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2025 映画・アニメーション グランプリ & 各賞 発表
映画・アニメーション データファイル主催のムービーアワード、2025・グランプリ&各賞が2025年12月25日迄の集計により、12月30日発表となりました。今回は『バディ・ムービー&相棒物』『ポール・ニューマン生誕100周年記念』をテーマに選出。詳しくは本賞頁をご覧下さい。
*[ 本年度グランプリ & 各賞 ]* *[ 賞の主旨・概要 ]* *[ 2026年度テーマの投票受付中 ]*




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◍ TOKYO:新時代探訪 2026(前期) ◍

- 2026 Tokyo: Exploring The New Era -



明けましておめでとうございます

Happy New Year


2026年1月1日(木)。あけましておめでとうございます。今年も此の頁を作る機会がやってまいりました・・・昨年も色々ありましたが、新年を迎えましたので気分を一新し、今年も一年間邁進してまいります。・・・昨年から ↑ のタイトルが『TOKYO:新時代探訪』と改名(改題)しましたが、遣っている内容はというと2003年歳末から仕様が大分変わりまして『映画・アニメーションウェブアワード』と連動し、アワード受賞作の解説、それと(それ以前から継続している)時事的な話題を絡めての記事内容と成ります。(詳しくは其れ以前の記事に目を通して頂けると、何回も説明する手間が省けるので助かります)。

↓ は2025年12月31日(水)まで追記していた『年越しクリスマス 2025』頁。

https://www.mmjp.or.jp/gigas/tokyo-real/2025AWARDS-TOSHIKOSHI-CHRISTMAS-THREE

基本は従来の『年越しクリスマス』=(ブログ時代の中期から続けて来た)西洋式にクリスマスの延長線で新年(正月)をも祝う、和洋折衷で粋な催しのままなので・・・只、当サイトは紛れもなく “映画サイト” としての針路が主なので、2023年夏に長年続けて来たブログ頁(一旦の)終了に伴い、其の主要な要素の趣旨を+して強めた・・・と、皆様にはソウ考えて貰いたく。
勿論、新タイトルにした手前今年から色々と内容を刷新していく予定なので。

・・・と云いつつ、先ずは(毎年恒例)今年の2026版年賀状を5枚作ってありますので、取り急ぎ記事冒頭で貼っておきます。↓




No.1



No.2


No.


No.4


No.5




例年・記事冒頭に貼るクリスマス・カード&年賀状は5枚と決めているのだが、昨年年末の『2025・年越しクリスマス』で(事情があって)追加で+2枚作る破目になり(苦笑)、今年は其れに併せ年賀状も+2枚(計7枚)作りました。



No.6


No.7




1番上の『No.1』~『No.3』迄は当サイトの関連で『日本映画コンドル賞』という、邦画専門の映画賞を年2回開催しており、昨年2025年の後期・第4回で小津安二郎・監督の「秋刀魚の味」(1962) が最高賞のグランプリを受賞した為、その記念も兼ねた年賀状としています。・・・『No.1』『No.2』は「秋刀魚の味」劇中のシーンからで平山路子・役の岩下志麻。『No.3』は平山周平・役の笠智衆。・・・『No.4』~『No.7』は(其れに併せた)同じく小津安二郎が監督した「東京物語」(1953) からで、此方は『MADF賞』(2001 - 2008) という主に洋画を表彰していた映画賞があり、其の中で2008年に開催された『日本映画特集』内にて「東京物語」がグランプリを獲得していた為の(かなり遡っての)回顧記念で、『No.4』は劇中のシーンから主演の原節子と笠智衆、『No.5』は原節子、『No.6』は左から原節子、東山千栄子、杉村春子、笠智衆、山村聰、三宅邦子、と子役の毛利充宏、村瀬襌、『No.7』は笠智衆と東山千栄子。

何れも画像をクリックするとサイズが拡大されます。本年賀状は下地の為に制作しており、コピーして空いたスペースにマーカー等で文字や数字、イラスト等々を各人自らの工夫で描き込んで “世界に1枚だけの” 年賀状にして下さいナ。











≪2026.1.3 (土)≫

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

東京~関東では昨日2日(金)PM7:20頃に少々降雪がありまして(直ぐ止んでしまったのだが)正月の降雪は実に11年ぶりだった。

・・・で、此のニュースの注目点は『東京都心での積雪』という事でして、正月三が日で珍しく積雪が1センチあったのだナ。
雪国の人が此の記事を見掛けたなら『何を新年に積雪があった位で!!!』と大袈裟と感じるトコロなのだろうが、東京都心で正月三が日に積雪と成るのは非常~~~に珍しく、前回積雪を記録したのが1978年1月3日(火)であるので、実に48年ぶりという(約半世紀ぶりの)『珍現象』であったという訳。
・・・只しかし、気象専門家の分析では『異常現象』というレベルではなく、気象条件が重なると48年ぶりでも “あり得る事” らしく、気候変動 etc が原因ではなく、其の点ではあくまで『珍現象』(発生頻度は低いが、過去例があり気象学的に整合性が取れる)に留められ、十分説明可能なのだソウだ。面白いもんだネ。



まぁ、今年は新年から東京で雪が(肉眼で)見られて・・・私め自身も降雪時にたまたま屋外に出ており、単純に『ラッキー!』だったかと(*注・降って直ぐ止んだので、交通機関 etc のトラブルは皆無だったのだし)。幸先はまぁまぁ良いのかも知れぬ。
昨年末のクリスマス期間では 《「バック・トゥ・フューチャー」40周年限定上映》 も(世間でもっともっと(?)騒いでくれても良いレベルの話題だと思うのだが)新作の対抗馬が強い此の時期において、40年物の旧作洋画が全国レベルの大ヒット=一応週間興収では2位にまで登り詰めたが、上映館数の比率からすると断トツのNo.1。割高なIMAX&4DXにおいても満席続出だったのだから。此れは明らかに前例のない、もはや(日本映画興行における)『事件』としてもイイ位で。

ウチでもクリスマス期間の中、スペースを割いて此の「バック・トゥ・~」40周年限定上映を特集していた手前 ⇒ 殆ど『クリスマスの奇跡が起きた!?』~位のインパクトが(実感として)有ったのだが・・・一応ニュースとして取り上げられた様ではあるのだけれど、何だか大方の世間ではスルーされているという様な感がネ(苦笑)。一体どうなってるんだろうか?(『騒いでいるのは一部の映画ファンだけだから』~という誤認識が何処かにあるのか?)。大山鳴動して其の後の反応がチョコッと残念な寂しい気もしていますが。・・・何にしても此方としては有意義な記事が、年末の締め括りに載せられ(東京の積雪とは違う意味での)明らかなラッキー案件でしたが。

↓ の動画は「バック・トゥ・~」1作目が公開された1985年組の映画を集めたトリビュート物で、「バック・トゥ・~」が初公開時に大ヒットした背景も垣間見られる???と思い貼り付けてみました。(*2026年は午年=『うまどし』という事もあり、動画内に馬が出るシーンが3カ所(計6頭)あるので、其処もチョット注目してみて下さい)










≪2026.1.5 (月)≫

例年の事ですが新年我が家ではシッカリおせちを頂きまして、其れに+して今年は珍しく大きな鯛が偶然手に入りまして、正月1日目から各人鯛を御節料理の前に1匹ずつ丸々食しました。

此れが 《正月の仕来たり》 として構わないのか???というのは今のところ不明(苦笑)。わざわざ福岡から我が家に(食べられる為)はるばる東京まで御越し頂いて・・・鯛から1年をスタートさせるというのも、イヤ、以前に1回あったっけかナ???・・・記憶上は恐らく人生初の鯛スタート!。
当然の事ながら鯛は語呂から『めでたい』~と、正月に限らず祝い事に食すと縁起が良いとされていて、特に尾頭付きの鯛は『最初から最後まで物事をやり遂げる』という意味合いが(日本でだけ)在り、ドウモ1匹丸々食す事に意味がある様で。



