Letters from Sotaro Yasui

安井曾太郎からの手紙



大日本東京市淀橋区下落合四ノ一五三五
北村富三様
満州国熱河省漾徠漾徠ホテル
安井曾太郎

おはがきありがとう二十五日程ね込んでしまって残念でした。併しもうすっかりよくなりまして仕事してゐます 二、三日の内に帰途につきたいと思ってゐます ここの喇嘛寺一寸かわってゐて仲々きれいです 二十日頃には帰京出来るだろうと思います よき製作を祈ってゐます
七月
※満州滞在中の安井から東京下落合で修業中の富三に宛てられた葉書。手紙でも触れている廟喇嘛の絵葉書が使われている。


東京市淀橋区下落合四ノ一五三五
北村富三様
長野縣上高地温泉ホテル
安井曾太郎

拝啓 先日(八月二十日)はおはがきありがとう 支那行本年はやめの由 その方がよろしいでしょう 来年になれば支那も落ちつく事と思います こちらは景色仲々よろしい 燒岳は形も色も美しい山です けふこの池で写生しました 朝夕大分寒くなりました 絵は出来ないので困つてゐます
九月二十一日
※消印:昭和13年9月22日


兵庫縣揖保郡河内村金剛山龍隆寺方
北村富三様
東京市淀橋区下落合一ノ四〇四
安井曾太郎

おはがき拝見 静子山村の寺で美しい自然の中画作三昧理想的です 喜んでゐます 自然の形、色実に立派です よい作品を祈ってゐます 僕は今他から貰った枝のざくろを描いてゐます 自然のものはきれいです
十月六日
※満州の妙心寺でも世話になっていた住職の寺、龍隆寺に滞在中の富三に宛てられた手紙。この頃は、毎春船で満州へ渡るため、東京から下関へと汽車で旅したが、その途中、兵庫県にあるこの寺にも度々立ち寄った。


滋賀縣神崎郡北五ケ荘村宮荘
北村富三様
神奈川縣湯河原町天野屋別荘
安井曾太郎

拝啓 君のお絵 僕は仕事の都合で鑑別に出られなかつたので拝見することは出来ませんでしたが 中村善策君の話ではお絵は最後迄残っていておしく落選したそうで以前よりはヅウッと進歩されたと中村君は言っていました 唯 觀音さん のお絵は悪るかつたそうですから今後御注意下さい 来秋は一層がんばって下さい お絵は返送方を搬入をたのんだ加藤運送店にたのんで置きましたから着きましたらお受取り下さい 全費用同店から請求すると思ひます


滋賀縣坂田郡醒ケ井村上丹生森光次郎氏方
北村富三様
東京市淀橋区下落合一ノ四〇四
安井曾太郎

おはがきありがとう 村によい画材ある由充分の収穫を祈ってゐます 小生も元気に仕事してゐます そちら色に好都合の事喜んでゐます
八月十二日


滋賀縣神崎郡北五ケ荘宮荘
北村富三様
神奈川縣湯河原町天野屋別荘
安井曾太郎

お葉書拝見 御入選をお喜びしますがあのお作は余りよくはありません 觀方が粗雑で色がなま過ぎる様です もっと自然をよく見てその形、色、調子を充分にとらへなくてはいけません 会場でお作を御覽になれないのは残念です 一層の 御勉強を祈ります
九月二十九日
※消印:昭和27年10月1日


滋賀縣神崎郡北五ケ荘村宮荘
北村富三君
東京都新宿区下落合一ノ四〇四
安井曾太郎

お葉書拝見 お元氣画作をつづけてゐられる事 大変喜んでいます 今の様な生活困難な時 仲々御苦労とお察ししてゐます 一水会今年の展覽会規則まだ出来ませんが昨年と大体同じだと思います 矢張り九月中頃搬込となるでしょう  唯 出品点数は二点以内と言ふ事になりました 規則出来次第お送りします よき力作を祈ってゐます
七月二十日
※消印:昭和23年7月21日


滋賀縣神崎郡北五ケ荘宮荘
北村富三君
東京都新宿区下落合一ノ四〇四
安井曾太郎

お手紙拝見 一水会出品画お送りの由よきお作を祈ってゐます ごま沢山お送り下され小生大好物大変喜んでゐます ありがとう 都会では仲々貴重品です
  九月一日


滋賀縣神崎郡北五ケ荘宮荘
北村富三君
東京都新宿区下落合一ノ四〇四
安井曾太郎

お手紙拝見しました 大変厳しい暑さにも拘わらずお元氣の由喜んでゐます 実に困難な時代を無事きりぬけて行かれる事 感心してゐます 小生 寄居に疎開してゐましたが先々月に全部東京に引き上げて来ました 今後は東京住になりま すが寄居に残して来た畑がおしい氣がします 東京の画家も生活に困ってゐる様です 早く物価安定したよき時代の来る事を祈ってゐます 三十号庭の御完成を喜んでゐます 家内よりもよろしく申してゐます
八月二十二日


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