はじめまして、倉敷の日下と申します。 TokyoFMのHPから「発見」しました。時間を忘れて読みふけってしまいました。 私も60年代の呪縛にかかったひとりで、10年前から、"SCENE IN THE 60's"というヒストリックカーレースを主催しています。是非一度HPを覗いてみてください。 http://homepage2.nifty.com/dads-scene_in_the60s/ 日下 総一郎 |
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MASTER : 「くるま」村の少年たちを主宰しております牧野です。
この度は、まだまだ未熟な私のHPを見て頂くだけでもうれしいのに、メールまで頂き本当にありがとうございました。 さらに、ヒストリック・カー・クラブを主宰されているということですが、すばらしいですね! 私など、ただ単純に60年代のレースが好きなだけの若輩者でありますので、日下さんが今されている偉業のことを聞いて、本当に尊敬してしまいます。 以前、1度だけヒストリックカーの世界に入りかけたことがありましたが、運悪く“悪徳商売のショップ”に引っかかってしまい、それ以来実車の世界からは遠ざかっているのが現状なんです。 しかし、今は当時の日本のモータースポーツや私が幼い時に夢中のなったモデルカーレーシングのHPを作ることに生甲斐(自己中心なんですが・・・笑)を感じています。 これからもどうか日下様が主催されているDAD'S Racingの発展を心から祈っていますので、頑張ってくださいね!そして、いつか機会がありましたら、レースのレポートなどを書かせて頂ければ幸いです。 では、どうもありがとうございました。 |
25/NOV/2000
Tさんよりの初めてのメール紹介「COBRAクーペについて」
私もコブラ愛好家の一人です、今の時代このクルマ自体知っている人が、少ないのではないでしょうか。 私が、最初に見たのは、第3回日本グランプリだったと、想いますが其の時がデイトナCOBRAでした、その時はあまり感動と言うものが、有りませんでした というのも確か何かの代わりだった様な? それから数年経って映画の1シーンで出ていたのお見て、何故か引きつけるものがあり、それ以来延々と続いて居ります。 ところでLEBEL社だと思いますが、コブラクーペのモデルカーが唯一1台有ります、かなり破損はして居ますが元型を停めて居るので大事にとってあります。中々本物にわお目にかかれないのが残念です。 一生に一度乗ってみたいクルマです。 |
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MASTER : くるま村の少年たちを主宰しております牧野です。
T様、丁重なメールを頂きありがとうございました。そして、このまだまだ未熟なHPを立ち寄って頂き感激しております。 デイトナ・コブラは、1965年のアメリカ映画「レッドライン7000」に乗用車として(!?)登場していましたね!驚きでした。 ところで、「第3回日本グランプリ」のプログラムでは、三保敬太郎が“シェルビー・コブラ427”でエントリーしてましたが結局出場せず、解説者になってしまいました。 酒井選手のデイトナ・コブラは、当時NACというクラブからのエントリーでしたので、後年ローラT70等で活躍する安田銀二さん関係からのエントリーだったのではないでしょうか。・・・か、ドン・ニコルズかも!?それから、モデルカーのデイトナ・コブラ、これからも大事にしてくださいね! では、どうもありがとうございました。 |
15/NOV/2000
Tさんよりのメール紹介「330P-3」
こんにちわ、Tです。いや〜、イイですね。TOPページの330P−3。思わず、んっどこのキットと思ってしまいました。レプリカということですが手にはいるのでしょうか?欲しくなってしまいました。(笑) ゴーカートのキットも日本製があったのですね。ボクもスケーレクスのゴーカートを見て欲しいと思いましたが現在ではとても高価です。スケールはこれだけ1/24となっていたような気もします。 やっぱり古いスロットの記事は面白いですね。また楽しみにしています。 |
WEB
MASTER : Tさん、再現創刊号「モデル・スピードライフ」見て頂きありがとうございました。
その感想をメールで頂いただけでも作った甲斐があるというものです。 高校生以来、実に28年振りにクリヤー・ボディを塗装したものですから、ひやひやものでした。特に、リアルなボディを作っていらっしゃる皆さんから何を言われるやら心配でした(笑)。 でも、作るって楽しいですね!久しぶりにその快感を味わさせて頂きました。また、作りますのでよろしくお願いします。 > レプリカということですが手にはいるのでしょうか?
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2/NOV/2000
沖縄のKさんからのメール紹介「ホーム・ページ見ました!」
拝啓 貴殿のホームページみました。時代の流れって凄いですね。でもあのファッションって、今でも通用します。 それで貴殿にお伺いしたいことがありますが、貴殿が着ていた、ウエストの締まったジャケットにベルボトムのように裾の広いパンツのスーツを探しています。いまでも作っているところはありますか?お知らせくださ い。古い中古品でもいいです。お願いします。 |
WEB
MASTER : くるま村の少年たち、およびファッション村の少年たちを主宰しております牧野です。
この度は、まだまだ未熟な私のHPを見て頂いただけでなくメールまで頂き本当にありがとうございました。 元々車(特に60〜70年代のレーシングカーですが・・・)に興味があり青春時代を過ごしてまいりました関係上、どうしても車関係が主流なHPにあり、唯一大学時代に体験しました70年代ファッションが忘れられず付録的ではありましたが、作らせて頂いた「ファッション村の少年たち」についてメールを頂くなんて至極感激であります。 > でもあのファッションって、今でも
> 貴殿が着ていた、ウエストの締まったジャケットにベル
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2/NOV/2000
Nさんよりのメール「HP、拝見させて頂きました!」
