日本映画 コンドル賞
 

JAPANESE MOVIE: CONDOR AWARDS

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  ◎ 概要 ◎



 ― 実質的には『北澤輝之アワード』を目指したWeb上の祭典 ―



此処では本『日本映画 コンドル賞』設立の経緯について記しておきます。
此処でしか書かない、本賞の重要な基盤の部分を順を追って載せていきますので、興味のある方は目を通して下さい。


『日本映画 コンドル賞』の前身、又はベースである『MADF賞
』(2001〜2008) &『映画・アニメーションウェブアワード』(2009〜継続中) は、Web上の映画賞として史上初であり、イヤ、映画という枠に限らず、ウェブアワードという概念自体も当方以前は世間で無かったと記憶している・・・新型コロナの流行以降には(当形式を模した訳では無いのだろうが)数多の色々なWeb上の賞が一挙に増えた様にも思うのだが、少なくともWebの映画賞というのは当方以前は皆無だった筈であり。
兎に角、『映画・アニメーションウェブアワード』&『MADF賞』は基本的に “国際映画賞” 仕様で洋画に対しての表彰が主だった為、以前から審査員の間で邦画、国産アニメ方向の企画が立ち上がり、何度か実現した。

其の数少ない例はというと、ウェブアワードで2020年の前期後期と一年に亘って遣った、日本の伝説的なアニメーター “大塚康生・特集” で、同氏が関わった歴代のアニメ作品&キャラクターの特集が一番印象的だったと思うのだが、幸いな事に此の大塚康生・特集が大変好評だった為に、実質的には此れが日本国内の作品に特化した『日本映画 コンドル賞』立ち上げの起点となった。
元々Web上の賞というのは『国境の無い思考』というのが原点にあり、先行した2つのアワードが国際映画賞・仕様と成ったは至極自然な流れだった。日本国内のみ(洋画、又は邦画だけ、又は国産アニメだけ)とか限定した枠を築いた時点で、従来からある賞フォーマットの劣化コピーに陥る心配もあり、何もあえてWeb上で開催する意義、必要も無くなる恐れがあった。
先行した2つの賞は一般からの投票と、当審査員との投票ポイントを半々で選考基準としていた為、記事や解説 etc では初期の頃 “映画ファンによる映画ファンの為の賞” というキャッチフレーズを合言葉の様にしていたが、『日本映画 コンドル賞』においては100%当審査員の選考で選抜する方向と成ったので、事前にノミネート作品の発表 etc は(一般公開という形では)割愛し、グランプリ他受賞作・上位のみの発表とした。



『日本映画 コンドル賞』設立のダイレクトな転機となったのは、2023年に立ち上げた『東京リアル・モデル探訪』という、模型、玩具 etc のホビー文化の情報、イベント、店舗を取り扱ったサイトを立ち上げた事が大きかった。此のサイトは『映画方面には直接的にタッチしないようにしよう』という名目で立ち上げたのだが・・・これも運命なのか?という印象を抱いてしまう程の偶然中の偶然にも、『東京リアル・モデル探訪』用の第1回目記事の為、取材した店舗のご主人が元々は映画関係者で、それも “かの有名な世界的・怪獣映画にも関わっていた” という事が判明したというミラクル具合いで・・・此の辺の経緯は記事の方に詳細に載せてあるので、詳しく知りたい方は其方の方に目を通して貰った方が手っ取り早い。 ⇒ 『
第1回・ゴジラ(Part1)』『
第1回・ゴジラ(Part2)』・・・特に『第1回・ゴジラ(Part2)』の方に本賞を(より深く)理解するの鍵みたいな要素が多々含まれていると思います。



・・・記事の中で出て来る北澤輝之さんは、云わば戦後日本のポップカルチャー全体の流れを作った1人で、御本人が職人肌で、メディアに出るのが苦手だった為(今や世間的には御存知でない方が多いのかも知れないが)北澤輝之・無くして今の其の方面での隆盛は無かったという事断言できるのだ。・・・其れだけ大きい存在であるのは確かなのである。
日本は1945年敗戦し見渡す限り焼野原だった、要するに多くの人々にとって殆ど何も無くなってしまった時期を経て、1955年から北澤さんが発足させた『東京コンドル・クラブ』は(ソリッドモデルという木製で)手作りの模型飛行機 etc のラジコン大会(飛行コンテスト)、RCボートのレース等々の “参加型の娯楽イベント” を開催し一世を風靡した事で、大衆に希望という光りを照らしたのである。何にしても戦後ファーストでサブカルや、ポップカルチャーの狭間で活動をされていたという功績は何よりも大きく、もし北澤さんと『東京コンドル・クラブ』の活動が無かったら、今の日本文化=特にサブカル、ポップカルチャーの隆盛は大部違った景色になっていたに違いない。・・・それ程迄にスケールが桁違いの御大なのだと理解して頂きたい。








