藍生7月 選評と鑑賞 黒田杏子 |
阿蘇山暁くる一心行の花暁くる (長崎県)森光 梅子 |
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壮大、壮麗な句である。大昔、この花に逢いにゆき、八分咲きのその花の木の風格に打たれ、「一心行の大桜」と書きとめたその記憶はいつまでも薄れない。樹齢は四百年余りと現在はなっている筈。阿蘇外輪山を背負って、大空に向かって咲きひろがる名木だ。この作者はよく歩いている。体力・気力・知力の限りを尽して句作の旅に打ちこんできている。私がこの花の樹下にひとり佇ったのは午さがり。暁けてくるこの世の時刻にここに佇ったのが森光梅子。この人は古稀をはるかに越えて、尚現役のテニスの選手。立派だ。 |
鶴守の逝去を知らず鶴帰る (鹿児島県)三嶋 幸雄
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この作者は鶴の飛来、日本での生活、そして北帰行と、ずっと鶴の行動に関心を寄せ、現地に出向いて観察、取材、吟行、作句を重ねてきている。鶴にも寿命があるが、人間にも命終の日が誰にも訪れる。淡々と事実を詠っているがこころに残る句となっている。 |
夕灯さくらをともすわけでなく/p> ((京都府)河辺 克美
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独特の感性。ありきたりのことは詠まない。日常生活の中からこの人が掬いとり、一句に仕上げてゆく題材は無限のようだ。家の夕べの灯火も花時のさくらもそれぞれがそれぞれに存在している。冷静というのではない。この人の一句一行に書かれて、この世のあり様がくっきりと見えてくるような独自の世界だ。 |
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