はじめまして、Nと申すものです。 HP拝見させて頂きました。 >>ところで、イタリアのメーカーであります「POLISTIL」とはどのような歴史を持っ たメーカーであるのかはよ>>く分かりませんが、“F1 PROFESSIONAL”というシ リーズ名からしてF1物が多いのではと思われますが、>>御存知の方がいらっしゃい ましたら教えて頂ければ幸いです。 これについてですが、私もpolistilについて、色々調べております。 私の知っている範囲でお教えいたします。なお、、F1に関するリストを作成中です。 以下は、その一部です。 ご参考まで、、 イタリアのPOLITOYS社 1960年、創業開始、プラスティック製の1/41スケールを発売。 1965年、1/43ダイキャストモデルカーを発売開始 1970年、イギリスにある同名のPOLITOYS社との類似問題で社名をPOLISTILと変 更。 1988年、玩具メイカーのTONKA社(伊)と合併し、TONKA-POLISTILとなる 1993年、営業を停止 994年、ブラーゴ社に吸収された。
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MASTER : くるま村の少年たちを主宰しております牧野です。
N様、この度は、わざわざメールを頂き大変恐縮しております。 そして、polistilについて誠に詳しく教えて頂き至極感激しています。 決してFLY等と比べて、すばらしいディテールとは言い難いモデルだとは思いますが、それなりに味があるものではないかと思っています。 これだけのラインナップがあるとは夢にも思いませんでしたので、とてもビックリしております。 polistill について、知りたいと思っておられる方もたくさんいらっしゃると思いますので、N さんから頂いた資料は、本当にありがたいものであります。 本当にありがとうございました。 |
28/OCT/2000
埼玉県にお住まいのM.Sさんからのお便り
突然で恐縮ですが質問があります。 1年位前に買った中古バイク(ホンダGB250クラブマン)についているマフラーが「TEAM IKUZAWA」と書いてあるのです。車体には「TEAM IKUZAWA」とステッカーも貼ってありました。 これは生沢徹さんと関係があるのでしょうか?それとも無関係のものでしょうか? もし何かお知りでしたら教えてください。 |
WEB
MASTER : S様、はじめまして。今後共よろしくお願いします。
さて、御質問の件ですが、生沢さんは以前からバイクには非常に興味を持たれていることはよく知られているところです。 最近は、マウンテン・バイクに夢中になられているということです。 詳しいことは分かりませんが、生沢さんは、Team Ikuzawaというバイク・ショップを持たれていましたから、まずそのマフラーは生沢さんの店で作られたものに間違いないと思います。詳しく分からず済みません。 よろしくお願いします。 |
27/OCT/2000 T.Hさんからのお便り 「ローラT70の件」
初めまして, H と申します。ニフティのモータースポーツファンフォーラムでこのHPの件が掲載されていたので拝見しました。 昨今,ローラ関係の洋書が発売されており,色々眺めているうちに,市販レーシングカーとしてのローラになんとも言えない愛着を感じました。 残念ながら,T70のキットはすでに絶版,絶版模型屋で1万円を超える値段がついていると聞いては中々手を出せるものではありません。 せめて,金型が残っているのなら,タミヤで再生産してもらえないかと,切に願う今日このごろです。 どなたかのHPで,カンナムのT260のキットを掲載しているものがありました。ちょっと,そそられるものがあります。 今後も頑張ってください。 |
WEB
MASTER : くるま村の少年たちを主宰しております牧野です。
H様、この度は、まだまだ未熟な私のHPにたちよって頂きまして本当にありがとうございました。 また、メールまで頂き感激しております。 Hさんがおっしゃっていました“ローラT70”は、確かに以前発売されていたユニオンのものが絶版になって以来ないですね!特に、1/24になると見つかりません。 最近、ダイキャストミニカーでアメリカ製だと思いますがGMP社製1/18スケール「ダン・ガーニ―仕様ローラT70」が発売されていますが、御存知でしょうか!? そして、レジン製で以前スロット・カー用が出てましたが今はわかりません。 やっぱり、ユニオンの再販を期待するしかないのでしょうかね!? そういえば、1/32スロットカー完成品で最近人気の有るFLY製 ローラT70MKIII Bがありますが・・・。 ローラは私にとっても大好きなレーシングカーでした。CAN-AMでマクラーレンやチャパラルがすばらしく見えるのもローラあってのことではと思っていますが、いかがですか!? では、どうもありがとうございました。 |
26/OCT/2000 リンクのお願い
突然のメールで失礼いたします。 私たちは「ネット・ミュージアム」という、ネット上の仮想ミュージアムを専門に取り上げ紹介するサイトです。 http://www.netmuseum.co.jp/ さてこのたび、幣サイトのリンク集に「スポーツいろいろ研究室」を新設し、その中に貴サイトを掲載させて頂きましたので、ご連絡申し上げます。スポーツに関する種々の情報を発信するサイトを、分類して紹介する企画です。 ご理解頂ければ幸いですが、不都合などがございましたら削除いたしますので、お知らせ下さい。 [相互リンクをして頂ける場合は、ご連絡など頂ければ幸いです]
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MASTER : くるま村の少年たちを主宰しております牧野です。
この度は、リンクして頂きありがとうございました。先ほど、貴殿HPを見させていただきました。 大変新しい志向のHPでしたので、楽しませて頂きながら全部はまだ見させていただいておりませんがすばらしいサイトだと思いました。 つきましては、私の方も貴殿サイトをリンクさせて頂きたいと思いますのでよろしくお願いします。 どうもありがとうございました。 |
25/OCT/2000
Hさんからのあたたかいメール「懐かしく拝見させて頂きました」
テレビで生沢徹さんと船橋サーキットを舞台にしたゲームが出るというのを見て、検索を懸けたら思いがけずに、こちらのホームぺージを発見して懐かしく拝見させていただきました。私が実際に日本グランプリを見たのは第2回で式場さんの904と生沢さんのスカイラインGTのデッドヒートを見てすっかり虜となりその後毎月のように船橋に通い滝さんのロータスと酒井さんのデイトナコブラの戦いや高橋北野さんの日産勢トヨタs800と本田s600などがなつかしくおもいだされました。 当時高校生でしたが父の理解があったため8ミリ撮影が出来いまだに時々映写しては懐かしんでおります。後にテレビ関係の仕事をして判ったのですが当時はVTRテープが大変高価で記録に残すにはフィルムに移して記録するしかなく当時の映像はほとんどないということで残念に思いました、私は当時の紙の資料を引っ越しで全部捨ててしまったのでそちらの資料を拝見してまた感慨にふけっております。これからも時々は意見させていただきますので、是非第二回日本GPの話もよろしくお願いします。 |
