さて、今回初めての企画として、貴重な当時の新聞記事を送って頂いたS氏とメールによるインタビューをさせて頂き、貴重な当時のお話や今の活動についてうかがうことが出来ましたのでご紹介したいと思います。
そして最後にS氏の現在楽しまれているモデルカーたちもご紹介したいと思います。
編集長 : Sさん先日東京にお住まいの当時スロットカーリアルタイマーの方とお話させていただく機会があったのですが、その方は1970年代中盤まで最強のスロットカーを作ることに全精力をかけていた方で、少々私が思っていた良き時代のスロットカーではなく、よりスピード重視のスーパースロットカーに近いものでありました。
よってお話しをうかがっているとスロットカーの終焉を垣間見た思いであったというのが本音でした。
特に、1970年以降のスロットカーの行く末については謎が多く(資料が少ないことと、各サーキット独自で対抗戦を企画していたことによる正確なリザルトが残っていない)、その発展についてはたぶん資料としては残っていないと思われます。
そんなことから、リバイバル(80年代中盤以降)以前のスロットカーの行く末を調べることも将来的にはやってみたいと新たに思った次第です。
ところでSさんの当時のエピソードや今の活動内容などをぜひ教えてください。
Sさん : 今日、資料?送りました。1次ブームの終わりごろの新聞です、世代交代で僕の天下だった時代のものです、ブーム真っ只中は小学生で、まったく中・高生には歯が立たず、歯がゆかったものです。当時僕は、それでも小学チャンピオンで、そこのサーキットのルールで、一度チャンピオンになれば次のレースからは一般の部に出なければならなかったからですが、今思えば、小学生は僕一人で無理も無い成績だったと思います。長い間やってますので、(死ぬまですると思うが、)いろんなことがありました、このようなレポート位しか無いのですが、よろしければ協力させていただきたく思います。
大好きなモデルレーシングカーのHPに少しにせよ参加できるなんて最高です。
それと、今月号のサーキット紹介のオーナーは新聞の右端の三木君です。(一つ上)彼は根っからのモデラーで、一日中作っていれば最高という人です、メンバーのなかには当時の高校生で最年長(僕より六つ上)のおやじとかみんな仲良くやってます。
なにせ、パソコンを始めてまだ三ヶ月なもんで、時間がかかりますがそこのところよろしくお願いします。また課題、質問等がありましたらメールください。  よろしく
編集長 : 貴重な資料本日到着いたしました。
凄い貴重な資料じゃないですか!!当時の熱気が伝わってきそうですよ!!
ぜひ、西日本Mスピードライフ支部からの貴重な情報として「再現第4号 Mスピードライフ」に掲載させてください。
写真の学生服姿が齋藤さんだったのですね!!その前に走っているクライマックスのフロンテが懐かい!!R382や917Kも・・・。
ところで、現在のスロットカー事情も良かったら教えてくださいね!
Sさん : さすが、ご名答です。いゃあ、驚きました、あの資料で良く分かりましたね〜。
フロンテは、よくコロコロした思い出があります、あのころにプラフィットがあったらなぁ〜。
現在のSLOT事情ですが、その新聞に載っているクリッパー(ボートで有名)模型店が、サーキットを閉めてから、(現実には20年前に一度別の場所で小さなコースをOPENしたが半年ほどで、でっけぇミニ四駆のコースに変わった)ずっと徳島には、走らせる場所がなく、僕は、というと、関西を始めワラシナ・白金・モデナ・アリゾナ等、いろんな所に機会があれば出かけてました。そうした所、新聞の三木君が昔からの夢を現実にすると言い出し、最初は、ホームコース位の規模と言う事で取り掛かったのですが、伴野さんの意見等を、参考にすればするほど、だんだんと今の形になったしだいです。
今は、プラフィット主体で、GT・DTM・ラリーと毎月お題をかえて月1レースをやってます。
 徳島で今、60S当時のSLOTに関心があるのは、僕ともう一人だけで、あとは実車でラリーをやっていたメンバーがいて、インプレッサとかフォーカス等にチーターを積み、タイアは、エクセルのノーマルを使うと言うクラスに力をいれてます。アクセルワークが非常にシビアで腕が物を言うクラスです。ここだけの話ですが、昨年暮のホットハウスのレースレギュレーションを見て驚きました。実は昨年春、僕がホットハウスに遊びに行った時に徳島の話をした影響だと思うんですけど・・・?
 営業?ですが、土、日の夜だけ特に土曜日は朝までやってます、大家さんがなんとメンバーで家賃も破格という好条件でやっていけてると言うしだいです。またくわしい写真を送ります。