新年は(昨年からなのだが)挨拶回り etc etc があったりと、完全に休めたのは1月2日(金)位か。
前の記事でも書いたが年末~新年と睡眠時間が取れず、ナカナカ大変でしたが、今現在(本記事を書けているから)何とか体調を崩さずに生きている様なので、年末~新年と乗り越えられたのは、個人的には先ず其れが第一に良かったかと。

今年も1年間遣って行かないとイケナイので・・・(毎年の事ですが)今年の抱負を書くとしたら『1年体調が崩れない様に』~という(苦笑)、健康無くして後は何も無くなるので・・・其れが正直第一の望みで。



≪2026.1.8 (木)≫

鏡餅の鏡開きは関東で1月11日、関西では15日(*他にも『松の内』の終わりである7日を『鏡開きの日』にしている地域も、関東を中心に複数在るのだが)此の関東関西の基準は『日本鏡餅組合』というメーカーが(ジョークで無く)実際にあって、其処がソウ表明しているからなのであって・・・今現在は此の日にちが東西における決行日で “少なくとも一般的には” 間違いのない事実。(何故に関東関西で統一してくれない!?という方も日本中にいるんじゃないかと)
・・・只、元来日本では(室町時代~江戸時代・後期まで)1月20日が『鏡開きの日』という、歴きとした全国統一の基準があったのだ(*鏡餅を飾る風習自体は平安時代
に京都で始まる)。・・・だから『全国鏡開き協会』(←コレはジョーク)の正統派を自認している方は、今度の1月20日(火)を『鏡開きの日』としてもイイのかも知れぬ。(*注・判断は個人個人にお任せ)

こう関東関西 etc で基準が分かれた理由は色々あるらしいのだが、どうも近代になり関東関西の 《流通の都合で》 こうなった、ビジネス上の事情が一番大きいらしく、今も曖昧にしているのは先のメーカーの公式見解で、“東西の文化は違う” のだから『如何様にも』という(苦笑)、鏡開きの正確な日にちを決めてしまうと、アチコチに角が立つのでアバウトに・・・~という事らしいのだナ。何ともはや。



≪2026.1.9 (金)≫

日本の正月の行事&イベントを挙げるのなら(筆頭とは云わないが)外せないのが鏡餅。
過去にウチで遣ったのは『鏡餅の一夜飾りは×』等々と飾る際の話をした記憶は有るのだが、後片付け ⇒ 鏡開きの事については遣っていなかったし、恐らく他でコッチの方向は(そんなに華やかでなく、比較的地味な話なので)大方で話題にしてないと思うのだが・・・

昨日は関東と関西とでは『鑑開きの日』が異なる・・・という様な事を書いたが、此れには勿論・理由がありまして、其れを説明するなら時代を『平安時代』にまで遡る事となる。
鏡餅を家屋・室内の神棚や床の間、今やリビングの棚、玄関、ダイニングテーブル等々に飾る時代になった様なのですが、此の神具を正月に飾る風習が始まったのが(他でも無い)平安時代からであって。・・・何故に此のフォルムに成ったのか???等々に関してはチョット話が逸れるので、別の機会に書こうと思いますが、兎に角、今も続く『KAGAMI MOCHI』伝説は平安時代に貴族が『お供え物の餅』として始めたのが原型・・・只、今の二段重ねの型は室町時代に広く定着したもので、平安時代には極々一部の貴族の内で、年神様への信仰と結びつける事で成立しました。

『鏡餅』というネーミングは平安期に付けられ、昔の神事に使われた丸い青銅鏡(神様の依り代)の形に似ている事から来ている。
先日触れた『鏡開きは1月20日』は室町時代からで、実は平安時代に『1月20日に鏡開きが行われた』という記録は残っていないのだが、恐らく推測としてそれ位の期日が限界 ⇒ これ以上はカビだらけとなり『神具として神棚に飾る』体裁を保てない~という事で、恐らく平安時代も21、22、23日位に鏡開きとしており、其れを室町時代から20日に確定させた・・・というのが真相なのだろうと。
室町時代の『鏡開き20日』は、武家社会で行われていた『具足祝い (具足開き)』という風習に由来し、年神様が滞在する期間(松の内)が明けた後に、甲冑(具足)にお供えした鏡餅を木槌で割って食べる習慣が、その時代の記述からジャスト20日だったと判明しています。(明日10日も此の続きを書きに来ます)



≪2026.1.10 (土)≫

今回此の『鏡開き』の経緯について調べておって、日本の辿ってきた歴史と『鏡餅』というのは、随分とシンクロしているのだと感じたのだが。

兎に角・関東と関西では『鏡餅』『鏡開き』に対する緩やかな(?)認識の違いというか、ある意味での断絶があり・・・例えば元から関東は『松の内』の期間が短く、関西では小正月までを正月扱いとして来た、・・・であるから関東では1月11日で鏡開き ⇒ 同時に此の時点で関東の正月は終了。関西では主に15日が鏡開きであり ⇒ ・・・大方ではコッチも此処で終了~と世間一般の形式上はコウなるのだが、実は関西、西日本の一部では少なくなく(平安、室町時代からの)20日鏡開きの伝統を頑なに守っている地域があり、従って正月の期間は関東より関西の方が9日間も長い。・・・加えて先に書いた通り、関東を中心とした東北地方 etc では『松の内』の終わりの7日に鏡開きを済ませる地域もあるので(苦笑)、此れ等を入れるとなると最大13日間ものタイムラグがあるのだナ。

1月1日は『元日』という事で “祝日” という認識が多くに共有されている筈なのだが、肝心要の『正月』という其の期間について関東と関西で異なるというのは、殆ど皆意識していないんじゃないだろうか???。
・・・とはいっても、今や『鏡開きの日』というのは特に公式に指定がなされていないし、祝日でも記念日でもない。国内ではアバウトに『1月7日から20日までいつ行っても構わない』~というのだから『殆どほったらかし』で、今や一般的には軽いイベント的な装置としての儀式となっており、総じてもう既に形骸化していると云っても、まぁ、過言ではないのだろうと。

只しかし、実は此の鏡開きの日を『正月の大事な儀式』~と、ド熱心にアナウンスしている方面もあって、其れが(皆が皆知っていると思われる)日本の大手酒造&食品メーカー etc etc と、此処でも主に老舗の企業団体がズラズラッと登場するので、どうも近代・日本の正月というモノのは、所謂・ビジネスとの繋がりがかなり強く、ソレで(東西其々の食文化に合わせて来た)果てに正月の期間までもが東西で乖離してしまった!・・・という、そういう奥の深い深い裏事情が(実は)強い。。。というか、かなり根深い様で。(明日11日も此の続きを書きに来ます)



≪2026.1.11 (日)≫

鏡餅のカビについて ↑ ≪2026.1.9 (金) 追記≫ で触れたのだが、そしたら『鏡餅ってカビるの?!』ってリアクションもあって(苦笑)こういう反応を読んでると、つくづく時代というのは移り変わっているのだと実感するのだが・・・
勿論!平安時代、室町時代には防カビの処置とか、『サトウの鏡餅』みたいに真空パック状態にするとか、脱酸素剤(鉄粉入り)が同封されているみたいな事は無いので、室内に飾っていると1~2週間程で(多かれ少なかれ)確実にカビて来ます!。