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MASTER : H様、この度は、まだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂きありがとうございました。そして、メールまで頂き大変感激しております。
そして、メールを読ませて頂いている内になんと当時の船橋サーキットで8ミリカメラで撮影されていたとのこと、本当に羨ましいと思うと同時にすばらしい体験をされたkzhkhys さんにこのHPを見て頂いたことに対し、主宰者冥利に尽きる思いであります。 1964年当時は、まだ私は、小学校4年生であり、レースのレの字も知らない小学生でありました。 今でこそ浮谷東次郎さんのクラブであるTOJI’S CLUBのメンバーではありますが、生前の浮谷さんが活躍していた1964年から65年当時についてはまったく知りませんでした。 今だに、8ミリ映写会を開かれているとのことですが、本当に羨ましい限りです。 第2回日本グランプリについては、近々別な形で企画ページを作らさせて頂きますのでその時はいろいろ当時の事を聞かせていただけたら幸いです。 どうかこれからも、いろいろアドバイスをお願いいたします。 本当にありがとうございました。 |
13/OCT/2000 T.I
さんからのメール「御無沙汰してます」
牧野 様 ご無沙汰しております。 以前、メールを差し上げたT.Iです。 川合 稔のページを拝見しました。さすが牧野さん良く当時のコロナの雑誌広告を保存されていました。感心するばかりです。 もしよろしければ、今後の企画として、昔活躍されたドライバーの消息などわかればH/Pの中で、紹介して頂かればと思います。 ■.永松邦臣■高原■漆原 などです。本名が思い出せませんがお願いします。 ぶしつけなお願いばかりで申し訳ございません。 |
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MASTER : くるま村の牧野です。
T.I さん、こちらこそ御無沙汰しております。 今回も未熟ながら続けさせていただいておりますこのHPに立ち寄って頂き本当にありがとうございました。 川合稔らチーム・トヨタの面々、そして伝説となりつつあるトヨタ―7の企画ページをご覧頂き、さらにそれに対するメールまで頂き主催者冥利に尽きる気持ちです。 この企画ページは、私1人の力だけでなく、いろいろな方の協力あってこそ完成する事が出来た共同作成作品でありました。 トヨタは、来年ですか、F1に挑戦しますし、聞くところによりますと富士スピードウェイも買取ったとの事。トヨタの本気を感じさせるエピソードだと思います。 そのトヨタ・スピリットと言うべきものが60年代に私たちを熱狂させてくれた“トヨタ―7”に原点を感じてしまうのは私だけでしょうか。 また、T.I さんが言われている永松邦臣、高原敬武、そして漆原徳光らのその後については、いずれ何らかのかたちで紹介させていただこうと思っています。 本当にどうもありがとうございました。 |
12/OCT/2000 28歳のD.Oさん(男性)よりのメール「はじめまして」
初めまして、Oと申します。 ホームページ拝見させていただきましたが、すごいですね!思わず興奮してしまいました。 僕は、実は28歳なんですが、ビートルズとレースが好きな母親の多大な影響を受けまして、子供の頃からリアルタイムでないにも関わらず、日本グランプリやカンナムのレーサーやマシーンに慣れ親しむという環境で育っていました。 しかも、父親の弟もレースカー好きで、田宮の1/12ローラT70Mk.?とかを作って僕に遊んでくれたりしていたので、かなり普通の子供とズレた感覚で今に至ってしまいました(苦笑)。 もちろん、70年代のF1日本グランプリは子供なりにはっきり記憶を覚えてますし、現在のF1等も大好きなんですが、やはり一番好きなのはポルシェ917やローラT70系やシャパラルなどです(子供の時にオオタキの2Hを貰ってなんで凄い車なんだって驚きました)。 それから今に至るまで、60年代から70年代のドライバーに関しても強い関心を抱いているのですが、一番好きなドライバーは、ジョー・シファートなのです。それだけにこちらのページで69年の日本グランプリの写真を見た時は興奮しました。 特にグリッドで917に佇むシファートの写真はもう最高です。彼自身はこのレースにあまりいい思いを抱かなかったようですが、僕としてはシファートが一度でも日本で走ったという事実だけで大満足です。とにかく、彼の容姿があまりにも僕の「理想のドライバー像」に当てはまってしまい、しかもペドロ・ロドリゲスと並んで917史上最高のドライバーということでもう大ファンになってしまいました。特にあの口髭がかっこいいですね(笑)。 さらに、最近のマイブームがやはりこの時期のアメリカ人ドライバーで、特にピーター・レブソンが大好きなんですが、なんと日本カンナムで優勝していたとは!。これまた驚きました。昔はレブソンやダン・ガーニー、マーク・ダナヒューと言ったアメリカ人らしいレーサーが自国のレースだけでなくF1でも大活躍してましたが、最近ではすっかり居なくなってしまって残念です。しかも、コグレがローラT90出してたんですね、うらやましいです。このマシンも痺れます。最近バンダイ・モノグラムの1/16の同車が8000円で出てたのを買い逃しましたが(泣)。 それと、三日前に、古本屋でデラックス・オートスポーツの69年カンナムの本が3000円で売ってて、買おうかどうか迷ったのですが、ちょっと踏ん張って買ってみました。何せシファートが917PAで参戦した年ですから。結果的に、買って大正解でした!。 表紙からシファートが載ってるし、各戦のレポートも写真がふんだんに使われていて大興奮でした。 いやー、マクラーレンコンビが強かったとか、おっとフェラーリ612、しかもクリス・エイモンドライブで、なんだ、彼カンナムでも勝てなかったのか(爆)とか、シファートのチームの監督はリッチー・ギンサーだったんだ、などと大変に楽しめました。こんな事言うとよく歳ごまかしてないか?などと言われますが、本当に28歳です(笑)。 スロットレーシングでも最近フライというメーカーから1/32で917やローラT70が素晴らしい出来でリリースされて当時のキットが手に届かない僕に至福の体験をさせてもらったりしてますが、もうきりがないんでこの辺で終わりにします。 好き勝手に長長と書いて本当にすいません。 1970年JAFグランプリの記事楽しみにしてます!。 |
