The Legend of IMAI Slot Racing


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 今井科学株式会社(いまいかがく)は、1954年 -2002年に存在した日本の模型メーカーで今井商店として創業し、1959年に今井科学株式会社となる。1969年に倒産後1971年に再建、1990年代に株式会社イマイに改名。 主にキャラクターモデルを中心としたプラモデルと、帆船を中心とした木製模型などを製造・販売していた。 (ウィキペディアを参考にさせていただきました)

 今井科学と言えばまず思い出すのは「007ジェームズ・ボンド」と「サンダーバード」ではないだろうか。 その中でもサンダーバード2号のプラモデルはサイズ違いもあり、ギミック付きの優れものであった。 さらにサンダーバードの秘密基地などもあり、当時の子供たちにとって憧れのプラモデルであった。
 「鉄人28号」「ビッグX」「サブマリン707」などなどそれはそれは子供の夢を売るメーカーだったのだ。
 
 私などは当時小学校3〜4年生であり、マンガのキャラクターに特に夢中であり、アトムシールに始まるブームにドップリ漬かっていた。 その中で今井科学が当時売り出していた「イマイハイシール」というのを皆さんご存知だったであろうか。 今流に言えば「デカール」である。
 「伊賀の影丸」「おそ松くん」など当時の週刊少年サンデーやマガジン、そして、キングなどに連載されていた人気漫画がこぞってこのハイシールで発売されていたのだ。
 これらのハイシールはアトムシールや鉄人シール、エイトマンシールなどのようにチョコレートやふりかけを買わなければ手に入らないものではなく、単体で当時文房具店や本屋などで売っていた。 
 下の写真画像は今も手元にある当時私の通っていた小学校の近くにある文房具店で購入したものそのものである。
 当時今井科学はこれらのハイシールとプラモデルを文房具店でも販売していた。 後で紹介する1965〜66年に台風の如く日本を荒らしまわった「モデルカーレーシング」ブームの時にもこの文房具店で今井科学製「1/24スケールのローラF1」が店頭に並んでいたことを今でも鮮明に覚えている。
 その横にはハイシールも整然と並べられていた。 余談だが当時の根強い切手ブームを反映して使い済みの海外切手が透明なビニール袋に沢山入って1袋いくらで販売されていたのを皆さんご存じだっただろうか。 これらは今考えれば昭和30年代という時代からして進駐軍などから払い下げした外国切手を個人が集めて袋詰めし文房具店などに卸していたんではないかと思えるのだが…。
ちなみに当時購入したこれらの切手たちも奇跡的にまだ私の手元にある。
 

今井科学のハイシール


TOP: ハイシールはこの透明な袋に入って販売されていた。表裏に取り扱い説明が記載あり。
 

TOP :週刊少年サンデーで大人気の「おそ松くん」ハイシール

TOP : 月刊「少年」で人気だった「ストップ!にいちゃん」
 
今井科学のモデルカーレーシング事情とは?!

 1965年に突如日本国内に猛威を振るった「モデルカーレーシング」。 イギリスに発祥の歴史があり、その後アメリカで爆発的なブームとなり、郡是産業などがアメリカのレベル社などと提携し日本に上陸させたのが最初ではないかと思われる。
 そんなモデルカーレーシングまたはスロットレーシング(正式名称と思われる)は瞬く間に日本中にそれらを走らすサーキットが作られ、数ヶ月で100を越す店舗が誕生するという異常事態となった。
 すぐにJAFのような「日本モデルカーレーシング連盟」が誕生、続いて製造メーカー主体の「日本モデルカーレーシング協会」も設立し、末永くこの室内スポーツを続けるための模索が始まった。

