(1)自作ボディ探求 1)バルサ材と模型飛行機 木製模型を私が最初に見たのは、まだ小学校1〜2年生だった頃だったと思う。その頃は、東京 板橋に住んでおり、その近くの公園のすぐ前に当時としては珍しいプラモデル屋(クラウン模型店)があった。 私の親父も模型マニアで、よくその店に遊びに行っていたと記憶している。 ちなみに、ニチモのホームサーキットのコースセットとタイガー製パワーパック、そして、タイガー製コントローラーの組み合わせを親に買ってもらった時もクラウン模型店で購入したものだった。今思うと、親父はモデルカーレーシングを理解していたとも思えず、多分クラウン模型店の社長さんにでもアドバイスをもらって決めたのではないかと想像するが…。 店内に入ると、戦後の昭和30年代、圧倒的に戦争モノのプラモデルなどが多かったと記憶している。そうそう入口正面には透明な人体に骸骨や内蔵が丸見えの模型も陳列されていた。そして、机代わりのショーケースの上には、大きなパーツ入れのケースが置かれていて、木製戦艦用だったのか思い出せないが、金属製の「錨」や「気銃砲」などの細かい部品が「おはじき」を販売しているように10cm四方の格子枠が平面に並んでおり、それらが中にたくさん入っていた。 そして、壁際の背の高いショーケースに飾られていた大きな長方形の箱が特に印象深い。 それは、カッコよく海上を進む戦艦大和のイラスト画が印象深い木製模型のキットであった。 中を見るとイラスト画とは大違いの大小の角材がたくさん入っているだけ、それと今で言うインストが入っていて、この大きさに削れとか色々指示が書かれている。 プラモデルが出るまでは、このようなウッドモデルが主流であったのだが、今のプラスチックモデルと違い、すべて製作者が削りだして形を作り出すというなんとも手間がかかり、さらに、技術力も必要で誰でも作れるというものではなかったと思う。 その後、プラスチックモデルが全盛となり、ウッドモデルを作っていたメーカーもほとんどがプラスチックモデルに移行していった。 それから10年以上過ぎた1975年、その当時を懐かしむファンのためだろうか、長谷川模型より木製「伊401 海軍特型潜水艦」が発売されていたので少し見てみよう! この製作記は、1975年「模型と工作」別冊“75工作ガイドブック”より引用・活用させていただいた。資料提供は、I.T氏である。 そして、少し読みづらいがこの伊ー401を製作しているモデラーは、なんとあのマルチモデラー“杉崎 英明”氏だ。 ここにも氏の高度な製作技術を見ることが出来る。 |
![]() ![]() TOP: I-401 Submarine made in Japan.. 1/160 scale wood model I-401 by Hasegawa Co.ltd. It is a submarine of the Japanese Navy built during the Pacific War. At that time, it was one of the largest submarines in the world. ![]() TOP: IMAI's "SUBMARINE 707". It is an old popular Japanese animation character. |
この「伊401」を見ていたら、私が小学生時代に好きだった漫画「サブマリン707」(小沢さとる 作画)を思い出してしまった。週刊少年サンデーに連載されていて、横山光輝 作「伊賀の影丸」、赤塚不二夫 作「おそ松くん」、藤子不二雄 作「オバケのQ太郎」などと人気を分け合っていた傑作潜水艦漫画であった。 そして、ライセンスで作っていた(たぶん)今井科学製のサブマリン707などのプラモデルも何台か作った記憶がある。 クラウン模型店で見たウッドモデル以外で記憶が残っていると言えば、あとは、学校の工作の授業で作ったと記憶しているゴム動力でプロペラを回し、竹ひご材などで作る飛行機や、やはりゴム動力で床を走る割り箸や竹ひごで作る車模型だろうか。 飛行機の羽部分は確か習字用の半紙か障子紙だったと記憶しているがどうだったか・・・。 大いに横道にそれたが、本題の“最初にバルサ材を使用した模型アイテム”は、やはり飛行機模型のようである。 まずは、T.I氏より資料を提供頂いているので紹介させて頂く。資料は、フリー百科事典「ウィキペディア」からの抜粋であり、その中から引用・活用させて頂いている。 |
