![]() TOP : Champion frame by Tamao Furukawa. |
The History Of Japanese Slot Car Racing PART 3
第1回目 「アングルワインダー時代到来 !!」 |
最強のモーター“FT-26D”登場
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1967年初頭、日本モデルカーレーシング・シーンに衝撃が走った。 以前より噂されていた最強のスロットカー用モーター“FT-26D”がマブチ(当時東京科学)より遂に発売されたのだ。 サイドワインダー全盛でのタイヤの小径化、より低重心のクリヤーボディの普及に伴い、今までのFT-36Dでの限界を感じていたところでの発売はまさにグッドタイミングであった。 FT-16DとFT-36Dの間を埋める寸法は、タイヤ幅の拡大に伴うサイドワインダー方式のシャーシ製作に最適であり、さらに巻き直し等でのチューンナップの可能性を考えると将来的にも楽しみなモーターだと考えられた。 さらに、従来のモーターにはなかった両軸受けにボールベアリングを使用し、毎分35000回転以上の脅威的な性能を引き出している。 ![]() ![]() TOP : FT-16, FT-26D and FT-36D (modifed) from left side.
また、巻数は0.29mmのウレタン線が70回巻いてあり、その為もあって従来の巻き直しモーターに近い性能がなんの苦もなく得られるのだと思われる。
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「全日本モデルカーレーシングチーム対抗選手権大会に見るスロットカーの変貌」
全日本チーム対抗選手権大会を第1回から調べて行くと不思議なことに行き当たる。
「関東では初めてのサーキット対抗レースが、去る8月22日 東京 科学技術館のサイエンスモデルカーサーキットにおいて開催されました。参加サーキット32、ゲスト参加した関西代表18名を含む228名の選手により熱戦が展開されました。」(MSL誌1965年11月号創刊号より抜粋引用)。 「第2回全日本モデルカーレーシングチーム対抗選手権大会は、去る8月14日科学技術館サイエンスモデルカーサーキットに東京、大阪、名古屋から38チーム、152名の選手を集めて盛大に行なわれました。
「・・・中略・・・。第1回、第2回の全日本は科学技術館で開催されました。当時のシブヤ・サーキットの人たちのチーム・ワークの良さ、個人の鳥海氏の素晴らしいテクニックとレース運びが、今でも記憶に残っています。第3回は、モデルカーレーシング界の一番不況の時期で、その開催が危ぶまれましたが、・・・・赤坂サーキットで昨年開催することが出来ました。この第3回大会よりわたしたちは本腰を入れて参加しましたが、結果は大阪チームが1位、当レースウェイは2位と、個人では天才取口君がGTクラスで優勝という、まあまあの成績でした。・・・」(模型とラジオ誌1968年11月号付属MSL第4回大会記事より抜粋引用)。 以上のコメントから推測するには、第1回全日本大会は毎年開催される日程(8月)や上記第2回大会記事でのコメントから察するに第1回オール関東サーキット対抗レースが第1回全日本大会を兼ねていたと推測できないだろうか。
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第1回(オール関東を第1回として)から第2回全日本チーム対抗まではどちらかというとメーカーシャーシを手直ししてのスペシャルシャーシというのがほとんどのようであったが、1967年大会からは各サーキットチームが独自のシャーシを開発、その結果過去のどちらかと言えば鳥海志郎氏のようなスーパースターたちが他を圧倒して勝利するという図式から、より組織的総合力が勝るプロフェッショナルなチームが優勝を勝ち取る結果に変わってきたように思われる。
そして、忘れてはならないのが完全に定着したFT-26Dによるレベルアップである。GTカー、ストックカーはもとよりFクラスまでもがサイドワインダー方式を採用出来るようになり、このことにより独自のシャーシ開発は飛躍的な進歩を遂げルことが出来たのである。 この頃、スロットカーシャーシ等の開発の中心としてスロットカーレーシング界に君臨していたのは“レースウェイ・ムサシノ”であった。 まさにこの頃のムサシノは向かうところ敵なし状態であり、同時に高性能タイヤやホイールなども開発販売していたことも拍車をかけ、大きなレースにおいては他チーム全てがムサシノ製タイヤを履いていたなんてことも少なくなかった。 常にスロットカーレーシングのリーダーとして活躍した“レースウェイ・ムサシノ”は、この後等々力サーキットと共に70年代をリードして行くことになる。また、この頃からシャーシ開発はドライバー個人が行なうのではなく、各チームのシャーシ開発者によって行われようになり、ドライバーはただ与えられたシャーシをいかに速く動かすかという今で言うF1サーカスに見られる分業制が行なわれだしていた。 その開発者として当時沢山のシャーシ開発やモーターチューンナップを行ない、巣鴨サーキットをホームとされていた古川玉夫(ふるかわたまお)氏に当時の貴重な御話しをうかがうことが出来た。 その内容については次回の再現第6号MSLで紹介したいと思う。こうご期待願いたい。 MSL 編集長
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次号に続く
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