 当時のプラモデル製造メーカーたちはこの新しい「モデルカーレーシング」の未来を信じてほとんどのメーカーが参入していった。
今井科学もその1つであり、キャラクタープラモデルの経験を生かせば十分勝算はあると踏んでいたものと思われる。
しかし、問題があった。モデルカーレーシングのプラスチックの部分は今までの経験で十分だと思われるが、スロットカーの場合、シャーシ部分のメカニカルな経験が今井科学にはない。 一からの開発投資はあまりにもリスクが大きい。
そこで今井科学が考えたのが金属加工・開発販売に長けてスロットカー部品も生産しているメーカーと組んで合作として生産することを考えたのだ。
 当時の日本でこれらの条件に合うメーカーと言えば、「潟Sーセン」「宮沢模型」「潟cfルホビース商会」「青柳金属工業(有)」などが主なところ。
 そして、最終的に今井科学が選んだ相手は「潟Sーセン」社であった。 ゴーセンはスロットカーの頂点を極めた「田宮模型」とも組んで次々と新しいシャーシを開発し成功を収めていることから今井科学の選択は間違っていなかったと思うのだが・・・。

 今井科学とゴーセンとの共同開発事情が当時の「模型と工作」増刊号第2集の広告に書かれている。(下記画像参照)

 その後今井科学は1/32スケールの「ボンドカー アストンマーチンDB5」と「ジャガーXKE」を発売するも泣かず飛ばず。 それ以降はスロットカー路線から離れ、1/12スケールの「ロータス49」や「マトラMS11」などのスケールモデルへと進路を変えることとなる。 しかし、なんと不運なのだろうか、このビッグスケール路線はあの田宮模型と車種も含めて全てバッティングしてしまい田宮模型の圧勝となる。

 さて話を戻して、今回のF1モデル5種のスロットカーの売れ行きについては分からないが、今回それらキットの内容を見て思うのは、このモナカ式ボディにシャーシを組み込んだスロットカー構造に大いに問題がありそうだ。 この構造自体は比較的玩具に近い 1/32スケールのスケーレックストリックやエアフィックス、およびリンドバークなどに広く見られるもので、今井科学はそれらを参考にして設計したのかもしれない。
しかし、1周30mから60m級の営業サーキットを走らせることが前提だった当時ことを考えるとやはりこの構造で販売を伸ばすことは難しかったと考える。その後発売した1/32スケール2種ではこのやり方を改め真鍮ラダーフレームに変更するも時すでに遅く、タミヤのサス付きシャーシなども登場し今井科学は静かにスロットカー路線から退出して行くこととなる。
 なぜゴーセン側からもっと早くアドバイスが出来なかったのか。その辺、タミヤとゴーセンとの関係とは大違いのように思われるが、すでに50年以上経ってしまったこの今井科学のスロットカーたちに今思うのは「良き時代の狂い咲き」もいと恋しということか。とにかくこれらが愛おしく思ってしまうのは私だけだろうか。

 さて、またまた余談であるが、IMAI科学の代表的キャラクターモデルであった「スーパージェッター」の流星号をスロットカーに改造してしまうという当時の少年月刊誌「少年」か「少年ブック」のビックリな記事を紹介しようと思う。
当時の私はこの記事を読んで真剣に製作しようかと考えたものであった。
今思えば、ゴーセンのシャーシでも取り付けたら簡単に出来たのではないかと想像するが、小学生の工作としてはかなり難しいものだったかもしれない。

 さて、今回レストア作業を行っていただくのは、ヴィンテージスロットのジャンクボディ&シャーシのレストアを独自の解釈で完成させる“T.S”氏。 今回は今井科学のスロットカーをレストアしてみたいという話を伺いそのレストア記を作らせていただくこととなった。 
 氏のレストアはピカピカの新車にするのではなく、ジャンク状態の雰囲気を復活させるという方法である。

 それでは氏のレストア製作記を覗いてみよう。
 
 

 
     The Restore of IMAI F-1 MODEL CAR RACINGS

1) IMAI LOLA F1

2) IMAI COOPER F1

3) IMAI PORSCHE F1

4) IMAI BRM F1

5) IMAI FERRARI F1
 



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(C) Photographs and textreport by H.Makino.