THE ROOM OF YOUR MAIL IN THE YEAR 2002 皆さんのご意見を載せさせていただくコーナーを作りましたので、よろしくお願いいたします。 |
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9/DEC/2002
T.Uさんから頂いたメール紹介「ご無沙汰してます」
大変ご無沙汰しています。
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U様、こんにちは。そして、お久しぶりです。
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8/DEC/2002
H.Nさんから頂いたメール紹介「はじめまして。鈴木誠一氏の件」
初めまして。牧野さんのHPの「鈴木誠一さん」の【日本列島を駆け抜けたストックカー伝説】を見せていただきました。
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WEB
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私のまだまだ未熟なHPに立ち寄って頂いただけでなく大変興味あるメールまで頂き感謝感激であります。
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8/DEC/2002
Sさんから頂いたメール紹介「レーシングカーを読んで」
はじめまして、現在茨城県取手市に住む43歳のサラリーマンです。私がはじめて手にしたのは1967頃小学校2.3年で、そのきっかけは大家さんの息子さんが自家製レールを作ったからでした。しかも本体はダンボール、溝の両サイドは割橋状のバルサにアルミホイルを巻きつけたもで、接続部分はピックアップブラシを付け、レールの端には下敷きを30mm×50mmぐらいに切った物の上からビス止めしたものでした。そんなレールでもその当時は宝物でした。私をはじめこのアパートの子供たち5人がそれぞれレーシングカーを増やし、約3年間程度レースをしておりました。細かにご紹介いたしますと、大家さんの長男ケンちゃんが、このマンタレイー、GT30、ロータスフォード(ジャッキースチュワート)、チャパラル2c(ヘッドライト点灯)、手作りボディー(紙製フェラーリ風これが滅茶苦茶カッコよかった)の5台。 次男カズボウちゃんがフェラーリ158?ポルシェカレラ10・エルバーマクラ−レンの3台。従弟の辰美ちゃんがフェラーリ330P2・ロータス30か40・コルペットスティングレイの3台。優ちゃんがホンダF1・トヨタ800の2台。そして私が、GT40・ローラt70・ブラバム・フェラーリ・アルファロメオの5台だったとおもいます。
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WEB
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S様、この度はまだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂きありがとうございました。そして、メールまで頂き感激しております。
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26/NOV/2002
S.Yさんから頂いたメール紹介「栄光の60年代オヤジです」
牧野さん、はじめまして。
ストックカー、フォーミュラー(1/24と1/32)、GTの各クラスのマシンを引っさげて週末にはよく参戦したものです。しかし、所詮は中学生。資金力でも技術でも大人には敵わず、敗北の連続でした。
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WEB
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Y様、この度はまだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂き本当にありがとうございました。
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09/NOV/2002
Mさんから頂いたメール紹介「うれしかった事」
イクザワテツという感じ。僕のイメージでは漢字では有りません。ネットをうろうろしていたら、ぶつかりました。帰ってきた徹。とても懐かしく、とてもうれしく、感激です。 僕がレースをよく見ていたころは、富士スピードウエイのメインスタンド裏バックストレートにスカイライン、セリカ、GTO、レビン等の改造車があふれていました。GCも見に行きました。F1にもいきました。当時僕はコロナ1700SLで,ホワイトレターを履いていました。HPを拝見したとたんに、18歳に戻ってしまいました。 ヘアピンサーカスも見たのが懐かしく想いだされました。これからも皆さんの活躍を影から見守ってゆきたいとおもいます。 東京都 M(46歳)
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WEB
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M様、この度は私のまだまだ未熟なHPに立ち寄って頂いただけでなくメールまで頂きありがとうございました。 生沢さんは私にとってヒーローでした。そして、今も当時の活 躍をまるで映画のヒーローを見る感覚で捉えていたのだなあとしみじみ感じているところです。 このHPを初めさせて頂いてから生沢さん御本人からも感激の言葉も頂き、先日夢かなってお会いする事も出来ました。 これからも生沢さんの活躍されたレース等を書かせて頂こうと思っているいます。 では、これからも宜しくお願いいたします。ありがとうございました。 |
02/SEP/2002
K.Mさんから頂いたメール紹介「初めてHP拝見させて頂きました」