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MASTER : “「くるま」村の少年たち”を主宰しております牧野です。
Oさん、このたびは、メールまで頂きありがとうございました。 お歳が28才ということでしたが、そのリアルな発言を聞いていますと、Oさんが言われる通り歳をごまかしているのではと疑ってしまうほどです(笑)。 しかし、私がこの未熟ながら作らせて頂いているこのHPの目的は、20世紀の遺産(ちょっと大袈裟ですが・・・)と言っても良いのではと個人的には思っております「'60sモデルカー・レーシング」と日本における「'60sモーター・スポーツ」を末永く皆さんの記憶に留まさせて頂くために作ったのが発端のひとつでもありました。 ですから、小沢さんのようなリアルタイマーでない方から喜んで頂けたら本当に主宰者冥利に尽きるというものです。 すばらしいクルマ、すばらしいドライバ―などは時代を超越するものだと思っています。だから私は、それらが時を越えて、もう1度、このホームページ上で活躍してもらえたらなんとすばらしいでしょう。 そんな思いを抱きながら、毎日無い知恵を出して作らさせて頂いているのが今の私です。 これからもどうかよろしくお願いします。ありがとうございました。 主宰者
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18/AUG/2000
Nさんよりのメール「よくまとめましたね!」
私も45歳のおじさんです。 生沢徹の名は今も心から離れていません。彼の著書(題名忘れた)の中にあった「プロとは徹することだ」という言葉。私の座右の銘みたいなものです。 息子の名前を「徹(てつ)」にしようかと思ったくらい(女房が反対して止めましたが)。 フォーミュラーで争われた日本GPでの三菱ワークスの永松選手のサラリーマン的なレース参加について、いった言葉です。 当時すでにヨーロッパF2に単身参戦していた生沢徹が、意に反して、充分なバックアップ体制がとれぬままリタイアあるいはかろうじて完走、を繰り返していた時期に、コルトF2000(たしかそんな名前の三菱のワークスフォミュラーマシン)で日本GPのみ出場し、優勝を飾った永松選手に対して言った言葉です。 負け惜しみに聞こえるこのセリフも、生沢のもつカッコ良さからか、とてもインパクトがあつた。 そうか、プロとは一途に、自分の信じた道を突き進むことなんだ!結果を批評するのは他人であって、自分の生き様を全うすれば結果なんか問題じゃない。と感銘しました。 ちなみに上記の日本GP、生沢は一年落ちのコルトF1600(だとおもっった)で排気量も400cc少ない三菱の準ワークス待遇で出場、1.2位がコルトF2000(2位は益子だったかな)に次ぐ3位で表彰台にのったはず。その前年、マシン規定が1600cc以下だった時たしかJスチュワートが出場して優勝、生沢は同じマシンでリタイアだった(ような気がする)。 このあたりの記憶、正確なのを教えて。 |
WEB
MASTER : お返事を出したのですが、「The
following addresses had permanent fatal errors」ということで戻ってきてしまいましたので、お返事のつもりで書かせて頂きました。
くるま村の牧野です。 Nさんとお呼びしてもよいのでしょうか?メールありがとうございました。 生沢さんは、先日もドイツ ニュルブルクリング24時間レースに出場されてクラス優勝されました。マシンは、33年前のS800からS2000に変わりましたが・・・。 日本でフォーミュラカーのGPが行なわれたのは、第2回日本グランプリ(1964年)でのレースが最初ですが、本格的なグランプリとしては、1969年5月の「JAFグランプリ」が最初です。レギュレーションは、それこそなんでもありの800ccから3000ccまで出場可能の変則的なレースでありました。当時のF1グランプリを将来日本で開催という目論見があったようですが・・・。 このグランプリは、秋の「69年日本グランプリ」と二本立てで行なわれたJAF苦心の策のグランプリでした。 生沢徹は、スポンサーの関係上、どうしても日本のグランプリに出なければならず(実は、ヨーロッパ中心のレース活動だったため、本心はヨーロッパF3等に集中したかったらしい)そうかといって自費でのマシン調達は、グランプリの1戦だけの為の出場では資金が足りないため、ヨーロッパのレーシングドライバーだったら誰でもやっている売りこみをして他の有力チームから出場するという方法を取ったと思われます。 それが当時日本で唯一のワークス・チームの三菱チームだったわけです。 しかし、69年日本グランプリは、コルトF2Cで出場するもタスマン・シリーズ(オーストラリア地域のシリーズ戦でジム・クラークら一流選手も出場していた)の地元勢の参加で生沢の1600ccエンジンでは対抗出来ずマシン不調もたたってリタイヤしました(しかし、ポールポジションを取ったのは流石です!)。 翌1970年は、Nさんもご指摘されているようにジャッキー・スチュワートの来日により、同じく三菱チームより参加した生沢は、最新のコルトF2D(シャーシーはブラバム)で出場したも予選2位(しかし、三菱チーム内では最速だった)、そして、本番は別格のスピードを誇った世界チャンピオンに歯が立たずまたしてもリタイヤを喫したのでした。 そして、1971年はメイングランプリだった日本グランプリがニッサン、トヨタの不参加声明により消滅した事で、フォーミュラカーのグランプリが晴れて「71年日本グランプリ」として開催されました。 生沢は、三度三菱チームよりの参加を希望したのですが、拒否され、自費参加をせざるを得なくなってしました。 ヨーロッパF2選手権に挑戦している「ロータス69FVC」を持ちこんでの参戦でした。 しかし、今度は三菱チームは、グランプリ制覇を狙って生沢の1800ccエンジンに対し2000ccの「コルトF2000」を2台登場させたのでした。 そして、永松邦臣のコルトF2000と益子の同型車が1〜2位を占め、生沢は、なんとか3位入賞を果たす事が出来たのでした。 それ以後、生沢の日本グランプリ参戦はありませんでした。その代わり、71年から始まった「富士グランチャンピオンシリーズ」への参戦(ポルシェ917Kでの参加は有名)が日本における生沢の主力レースとなっていきました。 以上ですが、生沢さんは、Nさんがおっしゃっていたようにプロのレーシングドライバー精神を貫いた、一見クールながら(しかし、今ではサッカーの中田が同じようなことをしています)やはり60年代の時代背景を考えた場合よくぞやったと称えても良いのではないでしょうか。本当にそう思います。 以上ですが、まとめてみました。これからもよろしくお願いします。 主宰者
