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2024 映画・アニメーション グランプリ & 各賞 発表
映画・アニメーション データファイル主催のムービーアワード、2024後期グランプリ&各賞が2024年12月25日迄の集計により、12月28日発表となりました。今回は『歴代・社会派映画(実話&ファクション作品)』『シドニー・ルメット生誕100周年記念』をテーマに選出。詳しくは本賞頁をご覧下さい。
*[ 本年度グランプリ & 各賞 ]* *[ 賞の主旨・概要 ]* *[ 2025年度前期テーマの投票受付中 ]*




★ 映画・アニメーション ウェブアワードBBS ★





◍ TOKYO:新時代探訪 2025(前期) ◍

- 2025 Tokyo: Exploring The New Era -



明けましておめでとうございます

Happy New Year


2025年1月1日(水)。あけましておめでとうございます。今年も当サイトでは毎年恒例この頁を作る機会がやってまいりましたが、本頁は2003年歳末から仕様が大分変わりまして『映画・アニメーションウェブアワード』と連動し、昨年発表したアワード受賞作の解説、それと(以前からの)時事的な話題を絡めての記事内容と成りましたが(詳しくは2023歳末の記事に目を通して頂けると、何回も説明する手間が省けるので助かります)。

↓ は2024年12月31日(火)まで追記を書いていた『年越しクリスマス 2024』頁。

https://www.mmjp.or.jp/gigas/tokyo-real/2024AWARDS-TOSHIKOSHI-CHRISTMAS

基本は従来の『年越しクリスマス』=(ブログ時代の中期から続けて来た)西洋式にクリスマスの延長線で新年(正月)をも祝う、和洋折衷で粋な催しのままなので・・・只、当サイトは紛れもなく “映画サイト” としての針路が主なので、2023年夏に長年続けて来たブログ頁(一旦の)終了に伴い、其の主要な要素の趣旨を+して強めた・・・と、皆様にはソウ考えて貰いたく。
見ての通り、新年明けてからは『新時代探訪』(*其の下に『明けましておめでとうございます』と挨拶を表記)という、何だか意味あり気(?)なタイトルを付ける事に成りましたので、勿論、新タイトルにした手前今年から色々と内容を刷新していく予定なので。

・・・と云いつつ、先ずは(毎年恒例)今年の2025版年賀状を5枚作ってありますので、取り急ぎ記事冒頭で貼っておきます。↓




No.1



No.2


No.


No.4


No.5




《No.1》 と 《No.2》 の年賀状は映画「影武者」(1980) から。《No.3》 は「乱」(1985) から。《No.4》 は「蜘蛛巣城」(1957) から。《No.5》 は「羅生門」(1950) から。昨年2024年5月27日(月)から日本映画専門の映画賞をスタートさせていて、第2回の際に黒澤明・監督の「蜘蛛巣城」が見事グランプリを獲得した記念として(全て黒澤作品繋がりで)新年の挨拶状にし5枚作りました。・・・此の年賀状は(例年通り)コピーしてご自由にお持ち帰り『可』なので、空いたスペースに絵文字や数字、小さいイラストを付け加える等々、宜しければ自由に加工 ⇒ 楽しく工夫して使って下さい。

↓ は今回のボツVer。

https://www.z-z.jp/imgur.cgi?i=GhoB6Cf.jpeg
https://www.z-z.jp/imgur.cgi?i=Be3wgBX.jpeg

記事本文は1月1日AM:00:00から順次進めて行きますので、ドウゾ(今年も)宜しくお願い致します。



≪2025.1.1 (水) ≫

↑ 年賀状の解説を少しすると、映画「影武者」「乱」はカラー作品であり、CSや衛星劇場において何度も放映されている事から御存知の方は多いと思うのだが(特に1980年の「影武者」はカンヌ映画祭で最高賞のパルムドールを獲得)、昨年当サイトの関係で『日本映画コンドル賞』という邦画専門の映画賞がスタートしていまして、其方の第2回でグランプリを獲得したのが、年賀状・4枚目=1957年制作の「蜘蛛巣城」なのですが・・・
劇場用・長編劇映画全30作ある黒澤作品の中でも「蜘蛛巣城」だけは観ていない(?)という黒澤映画ファンの方もいるらしく(21世紀も暫く経った今となっては)あまりメジャーな方の作品では無いのは明らかなのだが、(勿論の事ながら)作品の中味に関しては専門家の多くが太鼓判を捺す、大変優れた大芸術作品ですので・・・まぁ、恐らく産声を上げたばかりの其の映画賞は、コウイッタ(今は埋もれてしまっている)傾向の作品を率先して表彰してゆく面が強いのだろうと・・・

今年最後の年賀状・5枚目=1950年の「羅生門」は大変有名で、恐らく今でも黒澤明=「羅生門」とイコールして良い位に、国宝級の扱いにされている名画中の名画であり・・・只、今回は作品自体にフォーカスし年賀状にした訳では無く、「羅生門」でヒロインの真砂を演じている京マチ子(1924年3月25日(火)生まれ)さんが昨年⋰生誕100周年だった事もありまして、キッパリとその記念に作成しました。(出生は昨年ですが、今年の3月24日(月)までは絶賛(?)『京マチ子生誕100周年』期間中なので、生誕100周年記念のカードとしていいんじゃないか!と)
京マチさんは他にも「雨月物語」(1953) や「地獄門」(1953) と国際的に高い評価を受けた作品に主演し、当時のマスコミに『グランプリ女優』や『肉体派女優』の異名を付けられた事も。
年賀状の横顔は(京マチ子像として)他では殆ど見当たらないアングルという事もあったのだが、少し見上げた目元の表情が非常に美しかったので、上部の富士との合わせ技で完成させた次第。










≪2025.1.2 (木) ≫

↑ 毎年新年はオーストラリア・シドニーでのカウントダウン動画から始めていたのだが、今年は変化球でイギリス・ロンドンのカウントダウンからにしてみました。
注目処は動画の最後の方(12:23)で、“パディントン (Paddington Bear)” 君がほんの少しだけ出て来るので、此処は解説が必要かと・・・パディントンは英国の小説家マイケル・ボンド Michael Bond の児童文学で絵本=『くまのパディントン (A Bear Called Paddington)』シリーズ(初版:1958年10月13日(月)~) に登場スル架空の熊のキャラクターで、元々は第二次大戦時にヒトラー率いるナチス・ドイツの迫害から逃れ、イギリスに渡って来たユダヤ人をモチーフに描かれた作品と云われており、困っている人に手を差し伸べる事や、物事の寛容さについても描かれた物語・・・との事なので、実は純粋に子供向けの小説、絵本というよりは、大人向けの様相も濃い内容と成っている・・・という訳。年が移り変わる(最も注目されるであろう)カウントダウン時にこういうキャラクターをチョコっと差し込んで来る辺り、洒落てるというか、英国人らしいシニカルなセンスを感じる演出ですナ。

2段目の動画は毎度お馴染みNY・タイムズスクエアでのカウントダウンの様子。此の動画はCBSが生放送した全長6時間10分の録画なのだが・・・昨年は翌日か翌々日には消されていたので、もし未見で『全部観たい』という人は早めにチェックした方がよいかと。



≪2025.1.8 (水) ≫

昨年の歳末は色々慌ただしかったという事もありまして、新年は充電期間がてらゆっくりとしていたら、気付くとモウ8日になっていた・・・という訳では勿論無くて(苦笑)、実は新年明けてからも(Web関係も含み)仕事はしていまして、此処の事務所には殆ど在たのだな。
映画もチャント&シッカリ観ていまして、新年に入ってから3本は観たのだが・・・内2本は現在審査中の映画を再度チェックしまして、レオナルド・ディカプリオ主演の「ブラッド・ダイヤモンド」(2006) は新年に入った其の時に再見したのだが、以前観た際より今回観た方が面白く&興味深く観られたので、吾輩も少しは(気付かぬうちに)精神年齢が上がっていたのかも知れぬ・・・と。

「ブラッド・ダイヤモンド」は第79回・アカデミー賞では主演男優・助演男優・音響編集・録音・編集の5部門でノミネートされたのだが受賞はゼロ。第64回・ゴールデングローブ賞ではディカプリオだけがドラマ部門の主演男優賞にノミネートされたが、此方も落選した為、実質2006年の主要な賞レースで(「ブラッド・ダイヤモンド」は残念ながら)落っこちてしまった方の映画なのだが・・・が、しかし、今回観直していて色々とポジティブな点で気付いた面もあり、昨年の本ウェブアワード・第20回&21回のテーマ=シドニー・ルメット生誕100周年記念杯 ⇒ 要するに社会派作品に特化したテーマの賞ならばこそ、浮き上がれる内容なのだろう???というのが今回再び鑑賞した際の第一印象であり。

先ず、主演のディカプリオの演技が最高に素晴らしく巧い!・・・此の年の主演男優賞レースでは「ラストキング・オブ・スコットランド」(2006) の名優フォレスト・ウィテカーが制覇した訳なのだが、栄冠がディカプリオの方に行っていても全く可笑しくは無い演技力で、それ位に大変役に嵌っていると思えた。
只、双方共に実在の人物をモデルとしたキャラクターを演じており、フォレスト・ウィテカーの方は独裁者・アミンという、その筋にはかなり有名な(超が付く程の個性的な)大統領を演じていたという事もありまして、其方方面=演じた人物のインパクト勝負で雌雄を決した印象も無くはなく(此の続きは本日中か明日に再度追記します)。



≪2025.1.9 (木) ≫

実は此の年ディカプリオはマーティン・スコセッシ監督の「ディパーテッド」(2006) にも主演しておって(アカデミー賞は「ディパーテッド」のディカプリオを候補に入れなかったが)、前哨戦のゴールデングローブにおいては「ブラッド・ダイヤモンド」&「ディパーテッド」で主演男優候補に挙がっていたりと、絶好調な年だっただけに(微妙に)票が割れてしまった・・・という見方も。

・・・で、最も「ブラッド・ダイヤモンド」という作品の優れている点・・・(此れも当時の主要な賞レースでかなり残念だった?)作品賞、又はオリジナル脚本賞の候補にも全く挙がっていなかった訳なのだが、今回再鑑賞していて作品テーマが本当に大変素晴らしいと思った。
本作の場合、俳優と編集等の技術部門のノミネートはされているのだが、作品賞で唯一候補に挙がったのは『映画批評家協会賞 (Critics' Choice Awards)』という(アメリカとカナダの映画批評家だけで決める)映画賞だけで、他の映画賞で作品賞候補に挙がったというのは見た事も聞いた事もない。

やはり内容が内容なだけに・・・という事もあるのは一応理解するのだが、何というか、此れだけに上手く描かれたシナリオ=要するに人間の根源的な個所がビビットに描かれておっても、其の方面においては大方で『・・・』と沈黙してしまうというのには、中々に複雑な気持ちになる処もあって。
まぁ、・・・それにしても、ジェニファー・コネリーもよく本作に出演したナァ・・・と思うが。何れにしても本質的に元々の気合いが違うのだろうと。(*今回当方の第21回ウェブアワードではソロモン・バンディー役のジャイモン・フンスー (Djimon Hounsou) が最優秀助演男優賞を受賞)











≪2025.1.12 (日) ≫

新春一発目のお薦めが「ブラッド・ダイヤモンド」というのも、ウチとしては悪くないと思っているのだが(現在審査中の1本だったモノで)、本作は公開時に日本の配給会社がディカプリオ主演の(インディ・ジョーンズ的な?)アクション・アドベンチャー路線で売り出していた形跡があって、真に受けて劇場に足を運んだ彼のファンの心境は???と実はソッチの方が興味津々な気も。
イヤ、そういう話では無く・・・確かにお宝も出て来るし、アドベンチャー要素もふんだんにあるにはある(よく吟味するとトレジャー・ハンティングの成分も強い)ので、本作を正月映画に付き物の冒険映画と擬えるのは決して嘘では無い。現に北米での公開は2006年12月8日(金)(*日本での公開は少し遅れてしまって2007年4月7日(土))であるので、日本の興行で云う処の正月映画なのだナ。

要するに何が云いたいか?というと、「ブラッド・ダイヤモンド」とインディ・ジョーンズ:シリーズとを観比べると、リアル志向のインディを(意図して)企画したのかネ?という個所がアチコチに見受けられ(*因みに此の2年後にはインディ:シリーズ4作目=「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」(2008) が公開)色々と興味深く世界観を楽しむ事も出来るとは思うのだが・・・
インディ:シリーズの方はジョン・ウィリアムズ作曲のテーマ曲が体現している様に、冒険ロマンが大きな柱に成っているのだろうが、本作はダイヤ(お宝)を巡るシリアスな社会派ドラマであり・・・強いて述懐するなら1989年公開のインディ:シリーズ3作目=「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」で描かれた、父親と息子の結び付きの強さを(本作でも)メインに持って来ているのだけれども、その描き方は手法として “かなり異なっている” という具合に、冒険ロマンとはかけ離れたシビアな描写(実話が基のストーリーなので当たり前なのだが)となっている。



「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」という作品は(私めの個人的な評価も含み)シリーズ最高傑作の呼び声が高く、当ウェブアワードでも2018年の第10回でインディ:シリーズ唯一単独で準グランプリを獲得しておったりもして、巷で大変評価が高い。何が根拠で映画業界・界隈に「最後の聖戦」をシリーズ随一の傑作と言わしめるのか?(世間的には)オリジナル脚本を担当した故ジェフリー・ボームに負う処が大きかったという見方もあるが、キャスティングにおいてもインディの父親役を元祖007俳優=ショーン・コネリーが演じていたりと、何かと見所が多い作品だったという印象が強いのは確か。

此処からは此の「最後の聖戦」と「ブラッド・ダイヤモンド」との関係性について書いていきたいと思うのだが、恐らく此の両作に紐づけて語るのは(海外も含み)本邦初公開だと思われるので、(もしかしたら)後になって色々あるのかも知れんが・・・今回折角・アワードの候補に作品が成り ⇒ 先日ソロモン・バンディー役のジャイモン・フンスーが最優秀助演男優賞を受賞したという記念でもあるので、此の機会に書いておきたいと。



≪2025.1.25 (土) ≫

現在、第21回・ウェブアワード審査の大詰めでして、追記が遅れてしまい申し訳ありませんでした。(*選考の方は大方終わりました。既に経過&各受賞作については同表彰頁にて公表済み)
本映画賞は歴代・選りすぐりの名画をエントリーさせているという事もあって、本来ならどの作品が最高賞のグランプリを獲っても可笑しくない面子と成ってはいるのですが・・・

・・・とはいっても、やはりアワードと称しているのであって、表彰するのに其の年の代表の1本を選出する体(てい)は必ずとらなくてはならず、それは選考している側からして辛い処もありまして(苦笑)。

『映画・アニメーション ウェブアワード』のスタートは2009年からなのだが、(其れ以前から本サイトを御覧になっている方は御存知か?)前身に2001年から8年間続いた『MADF賞』というのを催していまして、実はソッチの先駆け=MADFの方はというと(部門を細かく割って)グランプリを年間で何本も連発した回もあったり(最高は2006年と2007年の7作品)と、兎に角、今振り返ってみるとムービーアワードとしては、掟破りの事を色々とやらかしていたんですナ。
只、MADF賞時代は滅茶苦茶ばかりを遣っていたという訳では無く、今の本ウェブアワードに引き継がれる事と成る、色々なエッセンスは此の時期に培われた面が強く、正に “MADF無くしてウェブアワードは有り得なかった” ~と断言してしまっても良いんじゃないか?と。