私めが幼少期だった昭和では(恐らく平安時代、室町時代の室内環境と大差無かったと思うのだケドも)『サトウの鏡餅』みたいな便利な商品はなかったが、カバーも何もない 《素の鏡餅セット》 みたいな状態で売られており、それを手持ちで店から買って来たモノだった。
今から考えると、衛生的にドウだったのか???(後で食すのだからネ)と考える余地もあるのだろうが、兎に角、(100%天然状態で)何の処置も無く飾った鏡餅がカビてゆく経過も観察できたので、ソノ辺の情況は今も鮮明に憶えている。
9日の追記で『20日を過ぎると神具としての体裁を保てない』~そう推察を書いているのは、田舎時代の実体験なくして語れないであろう点であり、鏡餅は飾っているとカビだけでなく『ヒビ』も複数入って、形が徐々に崩れて来るので、加工していない有機物を数日間飾るという事は “朽ちる過程を晒す” 行為でもあるのだナ。(*・・・只、此の鏡餅に “ヒビが入る” という症状は『鏡餅業界では』別に悪い兆しでは無く、却ってヒビが多いほど其の年豊作になるという、縁起の良い言い伝えが京都、関西にはあります)

ある意味では古代の神官などは、同様に有機物を神に供えしていた際、それ自体が『砂時計』の様な役割りにも成っていたのかも知れん。即ち、其の朽ち具合で湿度であったり、気候の変化を占い&計ったケースもあった???・・・と考えると、何となく今で云う科学的な器具の機能も補佐的にあった様な。
今回のケースだと、鏡開きは(実質的な)正月終焉の時点を示しており、或いはその期間の指標は『鏡餅』自体にも在った???と考えるのは無理があるだろうか。

・・・そう考えられたなら(寧ろヒビが多く入る程日にちが経った方が、縁起が良いというのだから)『鏡開き=1月20日』が本命である信憑性が大きく出て来るとも。



≪2026.1.15 (木)≫

何か鏡餅と鏡開きの事ばかりを書いてしまって、新年だから他にも色々遣らなくてはイケナイ話もあるのだが・・・
映画賞の発表を昨年の暮れから(年を越し)1部門1部門少しずつ開示している最中なのですが、此処まで鏡餅&鏡開きの話を書いたのだから、折角なので締めの(最高賞である)『グランプリの発表』は1月20日(火)にしてしまうか???鏡開き後1~2日後にしてしまうか???・・・と、今思案中です。(諸事情につきその通りになるかは今の処不明)↓

https://www.mmjp.or.jp/gigas/frontier/movie-award2025

現在 ↑ 表彰頁・TOPに据えているのが『審査員特別グランプリ』作品である映画「最高の人生の見つけ方」(2007) で、皆が御存知に通り受賞発表の16日前に監督のロブ・ライナーが急遽亡くなってしまい、此方としてもかなり驚いたのだが・・・
正確な日にちを載せるのは此処で控えたいとも思うのだが、(受賞発表の2025年12月30日(火)には間に合わなかったのだが)ライナー死去の2025年12月14日(日)には「最高の人生の見つけ方」の審査員特別グランプリ受賞は決まっており、(*同時に発表した「テルマ&ルイーズ」(1991) の主演女優賞の確定はほんの数日前だったのだが)決してライナー死去に合わせ、追悼の意味合いで受賞させたという訳では無く、正当な作品の評価として賞を授与したのであって。

此方としても(先の通り事前に本作の審査員特別グランプリ受賞はほぼ確定していたので)別作品に差し替える理由は一切無いと判断した・・・というのが事の顛末であり、其の受賞理由。
・・・であるから、ライナー死去16日後に受賞発表というのは全くの偶然であり、しかし、此れも何かの因縁なのか???と思い直し、発表前の数日前にモウ1回観直したのだが・・・
その結果ウ~~~~~~ンと、随分考え込んでしまった。・・・というのは、ライナー死去から再度観直すと、其れ以前に観ていた「最高の人生の見つけ方」という作品の見方が、其の後とでは大分変わってしまったのだナ。



≪2026.1.18 (日)≫

映画賞ノミネート ⇒ 受賞部門未発表の作品も残り4作となりましたが、最高賞のグランプリを含めた残り全ての受賞結果は2026年1月20日AM0:00~1:00台に一挙発表する事となりましたので(深夜になりますが)よかったら此の時間=リアルタイムでご確認下さい。

・・・暫く前から注目されていた『長編アニメーション』の作品賞受賞作ですが、此方は一足早く本日18日(日) ↑ 表彰頁PM8:00台にて発表の運びと成りました。
今回は一般投票の数が非常に多く、最終的に作品賞は「トイ・ストーリー3」(2010) と「ボス・ベイビー」(2017) の一騎打ちとなりましたが・・・ドチラがTOPを獲っていても全く可笑しくない票差であり(注目されていただけに)此の後このスペースを使い解説する予定です。



≪2026.1.20 (火)≫

本日AM1:00台に第22回『映画・アニメーション ウェブアワード』のクランプリが発表となり、グランプリ受賞作はジョージ・ロイ・ヒル監督の「明日に向って撃て! (Butch Cassidy and the Sundance Kid)」(1969) と、もう1本のグランプリがジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ (Star Wars: Episode IV - A New Hope)」(1977) となりました。

2025~2026と年を跨いだ本年度のテーマは『バディムービー』だったのですが、その理由は前記事に目を通して頂けると助かります・・・

今回、事前には全く意識していなかったのだが、両グランプリ受賞作の監督が2人共ファースト・ネームが「ジョージ」だったと、最終の受賞作・発表後 ⇒ 飲み物を啜っている最中に気付きまして(こんな偶然ってある?!)、過去いくら遡っても「Wジョージ」作品の様な感じでグランプリを獲ったなんて、そんなケースは世界中を探しても滅多に無いに違いない・・・『此の事象が起こる確立といったら天文学的な』・・・という位に非常に珍しいとは思うのだが。・・・イヤ、ソンナ事はド~~~でもいい!(苦笑)。もし此のグランプリ2本を未見の方は是非この機会に観て頂きたいのだが。・・・此の肝心のWジョージが監督した2本が、正しく奇跡の出来なのであって。



≪2026.1.23 (金)≫

何故に2025~2026と年を跨いだ本年度のテーマが『バディムービー』だったか?というと、一にも二にも生誕100周年を迎えた名優ポール・ニューマンが主演した映画=「明日に向かって撃て!」&「スティング」の2本が、歴代バディムービーを代表とする名画であり、共演したロバート・レッドフォードと共に此の二大・相棒物をリスペクトした催しであり・・・
先に触れた通り監督したのは2本共ジョージ・ロイ・ヒルなのだが、実は劇場公開時により高評価だったのは「明日に向かって撃て!」の4年後に制作された「スティング」(1973) の方であり、第46回アカデミー賞では作品&監督賞を含む全7つものオスカーを獲得しており、此れは製作のユニバーサルにとっても「西部戦線異状なし」(1930) 以来43年ぶりにアカデミー作品賞を受賞した年なのだが、此の年最大の対抗馬がWジョージのモウ1人である、ジョージ・ルーカスが監督したユニバーサル作品「アメリカン・グラフティ」(1973) であり、同社にとって大豊作で絶好調の年だったのだ。

ルーカスはSWの企画を先ず、「アメリカン・グラフティ」を大ヒットに導いた相方であるユニバーサルに出したが、あえなく却下されてしまい、その後二転三転して20世紀フォックスでSWを制作する事となるので、今回当方の受賞結果は(当時を知る層にとっては)皮肉めいた処もあると感じた筈。・・・因みに「明日に向かって撃て!」を配給したのは20世紀フォックス。
今回本記事を書くにあたってモウ1回「スティング」を観返したのだが、恐らく大方で「明日に向かって撃て!」よりコッチの方が面白いだろう!~と、そういう声が上がるのは承知の上で、私めも此れ以上の脚本、キャスティング、演出 etc etc 映画を探すのは困難と思える程にパーフェクトな出来であり、かなり多いと思われる「スティング」ファンからしてみれば『グランプリ以外は考えられない!!!』~と考えている筈で、御怒りもごもっともなのだが。