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25/JULY/2000 落合賢一さんからのメール紹介「はじめまして」
はじめまして、ホームページ拝見させていただきました。 10年ほど前、四日市のラビットさんに便乗して3回ほど横浜のワンダーランドマーケットへいっていました。 Oモデル(オーモデル)としてレジンボディーを販売してました。 そのころから牧野さんのお名前はよく耳にしたのですが、縁がなかったのかお会いできませんでした。 もとはといえば、小学6年生の冬のお年玉を全額はたいて買い求めた“レベル1/24スティングレイ”が始まりで、現在49歳ですが30歳の頃、おしいれの奥からでてきたのがレジンボディーへの始まりでした。 当時(1990)レベルの1/24で18000円モノで28000円、タミヤは探してもないころでしたので真剣にレースをできるように コピーをつくって同好の志にのみ実費で分けるところから始まりました。横浜までいったのは四日市以外にどれくらい“ヒストリック・モデルカーレーシィング”をわっかってくれる方がいるか知りたかったからでした。 なかなか文章では思うことが書けませんので何回かメールさしあげたいと思います。 とりあえず下記の私のホームページを見てくださいプライベートページがあります。猫の鼻をクリックしてください。 http://www.estyle.ne.jp/ochi/ WEB MASTER : くるま村の牧野です。 落合さん、この度はHPを見て頂くだけでも本当にうれしいのにメールまで頂きありがとうございました。 早速、落合さんのHPも拝見させて頂きました。古き良き時代だった50〜60年代のレースカーを情熱を込めて作り上げられたモデルカーの数々、大変感激いたしました。 さらに、私にとっては忘れられない田宮のシャーシー、大変懐かしい気持ちにさせて頂きました。 私の名前を御存知だったと書かれていましたが、誠に光栄であります。しかし、10年前はなんにもしてなかったのですが・・・。落合さん、私は、ただのお宅オヤジですよ(笑)。 しかし、落合さんの車種選定は、やはり当時をリアルタイマーとして過ごされただけあって説得力があります。 「チャパラル2D」や「ロータス40」などはあらためて見てみるとやはり“最高!”と思ってしまいます。 さらに、落合さんにお聞きしたところ驚くべき事に、なんとアバルトビアルベロ と ジャガーDロングノーズはブロンズ粘土からおこしたフルスクラッチだそうです! 本当の意味で落合さん自信で自慢できるのはこの2台と アストンDBR1だとおっしゃっていました。 これからも落合さん、情熱を込めた作品を作り続けてください。お願いします。 本当にありがとうございました。 |
15/JULY/2000 MORIさんより頂いたメール紹介「はじめまして」
貴殿のHPを拝見して、なんだか懐かしい思いがしました。ぼくも貴殿と同世代(ぼくのほうが少し年下)なんですが、昔のスポーツカーやレーシングカーが好きで「日本GP」で検索していたら、貴殿のHPを偶然見つけました。 当時はテレビでもモデルカーレーシングはよく紹介されていて、私も父親に頼んで買ってもらいましたが、それはヨネザワ製の1レーンの楕円形コースで、クルマも普通のパトカーでした。そのころの私はクルマ自体には興味がなく、・・・・ ところが、中学入学前あたりから本物のクルマが好きになり、いまではホンダN360を自分でレストアするハメになっています。 思えば、ぼくのクルマ大好き人生は、N360がわが家にやって来たころから始まった気がします。旧車が大好きで、普段乗るクルマは現行軽自動車で充分だと思っています。 そういうことはともかく、今回メールをさしあげたのは、じつは牧野さんに質問があってのことです。質問というのはほかでもありません。 現在でも昔風のコースやマシンは入手可能でしょうか?どこかに専門ショップなどありますか?私も以前、モデルカーレーシングが欲しくなり、デパートに行ったのですが、全体的に今風になっていて、マシンもフェアレディ300ZXなど現行車ばかりで風情がなく、結局買いませんでした。 そこで考えているのが、プラモデルをモデルカーレーシングに改造する方法です。幸いなことに現車同様、プラモデルも旧車ブームなので・・・・。 牧野さんはトヨタスポーツ800などのレストアをなさっていますが、コースも当時のものをお使いなんでしょうか? 突然このような長いメールで質問をして恐縮ですが、ご回答をよろしく。 今後ともよろしくお願いします。 E-mail: maltese@07.alphatec.or.jp TOSHIMI MORI |
WEB
MASTER : くるま村の牧野です。
MORIさん、このたびは私の未熟なHPを見ていただくだけでもうれしいのにメールまで頂き誠にありがとうございました。 メールを拝見いたしておりますとスロットカー(モデルカーレーシング)を昔のクルマで始められたいとのことですが、私が知るところ現在楽しんでおられる方には2通りのタイプがあるようです。 1つは、昔のキットをそのまま作ったり、または、レストアして走らせているタイプ。 2つ目は、ボディもシャーシも現在作られたものでありながら昔のレーシングカーにこだわって走らせているタイプ。 現行のレース規約(昔と違って日本モデルカーレーシング連盟などはありませんが、地域によって組織があり運営しているのが現状だと思います。ただ、全日本的なイベントもないわけではなくその主催者については“シグマホビー、およびバン・プロジェクトがされているようです)には、2つ目のほうが公式レースとして行なわれているケースが多いようです。 2つ目に関しては、下記のショップやメーカーで販売しています。 http://www.mars.dti.ne.jp/~sakatsu/slot.html さかつうのURL http://www.mars.dti.ne.jp/~sakatsu/ また、個人的にレジン・ボディを販売しているものもあります。 私のHPでも「くるま村の達人」という企画ページでも紹介している「ウエスト工房」さんはとてもリアルで思い入れがあるレジン・ボディでお薦めです。 http://www.gld.mmtr.or.jp また、下のTOMさんが主宰されているHPも海外とかの情報も多く必見だと思います。 http://member.nifty.ne.jp/SlotGallery/Index.html ところで、私は、HPにも何回かお話ししているかとは思いますが、10年ほど前に、1973年以来のモデルカーレーシングを再び始めたのですが、いろいろありまして残念ながら今は、走らす事はしておりません(HPを作ることが今の私の唯一のホビーです 笑)。 しかし、60年代に残したこのモデルカーレーシングというすばらしいホビーをどうにかして20世紀の遺産として残せないものだろうかと思い、このHPを始めさせていただいたわけであります。どうか、私に出来ることがあればいつでもメールください。出来る限り協力するつもりです。 では、よろしくお願いいたします。 P.S.MORIさんは、この「皆様からのメール紹介」始まって以来の名前とメールアドレスを掲載させて頂いております。これは、御本人からの希望であり、このHPを見て頂いている方からのアドバイスを頂きたいという希望からの決断だったとおっしゃってました。どうか、私よりも詳しい方々が大勢いらっしゃると思いますので御教授お願いいたします。 |