・・・まぁ、基本的には型に嵌らない様、ソノ方針はブレずに貫いて来た四半世紀あまり(アワード関連は準備期間もあったので)だったとは思います。



母体が『映画・アニメーション データファイル』という比較的大きい映画サイトなだけに、少しは此処でデータ方面の話もしたいのだが・・・一昨年、大々的に催した『ジュディ・ガーランド生誕100周年記念杯』の際は、往年の実写・ミュージカル作品を前期に催し、後期を(アニメ作品を含めた)ファンタジー・ミュージカルにと分けて特集したのだが、当初は「アナ雪」や「美女と野獣」等々の人気で後期の方が(差をつけて)大分盛り上がると思っていたのだが、実際は其の真逆で、前期の方が(後期に差をつけて)2倍以上のアクセスがあったのだナ。・・・此れは内々でかなり予想外だった。

此ればっかりは遣ってみたから初めて解った『青天の霹靂』~の典型例で、ミュージカル映画というジャンルの特異性もあるのかネ?という気もするのだが、Web上におけるバーチャル空間の一角で判明した(往年のミュージカル・スターに起因する?)リアルに超アナログな現象だったかと。



≪2025.1.29 (水) ≫

・・・只、「アナ雪」に関しては今でもかなりに別格で、『映画・アニメーション データファイル』総合TOPで昨年2024年2~12月(*新春の1月だけは「ゴジラ」)まで、ほぼ1年に亘って連載した「アナ雪」ホットフォト(+『名画座ファイル』の刑事 (デカ) 映画特集との組み合わせ)は、例年の約3倍の集客があった・・・という訳なのだが。
恐らく今同じ「アナ雪」特集らしきモノを他方で遣ったとしても、上手く行くか?ドウか?は分かれるとも思うのだが、当処では昨年(たまたま)上手くいった。
・・・で、2024年の1年間「アナ雪」で上手く行ったから、今年も引き続き「アナ雪2」特集をする?・・・という様な事はせず!(苦笑)、今年は同じく公開10周年記念の「ジュラシック・ワールド」(2015) に関連して、1993年の旧作「ジュラシック・パーク」から連載&特集を開始していますが。

因みに「ジュラシック・ワールド」(*以下「JW」)は公開前に『コケる』『コケる』と他にも色々ネガティブな予想を周辺から言われてはいたのだが、2015年8月5日(水)夏休み興行真っ只中に蓋を開けてみたら、公開出だしから大ヒット ⇒ 結局・日本国内の興収で年間総合1位を獲得する快挙と成った。
何故にこういう結果となったのか?公開前から当処で特集を組んでいたから・・・とか、別に此処でソウイッタ自慢めいた記事を書くつもりも無く・・・恐らく「JW」公開前にネガティブな話が界隈で蔓延していたのには複数理由があって、「JW」の前作=ジョー・ジョンストンが監督した「ジュラシック・パークIII」(2001) の公開が実に14年前という事もあり、既に当時劇場に足を運んだ客層も疾うに興味を失っているのではないか?~とか、興収も「1」の大ヒット後、「2」「3」と回を重ねるごとに落ち込んでゆく傾向にあり、「JPIII」に至っては「JP」一作目の半分以下にまで(日本国内の興収が)盛り下がっておったので、確かにデータ上で見てみるとソウ再び年間上位に上がって来る程の “ボルテージは無い(筈!)” ~と、まぁ、否定的だった側の根拠の大半はソンナ感じに察していた(?)のだろうと。

幸いにも北米での「JW」公開は2015年6月12日(金)と日本公開の2ヶ月近く早かったので、当方のチームは一足先に劇場で観られたのが幸いしたのだが・・・まぁ、やはり先に触れた方向のメガ情報バンク的な幾多のデータ、情報分析を優先するのか?又は作品そのものの内容面を吟味 ⇒ 映画全体のテーマ性、俳優陣の演技、前シリーズとの相関性 etc etc ... の価値性をドウ見るのか?という、所謂『データ主義』vs.『人間の勘』勝負の鬩ぎ合いが、当時興行面の裏側であったという訳なのだが・・・

結果は同シリーズのファン、専門家が周知の通り(当時)北米での歴代興収でも3位に登り詰めるメガヒットと成ったのだから、2015年の「JW」一作目を観に劇場へ足を運んだ方は、其の賭け(?)に “正しく勝った” という事は云えるのだろうと。
(当方では先に書いた通り大分前から『映画・アニメーション データファイル』というサイトを運営してはいるのだが(苦笑))・・・時にデータや情報分析を超えるのが映画興行の醍醐味とも云え、大変人間味に溢るる素晴らしい出来事と(当時)感激した憶えがある。



≪2025.1.30 (木) ≫

監督したコリン・トレヴォロウ個人の(主に別の)仕事に対しては、新旧ファンの間で賛否両論あるのだろうが、再起動の一発目という事で此れ以上は考えられない程に良かったのでは???という気持ちが大きくあり。
私め個人としては映画の出来、色々なバランス感覚に大満足だったし、(他方であまり「JW」単品の評価に関しては語られないが)新時代到来を印象付ける、恐竜&怪獣映画の新たなる幕開けに相応しい傑作と断言出来得ると・・・又、本作は其れだけに収まらず、当時は周辺で皆恐竜関連のお祭り騒ぎ ⇒ 社会現象にまで発展していき、其れがまた実に楽しかったナァ~と記憶している。

・・・加えて此の年=2015年10月21日(水)PM4:29は、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」(1989) 劇中でマーティ&ドクらが未来社会にタイムスリップした其の年であった為(*「JW」と「バック・トゥ~」シリーズは同アンブリン作品という事もあり)当時此処では無理矢理(?)に記事内でコラボさせたので、其れが盛り上げに一役買ったという事に成っていまして・・・
ウチだけではなく10月21日は日本のお台場でデロリアンの走行イベント(実質はリサイクル燃料による走行テスト)が行われたりと、世界中で「バック・トゥ~」イベントが行われていた・・・今想い返すとあの時が(映画のイベント的な盛り上がりとしては)21世紀に入って最も幸福な期間の一区切りだったという気もしていまして・・・



・・・ソウソウ、本日は此れを書かなければいけなかったのだ(苦笑)。明日1月31日(金)PM8:00台に第21回・ウェブアワードの最終発表がありますので、宜しければ受賞式頁に御越し頂きたく・・・
既にオリバー・ストーン監督の「JFK」(1991) がグランプリの座に着いていますが、本賞ではモウ1本グランプリを選出しますので。

明日を最後に『シドニー・ルメット生誕100周年記念杯』の追加による表彰はクローズとなります。(つづく)



































≪2025.2.18 (火) ≫

↑ の「ジュラシック・ワールド」コラージュは本日の未明まで掛かり、T-REXの咆哮シーンでやっとこさ終わりました。始めた時は『5枚位で収めるか?』という感じだったのだが、途中から『ストーリー仕立てにし、ラスト・シーンまで遣って完結させてしまおう』~という欲が出て来てしまいまして(苦笑)・・・気付いたら全27枚の結構な(コラージュを意図した作品としては)大作然と成ってしまった???。

コウイッタ方式のコラージュが他方で前例があったのか?ドウか?は正直な処解らないのだが、作業中に『(話全体を)コラージュ化するにはピッタリの映画』なのだという事に気付きまして・・・もしかしたら他の恐竜、怪獣物だとこうは上手く行かなかったのかも?という気もするのだが・・・要するに最後の最後まで飽きさせない、其れだけ見どころを満載した(映画の原点的な文法を内包した上で)見た目のビジュアルとしても魅力大の稀な作品なのだろうと。
(画像はクリックすると拡大するので)是非それぞれの個所をズームアップして見てほしいのだけれども、本作には監督拘りの細かい細工が方々にありまして、今回私めも作業中に初めて気付いた個所が何個か見つけたので(10年前の今時に「ジュラシック・ワールド」細部の画像解析をしておるというのも変な話の様だが(苦笑))、次の追記ではソノ辺を載せて行こうかと。



≪2025.2.21 (金) ≫

実は・・・と、そんなに改まって書く話ではないのかも知れんが(本当に全くの偶然にも)日本では本日までTV地上波で ↑ で触れた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」三部作を3週に亘って放映されておって、今回の追記は「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3」(1990) を横目で観ながら書いている最中なのだが。(*正確に書くなら ↑ ≪2025.1.30 (木) 追記≫ で触れたのは1989年の「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」で、因みに此の年は後にも触れる「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」が公開された年でもある)

ブログ時代に「バック・トゥ・~ PART2」と昨今の時事的な事との関連性については色々と書いていたのだが、本記事内でソノ点について再度掘り下げるのは(読者の頭の中が混乱する可能性もあり)今の処止めておいて!(苦笑)・・・今回「ジュラシック・ワールド」のコラージュ制作が思いの外長引いてしまったので、「バック・トゥ・~」関連の話題は全体的に控えよう???という判断もあり。(当初は本記事内で「バック・トゥ・~」三部作の方をコラージュする案もあった)
・・・只、先にも触れた通り2015年の映画興行は、他でも無い此の「バック・トゥ・~ PART2」がキーポイントに成ったと(個人的には)睨んでいまして、折角・ゴールデンに地上波で放映と相成った訳なのだし、後々チョットだけ本作をフォーカスさせようか???・・・と、思っております。

因みに本『新時代探訪2025』入り口の飾り=母体である『映画・アニメーション データファイル』総合TOPには、今週17日(月)に小規模ではあるが手始めに「バック・トゥ・~」三部作のコラージュを1枚貼っておきましたので、もし宜しければ覗いてみて下さい。



≪2025.2.24 (月) ≫

話を映画「ジュラシック・ワールド」に戻して・・・本作&シリーズの大元はマイケル・クライトン著のSF小説(1990) にあり、又、映画シリーズ第一作目で(同氏が本シリーズで唯一脚本(脚色)を担当した)同名の映画=「ジュラシック・パーク」(1993) は必ずチェックしていないと恐らく訳が解らず・・・又、更に遡ると同氏が1973年にオリジナル脚本と監督を担当した「ウエストワールド」というSF映画をも観ていないと、少々本作品、シリーズの本幹の処での意味合いが『何故こんなストーリーを拵えた?』というのが解らない筈であり・・・まぁ、あえてこんな事を書くのも、今となっては作品自体の本当の趣旨が解り辛くなっているきらいが昨今少々あって。

マイケル・クライトン (Michael Crichton) は2008年11月4日(火)に喉頭癌で亡くなっておって、享年66というのは若過ぎる感もあるのだが、小説や脚本&監督した映画という形で今の時代(当時からすると未来世界)に投げ掛けた課題、メッセージは(21世紀に入った現在においても)非常に大きく響いていると実感していまして。実際、大変価値のある “文化遺産” を数多く残したのだろうと。
クライトン自身・大変な映画好きで監督する意欲もかなり強かった(事実、自身で6作品の商業映画を監督した)のだから、恐らく出来たら第一作の「ジュラシック・パーク」も自らで監督し、撮影現場 etc 全てをコントロールしたかったのだとは思うのだが・・・関連資料を読んでいると原作の小説執筆時から『映画化の際は是非スピルバークに監督を』~と想定していたとの事で、よっぽど本作(のテーマ)を映画作品として成功させる事に拘っていたのかも知れない。(即ち自らは一歩引いて本作の価値、社会的な認知度等の方向を第一に優先させた?)

要はそれ程迄に重要なテーマだという事なのである。本記事では先に本作を『恐竜&怪獣映画』というジャンルにカテゴライズした様な記述もしたのだが・・・(勿論、恐竜&怪獣映画という看板で決して間違いはないのだが)物語の核としては何も恐竜&怪獣に限っておらず、原作小説にはあらゆる生物の “生命倫理” についてのアプローチが(実は)かなり強く在り、ドチラか?というと、映画化の際にも作家性から考えてメインの主張はソッチの比重にあるのだろうと。

クライトンの作品は『科学技術』、中でも取り分け『生命科学』に関連するテーマが多くの作品で通底していると云われていて、作家自身のテーマとして生命に対する根源的な拘りが最も強かったのだろうと推察する。



≪2025.2.26 (水) ≫

物語の骨格(←あえて此の表現?)を『DNA (Deoxyribonucleic Acid)』により肉付けされている点も最重要で、本作を語る記事としてはスルーしてはイケナイ個所であり・・・一作目公開時にはILMによる恐竜CG、スタン・ウィンストン渾身の恐竜アニマトロニクスばかりが評価され、本編のストーリー、内容面に対してはかなり辛辣な批判が多かった記憶もあるのだが、今だったらドウなのだろう?ある意味ではDNA自体にフォーカスしている点があったからこその作品であり(現実に日本でも暫く前から “何々のDNA” というフレーズが日常会話にさえよく出て来る様になった)、もしかしたら今の時代の方が(本作における本来の意味合いが)遥かに受け入られ易くなっている???・・・と、そう白黒明確に判明スルという事もないのだろうが・・・やはり1990年代に考えられた発想として異次元にズバ抜けていたのは確か。

ある有名なアメリカの某・映画評論家の記事を憶えているのだが『此の映画から恐竜の特撮シーンを除いたら、後は何も残らない』(←此の文句はホント酷い)・・・な~んて、公開時の批評面ではソンナ具合いの評価を下される面が多々だったのである。今振り返ってみると確かに監督が宇宙人に喩えられていたり、原作者も(今から考えると)一部では殆ど未来人(?)扱いだったりと、(1990、80年代の時代の空気を知る者としては)昨今に至る時代の流れに隔世の感が大きくあってですね。・・・であるからこそ、今の時代になったから “こそ” の真剣な評価、議論はあってイイ作品とも考えていまして。
・・・まぁ、クライトンが映画好きだったからこその原作のSF小説執筆 ⇒ 発表後に即映画化の準備スタートという出来過ぎたタイミング。又は(映画独自の技術的な表現というテクニカルな処に立ち返るとすれば)CG技術の黎明期だったからこそ、その革新性ばかりが目立ってしまった(当時の)リアクションではあったのだが・・・客観的に本作が無かったとしたら、色々な方面で大分違った現在(当時から見ると未来社会)に成っていたと個人的には見ておって。

ブログ時代にも同じ様な事を書いた記憶はあるのだが・・・1993年の「ジュラシック・パーク」公開前と後とではエンタメ、娯楽映画の様式も(劇場の方式も含め)言葉通り劇的に変化したし、ある意味では(先にも触れた様に)一般的に科学と日常生活の間隔がかなり近く成った感覚がある。明らかに本作を切欠に色々な意味合いでの全体的な意識の底上げに繋がったのは確かなのだろうと・・・只、しかし、(此処で又その逆をあえて云うのだが)少なくとも2025年の今現在、本シリーズに出て来る様なテーマパーク、又はクローン技術の応用 etc により太古の巨大生物を復活、又は何らかの危険な新生物を誕生させた~というニュースが世界で流れていない訳で、(逆説的な話の様だが)端的には本映画が在った事で、色々な意味合いでのガイドラインの築き、抑止に成って来た面は少なからずあったと見ている。・・・此の点においてはクライトンの世紀の賭け、先見の明が120%勝ったと個人的には見ていまして(少なくとも今現在までは)。
まぁ、・・・ 《琥珀に閉じ込められた蚊の化石からDNAを抽出し恐竜を復活させる》 ・・・~という様な原作小説からの(そのままの)手段でなくとも今のバイオテクノロジーならば、似た様な方向で同様のパークは作れなくもない(?)のだろう・・・イヤ、モウ少し踏み込んで書いてしまうと、作れる環境が整えば “間違いなく” 可能な時代に入ったと見ていいのだろうと。