@ 模型航空競技とは。 模型飛行機は当初は、飛行の結果を計測または審査する競技として生まれた。その後、スケールモデル競技やラジコン・スケールモデル競技のように外観の良否を争う種目が登場する。 <前史> 模型航空機による飛行の記録を辿ると、1804年に飛行に成功したジョージ・ケーリーのグライダーや、1871年のアルフォンス・ペノーのゴム動力機による模型機の実験的な飛行が行われている。 しかし、これらは単独に行われた学術的実験・研究 のための「記録飛行」であった。 1903年には、ライト兄弟がライトフライヤー号による有人飛行に成功し、世界的に航空ブームが起きた。 <草創期> 模型航空競技は前述の航空ブームを受け、1908年にイギリスにおいて創始された。1914年の第1次世界大戦開戦直前の時期が、最初の模型航空興隆期であった。 <国際競技大会の創始> 1928年からイギリス模型協会(SMAE)主催により、初の国際模型航空競技大会であるウエークフィールドカップ競技が開始される。 <バルサ材の導入> 1930年にはアメリカ合衆国のモデラーが中米産の軽量木材であるバルサを模型機に使用して、格段と軽い機体を作ることに成功した。 そのために、ゴム動力模型機は急上昇によって高高度を獲得する飛行法が可能となり、高空より滑空して滞空時間を稼ぐ戦術が効果を発揮するよう尾になった。 1930年度のウエークフィールド級世界選手権大会戦では、この戦法を使ったアメリカ機が旧来の重いイギリス機に圧勝し、模型航空機の滞空競技に新しい戦術をもたらした。 <模型航空機用のバルサ材> 実物の航空機、建築、映画セット、浮きなどに利用されるバルサ材は、外形によって寸法や形が定められる材料であるが、模型航空機用のバルサ材は構造材として使用され、曲げ・引っ張り・圧縮・ずれなどの負担する荷重に応じた強度によって寸法や形を決定される。 1920年代末に模型飛行機の構造材に応用したところ、非常に好適であった。以来、模型航空機をはじめとする小型の構造物の骨組みに利用されるようになった。 「模型とラジオ」「模型と工作」などにも模型飛行機の製作記事があったので抜粋して紹介したい。 バルサ材で製作されたゴム動力の“ユンカース”。ドイツ機の中では一番好きだった戦闘爆撃機だ。 |
![]() ![]() TOP : Model airplane made of balsa wood from "Mokei &Radio"magagine in 1963. |
ところで、日本におけるバルサ材を使用して最初に作られた模型アイテムは何だったんだろうか。 この辺の歴史についても、資料をT.I氏よりとても参考になる資料を提出していただいているので、その資料を引用・活用させて頂き紹介したいと思う。まさに、日本の模型の歴史を辿るには最適な資料だと言える。 「日本の模型」 業界75年史 編集:日本の模型75年史編集委員会発行:東京都科学模型教材協同組合 印刷・製本 株式会社 美広社昭和61年11月21日発行 以下、画像にて抜粋したページを熟読頂きたい。 |
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以上、戦前からモデルカーレーシングの前後まで、どのように我が国の模型が発展していったのかがとてもよくわかる内容だ。 また、上記「日本の模型」以外には、資料が十分でないこともあり、正確なところはわからないのだが、昭和初期の頃の「子供の科学」誌が数冊あったのでご覧いただいた。 ただ、時代が時代で世界情勢も第一次世界大戦や満州事変勃発、そして、太平洋戦争前だったためなのか、雑誌内容が非常に戦争ムードに溢れ、日本が軍国主義に変貌して行く様が良くわかる。 その中で飛行機模型の広告だけは載っており、材質までは分からなかったのだが、木材や竹ひご、固い紙などが使われていたのではないかと想像する。 |
![]() TOP : "Kids science"magagine in 1930. The material is made of bamboo and cardboard. ![]() TOP : "Kids science"magagine in 1932. The material is made of bamboo and cardboard. Japan, which is advancing into militarism, is also filled with items related to war in model magazines. |
「日本の模型」を読ませて頂いている中で、最初にも私事として書かせていただいた学校教育課程の中で模型飛行機(グライダーやゴム動力飛行機など)を作った記憶は、正しかったんだと確信した。それも何回か作った記憶があったのも間違いではなかったようだ。 戦後の小学、中学、高校が6,3,3学年式になっても、なぜか模型飛行機を作る教育課程は残っていたわけである。ただ、高校では作らなかった。 ところで、授業内で廊下を使ってゴム動力とプロペラで作った自動車模型を競争させたのはその延長上のことだったのだろうかと疑問が湧いてくるが・・・。 さて、次ページからモデルカーレーシングの自作ボディについて、探求してみようかと思う。 |
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