4/JULY/2000
Hさんより頂いた御返事メール
さっそくの御返事ありがとうございます。 ところで風戸 裕選手のレース歴についての情報源についてですが、僭越ながら全て私の記憶からです。私は当時から風戸 裕選手の大ファンで彼がデビューしてから亡くなるまでの彼のレースレポートについては全て三栄書房オートスポーツ誌を食い入るように読んでいましたので、今でもついこの間のように記憶が蘇ります。 御存じのように彼は裕福な家庭に育ち、父親の理解もあってマツダ・キャロルでジムカーナデビュー後、ホンダS800でレースデビューし、その後とんとん拍子で69年JAFグランプリでシングルシーターデビューを果たしました。この時のマシンをどのようにして彼が手に入れたのか不明ですが、彼が当時出入りしていた神山モータースが準備したホンダS800エンジン搭載ブラバムBT−16に間違いありません。 当時のJAFグランプリはF−1からF−3まで参加できるレギュレーションで、このマシンで彼は排気量1000cc以下のクラスで2位でした。クラス1位は同じくホンダS800エンジン搭載ブラバムBT−16に乗った矢吹圭造選手でしたが彼のエンジンはRSCチューンで排気量を870cc(多分)へアップしてあり風戸選手はオリジナルのままの排気量だったので彼は「性能指数賞」というものを獲得しました。レース後のインタビューで彼はこの年の秋の日本グランプリは本格的なレーシングカーで挑むと言ったそうですが、このときマスコミは彼に対して冷ややかであったそうです。 しかし彼はそれを実行に移しJAFグランプリで使用したマシンをベースに2座席レーシングカーを制作しました。このマシンはコーヤマスペシャルと呼ばれ滝 進太郎氏が指摘されたように当時のタキ・ローラT70そっくりでした。私はマクラーレンM8Bにそっくりと思いましたが。このマシンでかれは富士スピードウエイで腕を磨き、更に前年生沢 徹選手の乗ったポルシェ910を滝レーシングから購入しマシン持参で滝レーシングに参加しました。その後の彼の活躍は御存じのとうりです。このエピソードは風戸 裕選手の特集を初めて企画した三栄書房オートスポーツ誌1969年11月号(あるいは12月号だったかもしれません)に載っていると思います。欧州F−2挑戦前年の71年JAFグランプリで彼は排気量1600cc以下のクラスで優勝しました。この時の彼のマシンはマテル・シズラー・スペシャルという車名で三菱製Fー2エンジン搭載ブラバムBT−30でした。これはヨーロッパから中古で購入したものでした。この年は総合優勝も永松邦臣選手の三菱コルトフォーミュラで三菱の完全制覇であったのは周知の事実です。ブラバムBT−30は70年JAFグランプリでジャッキー・スチュワート選手が優勝したマシンでもあり(エンジンはコスワースFVC)、シンプルな鋼管スペースフレームでできた実戦的なマシンで翌年はブラバムBT−36に発展しますが私の大好きなマシンの1つでした。歴代三菱コルトフォーミュラもシャシーはブラバムBTー29/30/36を流用していたことはあまり知られていないと思います。 私も牧野さん同様「60〜70年代初期のモータースポーツ」は「輝いていた」と思います。毎年Fー1日本グランプリを観戦していますが当時ほどの情熱は残念ながらありません。三栄書房オートスポーツ誌は今も購読していますが(32年目)内容を暗記するほど繰り返して読むことはありません。その理由はオイルショック以降の「排ガス、省エネ、環境」問題からモータースポーツに対して世間(自動車メーカーも含め)のテンションが低下したこともありますが、今振り返ってみると個人的には風戸 裕選手の死が当時の私に多大な影響を与えたからに違いありません。 これからも牧野さんのHPを楽しみにしています。 P.S. 私も「モデルカー・レーシング」をこよなく愛していました。 |
WEB
MASTER : Hさん、再びのメール誠にありがとうございました。
いや〜、Hさんの完璧なまでの風戸裕関係の情報、本当に食い入るように読ませて頂きました。 つくづく思うのですが、Hさんのような方にこのまだまだ不完全なこのHPを見て頂ければ本望だと思っています。本当にありがとうございました。 私も、当時の「AUTO SPORT」誌は暗記するように読んでおりましたが、もともとアバウトな性格な私としては、Hさんの文章を読んでいるだけで尊敬してしまう心境になってしまいました。 ジャッキー・スチュワートと生沢徹の対決に沸いた「70年JAFグランプリ」なんかも双方とも「ブラバムBT30」でしたよね?! ゼブラカラーのTETSUのコルトF2Dが全然スチュワートについて行けずちょっとガッカリした記憶があります。 それから、Hさんのモデルカー・レーシング話しもいつかお聞かせ頂ければ幸いです。 どうもありがとうございました。 |
3
/JULY/2000
「貴方のHP楽しく拝見しました。三重県Tetsu Ikuzawaファン」のHさんよりのメール。