≪2025.3.1 (土) ≫

日本国内周辺が中心なのかも知れんが、最近かなりの人数が本記事を読んで貰っている事を知り、少々怖くなり(?)昨日2月28日(金)夜に ↑ で触れた「ジュラシック・パーク」一作目(日本語字幕付き)を暫くぶりに観返す事とした。
・・・イヤ、勿論・断片的には(今年に入ってからも)本記事を書くにあたって何回か観返してはいたのだが、OPからエンドクレジットの最後の最後まで、ジックリと(真正面から)観返したのは十何年振りだったか???・・・何せ地上波TVで遣っていてチェックしたとしても、全篇集中しては観ないからね(大体は途中で他の用事が入ってしまうので)。

今回「ジュラシック・パーク」(*以下「JP1」)を観返したのは、先に本記事に書いた「JP1」評が色褪せていないか?間違っていないか? etc と事実誤認的な記述があったりすると不味いと思いまして。
・・・で、昨日当の映画を観返した結果はというと・・・32年前に公開されたSF映画とは思えない出来で、今観ても全く古びていない。若輩の頃の何にも分かっていない時分に(イキナリ)色々な意味合いで大変高級&中味の詰まった創造物を観せられちゃっていたんだなぁ・・・~と遅蒔きながら実感した。正直な処、初見時は『知らぬが仏』状態だったというか、何の心の準備&予備知識も無く(予算を掛けた)娯楽大作としての恐竜物を目的に劇場へ足を運んだだけだったのだが、大人に成ったからこそ解かった大きな価値に(暫く前から)気付きまして。気持ちとしては今回127分正座し鑑賞する位の腹積もりで事に臨んだのだが、映画全体を包む(云わば)作り手の情熱に今更ながら思わず感動し、エンドクレジットが流れる中『ホロホロ』と涙してしまい。
此の『情熱』というのは作り手の『良心』と云い換えてもOKかと思うのだが・・・俳優の演技、ジョン・ウィリアムズによる楽曲、映画独自の解釈 etc etc ... というだけでなく、「JP1」は明らかに映画が進化して来た技術的な(テクノロジー面全般の歴史としても)一つの到達点であり、それが此の様に高尚な映画における工学活用例がかつてあっただろうか???という感慨が強く。
そういった意味合いでは、(先に引用した某・米評論家の批評に若干並行してしまう様なのだが)映画メディアだからこそ可能であった芸術性を、他でも無いテクノロジー自体に感じてしまっていた(当時の)自分を思い出し涙した面もあり(苦笑)。

映画は総合芸術と云われて久しいが・・・まぁ、只しかし、本作を芸術作品と評する輩は未だ世間に殆どいないとは思うが(恐らく今でも一般としては冒険物、又はアクション方向の所謂『娯楽作』としての評価が強いのだろうと)、個人的には其のテーマ性からしてみても、物語の内容面と技術面とにおける、デジタルとアナログの絶妙な組み合わせ&絶妙な調和といい、21世紀入って暫く経った今観返すと『此れも立派なアート作品で間違いない』~と、当時の(まだまだ子供だった)自分に言ってやりたくなった次第。(つづく)










≪2025.3.3 (月) ≫

本日は3月3日『雛祭り』、おまけに大安という事もあり、折角お祝いの日なんで「JP1」のコラージュを作るか?という事で午前中に作成し ↑ で早速UPしました。
ダーーーッと3枚順調に熟し・・・という感じだったのだが、この勢いで行くと先の「JW1」の様に全27枚という感じにもなって行きソウだったので!(苦笑)、今回は意識的に3枚目を終えた時点で急ブレーキを掛けた。・・・3月3日なので3枚迄でで止めるという3尽くし。
本頁ではまだまだ他にも遣る事があるので、残りは又別の機会があったらその際に作りたいと・・・因みに私め個人は新旧・ジュラシック:シリーズの中でいうと、此の「JP1」が1番のお気に入りでして・・・まぁ、更に書いてしまうと、恐竜&怪獣映画(洋画部門?)としても歴代No.1は本作という事にしています。

若かりし頃の初見が大きな劇場(日劇)のスクリーンでしたので、その初公開時のインパクトたるや相~当~強烈だったという事もありまして・・・先にも少し触れているが、本作はデジタルとアナログの組み合わせ具合いが絶妙で、劇場で観た際 “本当ーーーに” 恐竜たちが真に迫って『ギャ~~~!!!』っと滅茶苦茶・怖く映っていたというのもあって(本作は劇場で観るとソフト等々では感知できない、其れこそ人間の内の内 ⇒ DNA領域にまで訴え掛けて来る様な深い処があり)。
・・・それと、俳優陣の演技、存在感。+子役の演技も(他を引き離し)断トツにグレードが高いよね。本作を(本当の意味で)超える恐竜&怪獣映画を作るのは、かなり大変なんだとは思う。



≪2025.3.8 (土) ≫

先週の土曜日『「JP1」は芸術だ!』~と岡本太郎ばり(?)に断言する記述をしたのだが、『またまた』~と多くは当処一流の冗談を噛ました(恐竜物だけに)のだろう(苦笑)と思っているのかも知れんが(実際にそういうリアクションも来ている)・・・イヤイヤ、至ってウチとしましては正真正銘の本気中の本気な発言なので。

公開時は(先にも触れた様に)確かに内容面の評価に関しては世間的に『???』だったのだろうが、今観直した方が其の映画史における大きさも把握し易いとも。
此れは後から出て来た話なのだが、監督のスピルバーグは「JP1」の撮影が終了すると即、同年公開の映画「シンドラーのリスト」の撮影の為ポーランドに飛んでしまったので、実の処・本作のCG、編集などのポストプロダクションはILM (Industrial Light & Magic) に丸投げ状態だったらしい。

・・・と、ここまで書くと他作品で多く見られるスピルバーグ ✖ ILMの関係を想像する方も多いのだろうが、本作に限ってはルーカス・フィルム社長(当時)のジョージ・ルーカスが直々にCG、編集作業 etc の指揮を(スピルバーグに代わって)執ったとの事で、表向きのクレジット等には全く以て御本人の名が出て来ないのだが、実はルーカス色が大変濃い映画という事も云えまして・・・
ルーカスは此の時の仕事に手応えを感じ、1999~2005年のSW新章=プリクエル三部作(旧SWの前日譚)の準備を開始するのだが(旧友スピルバーグは半引退状態にあったルーカスを奮起させる為、あえて重要な仕事を任せた面も?)、その切欠は「JP1」の制作過程だったというだけでも、本作の存在の大きさが解ると思う。

今や引退してしまい、第一線から身を引いて暫く経った感のある御大ルーカスだが、昨年のカンヌ国際映画祭では『名誉パルムドール賞』を授与され、その際ルーカスのコメント中に『欧州の映画が特に好きで、憧れて映画を作っていた』~という、過去には語られなかった一節があり(*映画解説をする身としては見逃さなかった!)、SWシリーズにおける特撮面の作り込み&美術に対する強い拘り、後「JP1」で例えるなら厨房でのヴェロキラプトル登場シーン etc における陰影の感性は、往年のハリウッド映画よりかは寧ろ絵画や彫刻、クラシック音楽といったクラシカルな西洋美術分野をルーツとする、ヨーロッパ映画の影響の方が(意外に?)強いのかも。



≪2025.3.10 (月) ≫

此処まで書いたら故スタン・ウィンストン (Stan Winston) の技にも触れなくてはイケナイとも思うのだが(此の追記の後にも何回か出て来る名前)、先に「JP1」のデジタルとアナログの絶妙な組み合わせと評したが、アナログ面の立役者が此のスタン・ウィンストンと其のチーム(スタン・ウィンストン・スタジオ)で、本作ではアニマトロニクスを担当した。
劇中には実物大の手動&コンピューター制御で動くT-REXが制作され、此れが絶大な効果を発揮した・・・。本作ではデニス・ミューレンとフィル・ティペットが作成した恐竜CG群も当時・革新的で、今観直していても大変な見処なのだが、本記事の趣旨としてはウィンストンによるアナログ技術に着目したく。↓








此の動画を観るとライブ・アクションのT-REXシーンがあった事で、CGパートも際立っている事が解り易いと思う。↓






此の実物大T-REXの製作の発端に関してはスピルバーグ肝煎りで、特に拘りが強かったという事らしく、此の恐竜を表現する手法として ⇒ 実物大アニマトロニクス(頭部のみのケースも有り)+CGIとの組み合わせは、後のジュラシック:シリーズでも引き継がれる事と成る。
この件に関しては先にジョージ・ルーカスの話もしたので、ついでにSWに絡めた余談を書いてしまうと・・・

「JP1」に触発され新SWの制作を開始したルーカスだったが、此方はスピルバーグが執ったジュラシック:シリーズとは違う方向・・・即ち、同じVFXでもCGIに限りなく寄って行く手法が採られていたので、公開当時のリアルタイムで其の様子を観ていた際(ルーカス&スピルバーグは『盟友』という事で、業界では『作風が酷似している』という論評もあったが)『最終的にはかなり違う方法論に行ったナ』~と(個人的には)思った。
特撮面で云うとルーカスは(ドチラか?というと)ダイナメーションの名付け親で、人形アニメーション界の大巨匠=レイ・ハリーハウゼン (Ray Harryhausen) を最も信奉しており、ハリーハウゼンが築いた世界観の発展形をひたすら追及した印象も(やや)あってですね・・・よくよく考えてみると、ハリーハウゼンはドイツ系アメリカ人(移民二世)という事もあり ↑ ≪2025.3.8 (土) 追記≫ でも触れたが、ルーカスのヨーロッパ方面への趣向は此の辺からも来ているのかも。・・・一方、スピルバーグはというと 《ルーカス=ハリーハウゼン》 という崇拝者としての人物は特になく、強いて云うなら “自身の考え、インスピレーションを最も尊重” という人という(此方の勝手な)印象でして。

・・・まぁ、此れは余談として書くだけなので、此れが事の本質か?と問われると全く自信が無いのだが・・・スピルバーグは1975年の「JAWS/ジョーズ」制作時、人喰い鮫のアニマトロニクス・ロボットが故障続きで上手く撮影できず、結果・当初の予定よりも鮫を映したのカットを極力少なくし(鮫ロボットを水面下に潜航させずに)鮫の背ビレ模型だけを海面に見せたカットを増やしたりと、鮫本体の姿を “殆ど見せない事で” 緊迫感を煽る演出を多用する手法に切り替え、云わばアドリブを効かせたのだった。
スピルバーグは後のインタビューで・・・『あの時に鮫ロボットが上手く作動していたら、もっと平坦な作品になっていた』と語っており、更に『鮫ロボットが動かなくなったのは神の思し召しだった。御蔭で私はハリーハウゼンよりヒッチコックの様になれた』・・・と、ソンナ大胆発言をしている事からも(何となく)氏の特殊効果に対する考え、特殊撮影、特撮の技法に対しての意識が読めるような???。

・・・イヤ、↑ のコメントを読んだ人の中で・・・『であるのなら、スピルバーグの最たる信奉者はアルフレット・ヒッチコック (Alfred Hitchcock) で間違いないのでは?』~と考える方が大勢いるのかも知れん。ストレート&単純明快に『実は』ソウなのかも知れんし、だが、正直な処よく解らない。
ヒッチコックが監督した唯一の特撮物(特撮部分はディズニー・スタジオが担当)で、1963年制作の「鳥」というパニック・スリラー映画があるが、ジュラシック:シリーズは(皆が御存知の通り)鳥類に物凄く所縁(?)があるお話なんで、もしかしたら「JP1」エンドクレジット前のラストのシークエンスとかも(実は)ヒッチコックの「鳥」オマージュなのかもネ???・・・って、イヤイヤ、恐らく全く違うだろうが!!!(苦笑)。ソンナ解釈は見当違いもイイトコロだろう。

・・・まぁ、只しかし、スピルバーグが一番信奉していた特撮マンで考えるのならば、最筆頭はダグラス・トランブル (Douglas Trumbull) を挙げるのが妥当かも知れん。
トランブルには「未知との遭遇」(1977) で直接仕事を依頼しているし、スピルバーグ自身が製作総指揮を務めた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズのライド型アトラクション=『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド (Back to the Future: The Ride)』(1991~) の監督(&出演)を任せていたりと、特撮分野ではILMに次いで初期の頃から縁が深い。
『バック・トゥ・~ザ・ライド』では劇中でニ場面、ジュラシック:シリーズとは大分異なるレトロ怪獣的(?)な肉食恐竜も出て来るのだが、此の辺は恐らくトランブルのアナログ趣向が出ているのだろうと(多分スピルバーグも実はこういう恐竜のディフォルメしたスタンスが一番好きなんかもネ)。
それから氏のSFX代表作=「2001年宇宙の旅」(1968) や「スタートレック」映画第一作(1979) 、「ブレードランナー」(1982) の監督、プロデューサー等々とは後にスピルバーグと一緒に大きい仕事をする事となるので、此れは(他の映画関連の記述等では全く触れられていないが)大御所トランブルが取り持つ縁と云っても過言では無いのだろうと。

因みにスピルバーグが初ミュージカルに挑戦した「ウエスト・サイド・ストーリー」(2021) だが、リメイク元の「ウエスト・サイド物語」(1961) の制作・監督はロバート・ワイズであり、先に挙げた「スタートレック」映画第一作の監督も同じくワイズ。・・・『何故にスピルバーグが初ミュージカルで「ウエスト・サイド物語」のリメイクを???』~と不思議に思われた方もいるのだろうが、此の辺に映画人派閥の強いラインがあってですね・・・

・・・更に因みに、地味目だがトランブルの代表作に「アンドロメダ…」(1971) という未知の病原菌を扱ったSF映画があり、此の作品も監督はワイズで(此方も制作をワイズが兼ねている)。
映画「アンドロメダ…」には『アンドロメダ病原体 (The Andromeda Strain)』という原作のSF長編小説(1969) があり、著者は他でも無いマイケル・クライトン。余談だがクライトンの著作が映像化されたのは本作「アンドロメダ…」が初。(*『アンドロメダ病原体』はリドリー・スコット&トニー・スコット製作総指揮によりTVシリーズ(邦題「アンドロメダ・ストレイン」)としても映像化され、A&Eネットワーにて放送。監督は「アビス」(1989) や「オールウェイズ」(1989)、「バックドラフト」(1991) で撮影監督を務めたミカエル・サロモン)

