2) キーマン!!横井 進 氏 登場!!

 MRCの活動がモデルカーレーシングに移行する切っ掛けを作ったのが、横井 進氏との出会いだった。
その時の模様も土方氏が語っているので紹介したい。


 彼の家へ行ってみると、2階の六畳間に、足の踏み場もないくらい手製のサーキットが出来ていて、これも全部自製のクーパーやベンツ300SLを電気で走らせていました。 
コントローラーを借りてやってみると、これがなかなか面白いのです。こちらもゴム動力はいろいろやって、限界が来ている時だったので、よし、それではMRCもこの電気式に切り替えようということになったのです。
これが今から2年前(1965年から)のことになりますから、丁度アメリカでブームが起こった時と同じ時期になります。 それまで、全くアメリカの状態は判らなかったのですが、その頃から専門誌も輸入されはじめて、車の構造も判ってきました。
しかし、構造は判っても、こちらには部品が全くなかったのです。 あるのは模型の電気機関車用の部品のみという情けない状態でした。 それから部品集めが始まったのです。
ボディは、以前から市販されているプラモデルを改造するとしても、モーター、ギヤ、タイヤ、どれもレーシング・モデル用に適当なものはなかったのです。
モーターは電関用のゴツイもの、ギヤも3.2対1の真鍮のクラウン・ギヤだけだったのですが、なんとか使うことができました。
一番困ったのがタイヤでした。プラモデルのキットに入っているタイヤは固くて、ボロボロで滑ってばかりいて使いものにならず、色々やってみて結局一番良かったのは、模型飛行機用のエア入りタイヤで、これはゴム質の点で使うことができました。しかし、形が丸っこいので、これをボール盤にかけてヤスリで角型に仕上げて使いました。 

 フレームは真鍮板をハンダ付けし、シャフトは3mmの真鍮棒にネジを切って使いました。
このようにして、何から何までお手製で、1台作るのに1週間はかかるありまさまです。 しかしそれだけに各人各様、実に個性的で楽しいレースをやったものです。


 (下の画像は、友人よりご協力頂いた貴重な飛行機模型用タイヤをボール盤で平らにする作業中の当時の写真である。尚、カラー写真のタイヤは、今もお持ちのものを撮影していただいたものだ。)
 

 
TOP : This photo was borrowed from a friend.
In the early days of slot racing, rubber tires for model airplanes were used in slot racing cars.
This photo is a photo of the surface being scraped flat with a drilling machine.
 下の画像は、MRC時代に行われたモデルカーレーシングのグランプリの模様である。
コースやコントローラー、パワーパックなど全て横井進氏の指導の下で作り上げたものである。
横井氏は、1963年頃にアメリカの模型雑誌でモデルカーレーシングの存在を知り、独自に設計製作している。これは、事実上日本で最初のモデルカーレーシング(スロット・レーシング)用コースの誕生と言っていいかと思う。
 そして、横井氏が解説したサーキット製作記事などがあるので紹介したい。
 

 1)  ミニチュアサーキット 「コースとパワーパックの作り方とプラモデル自動車の改造」
 1964年10月号「模型と工作」より


 2) モデルカーレーシングの精鋭 「平凡パンチレース 優勝車の紹介と分析」 
 1965年4月号「模型と工作」より


 3) モデルカーレーシング用 ジュニアサーキットの作り方 その1 
 1965年7月号「模型とラジオ」より


 4) モデルカーレーシング用 ジュニアサーキットの作り方 その2 
 1965年8月号「模型とラジオ」より


 5) モデルカーレーシング用 コントローラーの作り方と改造法 
 1965年9月号「模型とラジオ」より
 
 
3) MRC主催の日本初のモデルカーレーシング・グランプリ開催!!
 
 日本モデルカーレーシング連盟が誕生する前に、本格的なモデルカーレーシング・グランプリが実はMRCの主催で開催されていた。 下の画像が、その記念すべきレースの画像である。 アメリカのスロット・レーシング雑誌を参考にして作り上げたものということだ。しかしながら、全長17mで2レーンではあるが、コースも電源関係やコントローラー、そして、モデルカー自体も全て自作というのは凄いの一言である。 
それらを作ったのは、横井進氏の指示の下、MRCスタッフで作り上げたものだった。さらに、単にコースを作ったのではなく、ピットなどのジオラマも見事なものである。そのあたりに、MRCの拘りを感じずにはいられない。スピードレースだけを目的にしたのではなく、この時すでに、リアル・スロットカー志向が生まれていたように感じる。また、海外の模型雑誌のサーキット風景(下のカラー写真のようなイメージ)なども大いに影響しているものと思われる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   上の写真は、モデルカーレーシング雑誌の表紙である。
これは、アメリカのあるサーキットのジオラマを写したものである。
これらにMRCは大いに影響を受けてコース作りをしたものと想像する。
また、下の写真の優勝者の「土方健一、鈴木雅之、横井進」3氏、
そして、萩原勇一郎氏を入れたメンバーは間違いなく、
日本モデルカーレーシングの誕生の貢献者と言っていい。

 
 
 
 TOP : This is a picture of Japan's first slot racing grand prix held in April 1964.
The course design, power supply, and 1/24 scale slot car were made by myself.
All production was done by the staff of the host club (MRC Miniature Racing Car Club)
.

 
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SPECIAL THANKS : Mr.T.I
And a friend of mine.