前略。 私は三重県在住の60年代日本レース界大好き人間です。 風戸 裕選手のレコードは私も所有しています。これは1971年の東京レーシングカーショウで購入したもので彼のポルシェ908/2、ファミリア・プレスト・ロータリークーペの展示ブースで販売していたもので彼の直筆サイン入です。いまとなっては貴重な宝物です。60年代日本レース界には私にとっても心に残る国産レーシングカーの名車(迷車?今思えばバックヤード・スペシャル的な車)がたくさんあります。古い順に挙げますと、デル・コンテッサ、ダイハツPー3(コンパーノ・ベースでリヤ・サスはなんと板バネ)、ナカムラ・スペシャル(ウイング付スタイリッシュ・クーペだがSR311改造)、ヒノ・サムライ(これは有名)、3リッタートヨタ7(福沢幸雄の乗ったモス・グリーン色でエキゾースト・パイプが上に出たやつ)、ホンダ800R(69年鈴鹿500km高武富久美搭乗トヨタ7に次いで2位)、ホンダR1300(69年鈴鹿1000kmでリタイヤするまでポルシェ906より速かった)、コーヤマ・スペシャル(御存じ風戸 裕選手搭乗ブラバムBT-16改造ホンダS800エンジン搭載のグループ7)、カーマン・アパッチ(林 将一氏設計搭乗、空冷ホンダ1300エンジン搭載)、ワールド(ニットラ)AC-7(空冷ホンダ1300エンジン搭載、田中弘選手69年鈴鹿12時間レース優勝)、マクランサ・クサビ(林ミノル氏設計、アルファ・ロメオ・エンジン搭載車とホンダS800エンジン搭載の2種類存在したが)、マクラーレン・トヨタ(市販車マクラーレンM12に5リッタートヨタV8搭載、純正トヨタ7より速かった)、デイ&ナイト・スペシャル(黒須隆一氏搭乗、ブラバムBT-16改造ホンダS800エンジン搭載)、キノシタ・スペシャル(ホンダS800改造)などです。 ところで貴方のHPですこし気になった点をひとつ。69年JAFGPで風戸 裕選手が搭乗したのはブラバムBT-16(鈴鹿サーキット放出、神山チューンホンダS800エンジン搭載)で、71年JAFGPで風戸 裕選手が搭乗したのがブラバムBT-30(三菱R39型搭載)です。 私には貴方のようにHPを作る技術が無いので、これからも楽しみにしています。 |
WEB
MASTER : Hさん、本当にメールを頂きありがとうございました。
Hさんの文面を読ませていただいておりますと私などは足元にも及ばないモータースポーツファンであることが読み取れます。これからもいろいろアドバイスお願いします。 それにしてもあの“風戸裕”のサインの入ったLP「レーサー風戸裕」をお持ちとは大変羨ましい次第です。 その時の「東京レーシングカー・ショー」にも出かけたのですがそのようなLPを売っていたという記憶がありません。お話しを読ませて頂いておりますと、その時に風戸裕のサイン入りレコードが買えなかった事がなんとも残念でなりません。 ところでこのHPを開設してから早1年3ヶ月が過ぎようとしておりますが、なかなか思うように作れていないのが悩みの種です。それにしてもあの輝いていた60〜70年代初期のモータースポーツを語る文献やHP等が少ないのにはややがっかりしておりまして、パソコン歴2年弱の私がやっとの思いで作り始めたのもそんな理由からでした。そして、私がこよなく愛しておりました「モデルカー・レーシング」についても皆無に等しくずっと「なんでなんだと・・・」思いつづけていたのもHPを作るきっかけでありました。 そして、いろいろな方からの暖かい励ましのメールなどで力づけられてなんとかここまでやって来る事が出来ました。 今後共よろしくお願いいたします。本当にありがとうございました。 |
11/JUNE/2000 K.Tさんよりのメール「忘れ物をありがとう」
初めて、メールします。 いよいよ、20世紀最後のルマンが来週だな、などと考えながらネットサーフィンをしておりました。 何処かに、それらしいサイトは無いか、探していたら・・・・・・(^.^)なんとも、忘れていた大切なものを、見つけてしまいました。 小学校六年か中学校一年の夏休み、バルサ材を削り出し、真鍮板のシャーシに取り付いたマブチモーター。 スポンジじゃない、細いゴムのタイヤ。ロータスだったか、ブラバムだったか定かじゃないけど、作った記憶が蘇りました。当然、宿題として、提出してしまいました。 それが、私のスロットレーシングカーの始まりです。今、はっきりと脳裏に浮かび上がってきました。 その後、バルサのボディーを幾つも削り、かなり後になって、サイドワインダーにしました。 というのも、市販されているボディーが、その当時無くて、自作するしか手が無かったのです。日本の模型といえば、当時、1/20が多かった。今、ヨタ8が、物置の奥に未開封で仕舞ってあるんです。 初代シルビアが好きで、バルサ削りだしをしました。ラッカーを塗り、耐水ペーパーで、磨きだし、随分と時間を使いました。 そうそう、巣鴨は、私のHOMEでした。と、言っても、スケールモデラーの私は、速度よりもスタイルでしたね。 レーシングカーショーへも行きました。オートスポーツも、CGも読み漁りました。 結果、高校を卒業して、整備工になっていました。すっかり歳をとってしまった今は、違いますけどね。 でも、カースタイリングという本は、創刊以来、いまだに読んでいます。 ずっと昔、自分が何かに熱中したものが有ったんだと言う、事を思い出させてもらいました。 同じ時代を、同じ様に過ごした事の証ですね。 その当時、同じビルの階段か、三田線の改札口ですれ違って居たかも知れない人と、会えるとは思いませんでした。ありがとうございました。 また、寄らせて頂きます。 |
WEB
MASTER : 初めまして、くるま村の牧野です。
HPを見ていただくだけで大変光栄なところメールまで頂戴して誠に感激しております。 > 小学校六年か中学校一年の夏休み、バルサ材を削り出し、真鍮板のシャーシに取り付 > いたマブチモーター。 > 凄いです。小学生時代にバルサでボディを作るなんて・・・(絶句!)。さらに、真鍮板のシャーシーを作って(ハンダもするんですよね?)それを取りつけるなんて当時の私にはとても考えられませんでした。 > 市販されているボディーが、その当時無くて、自作するしか手が無かっ > たのです。 > そうですね。1968〜73年頃はすでにメーカーのキットは発売がなく、自作するしかなかったですね。 私は、この時期自作クリヤー・ボディを作りました。 雑誌「モデル・スピードライフ」に「チャパラル2F」をバルサで作り、ルーフを田宮製「フォードJカー」のものを流用した製作記事がありましたが、何回かトライはしたのですが、上手くいきませんでした(笑)。 だから、Tさんが何台も作られたってことは、私からすれば凄いことをされていたんだなと思わずにはいられません。 > 巣鴨は、私のHOMEでした。 > と、言っても、スケールモデラーの私は、速度よりもスタイルでしたね。 > レーシングカーショーへも行きました。 > オートスポーツも、CGも読み漁りました。 > 巣鴨サーキットですか!まさに、お仲間ですよ!! 当時いた店の店長(ちょっと禿げていたかな・・・!?)夏は確かランニングシャツ姿でいましたよね。 サーキット内にあった「ボール盤」使いましたか、私はよくスポンジタイヤを削る為に使用させてもらいました。 それから、Tさん1970〜72年頃に巣鴨サーキットで私の作ったクリヤー・ボディ(出来は今考えるとひどいですが 笑)が売っていたのを見られなかったでしょうか? 「フェラーリ312P」「アルファロメオT33/3TT」「フェラーリ312B2」「サーティーズTS15」「シェブロンB19」「コルトF2D」等ですが、ご記憶ありませんでしたでしょうか?たしか、250円で売っていたはずです。 > その当時、同じビルの階段か、三田線の改札口ですれ違って居たかも知れない人と、 > 会えるとは思いませんでした。 > まったくその通りかもしれませんね!私は、三田線 新板橋からいつも巣鴨に行ってましたから・・・。 あのビルの階段(3Fにあったのですよね?!)の途中に天井の出っ張りがあってよく頭をぶつけたものです。 では、これからもこの不出来なHPをよろしくお願いします。 ありがとうございました。 |