・・・と、此処で又マイケル・クライトンの名が出て来て話が戻って来る訳だが・・・更にダグラス・トランブルという特撮界のゴッドファーザー的な名が入ってくると、輪の全貌が見えて来る様な(?)逆に見えて来なくなる様な(?)。近年トランブルの名前を知らないビギナーがいるかも知れぬので、今日はこの名前だけでも憶えて帰って下さい。(つづく)









≪2025.3.19 (水) ≫

↑ でダグラス・トランブルを紹介する大きい2動画を貼ったが、(誤解が無い様(?)に追記しとかないと)トランブルは本記事で書いて来たジュラシック・シリーズには直接タッチしていないので・・・只しかし、トランブルが特撮を手掛けたイギリス&ハリウッド映画を観返してみれば、SWやジュラシック・シリーズに至る実質的な道程が解り易いとも思い・・・。
ILM設立メンバーにおいても、元々はトランブルのスタジオ出身の人材が多いし、実の処、彼無しにはSWやジュラシック・シリーズも(制作はされていたとは思うが)大分違った形に成っていたのでは?と・・・まぁ、此れは私めの個人的&勝手な推察ではあるのだが・・・

ここいら辺の微妙な話は(やや)御法度 ⇒ 踏み入れ禁止領域な処もあるのか?他の映画関連の記事等々で読んだ事が一切ないのだが、トレッキーには滅茶苦茶・評判の悪かった1979年の「スタートレック」映画第一作、1982年の「ブレードランナー」の特撮も大変素晴らしかったし、(デビュー作である1968年の「2001年宇宙の旅」の特撮に対する評価はよく目にする事があるのだが)どうも昔からトランブルに関しては何か色々不明な点あるようで、アカデミーの賞レース ⇒ 視覚効果賞においても「2001年~」以降は対抗馬に尽く競り負けて『何故?』~というケースが多かった様であり。

イラストレーター出身で美術面においての造詣もかなり深く、模型制作においては業界の誰よりも長けていた(*「未知との遭遇」に登場するマザーシップはトランブル渾身の作で、撮影したのは氏のアシスタントとして働いていたデニス・ミューレン。因みに「未知との遭遇」にはマザーシップの内部を追加撮影で見せた「特別篇」が1980年にリバイバル公開されたのだが、トランブルは1979年から開始された追加のミニチュア制作には参加せず、代打としてロン・コッブ、グレッグ・ジーンがあたったのだが・・・一説にトランブルは、此のコロンビア側からの「特別篇」企画の目玉=マザーシップ内部を見せるというSPな案に猛反対で、次作の「スタートレック」に専念するとの理由で自らは辞退したというのもあってですね。或いはこういう突き抜けて芸術肌な処が当時の業界から疎まれたのかナ???と。・・・只、本作の脚本・監督であるスピルバーグも後々のインタビューで・・・ 《理想的な「未知との遭遇/特別編」はオリジナル劇場版のEDのままで終わる事だったんだ。何もリチャード・ドレイファスがマザーシップ内部に入り、周辺を見回し ハイテク器機や蜂の巣のような宇宙船内部を眺める事なんて無くね。あの追加した映像は美しかったし、想像力に溢れていて大変巧く出来ていたと思う。でも、私としてはオリジナルのEDの方がずっと好きだ》 ・・・と、あたかもトランブルの意向に合わせる様なコメントを発していた)・・・と、ソウ云われた経歴から見ても、正に “キング・オブ・SFX” とは彼の為にある様な称号であり・・・スピルバーグも1977年の「未知との遭遇」(オリジナル劇場版)でのトランブルの仕事を評して『彼は現代のウォルト・ディズニーだ!』と、(当時のスピルバーグからしてみれば?)最高の賛辞で讃えていたのだし、↑ ≪2025.3.10 (月) 追記≫ で触れていた氏が最も信奉していた(特撮面においての)映画人としてはトランブルの名が最も当て嵌まるかと。



≪2025.3.25 (火) ≫

若干補足すると・・・
今となっては、先の ↑ ≪2025.3.19 (水) 追記≫ で触れた1977年「未知との遭遇」(オリジナル劇場版)と其のリバイバル公開版である1980年「未知との遭遇/特別篇 (Close Encounters of the Third Kind: Special Edition)」の両作を劇場で鑑賞したという方は(コアなSF映画ファン以外には)層として殆ど当サイトには来ていないと思うのだが・・・まぁ、出来たら此の「未知との遭遇」(オリジナル劇場版)、又は2002年の「未知との遭遇/ファイナル・カット版」の2本は(映画ファンを自認している方ならば)是非チェックして貰いたい処なのですが・・・
・・・で、先の追記で問題にしたのは両作の間にあたる1980年8月1日(金)に北米で公開(日本では1980年9月20日(土)公開)されたリバイバル時の「特別篇」制作時の事でして、要は此のVer.でマザーシップ(宇宙船)内部に主人公:ロイ・ニアリー役のリチャード・ドレイファスが入った後のシーンが追加で撮影されていまして、端的に書くなら其れが『あり』か『なし』かの論争が(当時)一部であったという話でして。(今となっては大分解かり辛い話か?)

拙者がまだまだガキんちょ時代であった、此の「特別編」公開時の様子を想い返すならば、其のニュースを聞き率直に『是非観てみたい!』~とは思ったのだが、実際には(時期的に行事があったか何か?で)劇場へ足を運ばなかった・・・という位のスタンスだったと記憶している。
其の「特別篇」をチェック出来たのはTV放映時が初で、確かテレ朝の『日曜洋画劇場』枠(1982年10月10日(日))だったかと。
・・・で、実は本Ver.について先の追記では『コロンビア側からの肝煎りの企画』~等という様な書き方もしたのだが、実際は当初スピルバーグも此のリバイバル時の改編には乗り気だった様子も見受けられ(・・・というのも、オリジナル劇場版の制作時にはクリスマス興行を見込んだコロンビアが、スピルバーグに予定より7週も早く撮影を終える事を要求し、考えていたプラン通りに仕上げられなかったソウで)、事実・TV初チェックでの(個人的な)印象も宇宙船内部の演出はスピルバーグらしい(?)演出に溢れており、SF大作の締めとして巧く大きな花火を打ち上げ(赤く光る小型船がらせん軌道で天井に上昇して行ったり、&天井から火花の様な光が無数に拡散し終えるという演出であった)、映像詩的に見事な大団円を演出していたのだとは思う。・・・「特別篇」Ver.というのは何もコロンビア側が勝手に手を加える形で『強行的に』公開した訳ではなく、云わば “スピルバーグ肝煎り” でもあり氏における第1の『ディレクターズ・カット版』でもあった訳なのだから、今観直しても決して『アレを入れた事で相当劣ってしまった』~という類の話ではないとも思っていまして(*世間的には『✖』という論調が多い様ですが)・・・まぁ、冴えない駄目男(妻には3人の子供と共に別居されている状態な父親)が宇宙の民には祝福されて報われた(?)という、映画全体の流れからしても “アレはアレで” 悪くはなかったんじゃないのかナァ???という印象も(当時から)ありまして・・・



・・・只しかし、大人に成った今の目で観返してしまうと、降板してしまったトランブルの仕事ぶりと、後を引き継いだロン・コッブ、グレッグ・ジーンとの細かい仕事ぶりを(どうしても)観比べてしまいまして・・・トランブルは『此れ以上は蛇足』~という意志を示して辞退したのだろうから、本末転倒は承知の上での話なのだが・・・まぁ、仮にトランブルが「特別篇」Ver.にも参加していたとするのなら、モウ少し抑えたトーンの仕上げにしていたのかナァ???と。
「特別篇」Ver.の追加シーンは序盤から飛ばし過ぎのイメージが否めなく、明らかにトランブルの演出シーンと繋がっていない様に見受けられる。終盤においてはファンタジックで華やかな締め方にするにしても、例えば序盤は「ブレードランナー」風にダークな処から~最終的には「スタートレック」的に超派手目な方向に持ってゆくとか、色々手を尽くして緩急を付けていたと思うのだ。

・・・イヤ、元々マザーシップ内部の構造上あの様な全高吹き抜けの設計なんて有り得ない筈なのだから(*機関部や小型UFOを収納させる格納庫 etc は何処にあるのか?)追加したシーンの全ては宇宙人が見せたバーチャル映像・・・もしくは全てはロイが見ていた白昼夢だった???・・・と、ソウ色々な面で考えると、あの急な展開の演出で正解だったのかナァ???という疑問符も・・・要するに何が云いたいのか?というと、やはり『全ては絵空事』という解釈で片付けてしまったら不味いのだろう・・・という事なのだが。

・・・と、ここまで書けばトランブルが「特別篇」Ver.から離反した意味合いが(少なからず)解って貰える方も???と。今回はSF映画の芸術性について・・・という、かなり珍しいテーマになって来ましたので、チョット・専門的な話にもなっているのかもネ。
先にも書いた通り、結局スピルバーグも当時のトランブルの意向を認める発言を(後々ではあるのだが)するに至っている訳なのだから、「特別篇」Ver.の是非が映画人におけるプロフェッショナルに重要&繊細な領域だった事、SF映画の芸術性について考えるイイ機会にも成ったかと。



≪2025.4.3 (木) ≫

本日追記を書き込む予定だったのですが、諸事情により纏まった文を載せられませんでした。4月に入って少々遣る事が増えまして・・・

・・・因みに、3ヶ月に1回の更新で再表彰している『映画・アニメーション ウェブアワード』TOP頁での催し ⇒ 4~6月のホットフォト作品ですが、2022年度・第17回グランプリの黒澤明・監督作=「夢」(1990) としました(今選出の発表は先月3月31日(月)と少し前になりましたが)。
此の「夢」(英題:Dreams)ですが、ワーナーブラザーズと東宝制作による日米合作映画となっていまして、製作総指揮:スピルバーグ、特撮はジョージ・ルーカスが直接指揮し率いておった時期のILMという事で、今本記事で書いている最中の話題と(少々?)合致しているのかナ?っと。 ウェブアワード2022の第16回(前期)&17回(後期)は史上初の 《オムニバス映画祭》 だった・・・&恐らくは本「夢」が最高賞=グランプリを獲得したのは当賞が史上初だったという事もありまして、何かと初めて尽くしの年でしたが。



≪2025.4.8 (火) ≫

此処の記事ではスルーしてしまったのだが ↑ で触れた(新年からの)ウェブアワード1~3月のホットフォトは1961年のイギリス・アメリカ合作「ナバロンの要塞」だった・・・
此の旧作が意外にも(?)新年早々ヒットしまして、配信等で初めて観たという方が大絶賛の嵐・・・とまではいかなかったと思うのだが(苦笑)、反響を見る限りでは『面白かった』と結構~多くの方に喜んで貰えた様で。
恐らくJ・リー・トンプソン監督の最高傑作と思われる戦争冒険映画=「ナバロンの要塞」も見方によっては特撮映画(クライマックスに登場するナチスドイツ産レーダー照準式要塞砲二門のシーン)ではあるのだろうが、但し、此方は基本的に人間ドラマが肝であり、脚本が非常に巧く出来ている(アカデミー脚色賞にノミネート)事で知られている事から、映画全篇の優先度から考えると特撮要素に関しては二の次、三の次と云い切ってしまっても構わないのだろう・・・(とはいっても、第34回アカデミー賞の視覚効果賞は見事に獲得しているのだから、特撮シークエンスの出来栄えは一級品で間違いないのだが)

本作のプロデューサー&脚本を担当したカール・フォアマンはデヴィッド・リーン監督作「戦場にかける橋」(1957)(第21回・ウェブアワードで最高賞のグランプリを受賞)でも脚本を担当し、此方では見事にアカデミー脚色賞を受賞している。
因みにフォアマンは「ナバロンの要塞」の続編=「ナバロンの嵐」(1978) でも原案&製作総指揮を担当しており、此方もクライマックスの巨大『?』建築が崩壊するシーンが、かなり大きな見せ場として特撮で描かれている事から、まぁ、此方も準特撮映画という事なのだろうが・・・
「ナバロンの嵐」が不幸な事は(出来は決してソンナに悪くないとも思うのだが)前作「ナバロンの要塞」の出来栄えがあまりに良過ぎてしまった為、若干日陰もの扱いされている処で。内心お気の毒な気もしていまして・・・何せ名優ロバート・ショウの(観客の誰もが思いも寄らぬ)遺作となった事もあり、若きハリソン・フォードもW主演の一人として顔を連ね、其の貴重なツーショットが見られる訳なのだから・・・云わば本作で、次世代への歴史的バトンタッチが見られるという事であってね。映画史上の価値は大いにあるのかと。

何にしても「ナバロンの要塞」を紹介した事で、反響が大きくあったのは(此方としては)何よりも嬉しく。本アワードの趣旨としても埋もれてしまっている名画を表彰 ⇒ 再評価出来るのは至上の喜びです。



≪2025.4.17 (木) ≫

都内でソメイヨシノは大分散って来ている様なのですが、国内では此れから開花する桜の木も若干あるソウなので、週末まだまだ花見は可能らしいのですが・・・

話を又 ↑ ≪2025.4.3 (木) 追記≫ で触れた映画「夢」に戻したいのだが・・・劇中では(桜の木ではないが)桃ノ木がピンクの美しい花を咲かせ、花吹雪が舞う其の中、少年期の黒澤監督・自身が・・・桃畑で雛祭りの如く “桃ノ木の木霊” もが舞を舞うのを観る・・・という幻想的なシーンが出て来るのだが、既に映画を観た方なら『雛祭りの3月3日に桃ノ木は開花していないではないのかい???』とお気付きの方もいただろう。

其れも其の筈、実は旧来の『桃の節句』は今の桜の開花時期=現花見シーズンと同時期の(新暦の)4月に行なわれており、今も国内の一部地域(山梨、青森、山形~信州や甲信越 etc)では其の伝統を守り、月遅れの4月3日に雛祭りを祝っているのだナ。・・・であるから、黒澤監督としては本短編で正しく旧暦の正確な開花時期を描いており、要するに今の概念の時節とは(『雛祭り』の話なので)時期がズレる訳なのだが、実は映画「夢」の(理想的な?)鑑賞時期としては今の時節がジャストと云えなくもないのである。(少々解かり辛い話をしている?)