だが、今回テーマが『バディムービー』なので、他のノミネート作品の選定も 《バディムービーとしてドウ優れているか?》 で決めており、しかも前記時でも触れた通り今回は 《2人組のバディが基本》 と枷を付けた手前、その方向の選考で最高の評価が「明日に向かって撃て!」と成ったのであって・・・其れ以上の理由は殆どなく。(つづく)










≪2026.1.30 (金)≫

(10日ぶりだから)追記の更新が少々遅れてしまいまして・・・年末~新年が休み無しだった為、此のタイミングで『少し長めの冬休みを』という事だったのですが(コノ機会に長年愛用していたPCも買い替えまして)、充電後の本記事がドウなったか???気分一新で戻ってまいりましたが。
私めは何を隠そう『物持ちが良い』(物を修理してまで大事に使う)為、先週まで使っていたPCなんか約10年半も何だかんだと働かせてしまった・・・まぁ、下手するとあと半年ぐらいは継続できそうだったのだが・・・(他方からの強制終了という形で24日(土)AM10:00台に機能停止し)今コノ記事を書いている横で休んでいる最中。よくカンバッテくれました。

先の20日(火)に発表となった映画賞=グランプリ2本の発表までは『此の機体で』~と考えておったので、最後まで大したトラブルもなく、無事完走という感じでしたが。・・・今振り返ると(前にも書いた通り、ウチの事務所は夏場も殆ど冷房を利かさないので)日本PC業界の中ではトップ級に我慢強く&ド根性の持ち主であったのであろうと賞賛しておきたく。

・・・で、(ここからはPCとは全然関係のない話に突入するのだが)休んでいる最中に、先日(1月27日(火))に某有名メーカーの『つぶあんぱん』(4個入り)の袋がキッチンの物陰に隠れているのを(目ざとく)見つけてしまいまして、年末~新年と忙し過ぎて、カゴか何かに入っていたのが落ちたのか?それまで全く気付かずに。
賞味期限が2025年12月19日とあったので、何とクリスマス前という年代物で!(苦笑)。その時点で賞味期限を1ヶ月以上も過ぎてしまっていたのだナ(苦笑)。
(先に鏡餅に付くカビの事についても触れていたので)勿論、未開封の袋の外から中の状態を窺ったのだが、何もカビている様子も全くなく、至って通常の状態だったのだ。

普通は賞味期限を1ヶ月以上も過ぎているのだし、何か異変が起きていても全く不自然ではないのだが、ドウ見ても変色しているとか、何処も悪くなっていない気配なので、(奇跡的に?)何らかの諸条件が整った事で 《綺麗なつぶあんぱん》 状態を保っていた・・・という訳。(この続きは1月最後の明日31日(土)に)



≪2026.1.31 (土)≫

此の記事に載せる為・・・という訳でもなかったのだが、そのあまりにも状態の整っている『つぶあんぱん』を眺めていたら “試しに食べてみるか!?” という気持ちに段々となって来て、腹壊す覚悟で発見の翌日 ⇒ 28日(水)の朝食に其の賞味期限:1ヶ月オーバーの『つぶあんぱん』4個を一袋分全て平らげてしまった。(*注・よい子は決してマネしないように!!!)・・・で、その結果ドウなったか???~というと、実は腹を下す、発疹が出る etc etc 体に変調を来す症状は一切無く、(普段は冷凍保存なぞしない)冷え冷え状態になっていた『つぶあんぱん』だったからなのか?逆に普段より熟しておって(苦笑)おいしく食べられた位だったのだ。

此の記事を読んだ方の中には『新年から一体何やってるんだ!?』~とお怒りの方がいるやも知れんが(苦笑)、それ位に冬場の『つぶあんぱん』は日持ちがするという事であり、恐らく春~夏場だと私めも無事では無かったかと。・・・只しかし、無暗にマッドな今回の強行に走った(?)という訳でもなく、古来から小豆は保存食として知られており、近代に入ってからの『あんぱん』メーカーの祖である木村屋總本店は、日清戦争の際に長期保存に耐えうる『酒種あんぱん』を大量に製造し、軍に納入し繁盛 ⇒ 其の名がメジャーに成ったという経緯もあり、そういう歴史の予備知識なくして1ヶ月オーバーの奴は食さなかったかと。

・・・まぁ、只、21世紀に入ってからの枠と考えるなら(偶然の出来事ではあったのだが)『あんぱん』製造から ⇒ 口にするまでのスパンを考えると、世界記録を作ってしまった???という気も。(*こんな記録を破ろうとする物好きは今時いないと思うので)(つづく)











≪2026.2.5 (木)≫

話を映画賞の話題に戻して・・・人気映画「スティング」は今回グランプリを逃しましたが、本賞は一旦『準グランプリ』『審査員特別グランプリ』の(グランプリに準じた)賞を獲得すると、来年度以降 ⇒ 別テーマの際に上位の賞に輝く機会が(過去のケースを振り返ると)限りなくゼロに近くなっているので。。。(・・・という事は、過去に其のレアケースは “あった” という事なのだが)審査する側も同一作品に何度も最高賞をあげる訳にもいかず、ある意味で今回グランプリを逃した作品は全てが(後々)追ってグランプリに輝く.
可能性は担保出来ている訳であり、暫くの間賞の様子を見守って貰えれば・・・と。

本賞の形式だと(今回28ノミネートだったのだが)本来ならどの作品がグランプリを獲得していても全く可笑しくなく、それだけ歴代・映画史の中でもキングの中のキングを競う、云わばハイレベルな凌ぎ合いと成ってしまっているので、「スティング」の様な優れて面白い作品は(ウチでは意外にも(?)今回初ノミネートだったという事で)簡単にTOPを獲ってしまわない方が・・・という訳でもないのだが(*他の映画賞=同テーマだったなら高い確率で最高作の評価を受けているかと)。

・・・で、同監督作で本年度グランプリ受賞の「明日に向かって撃て!」ですが・・・まぁ、此のテーマ=バディムービーというジャンル枠内で選考するのなら、本作が最もキングに相応しいのだろうと。結局名画というのは時代や文化風俗、理屈等々を超えて輝いているモノなのだという、ソウイッタ風格がある作品であり。



≪2026.2.6 (金)≫

今年度の冠は『ポール・ニューマン生誕100周年杯』であり・・・ポール・ニューマンという俳優がどれだけ偉大なのか?というのは、此処で語るにスペースをどれだけ獲っても難しく・・・ニューマンは俳優業に留まらず、映画制作自体のプロセスに非常によく精通していたと云われています。・・・まぁ、その一端に触れるとなれば、往年の映画ファンにとってクリント・イーストウッドの代表作といえば、続編が4本作られたドン・シーゲル制作・監督の「ダーティーハリー」(1971) とするのが鉄板だったのだが、ワーナーは当初この企画の主役=ハリー・キャラハン役のキャスティングにはフランク・シナトラ、ジョン・ウェイン、スティーブ・マックイーンらに打診されていた経緯もあったのだが、実質的な本腰はどうも「明日に向かって撃て!」成功直後のニューマンだったらしく、交渉に入った順もシナトラの次(シナトラはこの時期に右手首を怪我してしまい早々降板)と、かなりのビッグ待遇だったと云われています。

・・・只、ニューマン本人は『この役は自分に合わない』という事で、脚本の出来に関しては評価しつつも(自身の出演に関しては)『断固拒否』を通したのだった。



≪2026.2.7 (土)≫

ニューマンがハリー役を固辞した理由はというと、要約するなら『自身の信条的に刑事、警官が強権を行使する様な、そんな役を演じたくない』・・・~との事だったのだが、ニューマンはこの時期同じ様な理由で、ウィリアム・フリードキン監督の「フレンチ・コネクション」(1971) におけるポパイ刑事役も蹴っており(*代わりに同役を任された、当時まだ売り出し中だったジーン・ハックマンはオスカーに輝くという棚ボタ)、此の反権力思想的な自己主張は筋金入り。・・・只、ニューマンはその際単に断るだけでなく、『俺はこの役にピッタリの俳優を知っている』と、どうもワーナーの上層部に掛け合ってイーストウッドをハリー役に推薦していたらしいのだナ。
イーストウッドは当時TVドラマやイタリア製の西部劇=マカロニ・ウエスタンで大活躍してはいたが、米大手スタジオ側が推す迄のリストには入っていなかったので、此のニューマンの一押しがなかったなら、確実にイーストウッドの代名詞=ハリー・キャラハンのあの好演は見られなかった筈なので・・・まぁ、映画もあそこ迄大ヒットしたかも、イーストウッド以外の俳優だったらドウなっていたか???という感じもあるので、此のニューマン独特の 《映画的勘》 が映画史を変えてしまった偉大な瞬間でもあったという。