5/JUNE/2000 横浜にお住まいのK.Kさんからのメール
新企画の「デイトナ コブラ登場」が掲載されていますが、ボクのようなオールドファンにとってあの時代のレースカーはどれも個性が有り、懐かしくも有り、憧れでも有った訳です。 ニュルブルクを走る「フェラーリP3」の写真を見させて頂くと、改めて「昔のレーシングカーは小さかったんだな〜」と今更ながら思います。と同時に今見ても 「オ〜! やっぱりセクシーだ〜」 と胸がドキドキしちまいます。 何たって現役のレースカー「NSXのJGTC仕様」あたりだと全幅190cmくらい有るらしいですから! けど、あの頃のレースカーみたいな色気は無いような・・・?? 子供の頃は「フォードGT」が排気量と物量(資金力)に物を云わせ「フェラーリP3」「フェラーリP4」を打ち負かして、ルマン優勝の栄冠を強奪していたような気がしていました。でもって、「フェラーリ」好き、「フォード」?のイメージでした。 最近は(?)大人になったので、マアそんな単純に「金さえ掛ければ勝てるってもんじゃない」と思うようになりましたけど・・・ 大排気量ゆえの駆動系(クラッチ・ミッション・ドライブシャフト等)の悩みとか、経験に基づくピットワークなどフォードなりの苦労が有ったんだろうな〜 などと回想してしまいます。 80年代後半のトヨタやニッサンのCカーの惨敗の要因。 はたまた近年のトヨタTS010やTS020又はニッサンR390の勝てなかった要因は、やはり「24時間をレーシングスピードで走りきる事が出来る車」を作る事の難しさをまざまざと見てしまいました。 こういう話は牧野さんには「釈迦に説法」っていうのかも知れませんね。 いづれにしても、あの ・ ニュルブルクの「フェラーリ P-3」の写真 ・ ミツワ自動車の「ポルシェ910」のコマーシャル写真 は最高ですよ!! ところで話はコロッと変わりますが、前から思っていたのですが、1983年に逝去された紙彩画の「牧野成昭」氏について教えて下さい。 牧野さんの親戚の方だったのですか? もしかして父上だったりして?? 日本はよその国より「自国文化」に対しての関心が薄いような気がしますが・・・ ベネトンに資金を出してる、そこの某タバコ会社日本の伝統文化に支援するとか、日本人ドライバーをサポートするとか、福祉事業に援助するとかもっと気の効いた金の使い方は無いのかね?某タバコ会社は一例ですけど、 ・・・などと考えてしまいます。 またまた話はコロッと変わりますが、ボク個人の牧野さんへのお願いですけど、 「デイトナ コブラ 登場」に続く、レーシングモデルにピントを合わせた企画としては ○ 「ポルシェ906から917」までの一連のポルシェ・レーシングモデルの移り変わりとか ○ 「フェラーリ250からP-4」までの一連のフェラーリ・レーシングモデルの移り変わりとか ○ 「シャパラル1から2J」までの一連のシャパラル・レーシングモデルのストーリーとか 人物にピントを合わせた企画としては ○ 「ポルシェ使いの名手 J.シファート物語」 などを企画してもらえたら、嬉しいです。 現在インターネット上のサイトをウロウロしても、牧野さんのHPのような「黄金の60年代のレースシーン」を表現しているサイトは国内に無いと考えています。 ので期待しちゃいます。 ところで牧野さんが「1/24又は1/20のプラモ」で机上に置きたいと思う車が有りましたら、ご一報下さい。いつも、お世話になっていますので、市販されているキットで出来るものでしたらリクエストにお答えしたいと考えています。(車の出来は期待にお答えできるか解かりませんけど・・・) 最近、HP開設に時間を取られて(掛かりっきりでした)プラモはご無沙汰していましたが、気分転換に「そろそろ何か作りたいな〜」などと考えていますので・・・ご遠慮なく、リクエストを連絡して下さい。 つらつらと、脈絡も無く書いてしまいましたが、いづれ「市川の浮谷家」を訪ねたいと考えています。 本日はこの辺で、失礼致します。 WEB MASTER: K.Kさん、熱き思いのメール、誠にありがとうございました。これだけ励ましのメールを頂くとなんか照れてしまいます(笑)。 ところで、ご質問の「牧野成昭」ですが、ご想像の通り17年前にこの世を去りました我がオヤジであります。親父の作りました「紙彩画」は、HPでも分かる通り日本古来の「和紙」を使った貼り絵を発展させた日本画であります。 この企画ページでは当初、オヤジの生涯までを載せたページにするつもりでありましたが、いろいろな方が登場されるため今は作るのを控えております。 しかし、今だ親父が作った「紙彩画」超えるものはないようで10年前に「登録商標」のみは私が取りましたが、まだまだ世間には知れ渡っていないのが現状です。 よって、少しでもKさんのようにこの企画ページを見て頂くだけで本当に嬉しいと思っています。 > ニュルブルクを走る「フェラーリP3」の写真を見させて頂くと、改めて「昔のレー シングカーは小さかったんだなと今更ながら思います。と同時に今見ても 「オ〜! やっぱりセクシーだ〜」 と胸がドキドキしちまいます。 本当にKさんのおっしゃる通りです。 特に私は、フェラーリ330P3でジョン・サーティーズが優勝した1966年「モンツァ1000kmレース」なんか大好きなレースでした。 グラマラスなP3のボディは、P4ばかりがもてはやされている現在、隠れたNO.1フェラーリだと今でも思ってます。 そして、企画ページのリクエストありがとうございます。ポルシェ辺りについては、こんど作ってみようかなと思ってますので、期待しないで待っててくださいね(笑)。 重ね重ねのご好意、本当にありがとうございます。 私が作れば一番いいのでしょうが、やはりいくらオヤジが画家だとはいえ、カエルの子はカエルでないのが世間一般の常識でありまして、オヤジの才能までは遺伝子に入っておりませんでしたので今となってはKさんらモデラーの方々にお頼みするしか手はないようであります。 いつかは、TETSUの乗った車コレクションなんか出来たらいいななどと夢みたいなことを考えている自分がいるのが怖いと思ったりしているこの頃であります。 本当にありがとうございました。 |