はじめまして、愛知県のMといいます。 HPを、楽しく拝見しました。 実は、2002年8月14日のレースをトヨタチームで、黒のセラのドライバーとして乗りました。車のオーナーのOさんの誘いで、レースに参加しました。大変有名なドライバーとの一日は、楽しいものです。 次の日に帰りに、元チーム・トヨタのO氏の宅にもお邪魔しました。 楽しい話を聞くことができ、感激しました。 とにかく、本当にすばらしい二日間でした。 これからも、HPを拝見さしてもらいます。 最後に、自分勝手な事を書いた事をお詫び申し上げて、失礼します。 |
WEB
MASTER :
M様、この度は私のHPに立ち寄って頂いただけでなくメールまで頂きありがとうございました。 そして、エコランレースでチーム・トヨタと同じピットで走られていた黒いセラのドライバーの方だ在ると知り大変ビックリしております。 Oさんも最後の方に乗られていたようですが私は電車の時間が迫り失礼させて頂きました。 元チーム・トヨタのOさんには今度ぜひお会いしたいと思っております。 またぜひお時間がある時にでも立ち寄ってください。 ありがとうございました。 |
23/SEP/2002
M.Kさんから頂いたメール紹介「レーシング・メイト、クラブレーシングについて」
ども牧野さん、静岡に住む39歳のものです。
わたくし、クラブマンレーシングに興味があり故浮谷東次郎さんや、生沢徹さんの記事は目にする機会はあるのですが、彼らがワークスの枠を破って作った、クラブマンのレーシングチーム(チーム?)RACING MATEについての記録が、メディアでも余り見かけません。60年代レーシングに詳しい牧野さんならご存知かと思い、メールをさせていただきまました。
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K様、この度はメールを頂きありがとうございました。
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12/SEP/2002
Nさんから頂いたメール紹介 「初めてHP拝見させて頂きました」
初めまして埼玉県に住んでいるNといいます。32歳男です。
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くるま村の少年たちを主宰しております牧野です。 N様、この度はまだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂き、さらにメールまで頂きまして本当にありがとうございました。 私よりも一世代半も違う年齢だとは思いますが、モータースポーツは世代を超えて素晴らしいものだと思います。 富士の30度バンクはトヨタ自動車が富士スピードウェイを買収し将来のF1開催の為に来年ぐらいからコースを作りかえる予定です。 よって、すでに使われなくなっていた30度バンクは取壊されてしまいます。 30度バンクは、1974年6月に開かれた富士グランチャンピオンシリーズ第2戦で起きた大事故以来危険ということで使用されていません。 1965年に完成した富士スピードウェイは当初アメリカのナスカーレースを開催出来るようにとお結び型のコースとして計画されたのですが、富士地所がオーナーとなってからヨーロッパ型のテクニカルな部分とアメリカのオーバルバンクコースをミックスした新しいコースとして作られました。 翌1966年、第3回日本グランプリがスズカより移り富士のオープニングイベントとして開催されました。 それから、1969年まで開催されたプロトタイプカーおよびCAN-AMカークラスを中心としたスポーツカーレースが主にこのバンクを使用して開催されました。 しかし、アメリカのデイトナスピードウェイと違い富士のバンクは表面がとても荒れており車線もある一車線しか使うことが出来ずとても危険でした。また、ストレートよりもスピードが出たといいます。 画像としては私のHPに何場面か有りますので紹介します。 http://www.mmjp.or.jp/60srace/Record2.html http://www.mmjp.or.jp/60srace/GreatSakaiStory.html http://www.ne.jp/asahi/60srace/models/69JAFGP.html 以上が主なところです。 では、これからもぜひお時間がある時はぜひ立ち寄ってください。 ありがとうございました。 |
12/SEP/2002
H.Tさんより頂いたメール紹介 「鳥海志郎さんが懐かしい」
初めてお便りします
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くるま村の少年たちを主宰しております牧野です。 T様、この度はまだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂き、さらにメールまで頂きありがとうございました。 当時のリアルタイマーの方にメールを頂くことが出来て本当に感謝しております。 鳥海さんの現役当時はわずか2年あまりだったんだと編集しているときにわかりました。 鳥海さん御自身もたった2年か・・・と熱中した時代を思い出されていました。 しかし、その専門的な技術力もさることながら当時のマブチモーターや田宮模型にアドバイザーとして新製品の開発に従事されていたと聞いてなおさら当時の鳥海さんの凄さを今さらながら実感している次第です。 あの田宮のサイドワインダースプリング・サスペンションダイキャストシャーシは鳥海さんのテストあっての製品だったんですから・・・。 とにかく1965〜66年はモデルカーレーシングにとって本当に日の出の勢いがありましたね!! これからもどうか当時のことをぜひコメントとして頂ければ幸いです。 また、アドバイス等頂ければありがたいです。ありがとうございました。 後日談となりますが、メールを頂いたT氏はなんと私が67年当時遂に作ることが出来ず今だに最高のモデルカーレーシングシャーシーと思い続けている元祖モデル・スピードライフに掲載された「全輪サスペンション・シャーシー」生みの親であったことが氏のお話でわかりました。 そして、このシャーシーは今でも現存することも同時にわかり私はパニック状態となったのでありました。 このシャーシーについては近日中に特別企画として取り上げるつもりであります。 |