≪2026.2.8 (日)≫

ニューマンは此の『自分にオファーが来た役を後輩や、チャンスに恵まれていない役者に譲る』というのを他にも色々しておって、(全てでは無いのだろうが)その采配が実に的確だったといいます。ニューマンは自身の初主演作=ロバート・ワイズ監督の「傷だらけの栄光」(1956) が、当初ジェームズ・ディーン主演が前提で企画されていた事もあり(ディーンはクランクイン直前に自動車時事故で他界)、俳優にとって 《此の業界はチャンス、他者からの助けが非常に大事》 ~と自覚していた・・・という事らしいのだが、そうとは多くが解っていても、競争の激しいハリウッドで此の信念を(長編の出演・全55本という長いスパン)貫き通したのは立派!。殆ど俳優の視点というよりは、ハリウッド映画界全体を慮っていた訳で、スター中のスターの威厳がなければ出来ない行為かと。

・・・イヤ、↑ でニューマン出演作・全55本としたのだが、其れは “世間的な” ニューマン生涯出演本数であり・・・個人的には今年生誕100周年を迎えるメル・ブリックス監督の「サイレント・ムービー」(1976) も入れて、ニューマンの生涯出演本数は56本としたい処。
何故か?此の1本だけニューマンのフィルモグラフィーから外されているケースが少なくなく、チョット残念なのだが・・・しかし(直に「サイレント・ムービー」本編を観て頂ければ)此の作品程ニューマン本人の御人柄が出ている作品もないとは思うのだが。何せあの映画でのニューマンの出番は “喜劇王メル・ブルックス本人に映画出演を依頼され、電動車椅子を操縦し猛スピードで『NO!』(*注・サイレント・ムービーだけに無声)と断って走り去ってゆく” ~という、文字通り僅か2分チョットの『セルフパロディ』で)・・・よくもああいう役を世紀の大スターが引き受けたモノだと、あの冗談が過ぎるシークエンスを解す(?)センスも超一流で(苦笑)。



≪2026.2.10 (火)≫

肝心の「明日に向かって撃て!」に話を戻すが・・・映画ビギナーの方には時代的にピンと来ない処であろうが、本作は『アメリカン・ニューシネマ (New Hollywood)』という大枠の象徴的な立ち位置として語られる事が多く、1960年代後半~1970年代にアウトロー、アンチヒーローな登場人物を描いた映画がカウンターカルチャーとして生まれ、ベトナム戦争に対する反戦ムードと相俟って若者層に熱狂的に支持された。他の代表的な作品としてはマイク・ニコルズ監督の「卒業」(1967) やデニス・ホッパー監督の「イージー・ライダー」(1969)、ジョン・シュレシンジャー監督の「真夜中のカーボーイ」(1969)、ロバート・アルトマン監督の「M★A★S★H マッシュ」(1970)、ピーター・ボグダノヴィッチ監督の「ラスト・ショー」(1971)、マイケル・チミノ監督の「ディア・ハンター」(1978)、・・・それと(邦題では同じく『明日』が入る)アーサー・ペン監督の「俺たちに明日はない」(1967) 辺りが代表格としてイイのだろう。
アメリカン・ニューシネマの定義というのは幅が広く、1960年代後半~1970年代の時代性が入っていると、アメリカン・ニューシネマ:ジャンルの仲間入りを果たす(?)という面もあった様なのだが、近代の映画文化が花咲いたのはこの時期の作品群が(ルーツとして)深く関係しており、研究対象としても実に奥が深いムーブメントであるのだナ。・・・只、ブームというのはいつかは終了するモノなので、一応のニューシネマ最後の作品は、フランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」(1979) とする説が有力。

この時代に劇場用・映画デビューを果たした稀代のヒットメーカー=スピルバーグも、実は此のアメリカン・ニューシネマの申し子としても構わないのであろうが・・・スピルバーグ第1作目の「続・激突!/カージャック」(1974) は完全に此の時代のトーンをモロモロに反映させており、主人公が明快なヒーロー像ではなく、陰のある複雑なパーソナリティを背負い、結末も全くのアンハッピーエンドな処など、現実世界の矛盾、不条理を体現しているかの様な作風は正に 《アメリカン・ニューシネマの王道なスタイル》 であり、まぁ、実を云うと後のスピルバーグ作品にも時折顔を見せる要素ではあって。



≪2026.2.11 (水)≫

「明日に向かって撃て!」という作品は其のアメリカン・ニューシネマでありながら、時代の変革期に(自覚して)変わろうとしなかった『アウトローたち』を描いている点で、個人的には若干他の同時代作品と一線を画し、一種(其れ迄の)映画表現の境界線をも越えてしまっている感があるのだが・・・
列車強盗を繰り返すブッチ&サンダンスを執拗に追い詰める『最強の追跡隊(Super Posse)』6人は、劇中では殆ど何の説明もなく幕を下ろしてしまうのだが、(本作は実話を基にしている事もあり)此処でその内訳を解説してしまうと・・・此の追跡隊は、鉄道会社(ユニオン・パシフィック鉄道)の社長エリス・H・ハリマンが、ブッチ&サンダンスを確実に捕まえる為、一流のプロを結集して組織した精鋭部隊なんですナ。そのメンバーはリーダーがジョー・ルフォース(白い帽子=『スキマー (Skimmer)』を被った伝説の追跡者でピンカートン探偵社所属)、ロード・ボルチモア(インディアン足跡追跡の達人)、その他保安官や狙撃手 etc で構成。(*本作を100%未見の方でも、物語上のネタばれにはなっていないので御安心を!・・・この先を読んでも大丈夫ですヨ)

此処まで素性がハッキリ知れている(西部史にもシッカリ残っている)実在した追跡隊なのだが、劇中ではその一人一人の表情、どんな会話をしているかも “全く見せない” 演出となっている。・・・それはブッチ&サンダンスが何処まで逃げても、逃げても、地平線の彼方から黙々と追い掛けて来る(『白い帽子の男』を中心とした正義のヒーロ戦隊である)此の精鋭部隊を、其れ迄の時代の終焉を意味し象徴する “圧倒的な脅威” として描く為であり・・・

要するに、本映画の手法として此の6人を『単なる人間としてではなく』、ある意味輝ける(?)未来を告げる『近代』の象徴としても見せておる訳で、恐らく圧倒的多くのブッチ&サンダンス側に立っている観客側(現代人)からしてみたら、随分と皮肉めいた構図と成っているのに気付いた方も(中には)いる筈で(苦笑)・・・
真に優れたイイ映画というのは、コウイッタ実験的な要素を(さり気なく)挿入させて来るモノなので、此処は素通りしてしまうとかなり損した事にもなり兼ねなく。



≪2026.3.1 (日)≫

急用が入ってしまい、暫く追記が止まってしまい申し訳ありませんでした。
本日3月に入りましたので ↓ 『総合TOP頁』も3月仕様に(一昨日)切り替えましたが・・・

https://www.mmjp.or.jp/gigas/movie

人気コーナーの『名画座ファイル』も3月が「ブルース・ブラザーズ」(1980) とし、本作が『ミュージカル&音楽映画』特集・第1弾として今年の何ヶ月か(?)シリーズを続けて行きます。・・・他にも2025年度・第22回・ウェブアワードでグランプリを獲得した「スター・ウォーズ」(1977 & 1997) という、此の「ファーストSW」に拘った特集 etc etc 色々催して行きますので、ドウゾ宜しくお願い致します。