記事が1954年制作の映画「ゴジラ」から始まっているので、本賞でゴジラの話は避けて通れないのだが、東宝は(『第1回・ゴジラ(Part1)』でも載せてある通り)日本初の本格的な怪獣映画を制作する事は決定したのだが、当時日本の模型業界は金属合板の技術(本件では鉄&銅板での加工)を持っている人材が少なく、劇場の大スクリーンでの鑑賞に耐える戦車模型を登場させるのには当初二の足を踏んでいた。ゴジラ映画シリーズを何本か観た方なら御存知と思うのだが、ゴジラと自衛隊(本劇中では『防衛隊』という組織名で称されている)の戦車は殆どコンビ的な間柄で、ある意味で相棒と云ってイイ程にゴジラ映画には戦車が付き物なのである。
当時北澤さんは金属合板(本件では鉄&銅合板)で模型を制作出来る “数少ない” 日本人だった為、噂を聞き北澤さんを知った東宝が白羽の矢を立てた事で 《ゴジラ vs. 戦車》 という、後のシリーズに引き継がれる図式&名場面が毎度繰り広げられたのだが・・・其の北澤さんが一から制作したM24軽戦車チャーフィー(4両)はあまりに精巧な出来栄えだった為、其の後の東宝・怪獣映画、特撮映画でも続投した・・・要するに後々の東宝映画にまで北澤製M24が使い回される事と成った。(*此の辺をもう少し詳しく書くと、北澤さんの前に東宝から戦車作りを任された、要するに其の道の権威的な前任者が1人いらっしゃったらしいのだが、其方の方はどうも上手く行かなかった様で、それだけ北澤さんの腕前が優れていたという証拠)
同記事には劇中終盤で登場する航空自衛隊(本劇中では『航空防衛隊』)のジェット戦闘機F-86セイバー模型の事も書いているが、此方は北澤さん手作りによるソリッドモデル(木製の模型)なのだが、本編を観る限りでは木で出来ているとは思えない質感であり(此方も当時東宝が買い取ったとの事で)北澤製F-86も後々の東宝映画に出演し続けた。

本頁に目を通している方には是非御理解頂きたいのは、怪獣映画というのは怪獣がシッカリ巧く造形されていれば殆ど成立!という訳では勿論無く、場合によっては怪獣より(例えば)一般的な話題としては陽、スポットが当たらない様な個所 ⇒ ゴジラの吐き出す放射火炎に吹き飛ばされる一般家屋のクオリティの方が(実は)意味があったり、今回挙げたヤラレ役の戦車、戦闘機の作りの方が重要だったりする瞬間があるのだ。此れが円谷英二が創り上げた “怪獣が出て来る特撮映画の美学” でもあるのだろう。







此処まで書いて来て断っておかないとイケナイと思うのだが、本賞に『コンドル (Condor)』という単語が入っているのには、北澤さん主宰の『東京コンドル・クラブ (Tokyo Condor Club)』から頂いた・・・という訳では(実は)全く無く、以前から当グループのエンブレムにコンドルが入っている為・・・だったからなのだ。だから、此の件に関しても本当に全く偶然の一致なのである。・・・只、先方の発足は1955年とかなりの大先輩の為、本賞企画の段階で『コンドルの名を使って宜しいですか?』と直に御伺いを立てまして、数日経って先方から快諾頂いたので、早速現『日本映画 コンドル賞』という名称で手続きを済まし、2024年5月27日(月)には同名称で無事発足の運びとなりました。
コンドルというのは象徴として国、地域によって意味合いが大分違って来るのだが、チリ、コロンビア、エクアドル、ボリビアでは『国鳥』となっているので、他の何処より “コンドル愛” の度合いが強いと思われる事から、此の4ヶ国の意味合いをピックアップするとなれば “結集する為の誇りの象徴” 〜と、総合的にはソウイウ事になるそうです。
又、此れらの地域はアンデス山脈という括りにした方が解り易いと思われる為、其の地元=アンデスに住む民族に古くからある共通の言い伝えによると、コンドルは “人間と宇宙を繋ぐ聖なる存在” として崇められて来た・・・との事なので、正に宇宙規模に大きな存在であり、誇り高き聖なる存在でもあるという、かなりの意味合いの鴻鵠だという事がお解りかと。

先に挙げた記事&本頁でも書いた通り、本賞設立の経緯を考えると色々不思議な・・・〜というか、実にミステリアスな(?)巡り合わせがありましたので、本賞の名称として『コンドル』を掲げたというのは『ピッタリじゃないか』と判断した・・・という次第。
元々此方でウェブアワード(Web上の賞)を2001年から遣っていなかったら、2023年に北沢輝之&『東京コンドル・クラブ』の記事を此方で書く事も無かったのだろうし、100%民間主導の、更に云ってしまえば個人的な趣味の・・・というか同好会のノリの『模型飛行機』作りから端を発し(戦後殆ど野っぱらしか無かった日本&東京に)ド直球なカルチャーのメイン・ストリートが作られ、大きく日本文化が離陸可能と成ったのだ・・・〜なんていう、実状を知らない幅広い層にとっては意外過ぎるのでは???と推察するのだが、しかし、その正真正銘の事実であり真実は、此れまでなら恐らく(素通りされる以前に)闇に葬られていたのだろうとも考える。要はそんな純なフィーリングが戦後のスタートに在ったからこそ、今に発展し得た文化体系という事なのであり。

・・・既に21世紀に入ってから暫く経ち、テクノロジーの発達と共に良くも悪くも時代は変わった中、本賞立ち上げというのは其の記憶と意志を(Web上で)残し引き継いでゆくという点で有意義なのかも知れない。













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