探求!!日本モデルカー・レーシングの誕生

あなたは、モデルカー・レーシングを日本で初めて広めた
「MRC(ミニチュア・レーシングカー・クラブ)」をご存じだろうか!?
今回は、日本モデルカー・レーシング創成期のことを少し調べてみた。

 
 
 
 (1) MRCの活動と日本モデルカー・レーシングの誕生
 1) プロローグ---- 誕生前夜

 日本でモデルカーレーシングが大ブームとなったのが1965年であるが、それ以前のことはあまり知られていない。今回は、それ以前の日本でどのようなことが起こっていたのかを探ってみたいと思う。
ところで皆さんはMRCというクラブをご存じだろうか?!
MRCとは、ミニチュア・レーシングカー・クラブの略名である。MRCは、1960年当時、実車好きのマニア達が集まって、室内で何か車に関したことが出来ないかということで集まったのがクラブ誕生の発端だと言われている。
メンバーがそれぞれ自作したモデルカーを持ち寄ってレースをするのがMRC活動の主な内容である。
ただし、当時の動力源は、当時の模型飛行機などと同じでゴム動力であった。
電気モーターなどは、電関モーターなどを使うことが出来たが、技術的な差が出てしまうのでゴム動力に決めたようだ。
当初は、決められた区間の直線コースで順位を競ったり、障害物競争などの単純なものだった。
 モデルカーは、全長25cmと15cmの2つのクラスに分けられ、その規約以外は自由に作ることが出来た。写真は、当時のレースの模様を写したものである。(モーターマガジン誌より引用活用させて頂いた)
 MRCの代表は、後の日本モデルカーレーシング連盟の初代会長となった土方健一氏である。

 日本におけるモデルカーレーシングはどのように始まったのか、今回も、友人や知人の方々よりご協力いただきなんとか資料を集めることが出来た。この場を借りてお礼を申し上げたい。
 
 
 
 さて、MRCの活動を紹介する前に、1960年前後の日本における模型自動車事情はどのようなものだったのだろうか。
プラモデルも登場し、飛行機や船舶関係、特に戦争物は、当方の父親が戦争物模型好きということもあって、近くにあった「クラウン模型」に毎日のように出入りしては購入したり見たりしていたようだ。話好きの親父だったので、きっと店の店長とは親しくしていたのではないかと想像する。当時、小学校低学年だった当方も50円ぐらいのチープキットの軍用機などを買ってもらい作っていた記憶がある。しかし、自動車の模型というとほとんどその時期に見た記憶がない。地上を走るモノと言えば、戦車しか思いつかないぐらい自動車の模型はなかったと記憶している。
 それよりも1/43スケールのミニカー(ディンキーやダイヤペット?!)の記憶が強く残っている。当時、板橋にいたので、池袋のデパートで親に買ってもらった多くのミニカーたちの記憶が強烈で、模型自動車とは違うが私にとっての、その時代の自動車模型の王様であった。
 下の写真は、1962年発行のモーターマガジン誌に掲載されていた「第1回JAMA作品公募入選発表」記事である。
「クラシックカーの部」「スポーツカーの部」「モダンカーの部」に分けられてその出来を争うコンテストであった。
1962年1月号の掲載であるが、実際は前年の1961年10月31日〜11月5日まで東京 銀座 松坂屋で開かれた「第4回JAMA模型自動車ショー」のために製作されたものであった。
 この時代に、このような模型自動車の個人作品展示があり、さらにコンテストで作品の出来を争うイベントがあったことが驚きである。
「第1回JAMA模型自動車ショー」は、計算上は、1957年からのスタートで、「東京モーターショー」の前身である「全日本自動車ショー」が1954年にスタートしていることを考えると、わずか3年の差で模型自動車のイベントが行われていたことは驚きであると同時に、日本人の手先の器用さを改めて感じさせる事柄ではないだろうか。
 
 日本モータリーゼーションは、1964年東京オリンピック前後より活発となったわけで、その前の時期に、すでに自動車模型を精密に作るモデラーが多々いたことは、驚きと共に、確実に自動車が身近なものになりつつあった証拠でもある。
しかし、作品を見ると、もちろん国産品はまだないとしても、海外の高いプラモデルを購入して、さらに改造したりするための道具やパーツなどのコストを考えると、まだ一般人には手が届かない趣味であったような気もするが・・・。
 
 
 
 
 
 さて、ついでということではないが、MRCが活動を始めた1963年の日本の出来事を恒例に従って、少し見てみよう!
なお、1963年の出来事については、検索サイト「年代流行」より引用・活用させて頂いた。
 