・・・で、此の追記で中断していた「明日に向かって撃て!」解説の締めをしておきたいと。

先にニューマンが推薦した、又はオファーを辞退し代わりに役に就いた俳優が次々にスターと化してゆくという、もはやハリウッドでは伝説と成っているエピソードに触れたが、此の話で最も大きいと思われるのは(他でもない)「明日に向かって撃て!」でのサンダンス・キッド役を射止めたロバート・レッドフォード其の人なのかも知れん。

レッドフォードは皆が御存じの通り昨年9月16日(火)に89で逝去してしまいましたが、実は「明日に向かって撃て!」のサンダンス役前までのレッドフォードはスター俳優などでは無く、以前に何かで主役級(31歳時に映画「裸足で散歩」(1967) におけるジェーン・フォンダの相手役で脚光)は張った事もある位(?)の(聊か微妙なポジションを保つ)俳優だったらしく。
方やニューマンはというと、本作の企画自体が彼のプロダクションで行われている事でも解る通り(*監督をジョージ・ロイ・ヒルにする選定も、ニューマンのプロダクション=『ファースト・アーティスツ』の片腕であるジョン・フォアマンが推した事から始まっているので)如何にニューマン主導の作品だった事がお解りかと。・・・要するに既に此の時点でハリウッドの大スターと云っても過言ではなかった。

だが、当初ニューマンが演じたがったのはブッチ役ではなくサンダンス役であり、殆ど此の役を遣る為に『ファースト・アーティスツ』を設立した位だったのだ。監督のロイ・ヒルは以前から目をつけていたレッドフォードの方が “サンダンス役にピッタリ” と考えていた事から、ニューマンを説得してブッチ役と交代してくれないか?と提案。
・・・だがニューマンは中々首を縦に振らない。ニューマンからしてみたらサンダンス役こそが本作の肝で、此れはあくまで推測だが、まだ一度も会った事もない俳優にイイ役を獲られるなど(心底)我慢ならなかったのだろう。・・・因みに脚本を担当したウィリアム・ゴールドマンが、執筆時にブッチ役を想定していたのはあのジャック・レモンを充てていた位で、自分には此の役ほどのユーモア精神、コメディ演技の素養は無いと踏んでいたのだ。



そんな中『レッドフォードこそサンダンス役に相応しい!』~と明確に推したのは、他でもないニューマンの妻=(オスカー俳優でもある)ジョアン・ウッドワードであったソウで、監督と妻に挟まれたニューマンも(流石に)考えを変えざるを得なかった。
ニューマンの見上げる程に大きいトコは此処からで、レッドフォードがサンダンス役に適任と見込んだのなら、徹底してレッドフォードを支持したのだった。
只、先にも触れた様にこの時期のレッドフォードはまだまだ “売れっ子” の域には達しておらず、オリジナル脚本執筆に8年(其の脚本に付いた値段は、当時最高値の40万ドル)&既に大型プロジェクトと化していた本企画には、レッドフォードの(主要キャラでの)起用に反対論も強く、当時20世紀フォックスの制作部長だったリチャード・ザナック(後に「JAWS/ジョーズ」(1975) を制作し成功を収める事となる大物P)から、《レッドフォードを起用するぐらいなら『この企画を流すゾ!』》 ~と猛反対されるも、最終的にはニューマン、&企画そもそもの出発点である(脚本を執筆した)ゴールドマンまでをも味方につけて、(言葉通りの)“粘り勝” ちを収めたのだった。

此の配役に決まるまで、ニューマンの相方はマーロン・ブランドやウォーレン・ベイティ、スティーブ・マックィーンといった錚々たる大スターが候補に挙がっておったので、此の時のレッドフォードは正にシンデレラ・ボーイ、シンデレラ・マンだったのだと・・・まぁ、しかもニューマン肝入りの、ほぼ決まっていた役迄搔っ攫っての配役だったのだから、本物のシンデレラを地でいった位に(実録な)よりシンデレラっぽい話で。

只、『ポール・ニューマン生誕100周年』という事で、大々的に冠まで付けて映画賞を開催した側からすると・・・こう作品が成功したのも何も、大きい処でニューマンが(20世紀フォックス等々)相手に色々立ち回って、(映画の内容が)上手く行くようお膳立てしてくれた結果なので。更にそれで作品が良くなる(?)のなら!!!と、それまで会った事も見た事もない、(*最終的には自身が抜擢した監督の推薦ではあったのだが)ルーキーに肝心要の役を任せてしまう処なんて、中々出来ないホント~に偉大な決断だったかと。素晴らしいの一言。



≪2026.3.7 (土)≫

本記事を書いていてふと気付き・・・昔を想い出したのだが、拙者の周辺にも以前ニューマンとレッドフォード的な(?)人間関係、人情話があった事があって。

アレは丁度「アナ雪」が大ヒットしてた最中の頃だったか?・・・某・超有名な日本のTV司会者&ニュースキャスターの方が(以前から当方によく来られていたらしいのだが)、当時~まぁ、それ以前だと宣伝・告知自由のフリー掲示板なんて他で(有名なのは)殆ど無かったものだから???という理由から ⇒ 恐らく『珍しいから』と、其の交友関係の広さから御仲間にウチを大分紹介して貰い、芸能(主に舞台演劇関連)、文化人関係でウチの掲示板が賑わった時期があって。(*御自身もインターネット界隈には並々ならぬ関心があった様で、後々本腰を入れた感の自らのサイトを “堂々” 開設されたりしていたので)

あとページ自体も『其方のサイトが何処の何々よりも一番面白い』(?)と直に言って下さったりして(苦笑)、(多分ヨイショの割合が非常に大きかったかと思うのだが)今考えると其の一言が大分モチベーション付けに成っていたのかナ?っと(*ウチも今現在までサイト運営を続けられているのだから、其の『原動力に』という意味合いで)。
今やビギナーの方、Z世代の方だとチンプンカンプンな話になるんかも知れんが、ウチが初期の頃は大橋巨泉さん、永六輔さんなんて超大物&大先輩のTV・ラジオ司会者が時折(単に珍しいという事で?)覗きに来るという、類稀なWeb上の珍々スポットだったのだナ。

そんな名物・掲示板もレンタル元(個人経営)が(主に御歳から?)Web業界から引退するとの事で、いよいよ3月いっぱいで終了する事が決まっており(先に触れた某・超有名な日本のTV司会者&ニュースキャスターの方も今年初めに逝去し)完全に一つの時代が幕を閉じるのだなぁ・・・と、そんな感慨で。何とも寂しいですね。



≪2026.3.12 (木)≫

007シリーズで例えると(映画ファンには)解り易いと思うのだが、初代ボンド役者のショーン・コネリーから、ついこの前までボンドを演じていた6代目ダニエル・クレイグまで、其々の世代の馴染みのボンド俳優がある筈なのだが、やはり初代ショーン・コネリー人気は揺るぎ無く、今を以てもダニエル・クレイグと『どっこいどっこい』(?)の大人気で。

007ウォッチャーの私めはというと世代的に3代目のロジャー・ムーアに馴染みがあり、熱狂的とまでは行かないが(007の話になった際は)事あるごとに『俺が好きなのはロジャー・ムーアの007!!!』~と表明し続けて来たのだが(苦笑)、2026年今現在のボンド役者ランキングでは、何とムーアは大体4~5位にランクされる事が多いんだソウで、いつの間にか下から数えた方が早い人気度になってしまっていた。