編集長 : 実は、昨年だったかどこからか流れてきたクライマックスのニッサンR382の木型 がここにあります。
まさしく当時トヨタ7と共に友人と争ったクリヤーボディの本物の木型がどうして流れたのか!?
Yahooオークションでミニオートの木型として出てたんですが、写真を見た瞬間、これはクライマックスだ!!と思いました。
鳥海さん(企画ページでUPしました60年代のスーパースロッター)の話しだと銀座の天賞堂にいたモデラーが製作者だというのですが・・・。
Sさん : ほんとに良く似てます、僕も今、R382・917(ロングを日本GP用にショートテールにCUT)を当時の高校生のおじさんと熱きバトルを繰り返してます。
今の手持ちは、ライト工業のチャパラル、ローラと現行の2G、ロータス30それと、クライマックスのシャーシつきカレラ6、トヨタNEW 7の新品があります、ライトのボディーは今見てもリアル観があり思い出深い物です。
今晩サーキットに寄って写真取ってきますので週明けにでも送ります。
それと、僕がモデナに行ったのは、数年前の10月に一度だけ行っただけでして当日は69日本GPのレースをやってまして一般は走らせませんでした。
Kさんですが、調べた所、数年前にモデルカーズの売買欄を見て手紙をもらった方で、Kさんと言う人からSLOTを分けてもらったことがあります。
その方は、輸入物を大量にストックした人のようでした。         それではまた。
編集長 : Dr.Kさん、ずばり今の「再現 MSL」号で毎回お世話になっている私の師匠です。
「第3号 MSL ナッソースピードウィーク チャパラル2スポイラー付きを作ろう」の製作者でもあります。
Dr.Kさん(といつも言っていますが・・・)は、想像を絶するスロットカーの採集家であり、プロ顔負けのモデラーでもあり、齋藤さんと同じく現在も走らせることに情熱を燃やすオジさんです。年齢的には私たちと同じ(1歳年上かなァ?!)です。
ライト工業と言えば「1/24ニッサンR380II」が忘れられません。凄い再現力で、記録車仕様とはいえ感激した覚えがあります。
だれかこのR380II持ってないかなぁ〜!!これがライト工業最後の作品となったはず。
Sさん :R380は、確かでっかくてベラベラだった記憶があります。ホイルアーチがカット済みではなかったですか?勘違いかなァ、シャーシに付けるとプリンの様にプルプルになったと思います。
編集長  Sさん、その通りです。ライトのR380IIは、ボディのカット部分は全てメーカー側でカット済みで発売されておりました。 
ライト工業のクリヤーボディは、当時はクライマックスより高かったですね!
スーパークリヤーになった当時は、800円ぐらいしてましたから・・・。
ロータス40やエルバは、当時のレースでは常に優勝車のボディに使われていましたね。
ニッサンR380IIは、齋藤さんが言った通りややでかい感じだったですね。それにスーパークリヤーでフニャフニャでした。
でも、そのディテールというか雰囲気は最高だったと記憶しています。
そのボディに青柳のR500系のパイプフレームをつけて、FT-26Dでぶっとばしていた友人がいて、当時クライマックスのフォードMKIVとチャパラル2Eにタミヤダイキャストサイドワインダーで挑んでいた私と友人はそのR380IIに簡単に負けてしまいショックを受けた思い出がありました。
ということで、Sさん、いろいろ貴重なお話ありがとうございました。これからもモデルカー・レーシング大いに楽しんでください。
Sさん : 最後に、今活躍中のクリアボディの3台の画像を送ります。917Kは3次?ブームの物で、レストアしたものです、後の2台は現行のものです。クリアボディは使い捨てられて、現存数が少ないようです、手軽さからでしょうか?(この3台は三木氏制作です。)

TOP : It's great modelcars !! The 917K, T70MKIII, and 2G(1967 type?!)
(C) Photographs by T.S.
 382と917は、25年ほど前に僕が作っていまだに現役で走らせてます、ライバルは、青柳・パーマ製です。モーターはチータに積み替えてありますので、良いバトルになります。

TOP : The Climax's clear bodys, R382 and 917.
(C) Photographs, modeling by S.

END


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(C) Photographs, modeling, and reports by S from Tokushima.