全8話からなる第2話に当たる此の「桃畑 (英題:The Peach Orchard)」というエピソードは(本オムニバス映画は先に触れた通り日米合作なのだが)特に日本人に向けた話だとは思われ、恐らく、真意としては主に・・・《日本人にこそ伝わる様にした》・・・という処が大きかったのだと思う。
『雛祭り』自体が日本独自の祭事だし、話の本幹が元祖エコロジカルな日本文化の品性というか、自然と人とが祭事を通して心情的に同化する感覚というか・・・まぁ、木の精が日本の公家の姿、恰好をしているというのも(*先に触れた様に日本古来からの伝統が絡んでいる)、恐らく日本人にしか解せない、兎に角この「桃畑」エピソードに関しては世界中で『???』となっている筈であり・・・
第2話ラスト、宴が済んだ後に黒澤少年がスタスタと “山々に掛かった大きな虹に向かって” 歩いてゆくカットは、映画公開時のポスター等でメイン中のメインのキービジュアルと成ったし、日米合作である本映画の(日本人に向けた)肝の部分であった事は間違いない処なのだろうしネ。(つづく)











≪2025.4.19 (土) ≫

先に触れた映画「夢」ポスターにおけるキービジュアルの件なのだが、以前の記事(『オムニバス映画祭』特設頁)では触れていたのだが、気付けばモウ3年前の話になるんだネ。(それでは又ココで説明しなくてはイカンのだろう)
↓ がソフト発売時の販促用ポスター。劇場公開時のポスターもデザイン的には同様で、此れが世界中で広く認知された「夢」ポスターのビジュアル例としていいのだろう。






当時の事を想い返すと、公開の暫く前から色々なタイプのポスター&チラシが出ては消え、出ては消えという感じだったので、東宝は当時かなり力を入れて宣伝していのだろうと。
やはり世界のクロサワ✖スピルバーグ・・・後、ポスターによっては特撮を部分的にILMが担当していた事から、其の親会社ルーカス・フィルム社長(当時)=ジョージ・ルーカスの名が入ったモノも出回っていた(本作にルーカスは直接タッチしていないので、本来なら反則スレスレ!(苦笑))ので、正に映画「夢」を巡るドリーム・チームが『此処に結集!』という御祭り騒ぎ(?)な様相を(公開の暫く前から)呈していたのだナ。(*因みに、4年後スピルバーグは自身が設立した映画会社の社名を『ドリームワークス (DreamWorks Pictures)』(1994~) と名付ける事になるのだが、本作がネーミングのルーツと成っているのか?ドウか?に関しては、情報が表に出ていない事から全く不明)

・・・まぁ、しかし、控え目に見ても本作は実際に真の『ドリーム・チーム』による『ドリームワークス』だったのだとは思う。ポスターには載っていないが(御本人が掲載を断わった?)1954年版・元祖「ゴジラ」を脚本・監督した本多猪四郎が演出補佐で参加しており、どうも特撮パートによっては単独で監督していたとの事なので・・・(個人的には本多氏の名もポスターに載せてほしかったのだが)・・・往年の日本特撮映画を子供の頃から愛していた者からしてみれば、其の硬派なテーマ性、内容面からいっても行き着く処にまで行き、遂には芸術の域にまで達した(ある意味では)最高域の特撮映画と評しても構わないかと。

↓ は其のドリームな雰囲気が最も出ている公開前のクロサワ✖スピルバーグ版ポスター。

https://www.z-z.jp/imgur.cgi?i=WHvzubh.jpeg

此の『過去、現在、未来-。いま時を超え驚きに満ちた世界が拡がる。』コピー入りVer.は今回ウェブアワードTOPでUPしたモノも含め、ひととおりのシリーズになるのだが・・・此のクロサワ✖スピルバーグ版ポスターが(個人的には)ニ番目に目立って多く見かけた記憶がある・・・因みに此の『過去、現在、未来-。いま時を超え驚きに満ちた世界が拡がる。』コピー入り、&虹が壊れ掛けているビジュアルVer.のポスターは日本国内のみでの展開だったらしく(インターナショナル版では ↑ で貼ったビジュアルVer.で統一されていた様だが)、ストレートに解釈するのなら此の文句&虹が端から崩壊しているという一種メッセージは、日本人に向け発信したのかナ???とも。

・・・で、余談になるが(一般の観客側で見かけた方はあまりいないとも思うのだが)↓ の第5話「鴉 (英題:Crows)」をモチーフにしたレアなポスターも存在するので、此の機会に紹介してしまおうかと。(以前遣った『オムニバス映画祭』特設頁での解説の際は出しそびれてしまったので)

https://www.z-z.jp/imgur.cgi?i=7jm7eP8.jpeg

本作の制作陣は正真正銘ドリーム・チームで間違い無かった・・・と思うのだが、黒澤監督の見た(見てしまった)夢の方はというと、同じ夢は夢でも(特に未来に関しては特に)燦然と輝く様な(?)明るい方向だけでは無かった様である???・・・イヤ、明るい、暗い未来というよりも(映画全篇を観てしまうと)どうも寧ろ将来(*要するに今現在の世界という事なのだが)への警鐘の要素の方が強かったのだろうと感じる。
↑ の最後のポスターは当時全く見掛けなかったのだが・・・ライトなクロサワ✖スピルバーグ版ポスターの裏(?)で、シッカリと(少数ではあったのだろうが)ネガティブな此の「鴉」ポスターを刷っているあたり、世界のクロサワという以前に邦画界の巨匠・黒澤明が放ったという事なのであり、未来の日本人に対しての『此れだけは云っておきたい』~という核心的メッセージを込めていたのだと。



≪2025.4.25 (金) ≫

明日からGW(ゴールデンウィーク)が開始という事で今年は4月26日(土)~5月6日(火)の丸々休むと最大11連休となるソウだから、何とも羨ましい限り。
ウチの事務所もGWにあやかって2日位は休むか???(苦笑)というソンナ感じなのだが、此の期間は映画館にとっては書き入れ時という事でもある訳で、此処を読みに来て下さっている方も出来たら1、2本は・・・と、やはり映画は劇場で観、体験するとイイ想い出も出来ますし、出来たら足を運んで貰えると大変嬉しく・・・

・・・と、こんな事を書いていますが(先にも書いた)「ナバロンの要塞」の快進撃が “未だ止まらず” の様なので、ホント・当たり処によってはこんな事に成るんだネ・・・
今は配信 etc という至極便利なツールがあるので、もしかしたら1961年制作という旧作でも、新作と互角に勝負出来る環境が出来つつあるのかも。(本当に多くの映画ファンが「ナバロンの要塞」を未見だったという事なのだろうが)
本作は色々な事情があり、ハリウッドで活躍していたプロデューサーがイギリスに渡って制作した完全なる英国産の戦争映画であり(解説文にハリウッド映画と書かれているモノもあるが、これは世界配給がコロンビア&出資もしている事から英米合作となった)・・・それから、何処にも本作の制作国に表記されていないのだが、「ナバロンの要塞」の撮影にはギリシャ政府、軍がかなり協力しているとの事なので、要するに物語の舞台も含め実質・ヨーロッパ映画の色がかなり濃い訳で・・・だからなのだろうが、一般的なハリウッド産・戦争映画とは一線を画している面もあり、其処が若干(今になって)ウケているのかナ?という節も(個人的な考察としては)ある。



・・・と、いつまでも此の話で引っ張るのも何なので、此処で「ナバロンの要塞」話については完全に打ち止め!。

暫く前から『映画・アニメ-ション データファイル』総合TOP頁で告知していて、其の後音沙汰なしの状態が続いていた『ターミネーター:シリーズ特集』の頁ですが、此のGW目前の先日~本日に掛け、満を持していよいよUPしました。↓

https://www.mmjp.or.jp/gigas/vol1/GIGAART1-TERMINATORS

此れは第1弾で、第2弾も本GW中にUPする予定なのですが・・・今回はターミネーター:シリーズ全6作を丸々フィーチャーするという(他方ではあまり無かった?)特集を行いますので、此の機会にシュワちゃん演じるT-800、リンダ・ハミルトン演じるサラ・コナー etc に会いに(?)全作網羅して貰えると助かります。



≪2025.4.30 (水) ≫

本日で4月も終了という事でイソイソと書きに来ましたが・・・
先に書いたターミネーター:シリーズ頁ですが、『映画・アニメーション データファイル』総合TOP頁で告知を正式に開始したのが(記録を見ると)モウ2年半ほど前になるのかナァ???・・・其の後に何度か遣るチャンス=機会はあったのだが、要するに、実際にUPするタイミングを見失ってしまいまして!(苦笑)。

実は昨年の8月には(いよいよ重い腰を上げて?)いよいよ!・・・と、本当に立ち上げる寸前まで行ったのだが、他のイベント etc の予定が入ってしまいまして、此れが最後の順延となったのだが。

何故にこうも遅れてしまったのか?。一つには映画ターミネーター:シリーズを全てとは云わないが、何本か御覧になった方ならお解りの通り、内容面の其のシリアスさを説明し出すなら、SFアクション物の中で隋一としてもイイ程ヘビーであり、生半可な覚悟では特集を組めなかったのだナ。
・・・まぁ、此の辺のニュアンスは映画ビギナーの方だと少々解り辛いのかも知れんが・・・脚本・監督のジェームズ・キャメロンがシリーズ第1作を発表した1984年には、リアル(現実)の世界がこうも急速に映画の世界観に近づいて来るとは(正直な処)殆ど誰もが夢にも思わなかった筈で。
其れは人工知能についてもソウだし、最終戦争(全面核戦争)との関連性、ロボット兵器&ドローン etc ミリタリー関連の進化についても、まるで本映画シリーズが(現実の)お手本になった???と思えてしまう程の先進性で、一方のタイムトラベル物でもあるというパラレルな構造も相俟って、簡単に解説等々をする訳には・・・という、(要するに)此の手のジャンルとしては “大物中の大物” な映画シリーズという事もありまして。

加えて・・・まぁ、此れがウチで本特集を一歩踏み出すのに躊躇してしまった一番の原因(理由)なのかも知れんが・・・創作した張本人=キャメロン自身が「1」「2」以降の続編を認めない発言を繰り返して来た事情もあり、皆が皆 《シリーズ全体を把握する》 という方向に二の足を踏んでしまった・・・恐らく此れが他方で「1」「2」と、その後の続編との断絶が出来てしまった最たる原因であり、本特集の様な企画が成立し辛かった一番大きな理由かと。・・・もしかしたら、本記事をマイケル・クライトン ✖ ジュラシック:シリーズで始めていなかったら企画自体がオクラ入りか、若しくは更に先に行っての御披露目となっていたのかも。



≪2025.5.7 (水) ≫

本記事はジュラシック・パーク&ワールド:シリーズやダグラス・トランブル、映画「夢」の裏話 etc etc と特撮映画と其の時代背景との関係性について語って来たので、映画ターミネーター:シリーズについて触れない訳にはいかなかった???という事でも無いのかも知れないが(苦笑)(タイトルも『新時代探訪』と名付けてしまったし)・・・まぁ、記事の方向性としては特撮&現行の時代性としては(タイトル的には)ジュラシックよりもコッチの方が合っているのかも知れんが・・・

イヤ、とはいっても両シリーズは相反する関係では無く(専門家の方は勿論御存知かと思うのだが)妙に繋がっている面が多々ありまして・・・先ずターミネーター:シリーズの1作目から特撮を担当しているのがスタン・ウィンストンであり、CG=VFXは2作目以降・全作ILMが参加している。
特撮映画という視点で考えるのなら、ドチラかが欠けていても(もしかしたら)こうも上手く成り立たなかった?という位に親密な関係にあってですね(製作本数も今現在まではシリーズ総6本と同数)。

まぁ、一番顕著なのは両シリーズ共に特撮マン=スタン・ウィンストンのカラーが色濃く残っており、此の伝統を守っている処は双方(歴代・ゴジラ映画と円谷英二とのリレーションと似て)云わば特撮映画の型を押さえているのだとも。
・・・以前、偶然スタン・ウィンストンのインタビューVTRを見た事があるのだが、その中で・・・『私が一番尊敬しているクリエーターはミケランジェロなんだ』・・・と(冗談めかしてでなく)真顔で話していた処をみても、映画以上の映画を作りだそうとして来た(?)その背景が見えて来る様で非常に面白かったが。



≪2025.5.18 (日) ≫

色々ありまして、追記が遅れ申し訳ありませんでした。

本日映画「ターミネーター」のシリーズ「1」「2」の話を書こうと思っていたのですが、今此の文を書いている現在は既に深夜23:28となっていまして、今日載せる予定だった内容は日を改めて明日19日(月)に書こうかと・・・


・・・ソウソウ、此れも書いとかないとイケナイ(?)のか・・・先月本記事内で(同じくタイムトラベル物の)「バック・トゥ・ザ・フューチャー」トリロジーにも触れるという様な事を書いていましたが、勿論、ソッチの方も追って書いていきますので、今暫く御待ち頂ければ助かります。



≪2025.5.19 (月) ≫

「ターミネーター」シリーズで一番人気は(大方で皆が皆称賛する)「2」である事は間違いの無い事実なのだが・・・かくゆう当方で主催しているウェブアワードでも(黎明期とも云える)2011年度・第3回で行なったテーマ ⇒ “映画シリーズ&続編祭” の際に此の「ターミネーター2 (Terminator 2: Judgment Day)」が見事グランプリに輝いておるので、ウチと所縁があるといえば(今記事にもしているし)事実ソウなのだろう。

当時の一般投票における歴代・オールジャンルの続編作品において(実は)本作が堂々断トツの1位。(*2位はコッポラの「ゴッドファーザー PART II」(1974) だった)・・・只、其れは単作における続編枠という話で、シリーズ全体としての総得票数ではやはり「スター・ウォーズ」のオリジナル旧三部作(1977-1983) であった為、最高賞の行方としては映画シリーズ全体として「旧SW三部作」に対しグランプリ、又続編作品の単作として「ターミネーター2」にもグランプリを授与、得票数2位の「ゴッドファーザー PART II」は準グランプリという形で賞を締め括ったのだった。
『何とも玉虫色な』~と(苦笑)、その様な感想をお持ちの方もいるだろうが、当時は一般投票の意向を尊重する傾向が(今よりも)かなり濃く、Web票の行方がダイレクトに受賞へと繋がっていた面もあったからなのだが・・・今振り返って考えてみると、審査員と実行している事務局としては其の調整優先で動いていた印象もありまして。で、↑ の結論に至った・・・という訳。(*以前にも記事で書いた記憶があるが、今だったら思い切って「ゴッドファーザー PART II」は其の年の受賞対象から外し、別のテーマ&機会のグランプリ作品にまわす方向で推挙したかと)

話を「ターミネーター2」に戻して・・・「ターミネーター」シリーズで興味深い処は、同シリーズで「2」だけが突出して人気が高く、他の続編は上位に全く姿を見せていないという点で(他の続編の単作で挙げるとなると唯一98位に「3」がランクインしているのみ)。個人的に「4」はナカナカ巧く作られている、SF&特撮大作という好印象もあるのだが、データ内に入って来られない程に影が薄いという酷い情況で。
先にも触れたが、「2」が歴代・オールジャンルの続編TOPという栄誉に輝く大名画(という世間の評価)だというのに、キャメロンからバトンタッチされた他監督の作品となると(SFジャンル内に絞っていても)かなり評価が低いという理由は、一にも二にも「2」が優秀過ぎてしまい、後続作品の輝きが “相対的に負けてしまっている!” と考えるのが妥当なのだろう(?)と。
稀代の傑作と比較されると相当キツイというのは ↑ ≪2025.4.8 (火) 追記≫ でも書いた「ナバロンの要塞」と其の続編「ナバロンの嵐」との関係性と 《全く同じケース》 という訳なのだが・・・普通はヒット作の続編だと有利なポイントが多目な筈なのだが、場合によっては異なる。。。要するに其の非常に稀な “天然記念物的” 事例になったのだろうと。(・・・此の辺にキャメロンが続編映画の天才と評される所以がある)

