This is the technical journal of Shirou Toriumi in 1960s. |
“それは短い真夏の出来事だった!!”
今から37年前の1965年8月21日、1人の有望なレーサーが惜しまれながらこの世を去った。その名を「浮谷東次郎」という。生沢 徹と共に日本モータースポーツ界の将来を担うはずであった浮谷東次郎は、鈴鹿でのテスト中に、コース上で人影を発見、瞬時に避けようとステアリングを切ったところ、人は避けられたものの運悪くコーナーポストを避けきれず激突、翌日この世を去った。なんと短い23年間だったのだろうか。
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“鳥海理論の原点 モノグラム・ブラス・シャーシー&カツミ・モーターの秘密”
科学技術館サーキットで開かれた「第1回オール関東サーキット対抗グランプリレース」は、モデルカーレーシング連盟が主催し、関東地区30サーキット場からの代表選手(210名)と関西からの代表招待選手(18名)をまじえ、総勢228名による初のサーキット対抗レースとして行なわれた。 その頃、鳥海青年は、小杉サーキットチームに所属しており、持って生れた天性のドライビング・テクニックを駆使して小杉サーキットのエースとして君臨していた。 この第1回オール関東サーキット対抗グランプリレースは、モデルカーレーシング連盟主催の本格的なレースであり、勝利に執念を燃やす鳥海青年の意気込みは大変なものであった。 当時鳥海青年は、鉄道模型用のモーターだった“カツミ6V”をモデルカーレーシングに初採用、盛んに使用していた。 もちろん、第1回オール関東サーキット対抗にも“カツミ6V”を使用する。まだまだマブチモーターの巻き直し技術が進んでいなかった時代、カツミ・モーター有利と鳥海青年は密かに優勝を狙っていた。 |
![]() TOP : The 1st All Kantou's Match Race of Team in 1965. |
ここで1965年8月22日開催の「第1回オール関東サーキット対抗グランプリレース」のリザルトを紹介しよう。
<団体1/24GT>
<団体1/24F1>
<個人1/24GT>
<個人1/24F1>
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![]() ![]() TOP : A race scene !!( Leftside) A team kosugi could gets the 2nd place of match race of team.( Rightside) Mr.Toriumi always has on a shirt and tie. |
ここで鳥海さんにカツミモーターでの活躍裏話をお聞きしているのでご紹介したい。
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