ロジャー・ムーアが主演した007作品というと「死ぬのは奴らだ」(1973) と「黄金銃を持つ男」(1974)、「私を愛したスパイ」(1977)、「ムーンレイカー」(1979)、「ユア・アイズ・オンリー」(1981)、「オクトパシー」(1983)、「美しき獲物たち」(1985) の計7本で、此れは歴代007公式シリーズの主演本数で最多。
・・・それから後、ムーアは番外編(?)として自分をジェームズ・ボンドだと信じ込んでいる、お調子者の大富豪役で映画「キャノンボール」(1981) にも主演の1人として出演しており、こういうお茶目な役のオファーにも臆せず(007主演の継続中に)引き受けてしまった処も個人的には好感度大で。
7本どの作品も公開時は大人気だったのだが・・・只、今やムーア版007は “原作者イアン・フレミングの小説版から最もかけ離れたボンド像” という、ソンナ残念な世評にもなっておるらしく。『あんなに人気者だったのに、時代が変わるとねぇ…』と、ソンナ複雑な想いが残る今日この頃で。

日本のTV洋画劇場での吹き替えは必ず声優の広川太一郎が担当しており、此の吹き替えVer.の(オリジナルより)ウィットに富んだ広川ボンドも一番好きだったケドも・・・
今と成っては原作小説、&初代のコネリー版からも一番距離があるとされるムーア版ボンド全7作だが、だからこその希少価値(?)もあるとは思うので、未見の方はドウゾ宜しく。・・・個人的なお薦めは第10作「私を愛したスパイ」と、第12作「ユア・アイズ・オンリー」、第14作「美しき獲物たち」辺りか・・・



≪2026.3.17 (火)≫

それで先の ↑ ≪2026.3.7 (土) 追記≫ で触れた某・超有名な日本のTV司会者&ニュースキャスターの方が熱狂的なショーン・コネリー派で、(あまり詳しくは此処で書かないが)チョット困った時があった。
コネリー派からするとムーアのボンド像は許し難い人選だったらしく、ムーアの主演した007の7作期間は悪夢の連続だったソウで、兎に角ムーア・ボンドの遣る事なす事が気に入らない(そんなに嫌だったら観なければイイとも思うのだが(苦笑))というのだから、まぁ、要するに映画の007ファンはそれだけ熱心という事であり。

拙者はコネリー・ボンドも大好きなので、そういう世代間ギャップというのはよく解らない処もあるのだが、映画ファンの中には此の007内における近親憎悪(?)みたいな感情が巻き起こるケースがあり、(自身の過去を思い返しても)其処を回避するのに苦心(工夫)した覚えが何度かあった。
拙者がリアルタイムで観たコネリー・ボンドの007映画は、1983年に公開された(シリーズ公式でない番外篇の)「ネバーセイ・ネバーアゲイン」1本だけであり、後は再放送のTV放映かソフトでしか観ていないのだから、コネリー版は(ムーア版と比べたなら)大分縁遠い・・・という訳。

今や此の「ネバーセイ・ネバーアゲイン」を通っていない007ファンも多いのだろうが、此の公式な007ではない(制作アルバート・R・ブロッコリやバーバラ・ブロッコリがノータッチの)007はピーター・セラーズ、デヴィッド・ニーヴン、ウディ・アレン等がボンド&その影武者を演じた「007/カジノ・ロワイヤル」(1967) とで全2本しかなく、何れも権利問題が拗れて本家とは異なる、所謂・曰く付きの『番外篇』として制作された。
コネリーは自身がかつて主演した「007/サンダーボール作戦」(1965) のリメイク権を取得し、「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」(1980) を監督しその名を轟かせていたアーヴィン・カーシュナーを立てて、「ネバーセイ・ネバーアゲイン」と改題しハリウッドで制作(基本的に007シリーズはイギリス制作)された代物だった。(*実質上の製作総指揮、演出の一部はコネリーが行った)

只、コネリーが12年ぶりに復帰した007物である本作の評価は(公開時)実はあまり芳しくなく。ムーアがボンドを演じた同年公開の本家シリーズ・第13弾「007/オクトパシー」(1983) に興収面でも敗れている。
これは大物プロデューサーとして業界に君臨していたブロッコリによって、存分に『叩きのめされた』(?)のが実情であって、この件に関してはコネリーが記者会見でも不満を述べていたのだが、あえて公開年を同じにしてぶつけて来たりと(此の後にも触れるが)かなりの遺恨を残す結果となった。



≪2026.3.26 (木)≫

かつては『ボンド=コネリーというイメージの凝り固まり』『制作陣との作品方向、理想とする007スタイルの差異』を嫌い、自ら役を降りた身だったのだが、コネリーからしてみれば真のボンドは初代・ボンドを演じた(他の誰でもない)自分なのであって、ロジャー・ムーアが演じるボンドは本物のボンドではない(二番手のボンド?)という意識が相当強かったのだと思うのだが・・・だが、時代は無常にもムーアが演じたユーモア精神&ウィットに富んだ、明るいムーア・ボンド像の方に喝采を送ったのだった。
1983年の『どっちのボンドが勝つ?!』という図式の 《「ネバーセイ・ネバーアゲイン」vs.「オクトパシー」の映画興行対決》 にはそんな背景があり、当時この件を業界では『ボンド・ウォー(ボンド戦争)』とも呼ばれた。要は全てコネリーが『もう二度と(ボンドは)やらない(Never say never again)』と断って役を降りたのに端を発しており、ブロッコリからしてみれば「ネバーセイ・ネバーアゲイン」は、権利を巡る訴訟の末に再映画化の許可が下りたに過ぎない “亜流007” であり、自らに矢を放ったコネリーに対してもブロッコリが存命の間、二度と口を利かない程の絶縁状態になってしまっていたとの事。

一方コネリーの方はというと、「ネバーセイ・ネバーアゲイン」のPRでアメリカ・NBCのTVトーク・バラエティ番組番=『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソン (The Tonight Show Starring Johnny Carson)』に出演した際、司会のジョニー・カーソンから『最高(最強)のボンドの悪役は誰だい?』と振られた際、コネリーは即座に『その答えはカビー・ブロッコリだ!』~と応えた程で、例えジョークだったとしても其処まで両者の関係は(『ボンド・ウォー』時に)悪化していた・・・という訳。









≪2026.3.30 (月)≫

先日 ↑ にUPした2動画はコネリー&ムーア時代の007其の華々しい活躍を映したモノだが、ビギナーの方の中には動画上段で『知らない謎のおじさんが1人紛れてる』~と思われたのかも知れんが(苦笑)、(此れは勿論AIで作成したパロディなどでは無く)公式コネリー・ボンド時代(1962 - 1971)にもコネリーは一度ボンド役を降板しており、2代目ボンドには当時モデルとして活躍していたジョージ・レーゼンビーが抜擢されました。・・・只、レーゼンビーは此の公式007シリーズ第6弾「女王陛下の007」(1969) 制作中に、自ら『本作限りでボンド役を降りる!』と宣言し、制作サイドが高額の契約金(続編7本分)を盾に慰留したのだが、我を通してそのまま本当に辞めてしまっているので、たった1本のみのボンド役者だった。
実は(世間ではあまり知られていない話なのだが)レーゼンビー降板の後、制作サイドはアメリカ人俳優のジョン・ギャヴィンを3代目ボンドに内定しており、1971年1月には公式にお披露目迄されていたのだ。・・・が、その後(↑ の動画通り)コネリーが第7弾「007/ダイヤモンドは永遠に」(1971) でボンド復帰が決まり、契約書にサインまでしていたギャヴィンは1度もボンドのタキシードを着ず仕舞いだったという、此方は文字通り “幻のボンド役者” となってしまった。