・・・であるから、一部世間で云われている程に「2」以降の作品も決して駄作が続いている(?)という訳では無いのである(*ソウでないという方は、是非一度心を真っさらにし「2」以降通して観返して貰いたいのだが)。要するに「2」と比べさえしなければ!(苦笑)「ターミネーター」シリーズは大変に面白い、今こそ観る価値の有る先見的な(SWやジュラシック:シリーズと肩を並べる)傑作SF映画シリーズで間違いはない筈なのだが・・・只しかし、幸か不幸か「2」があった御蔭で続いて来たシリーズであるのも間違いはなく。其処の関係性がアンビバレンツに複雑な現象であり、本シリーズの内容を形容しているかの如く興味深い、映画史的に大変面白い物理現象である事も(専門家にとっては)云えまして。



≪2025.5.20 (火)≫

昨日は「ターミネーター2」&以降の続編の事ばかりに触れて、↑≪2025.5.18 (日) 追記≫ では「1」の事を書くとも云っていたのにスルーしてしまい(「1」ファンの方には)本当に申し訳ない。1984年制作のファースト・ターミネーターについては本日語ります。

あくまで当方のデータ上なのだが、此の「ターミネーター」1作目のWeb人気は今もかなり高く、歴代SF映画枠の21位となっている。・・・因みに21位というのはクリストファー・ノーラン監督の「インセプション」(2010) と同位。2つ下の24位には同じキャメロン監督の「アバター」(2009) がランクインしておるので、(他と比べ)かなり低予算&旧作のハンデがある「ターミネーター」1作目の存在感はかなりのものと思う。

「1」に対しては個人的にも色々想い出があるのだが・・・当時(先にも触れた)第3回・ウェブアワードの表彰を御覧になった方(「ターミネーター」ファン)から此方に電話が掛かって来た事があって、其の内容は要約すると 《「ターミネーター2」よりも「1」の方をグランプリにしなさい!》 ~という抗議めいたモノだった。
今だと『何故にそんな「1」に熱心なの?』と不思議がる感じなのだろうが、当時は「1」vs.「2」という位に同シリーズ内でファンの対立があった様で、「ぴあ」の点数表でも「1」が『★★★+1/2』と高評価だったのに対し、「2」の方はというと何と『★+1/2』と(苦笑)かなりの低評価で、「1」を好きな人ほど「2」に対し『あんなのはターミネーターじゃねぇ!!!』という風にアレルギーが出る人が続出していた・・・そういう時代がかつてあったのだナ。

当方で昔「2」をグランプリにしておいて、こういう事を書くのも大分矛盾している様なのだが・・・「2」に対し『あれはターミネーターじゃない!!!』と感じたソノ感性は物凄く大切だったのだろうと。・・・恐らく「1」を熱烈に愛していた映画ファンほど、その傾向が強かったのだろうが・・・
良くも悪くも映画メディアに対し皆が皆熱のあった時代で、「1」のB級テイストな手作り&アナログな作風から、「2」の高級なスケール感UPを全面に押し出し&デジタル仕様への転換は(当時)技術面での過渡期という事もあり、「1」 ⇒ 「2」作品フェイスの変わり様に対し(敏感なファンほど)その戸惑いというのは、決して間違ってはなかったのだろうと。・・・中には「2」の脚本・監督を担当したキャメロンの裏切りと捉えた方もいたのだろうが、(キャメロンからしてみれば「1」「2」と同じ事をしていても意味がないと割り切ったのだろうケド)当時の映画ファンは本当によく中味を租借し観てくれていた訳で、今考えると皆が皆一生懸命で、ホント良い御客さんだったのだと思えてしまう。



先週この記事を書く為改めて「1」「2」を観返したのだが、『あ~なるほど、なるほど』と、久々に2作共ジックリ通して観て新しい発見も幾つかあり・・・
「1」が物凄く低予算だったいうのはかなり有名だが、今観ても妥協無く大変シッカリと作られており、特撮物として奇跡的な完成度を誇っていると感じる・・・確かに此の「1」が在ったからこそ「2」が出来、映画シリーズ6本、+TVドラマシリーズ(ターミネーター:サラ・コナー クロニクルズ)全31話まで続いたのだと考えると、正に其の根拠が「1」に集約しているのだと感じる。

紛れもなく「2」は傑作だが、拙者も幼い時期に「1」と出会っていた事もあり、もしかしたら想い入れという点では「1」の方が強いのかも?と。
マイケル・ビーン演じるカイル・リース役は、恐らくキャメロンの分身と見てまず間違いないのだろうが、此のエクセントリックに情熱的な、又、不屈の精神の持ち主でなければ「1」は完成出来なかったと思われる。
・・・因みに「2」の劇場公開版では編集段階でカットされてしまったのだが、後の1993年にVHSビデオで発売された16分長いVer.の「ターミネーター2 特別編」では、ある場面で此のカイル・リースが1シーンだけ再登場しておりまして、その際の台詞の中に・・・『未来は変えられる。運命なんてない。自ら作り上げるものだ。 (The future is not set. There is no fate but what we make for ourselves.)』・・・~というのがありまして、此れ位のある意味でウザイ、根性の持ち主でなければ「1」クオリティの完成には漕ぎ着けられなかったのでは???と。



≪2025.5.28 (水)≫

先週から本日28日までにターミネーター:シリーズの「3」「4」「5」を立て続けに再鑑賞しました。
本日早速その話を書こうと思っていたのですが、今現在PM11:35と夜も更けましたので、「3」「4」「5」とその関連の話については明日29日に書こうかと。



≪2025.5.29 (木)≫

「ターミネーター3」はオリジナル脚本&原案を務めた本家キャメロンから三行半を突きつけられる位の勢いでダメ出し(要するに続編としては最も認めない作品と認定?)を喰らってしまったらしいのだが、というのも本来ならエドワード・ファーロングが「2」に引き続きジョン・コナー役を演じる予定だったのだけれども、本人が薬物事件を起こして降板させられてしまった(同役は「3」のみニック・スタールが代役)。まぁ・・・云ってみれば此れが本シリーズのミソの付け初めで、此れを切欠に何をしても(世間的には)上手くいっていない印象が付いてしまった感も手伝って、そういった烙印が???。

何しろ他でも無い人類の救世主を演じた人物(*当時は俳優というよりは子役)が、現実には完全な虚像だったという印象が付いてしまった???のだから、ファーロングの降板は自己責任で仕方が無かったのかも知れんが(本人にしてみれば『元々俺は救世主でもなんでも無いし!』~という気持ちなのだろうケド)。
・・・まぁ只、実際の世間的、大方の映画ファンの心象はドウなのか?正直な処解らないのだが・・・制作陣の怒りの矛先はファーロングが的に成っている一面があるのは確かな様で、キャメロンにターミネーターの映画化権が戻った一発目=2019年制作の「ニュー・フェイト」=「6」ではファーロング本人が25年前の姿(*若い頃の映像や写真を元に、顔の3Dモデルや表情パターンをデジタルで再現)で、デジタル加工前の演技でジョン・コナー役に復帰したのだが、冒頭たった5分であっさりT-800に✖✖されてしまうという、仮にも「2」で救世主の子供時代を演じた俳優に対し(セルフパロディでもないのだろうから)あんまりといえばあんまりの扱いなのだが・・・まぁ、正直な処、他で誰も言わんので此処で書きたいのだけれども(キャメロンからしてみればケジメを付けさせた、意味ある場面だったのだろうが)何か本来の趣旨とどんどん方向がズレて行ってしまっていて、この冒頭のシーンはその象徴的な個所(観客側からしてみれば完全にいらなかったシークエンス)だったのだろうネ。

新章(キャメロンが直接関わっていない作品群)の助走「3」&跳躍「4」をジックリ観返して貰えれば解ると思うのだが、実質シリーズの主役はT-800やサラ・コナーではなく(後にも触れるがマリオ・カサール、アンドリュー・G・ヴァイナら制作陣は、主要キャラクターのサラ・コナーをTVシリーズ=「ターミネーター:サラ・コナー・クロニクルズ」で主役扱いにし割り振った)、ジョン・コナー中心のストーリー展開であったのだから、エドワード・ファーロング退場という此の最初のつまずきは、一般の認識よりも(かなり)大きかったと思われる。
・・・只、(繰り返す様だが)心をゼロにして「3」「4」を観返したのなら、肝心の作品内容としては云われている程そんなに(?)悪くない。・・・こう書くと『良くもないのだろう?』と思われるのだろうが(苦笑)、是非こう考えて貰いたい。仮に「3」「4」がターミネーター:シリーズではなく、単品のSF映画として公開されていたならば、こうも不評を買う事は無かったのだろう(?)という気もしていまして。
特に「3」は日本で興収82億とシリーズ歴代2位の大ヒット。単に「2」の続きというだけなら、此れだけの成績は叩き出さなかったと(ウチとしては)分析しており。

恐らく「3」の興行面での成功は「2」のTV放映やレンタル・ソフトが牽引したのは間違いないのだろうが、「2」を観に劇場に足を運んだ所謂・映画ファン層だけではここまでは絶対に当たらない・・・要するに監督の演出、俳優の演技、ストーリー、テーマ性 etc etc 寧ろ映画作品として優れている点が大きくあって、幅広い観客層の心に刺さるモノが多々あったからこそ、云わば皆「3」のオリジナルな要素に惹かれて劇場に足を運んだものと思われるのだナ。



「3」と「4」の間の2008年から放送されたTVシリーズ=「サラ・コナー・クロニクルズ」をチェックした方は、日本では殆どいないらしいのだが(日本国内の地上波ではフジテレビ系・深夜に各話大幅に短縮されたVer.が放送されたらしい。但しセカンド・シーズンの3話分が未放送のまま番組枠消滅)映画版の新章とは全く異なる時間軸の展開となっているのだが、実の処、SF業界的にはコッチのTV版の方が映画版の新章より評価が高い(第34回サターン賞・TVシリーズ部門を受賞)。
正直此のTVシリーズをチェックしとらんと(映画版の新章と直接的な繋がりはないのだが)深い処で「3」「4」を理解出来ない面がある筈なので、制作サイドはかなり此のTVシリーズに賭けていたのだろうと。
・・・本TV版はシリーズ唯一シュワちゃん演じたT-800が一切登場しない作品で、SFアクション物よりは(ターミネーター:シリーズでありながら)ドチラか?というと人間ドラマが主であり、ストーリー&シナリオ面にかなり注力している処にも注目(今だったらノーカット版が配信で一気に観られるのでお勧めです)。



≪2025.6.3 (火)≫

次の話題はいよいよ「5」にあたる「ターミネーター:新起動/ジェニシス」という、一つ間違えると日本のロボット・アニメみたいな邦題ですが(苦笑)、元々の英題はシンプルに「Terminator Genisys」だから直訳すると「ターミネーター:ジェニシス」となるので、後々(?)まぁ、恐らく先にいったらパッケージ等々の邦題はコッチに成るんじゃないか?と・・・

此の「5」の日本公開日は2015年7月10日(金)で、本記事 ↑ で27枚コラージュまでした「ジュラシック・ワールド」一作目の日本公開日が2015年8月5日(水)だから、26日間ズレてはいるが同じ夏休み興行の競合相手の1本であったのだナ。
「5」は(先に書いた通りの事情もあり)個人的に複雑な想いがありまして、若干手放しに論評出来ない処があってですね。

恐らく邦題内に『新起動』という文句があるのは、キャメロンが直接携わった(オリジナル版と云える)「1」「2」の制作スタッフが、此の「5」で全ていなくなり(草案時から長らくデザイン&特撮を担当して来たスタン・ウィンストンも前作「4」が遺作となり、2008年6月15日(日)骨髄腫のため死去)オリジナル版の名残りは主役を務めるシュワちゃんのみと成った為なのだろうが・・・
此の年は先に触れた「JW」と2015年12月18日(金)に公開された「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」もソウなのだが、新世代のキャストにバトンタッチしたSF映画が立て続けに公開された年でもあって、本作だけシュワちゃんが老体に鞭打って(?)主役で踏ん張っているという(こういうのは殆ど玄人だけの目線?)実は其処が2015年興行の中で際立った見所でもあったのだナ。



≪2025.6.12 (木)≫

2015年のウチの状況はというと、先ず一にも二にも「JW」という方向だったと記憶しているので、勿論勿論「ターミネーター:新起動/ジェニシス」には見向きもせず・・・という訳ではなくて!(苦笑)、確か本「5」に関しては何回か記事で取り上げた筈。
因みに此の年はもう1本SF映画の大物=「マッドマックス 怒りのデス・ロード」が一足先の2015年6月20日(土)に公開されていたのだけれども、ソッチの方は一切取り上げなかったと記憶しているが・・・ウチとしては当時SF映画の大作&話題作で全く触れなかったのは此の「デス・ロード」1本だけだったかと。(*この時期は2015年6月13日(土)から公開の某・日本のアニメ映画に付きっ切りで忙しかった為)

「5」を少々論評するとなれば・・・大変面白く作られているのは確かなのだけれども、今一歩で何かが足りない(?)という印象も同時にあり、まぁ、ターミネーター:シリーズとしては『可も無く不可も無し』というのが同ファンの中では一番的確な形容であったのだろうか(?)と。
「5」は北米で批評家から酷評の嵐があった事もあり、興収が伸び悩んだ(北米ボックスオフィスにおいて初登場3位)のだが、世界興収では大ヒットを記録しシリーズ歴代2位にまで登り詰める好成績をあげた。
批評家からはかなりの駄目出しをされたが、世界中のターミネーター・ファンの感触から考えれば『まずまず』の結果と云えなくもなく、家元ジェームズ・キャメロンも当初は本作を『最新作は私にとって「ターミネーター3」だ!』~と、初めて続編と認めるかの如く大絶賛していたのだから(*只、この発言は後にキャメロン自らで公式に撤回)、「5」がターミネーター新章の最も優等生的に “続編らしい続編” という事は云えるのかも。



・・・で、いよいよ「6」にあたる「ターミネーター:ニュー・フェイト」がキャメロン原案・制作・製作総指揮・編集により2019年に公開されたのだが・・・「6」に関しては ↑ ≪2025.5.29 (木) 追記≫ でも少し触れたが、此れ以上ウチで何かを書こうという気持ちも意思も全く無く。(公開時には大部肯定的な記事にもし、随分持ち上げた記憶もなくはないのだが)

キャメロン自身『「6」は全てが誤算だった』と失敗を認めつつも、『作品としての出来には満足している。順位をつけるのならシリーズ中で第3位だ』(← こう言い切ってしまう処は流石?)なんて発言もしていて、今もポジティブな姿勢は崩していない様なのだが・・・
まだまだターミネーター:シリーズ継続の意欲も強くある様で、2023年にはキャメロン自ら「7」の脚本を執筆中だという事が明かされ、2024年には「7」の企画が進行中というニュースが業界を駆け巡った・・・其の肝心の内容はというと、ドウモ「7」は此れまでの作品とは隔絶された、全く新しい解釈に成るとの事で、此れまで主要キャラクターだったサラ&ジョン・コナーは全く絡まないストーリー展開になるとの事。