内容を見ると、ケネディ暗殺事件は、当時小学校3年生だった私にとっても忘れられない事件だったし、プロレス好きな親父の影響で、力道山の殺傷事件も忘れられない。鉄腕アトムの放送開始はこの年だったか…。
 インスタントラーメンとは、対照的な「コーンフレーク(ケロッグ製造)」であるが、この食べ物より、シスコ(ケロッグとは別会社でコーンフレーク食品のシスコーンを発売)が提供で人形系活劇冒険ドラマ「シスコーン王子」、および、アニメの「進め!シスコーン」が印象深い。シスコーン王子とポニーという空飛ぶスポーツカーで悪を退治する物語だった。そのテーマソングはまだ歌うことが出来る!(自慢にはならないが・・・)
 しかしながら、1963年と言えば、日本モータースポーツの夜明けとなった「第1回日本グランプリ」が盛大に行われたというのに、この記念すべきグランプリレースもリストに載ることはなかったのが残念だ。
それは、現代でも言えることだが、大リーグでの大谷選手が年間MVPを受賞し、さっそく国民栄誉賞の呼びかけがあっても、2度インディ500に優勝している佐藤琢磨は噂にもならない現実が物語っているように思える。
 
 
 

 
  横道にそれたが、本題に移ることにする。
 MRCの当時の活動は、1960年頃から始まっている。
まずは、土方健一氏のその当時の模様を、氏の著作本「レーシングカー」や「模型と工作増刊号ハンドブック」「モーターマガジン」などにおける氏のコメントよりMRC誕生の経緯などを紹介しようかと思う。

 MRCのことを話す場合には、まず漫画家の佃公彦さんのことをあげねばなりません。
佃さんは人も知るカーマニアただしこのカーは実物の方の車で、とにかく車に乗るためにせっせと漫画を描いているといっていますが、週日は仕事に追われていても、日曜になるとあらゆるくり合わせをしたうえで、愛車ポルシェを飛ばしに出かけています。この佃さんを中心とした1つの車好きのグループがあったのです。
グループというほどはっきりした形をとっているわけではなく、なんとなく車を中心に集まる連中といった方が良いのですが、この連中の中から1つの声があがったのです。
「最近こう道路が混んじゃ車を走らせていても面白くないね。何か部屋の中でもできる車の遊びはないかな」
 それでミニチュアカーの誕生となったのです。最初はミニチュアの言葉の定義も知らないから、ミニチュアレーシングカークラブ(MRC)と名前をつけて、総勢15人ばかりで名乗りをあげました。これが今から5年前(1965年から)のことになります。
初めの間は動力ゴムを使っていました。模型飛行機に使う長い平ゴムです。
車の長さも15cmと25cmの2種類に決めて、長さだけで巾の制限をしなかったので、ゴムをたくさん使おうという苦心の結果、車の長さは確かに15cmだが、巾は1mというとんでもない車も現れたり、傑作な車が続出しました。それでも方々の会場をかりてレースをやり、いろいろな自動車雑誌にも取り上げられたりしました。
これを見ていたのが、筆者の近くにある自動車工場の修理工で、筆者が、たまたま車の修理にこの工場へ行った時に、「この近くにも模型自動車をやっている人がおりますよ」といって紹介されたのが、最近レースに活躍して皆さんもご存じの横井 進さんです。 
 


 以上の文面からMRCの土方健一氏らは、横井進氏の存在を知り、その後大きくクラブの活動を変革していくことになるのだが・・・・。
 
 その前に、当時のMRCの活動を写した写真が見つかったので紹介したいと思う。すべて、1963年発行の「モーターマガジン」誌より引用・活用させて頂いた。
 また、1963年4月号「模型と工作」誌にて、土方健一氏の解説で“ゴム動力レーサーの競技法とレーサーの作り方”が掲載されている。これについては、以前の「再現モデル・スピードライフ」にてすでに紹介していたのだが、再度見て頂ければ幸いだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

 

 
 

 TOP : From 1963 "MOTOR MAGAGINE" magagine.
 An article featuring the activities of the MRC (Miniature Racing car Club).
The power source is rubber power.
 

  
TOP : From 1963 "Mokei and Kosaku"magagine.
 It has the same structure as a model airplane.
The power uses flat rubber.
 
 
 
MRC "Miniature racing car club"
 It is a model car club that was born in 1963.
The activity is a club that aims to bring homemade model cars and compete.
 The activity of MRC is competition by model cars.
As for the power source, in Japan in 1963, there was no motor for car models, so we used the rubber power used for model airplanes as it is. The only rule for model cars is length. It is 15 cm and 25 cm. Others can be made freely.
Even though it was a racing car, I was able to make something like a spaceship.
Competing courses compete on straight courses.
However, there are some courses with various obstacles, so winning the championship is not possible. Is difficult.
 
 
 日本におけるMRCの生い立ちを土方健一氏の手記にて想像することができた。では、世界において、モデルカー・レーシング(スロット・レーシング)がいかにして誕生したのかを少し探ってみたので、ご興味がある方はお立ち寄り頂けたら幸いだ。英文と英訳ソフトでの文章で分かりずらい点はどうかご容赦願いたい。

 「レイル・レーシングからスロット・レーシングへの道のり」
 

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