・・・と、長い長い前振りで恐縮だったが、此処からが本題。世間では1983年の『ボンド・ウォー』で・・・・反逆のコネリー・ポンドが、イオン・プロ公式なムーア・ボンドに(興行&評価において)完敗し、コネリーは其れを最期にボンドを演じなかった・・・というのが、周知の事実となってはいるのだが・・・まぁ、それは表向きの話であって(苦笑)、生涯スコットランド魂を持ち続けた、燃える闘魂! ⇒ コネリーは其処でおめおめと引き下がる男では無かったのだナ。

其れが今回2025年度のウェブアワードでノミネートされていた映画「ザ・ロック」(1996) で、コネリーはニコラス・ケイジと共に主演を務めておるのだが、モウ1つ役職を兼ね製作総指揮も担当した。
本作プロデューサーのジェリー・ブラッカイマーによると、当初コネリーの演じたジョン・パトリック・メイソンキャラクターが『イギリス情報局秘密情報部(MI6)のエージェント』~という設定に成る前、初期の脚本(スペック・スクリプト)ではアメリカ人の、(その道を熟知した)云わば犯罪者そのものに近い設計であった。
ブラッカイマーは此のメイソン当初のキャラクター設定でコネリーに出演依頼した処、コネリー自身に『単にアルカトラズからの脱獄に成功した(タフな)アメリカ人囚人役では、私が演じる必要性が感じられない』との理由から、出演を断られていた。

コネリー抜きに此のプロジェクトの成功は無いと踏んでいたブラッカイマーは、脚本のリライトチームに『メイソンをもっとイギリス人らしく、もっとジェームズ・ボンドに近いキャラクターにする事』を指示・・・此れは後々になってブラッカイマーの口から『コネリーの提案(出演条件として)』だった事が明かされている。



≪2026.4.1 (木)≫

本日は(エイプリルフールに付き)嘘をついちゃっても構わない日ではありますが、紛らわしいので例年通り此処でそういうのはスルーして・・・と。一端『007の話題』は中断しまして、3か月に1回更新のウェブアワードTOP頁で行っている特集=再表彰の件を取り上げますが。

2026年4~6月のホットフォトは2019年・第11回グランプリ受賞作「ローマの休日」(1953) となりました。
本作はウィリアム・ワイラーが制作・監督し、原案・脚本は(公開時イアン・マクレラン・ハンター名義でクレジットされていた)ダルトン・トランボが担当。主演はグレゴリー・ペックと(本作が初主演の)オードリー・ヘプバーン。第53回アカデミー賞では脚本賞(オリジナル)と主演女優賞獲得しています。

此の『映画・アニメーション ウェブアワード』における再表彰としてのホットフォト掲載は、(アワードTOP頁だけでなく)当関連のページ計5ヶ所で催されているので、一応大々的なセレモニーとして行っている面もあるにはあるのですが・・・
今回「ローマの休日」をフォーカスした大きな理由は?というと(色々あった理由の中で大きくは)今年3月3日(火)に声優の池田昌子さんが脳出血で逝去しまして、池田さんというと地上波のTV洋画劇場が各局で花盛りだった頃の時代、ヘプバーンの吹き替えは必ずと云ってイイ程担当 ⇒ 殆ど専属されてていたと記憶しており(*今以て超人気作である「ローマの休日」~アン王女の吹き替えに限ると、他に笠原弘子、鈴鹿千春、すずきまゆみ、岡村明美、南條愛乃、早見沙織が担当した事もある)。
21世紀に入って暫く経つが、今でも字幕版で「ローマの休日」を再鑑賞しているとどうしてもヘプバーン=池田さんの声が脳裏に浮かび、カナカナその声の印象が抜けない位で。
コロンボを演じたピーター・フォーク=小池朝雄の演技も然り、(ある意味合いにおいて)オリジナルの俳優以上に本物らしい(?)というか、それ程までに(当時の)TV洋画劇場における(吹き替え版)声優陣のクオリティはズバ抜けており、日本は世界でも有数と思われる高度な “声優立国” だった時期が(かつては)あったかと思うのだが・・・

池田さんの繊細な演技はその中にあって代表格であり、そうした理由(ワケ)で今回の再表彰作として「ローマの休日」を(特に池田さんの追悼の意を込め)挙げました。

https://www.mmjp.or.jp/gigas/frontier/



≪2026.4.8 (水)≫

昨日4月7日(火)「プラダを着た悪魔2」PRの為メリル・ストリープ&アン・ハサウェイが来日しまして、正直『あぁ、今年は無事来てくれた!』~と、そういう感慨で(苦笑)。
・・・というのも、昨年公開の夏休み映画目玉「ジュラシック・ワールド/復活の大地」(2025) 主演で座長のスカーレット・ヨハンソンさんは(皆さんご存じの通り日本では)抜きで公開に踏み切り、結局PRでの来日は果たせず仕舞いだった為、今年のメリル&アンの大サービスぶりとの落差に正直なトコロ唖然だった。

メリル&アンの大サービス・・・ファンへのサイン、記念撮影の求めに丁寧に応えるだけでなく、(ハリウッドのベテラン俳優なのに)まるで同窓会や女子旅を楽しんでいるような燥ぎっぷりに、『スターの凄いトコを見た!』~と否応もなく感激してしまった次第(苦笑)。
2人とも壇上で始めから『ハロ~、コンニチハ、トウキョウ!!!』と掛け声も合わせている処なんて、実にPR上手だったが・・・イヤイヤ、昨年末に当処では『プラダを着た悪魔』クリスマスカードを(フリーで)UPしたり、今年に入って元旦からも総合TOP頁で同作をPRしたりと、此れで来日ドタキャン(*昨今よくありますが)となれば2年連続ガタガタになっていた可能性も。

・・・まぁ、昨年の 《スカーレット・ヨハンソン来日無し》 というのも、話によると自身で『私が日本に行ってPRしなくとも、映画の出来は良く大ヒットは折り紙付き』『演技で貢献した以上、それ以上の自分(無理な露出)は切り売りしない』~という、此方もプロ意識による判断だったらしく(*代わりに同作の監督:ギャレス・エドワーズと脚本家:デヴィッド・コープの両氏が来日)、実の処ヨハンソンは当初から来日する予定が無かったとの事。(日本に来る、来ないVer.の明確な差はあっても)双方深い考えがあっての事という事で。








≪2026.4.16 (木)≫

ここからは ↑ ≪2026.3.30 (月) 追記≫ までで止まっていた『007話し』の続きを。

ショーン・コネリーが007=ボンド役を演じたのはイオン・プロ公式で制作された「007は殺しの番号 (後に「007/ドクター・ノオ」へと改題)」(1962)、「007/危機一発 (後に「007/ロシアより愛をこめて」へと改題)」(1963)、「007/ゴールドフィンガー」(1964)、「007/サンダーボール作戦」(1965)、「007は二度死ぬ」(1967)、「007/ダイヤモンドは永遠に」(1971) の6本。・・・それと、先に触れた1983年の番外篇「ネバーセイ・ネバーアゲイン」を入れると(本シリーズを象徴するかの様な?)計7本と成るのだが、第1弾~第5弾までのコネリーが一端ボンドを降板するまで(ほぼ)毎年の様に007映画が公開されていたのだから、何者もその勢いが止められない程?如何に大人気のシリーズ(世界興収で毎度・年間1位か2位を保った)だった事が窺えるかと。

しかしながら(かつてない大人気・大作シリーズを任された)此の時期のコネリーはというと、007のみに専念していた訳ではなく、「ロシアより愛をこめて」と「ゴールドフィンガー」の間にはアルフレッド・ヒッチコック監督の「マーニー」(1964)、「ゴールドフィンガー」と「サンダーボール」の間にはシドニー・ルメット監督の「丘」(1965) 等々にも主演しておったので、売れっ子にも程があるとも思う位なのだが。それだけ『飛ぶ鳥を落とす勢い』を体現していたのが此の頃の映画界きってのスーパースター ⇒ ショーン・コネリーだったのだナ(*この辺の雰囲気が解らない=押さえておかないと、この先がイマイチ解らんのかも)。
(つづく)



















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