ファンからしてみれば『えぇ~~~~!?』と、多くが期待半分、不安半分の声が聞こえて来そうな構想らしく、ここまで来たらライフワークとして(命尽きるまで)ターミネーター:シリーズを作り続けてほしく、此方もとことん付き合いたくなって来たのだが・・・
先に触れた(キャメロンが直にタッチしていない)TVドラマ=「ターミネーター:サラ・コナー クロニクルズ」の世間的な評価が高いのも、何となく「1」風のB級テイストが巧く嵌っているからなのかナァ???・・・という気もしていまして。基本的にはキャメロン主導の「6」&別プロデューサー・監督にバトンタッチした続編「3」「4」「5」何れも、大ヒットした「2」のビッグバジェット&高級シート(ある意味で云わば全盛期の『カルロコ社』風な)仕様で、「1」時代の殆ど “根性と独創性に富む良アイディアだけで作っていた” ハングリー精神(死語?)が今や完全に抜け落ちてしまったというのはあるんかも知れんネ。

もしキャメロンが「7」を本気で成功させる気があるのなら、是非「1」時代の初心に還った(ターミネーター本来の映画的に中味重視な)方向をもう一度観たい気持ちはある。



≪2025.6.20 (金)≫

・・・と、此処からは「ターミネーター:シリーズ」と「ジュラシック:シリーズ」&ジェームズ・キャメロンとマイケル・クライトン etc との関係性、色々な相関図みたいな事を書こうと思うのだが・・・両シリーズと人物というよりは、マイケル・クライトンという類い稀な才能が先ず在って、其処から色々と枝分かれしていったと考えると解り易いのかも?。

今「ウエストワールド」と云うと原案・制作・制作総指揮:ジョナサン・ノーラン&製作総指揮:J・J・エイブラムスのHBOドラマ版を思い浮かべる方が多いのかも知れないが、此のTVシリーズには原作にあたる1973年制作の映画「ウエストワールド」という同名作品があり・・・又本作はヒットした事により1976年に続編「未来世界」が制作された。(*因みに近年のTVシリーズ後半は、主に此の映画続編=「未来世界」の方向に傾倒していった印象もあるが)此の「ウエストワールド」映画一作目が作られた事が後にジュラシック&ターミネーターの両シリーズが誕生するのに非常に大きかったのである。

映画「ウエストワールド」には原作が無く、マイケル・クライトンがオリジナル脚本を書き監督も兼任した。先にも書いたがクライトンは元々映画監督志望であり、既にジョン・ラング名義で小説家として成功していたが、本作をデビュー作として映画監督に華麗なる転身を成すつもりだったのだが、事はソウ簡単には進まず・・・
今観直すとかなり先進的な内容で、あたかも今の時代を予言しているかの如き企画だと思われるのだが、当初クライトンの此の企画を映画メジャー各社は『SFとしても荒唐無稽』と判断し、尽く却下している(*後にクライトンは初稿の脚本に手を加え、MGMで制作にGOが出る事となるのだが、MGMは撮影初日まで脚本の手直しを要求)。
クライトンは本作をSF小説としては全く表現せず、プロデューサーのポール・N・ラザルス三世が『何故事前にこのSFを出版しなかったのか?』とクライトンに訊いた処、本人の回答は『本ストーリーは映像向けで、活字媒体では上手く伝わらない』~だったとの事。
此の『活字媒体では伝わらない』というのが(実は)ミソで、此れは云わば普段クライトンが文体で表現していたモノを、「ウエストワールド」では映像表現のストーリーテリングで具体化させてゆく・・・という宣言であり、幾つかは(当時の撮影手法 etc という制約の中で)かなり成功していると思う。



実はキャメロンは此の映画「ウエストワールド」を10代の時に観ていたと語っており、更に・・・『此の映画ではAIロボットが自らの意思で創造主(人間)に反抗する。僕は此れを「ターミネーター」のアイディアの土台とし、推進力あるアクション映画にする為にはどうするべきか?を考えたんだ』~とまで吐露。(2019年「ターミネーター:ニュー・フェイト」公開時のインタビュー記事から)
「ウエストワールド」でユル・ブリンナー演じた『ガンマン406号 (Model 406 Android)』という精巧なアンドロイドが、シュワちゃん演じた『T-800』のルーツだという(SFファンなら皆解っていた?(苦笑))衝撃の事実がキャメロンの口から直に語られたのだから、本来なら此の述懐はSF映画史の大変なニュースであった訳で・・・

確かに『ガンマン406号』『T-800』の両者(二体共)全身黒ずくめだし、無表情&執拗に人間殺戮の為追って来るというパーソナリティは『まるでロボット兄弟?』という位に似ている様にも。・・・シュワちゃんもユル・ブリンナー演じた『ガンマン406号』のロボット動作を参考にしたと、過去(公式に)語っており、「ターミネーター」監督&主演共に「ウエストワールド」へのリスペクト度合いは半端で無い様。

当時此のクライトンのアイディアに、キャメロンが非常に興味を示したというのには(今現在だと)多少の説明が必要なのかも知れない。
当時のロボットに対する定義の主流は生化学者(ボストン大学教授)&作家であったアイザック・アシモフ (Isaac Asimov) が提唱した『ロボット三原則 (Three Laws of Robotics)』であり、其の “いの一番” である第一条には
《ロボットは人間に危害を加えてはならない。又、その危険を看過する事によって、人間に危害を及ぼしてはならない》 と成っていた為、此れを基準に素直に考えたならば『ロボットが人間に逆らうなんて言語道断!』『プログラム以外、其れ以上の思考をするなぞ考えられない!』と、其れが常識的な(当時の)特にアンドロイドに対する認識だったのだナ。

更に説明を加えると・・・当時でも勿論・元から犯罪や兵器 etc 目的として製造された、所謂『悪役ロボット』キャラは数多く映画、TV作品に登場してはいたが、「ウエストワールド」に登場したアンドロイド達は其れ等のモノとは(質的に)一線を画しており、此の辺のリアル且つシリアスな領域に本作で警鐘を鳴らす価値が大きくあった訳なのだが・・・で、其の絶妙にSFにおける革命的とも云える思考に、SF目利きのキャメロン体内に電流が走った(?)のは想像に難くない。

・・・ただ同時に、キャメロンは『ガンマン406号』がラストで見せた内部構造には大きく不満を示しており、『あの頭部の内部があたかも空洞になっているかの様な造形にはガッカリした。だから『T-800』の内部= 《エンドスケルトン》 を説得力あるデザインのモノにする為、スタン・ウィンストンと共に一から築いていったんだ』~という事で、此処からが「ターミネーター」のオリジナル性を追求する分岐点であり、切欠であり、スタートとなったソウである。・・・此の辺は映画が生み出される “シナプス段階の” プロセスが垣間見れ、大変面白いですね。(*先日「1」を観返したのが、ナルホド、此のT-800の中味であり内骨格=エンドスケルトンが(大型タンクローリー爆発後の)燃え盛る炎の中で露出&立ち上がる場面の盛り上がりが(音楽も含め)全篇を通し一番の様に見えるので(苦笑)、トリビア的にキャメロン印の映画「ターミネーター」の肝は “正にコレ” というのが解る)



≪2025.6.22 (日)≫

云ってみれば、クライトンは「ウエストワールド」でアシモフの『ロボット三原則』に真っ向から異を唱えた様にも見える。
恐らくメジャー・スタジオ各社が本企画に『SFとしても荒唐無稽』と中々GOを出さなかったのも、SF作家御三家(The Big Three)の一人であるアシモフの “絶対的な” 権威に反抗した形に成ったというのもあったからなのか???。
旧来のロボット哲学を信奉していた専門家からしてみれば、正しく神を殺しに掛かって来た(子羊が羊飼いを殺める)のと同意にも成る訳で、そういったコンサバティブな側からの受け取りは正しく『パンドラの箱を開けてしまった』位のインパクトだったに違いない。(・・・他でも無い、それまでのロボット開発の大きな前提はアシモフのサイエンス・フィクションにあったのだから、クライトンも別ベクトルのサイエンス・フィクションで自身の考えを主張したのだナ)

「ウエストワールド」発表の9年後に作られたリドリー・スコットの「ブレードランナー」(1982) (*恐らく本格的な制作にGOが出たのは続編「未来世界」(1976) 公開後?)も、ソノ点ではやや反アシモフ的な匂いがプンプンする(?)所謂・ディストピア映画なのだが、仮に「ウエストワールド」にGOが出ていなかったとしたら???と考えると、特に「ブレードランナー」はあれだけのビッグバジェットであった訳で、制作に漕ぎ着けるのは(大分)難しかったのかも知れんよね。
・・・まぁ、個人的には「ウエストワールド」「ブレードランナー」共に、21世紀に入った(サイエンス・フィクションでない)現実の未来世界=此れ迄のテクノロジーにおける進化の過程を鑑みると、かなりの精度で正しい予測であったと考えられるし、正直な処、此処まで来るとクライトンの主張の方にかなりの現実味、説得力がある様には見える。・・・要するに、(アシモフが理想としていた様な)AIロボットがプログラム通り人間に都合のイイ体裁に納まる方向には、ドウモ(現実が)行っていない様に見えるのだ。

もはや現実のドローン etc ロボット兵器にアシモフのロボット三原則なぞは(それが当たり前かの様に)全く適用されていないし、現実の戦場というのは極度にシビアな空間であり、我々が普通に過ごしている日常とは隔絶されていると認識しがちなのだが、テクノロジーに関しては後々かなりの確率で一般の生活域にも反映される面もあり・・・もはや今の世間では 《ロボット三原則なんて何処ぞの物か》 という具合に過去の遺物扱いにされてしまっているソウで・・・まぁ、色々なSF作品を例に挙げるまでも無く、現実がソウイッタ方向に行っているのは100%間違いのだろうネ。
・・・下手をすると人間 etc 有機体中心という様な今の常識的な概念自体も “前世紀の遺物” になり掛けている???という(一種妄想的な?)見方も世間に一部あってですね、正に「ターミネーター」の世界観にあと一歩の処に迄来てしまっている???・・・多分此れが正しい(?)『SF的』思考の現状分析なのだろうと(*注・当然の事ながら、未来がそうなっては不味いという事を此の場を使って書いているだけなのだが)。



≪2025.6.30 (月)≫

6月も本日30日が最終日で、この地点で一年の折り返しではジャストとなる事から書きに来ましたが・・・

頁タイトル最後に『前期』と表記していた事から、本日で本頁も締め・・・というつもりでもあったのですが(苦笑)、折角・今の記事内容(マイケル・クライトン話、ターミネーター関連 etc)も大詰めで盛り上がって来ており、アクセスも上昇して来ましたので。
もう少しキリの良い処まで、このまま本頁で続けようかと。・・・と、云っても7月半ば位までだと思いますが。

↑ ≪2025.6.20 (金) 追記≫ で、キャメロンが10代の頃に映画「ウエストワールド」を観た際、『アンドロイド頭部の内部構造が空洞の様になっていてガッカリした』~というキャメロン若かりし頃のガッカリ・エピソード(?)を書いたのだが、此処はモウ少し突っ込んで解説しておかないとイケナイか?とも思い。
何しろクライトンが『ガンマン406号』頭部内部のデザインを、こう空洞にした事で(史上稀な)人気映画&TVシリーズが誕生したのだから、ソレだけで物凄く意味があったのだとは思うのだが・・・

只、もし時間がある方は本映画をモウ一度観て確認して貰いたいのだが、本編時間52:30~53:10(*ソフトによって時間が異なる)にある、『ガンマン406号』をメンテナンス&聴力アップの新ユニットを試す為、デロス社の科学者が頭部を開けるシーンが(瞬時)あって、確かに頭部内部が空洞になっている事に間違いはないのだが、まるっきりの空洞という訳では無くてですね・・・(内部をチェックする為)取り外したユル・ブリンナーを模した顔部分の裏に “メカニカルが” ギッチリ付属しており、要は(アンドロイドの)頭部の電子頭脳にあたる個所は(人間で云うと脳がある個所でなく)映像で確認すると顔パーツ裏に集中している・・・という事らしいのだナ。(*此処は10代の頃のキャメロンと若干見解が異なるが)

デロス社の設定によると本作のアンドロイドは自立的に稼働しているものの、基本的には中央コンピューターのシナリオに従って動作しており、必要以上の思考力は無いという事。(*映画の展開としてはその設定と異なる方向に行くのだが)
キャメロンが言っていたのは勿論、先に触れたメンテナンス中の場面では無く、映画終盤1:25:30~1:26:10辺りの『ガンマン406号』(多分此の場面でユル・ブリンナーは演じていないと思われるケドも)が黒焦げになったシーンからなのだが、ドウモ此処は、↑ ≪2025.6.20 (金) 追記≫ で書いたクライトンの意向・・・『映画「ウエストワールド」では映像表現のストーリーテリングで具体化させてゆく』・・・というのと繋がっているとも感じていまして。

何故に?クライトンはエンディングの大詰めに、アンドロイド『ガンマン406号』最期の顔アップ場面をキャメロンがソウ感じた様、(顔パーツ側に電脳機器類を集中させてまで)内部を空洞の状態として見せたかったのか???。其処を深く考えなければ本作の鑑賞意義は(もしかしたら?)半分以下に下がってしまうのかも。
・・・まぁ、色々な解釈があってイイと思うし、他の解釈があったなら是非教えて貰いたいのだが・・・要は「ウエストワールド」という人工空間は全てが虚構あり、アンドロイドの内部構造もハイテクな電子回路、ソフトウェア etc etc で満載だが、其処に真理は皆無であり、本質として『中身は空っぽなんですヨ』~というのを象徴的に伝えたかったからなのだろうと。

又、劇中アラン・オッペンハイマーという俳優が演じた、デロス社主任管理者(ロボット学者)役が同僚の学者達に語る台詞の中に・・・
『我々が取り扱っているのは、高度に進歩した特別な装置であり生物同様に複雑だが、実情はコンピューターがデザインした部分が膨大で、既に我々はどの機能かすら知らなくなった』・・・というのがあって、其れが “自我を持つ” という事の重大さは先の『虚構』と相俟って、ロボット工学にはよくよく考えなければならない(深淵な)テーマ&メッセージが本作の根底に強くあり、・・・個人的には当時よく此処まで作ったモノだと(慎重に観返していて)昨今感心し通しの次第。



≪2025.7.8 (火)≫

西部劇&日本の時代劇をある程度観ている映画ファンなら、勿論・御存知であろう名優ユル・ブリンナー演じたアンドロイド=『ガンマン406号』の容姿(黒ずくめのコスチューム、スキンヘッド etc)が、映画「荒野の七人」(1960) でユル・ブリンナー演じたキャラ=7人のガンマンのリーダーで主役であるクリス・アダムス役にソックリだというのに気付いた筈。
「荒野の七人」に登場したクリスは、大変な正義漢で早撃ちの名手ではあるのだが、ならず者(*この点ではリメイク元の「七人の侍」における勘兵衛とは設定がかなり異なる)であり、本来なら悪役キャラが得意とする拳銃の『ファニング撃ち』をクリスが多様するのも、元々クリスがならず者(ごろつき)という設定から来ている・・・という訳で。
1973年制作の「ウエストワールド」が公開された時代には、恐らく大ヒットした「荒野の七人」のクリス役は “正義の味方” 的な位置・ポジションの印象が(観客には)強かった筈なので、其処は映画「大列車強盗」(1979) で自ら原作を書き&監督としても撮ってしまう位の西部劇通=クライトンの拘りが炸裂している。・・・要するに「荒野の七人」でユル・ブリンナーが演じたガンマン役を、「ウエストワールド」では(容姿に併せ)本来の立ち位置に戻した事になっているのだナ。

・・・因みに「七人の侍」で志村喬が演じた勘兵衛という役は、敗戦続きの武将側についていた境地であり(末は浪人という不遇な身の上ではあるのだが)家系図で云う “侍の出” という素上は間違いが無く、当然の事ながら当時は武士階級の一員なのだから、只の無頼漢、荒くれ者の頭領というのとは大分違う。(勘兵衛は劇中かなり知的な戦術家の面を見せるが、此れは過去の実戦経験から得た手練れを示している)・・・まぁ、今で云う退役後の『職業軍人』として良いかと。

「荒野の七人」を観た黒澤明は、クリス役のバックボーンを “『南軍の元将校』とした方がもっと良くなった” と語ったソウだが、此の点は日米で勘兵衛に対する扱いに変化が生じていて面白い(興味深い)処である。
・・・只、其のクリス役について少々解説するなら、冒頭の其れまでは他の多くのガンマンと然して変わらない境遇であり、恐らくは無法者的な意識の方が強かったのだろうが、先住民の埋葬を巡って突如(?)ある種の内的境界線を越え、真のガンマン像(道)に目覚めた・・・~という(此の辺はブリンナーが「七人の侍」初見の際のインパクト、感慨を反映させた?)、一種宗教的とも云えるイニシエーション(通過儀礼)があってからこそのキャラクター像であり、此処がオリジナルに付加した要素としては肝であり一番大きかったかと。

クリスが南軍の元将校だとネイティブ・アメリカンとの関係性に、ややタブーな点も出て来て主旨がブレる事から、其処は(『西部劇』という究極にアメリカンなジャンルでもある訳で)直球にフリーランスな立場である(?)アウトローの方が多くの層から感情移入も出来、無難で良かったのではないか?と(個人的には)思う処もある・・・
此の時代には『修正西部劇 (Revisionist Western (genre) films)』というジャンルも一般的には意識する層も(殆ど)無かった訳で、日本の時代劇が原作である本作だったからこそ作れた(付け加えられた)構造のパーソナリティであり、登場させた事に当時・物凄く意義があったのだとは思う(*勿論・オリジナルである勘兵衛の存在感を本作で相当巧く踏襲している上での話)。



・・・と、此処からは他で触れられていない(此処独自解釈の)話になるのだが、『ガンマン406号』は映画「ウエストワールド」で(先に触れた)ファニング撃ちを一度もしていない。
逆に客の一人=リチャード・ベンジャミン演じるピーター・マーティンという男が(不意打ちで)一度ファニング撃ちをし、その際『406号』を倒している。(*此の際のヤラレ方が劇中一番の派手さで、実はかなり皮肉が効いた演出となっている)
(此処から更に複雑な話になる?)「ウエストワールド」での『406号』は確かに客に喧嘩を売って来る、ならず者風キャラではあるのだが、決闘スタイルとなるとかなり正統派で、「大いなる西部 (The Big Country)」(1958) でグレゴリー・ペックが遣った様な1対1で向き合って撃ち合うという、云わば古風とも云える個性が(アンドロイドの)『ガンマン406号』にはあってですね・・・

此の辺のアンバランスさは西部劇をある程度知っているファンへの(心を擽る)サービスなのか?、先に触れた様社会派な主張に重きを置いているのか???其の辺の解釈は観た方にお任せしたいのだが・・・まぁ、当方から一つ云えるのは、此の中央コンピューターからの(シナリオ通りの)個性に、『406号』は相当過度なストレスを感じていたのかナ???という風にも見受けられ、それで特に(不意打ちでファニング撃ちをし自らを倒した)客=ピーター・マーティンに怒りが爆発し執拗に追いかけた・・・という、何だかSFというよりも現代社会の暗喩みたいに “システムと個人” の関係性、悲劇性を描いている様にも見えなくもない。
クリス・アダムス&ガンマン406号を演じたユル・ブリンナーはミュージカル映画「王様と私」(1956) でアカデミー主演男優賞を受賞した名優であり、他にも「十戒」(1956) や「追想」(1956)、「ソロモンとシバの女王」(1959)、「戦うパンチョビラ」(1968)、「ネレトバの戦い」(1968) etc という数多くの名画、歴史大作に出演した。後年SF作品にも3本出演したが当人が来日した際、映画雑誌の記者から『貴方が出演した映画で一番のお気に入りは?』との問いに、名だたる作品の中から『「ウエストワールド」が一番好きだヨ』と答えたソウだから、当時の時代を考えてもかなりのSF目利きとして良いかとは思う。(80年代に雑誌でソノ記事を読んだ際は、正直な処アメリカン・ジョーク?と受け取ったものだが(苦笑))今此の記事を書く為に振り返ると、演じたブリンナー自身が大変な先見眼の持ち主であり、況してやジョークでは無かった事が解る。

・・・恐らくユル・ブリンナーが本作の出演依頼を断っていたとしたら、十中八九としてイイ程「ウエストワールド」は巧く行っていなかったのではないか???と考える節もあって、クライトンが初監督で未知数の企画であった為、ユル・ブリンナーは7万5000ドルという(ハリウッドのスター俳優としては)破格に安いギャラで引き受けたのだった・・・只、公表されている映画自体の製作費は5400万ドルと、当時のハリウッド映画としても大作扱いではあったソウで。(← 此の辺は正直な処、映画全篇と観比べるとチョット・・・というか、プレス向けに大分金額を盛っている感じもしますが)



ユル・ブリンナーの映画目利きという点では(「荒野の七人」でブリンナーは出演のみでしかクレジットされていないが)実際はプロデューサー的な役割を本作で担っており・・・切欠は俳優仲間のアンソニー・クインから『凄い映画を見つけた!』『Mr.クロサワが撮った「七人の侍」が劇場で掛かっているので観てみろ』と、まだハリウッドではメジャーに程遠かった黒澤映画を薦められた事から始まったソウで、ブリンナーは「七人の侍」鑑賞後、既にリメイク権を取得していたルー・モーハイムから権利を買い取った(モーハイムは「荒野の七人」の共同プロデューサーとしてクレジット)。
当初はブリンナーが初監督(+アンソニー・クインが主演)する予定だったが、結局ブリンナーが主演とプロデューサーに専念する為断念(此の辺に「ウエストワールド」が初監督のクライトンを助けた影のプロデューサー的役回りの経緯も感じるが)、日本の時代劇をハリウッド西部劇としてリメイクした「荒野の七人」は世界中で大ヒット。映画冒頭のクレジットにも原作者として「七人の侍」でオリジナル脚本を担当した黒澤明、橋本忍、小国英雄の三人がアルファベットで表記されたが、此れは当時のハリウッドでリメイクされた映画としては異例の扱いだった。

此れを切欠に一際世界のクロサワの格が上がったのだから(其の影の立役者として?)ブリンナーの映画目利きは凄いと。
・・・それに、オスカー俳優なのに自身が演じた代表的キャラクターの捩りで、しかもアンドロイド特有の “ロボット演技” まで熟してしまうあたり本当~に尋常ではない(普通なら絶対にオファーを断った筈?)。当時のハリウッド・スターの中でも群を抜き、正に次元を超えたセンス&才覚であり、映画の可能性、芸術性に大変な理解があった御方であったのだと。

・・・まぁ、何にしてもユル・ブリンナーという名優が『ガンマン406号』を演じた事から、映画業界の色々な扉が開いたという意味合いで、ブリンナー自身も生前先に触れた様『「ウエストワールド」が一番好きだ』と語っている辺り、優れたイイ企画であったなら『ギャラは安くて構わない』という「七人の侍」の勘兵衛的な(『其の分制作費 etc に回してくれ』という意)ある種の勘が働いたというか、完成した作品を観て手応えは十分だったのかも知れない。




≪2025.7.12 (土)≫

本記事 ↑ ≪2025.4.3 (木) 追記≫ & ≪2025.4.17 (木) 追記≫ etc で映画「夢」にも触れたが、(かなりの紆余曲折はあるのだが)黒澤イズムというのはマイケル・クライトンのアンドロイド観や、追っては「ターミネーター」における『T-800』の気質にまで息衝いている気が(前々から)していまして、辿ってゆくと源流は黒澤映画に端を発していたのかナァ???という想いがあり・・・要するに西洋の合理主義、キリスト教的な価値観というよりかは、ドチラか?というと黒澤作品に在る東洋特有の思想、侍の武士道精神の方が上に立っている気がする処もあって。

先に其の「ターミネーター」と「ウエストワールド」のジェームズ・キャメロンとマイケル・クライトンとの深い繋がりを書いたのだが・・・
キャメロンとクライトンという事では接点がモウ一つあって、キャメロンも1993年の「ジュラシック・パーク」映画化権取得に動いていた・・・との事で、此の情報は2012年にキャメロン本人の口から明かされている。

それまで表に出ていた情報はというと、クライトンの原作を巡って各メジャー映画会社間で映画化権・争奪戦が展開された事になっていて(*只、此の争奪戦の話は本記事で先に触れた通り、元々クライトンがスピルバーグによる映画化を切望していたので、両者の思惑外で動いていたという話らしい)その争奪戦の内訳はというとリチャード・ドナーがグーバー=ピーターズ・エンターテインメント、ジョー・ダンテが20世紀フォックス、ティム・バートンがワーナー・ブラザースから監督候補として提示されていた。
此のメンツから推理するならキャメロンは当時「ターミネーター2」を準備中だった筈なので、トライスター社(親会社はコロンビア=ソニーピクチャーズ)がバックについていたのが考えられるが、情報が公表されておらず実際の処は不明。

キャメロンは「JP」の映画化権が獲れなかったのが(よっぽど)悔しかったのか?「T2」劇中に1カットではあるが何の関連性も無いシーンで、ブロントサウルスのバルーン(風船人形)を登場させている。



≪2025.7.14 (月)≫

因みに映画「夢」の公開日はフランスが最も早く1990年5月10日(木)(日本での公開日は1990年5月25日(金))恐らく黒澤監督の前作「乱」(1985) が日仏合作であり、黒澤映画がフランスのアート系劇場で当たっていた時期という事もあって(勿論・カンヌ映画祭との兼ね合いもあったのだろうが)こういった公開時期(フランスおいて先行公開)に成ったのだろうと。
・・・で、「T2」は其の翌年の北米1991年7月3日(水)に公開された。因みに昨今のデータベース等々では不記載のケースも多いが「T2」は米仏合作映画なので、「夢」「T2」共に核問題が重要なテーマとして扱われており、此の時期はフランスで黒澤ブーム+「T2」の核問題で盛り上がっていたタイミングでもあったのだナ。



両作共に当方で主催している『映画・アニメーション ウェブアワード』で最高賞のグランプリを獲得しており、同TOP頁で3ヶ月に1回の切り替えで再表彰している現行7~9月作品は此の「T2」としました。・・・昨年は『日本被団協 (Japan Confederation of A- and H-Bomb Sufferers Organizations)』(正式名称:日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を受賞するなど、世界中で核問題、核兵器廃絶に対しての意識が強まって来ている事もありまして。(+ウクライナ vs. ロシア etc の反核使用メッセージも含み)

実は「T2」は2022年の7~9月作品として表彰済みだった(リンダ・ハミルトン、要するにサラ・コナーがモデルのポスターを使用)のですが・・・一応言い訳みたいな事を書くとするなら、2022年の際は「T2」の3D版(北米2017年8月25日(金)公開)ポスターを使用しておったので、今回は3D版ではない通常Ver.の方式で公開された映画「T2」の表彰という事です。(チョット言い訳としてはキツイ&解り辛い?)
実は偶然にも先日、今回UPしたVer.のポスター(新版)が手に入り・・・見た途端『今回は是非此れを使いたい!』~というのが先にありまして(苦笑)。2022年に採用したサラ・コナーがモデルの『3D版』ポスターも大変人気が高かったのですが、やはりシュワちゃんメインのVer.も此の機会に出しておきたく(・・・まぁ、しかし、見方によってはロバート・パトリック演じる『T-1000』がメインのVer.にも???)。・・・此れまで「T2」のシュワちゃんメインVer.のポスターは中々シックリ来る優れモノがありませんで。

・・・で、折角(やっと)良いのが見つけられたという事もあり、本記事内でもUP。↓(つづく)









≪2025.7.24 (木)≫

昨日「JW」シリーズ新作を控えての予習という意味合いで、1997年の「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」を(全篇通してという事では)久々に再鑑賞しました。

先日は「JW」シリーズの新作=「復活の大地」(*以下「JW4」)のPRで監督:ギャレス・エドワーズと共に来日を果たしたデヴィッド・コープなのだが、昨日ウチで観た「ロスト・ワールド」(*以下「JP2」)では「JW4」と同じく脚本を担当しており、前作「JP1」ではマイケル・クライトンと共に共同脚本を務めた・・・という人物。

実はデヴィッド・コープは「JP2」でカメオ出演も果たしており、T-REXがサンディエゴの街中で暴れ回っている最中、本屋に逃げ込もうとした処を(寸前で)T-REXに捕まってしまう青年が其のコープ氏で、喰いつかれてしまってからの『うめき声』演技も、どうも声優 etc からのアフレコではなく本人らしいので、大変上手い、記憶に残る名喰われ役(?)であったと。






・・・で、堂々「JW4」で再び “ジュラシックの世界に” 脚本のみの参加で戻って来たという訳だが、シリーズ28年ぶりの復帰という事で、何とも本当~に久々。キャリアももはや大ベテランという貫禄で(実は2001年の「JP3」時にもスピルバーグから脚本を依頼されていたが辞退したとの事)。印象としては大ヒットした「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」(2015) の際に「旧SW」の重鎮=脚本家のローレンス・カスダンを招聘したのを連想するが、監督も「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」(2116) で(更に)名を馳せたギャレス・エドワーズという事もあって、恐らく意識していない訳がない(?)とは思っていますが。

先に『脚本のみの参加』とあえて書いたのは、コープ氏は既に7本も監督作があり(制作・脚本作品は5本)・・・普通だったら他の役職にも付いていて決して可笑しくはないと思うのだが、基本的に「JP1」でスピルバーグに見出されたという事もあり、同関連の「宇宙戦争」(2005)、「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」(2008) etc では一脚本家としてのみ参加する事に専念しているようで、スピルバーグとコープは正に精神的(「JP1」から始まった)師弟関係なのだと推察。
因みにコープが「JP3」を降板した一番の理由というのも、『スピノサウルスを使っての良アイディアが思いつかない』との事だったらしく、其処の点はスピルバーグもよく覚えていたらしく、新作「JW4」では其の因縁のあるスピノサウルスにシッカと活躍&見せ場があり、此のジュラシックな裏話を知っていると『あぁ、あの時のリベンジを今作の此処で実行したナ』~と、思いっきりニヤリとさせられる。



新年から長々と記事を書いて来た本頁ですが、一旦此処で終了とします。

長らく読んで頂き本当にありがとうございました・・・2025・後期の記事は近々(別頁で)スタートさせますが、新記事は追って『映画・アニメーション データファイル』&『東京リアルモデル探訪』TOP頁 etc でURLを告知しますので、此の続きは其方を読んで頂けると幸いです。(↓ で本記事で扱う予定だった「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」のコラージュも貼っておりますが、後期の方の予告として残しておきます)




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