Forever !! Funabashi Circuit 
Scene 1965-1967

 現在、千葉県市川市に住んでいる私にとって、船橋サーキットの跡地はまさに目と鼻の先に存在する。
船橋サーキットは、オープンした1965年7月18日から、閉鎖される1967年7月30日までのわずか2年の間に、行なったレースの数は、37レースを数える。
私が、小学生の頃聞いた、CMソング「♪〜♪〜船橋ヘルスセンター♪ 船橋ヘルスセンター♪ 長生きしたけりゃちょとおいで♪〜チョチョンノパ♪〜チョチョンノパ♪〜」の船橋ヘルスセンターの敷地内に作られた船橋サーキットは、長い間、私の頭の中では、幻のサーキットとして考えていた。それは、リアルタイムで過ごした時代でありながら、当時の船橋サーキットの記憶がほとんどないからだ。
そして、後から知った伝説のオープニングレース“全日本CCCレース”の浮谷東次郎の活躍を同時代を生きながらリアルタイムで知る事が出来なかった無念さも手伝って、私の中での船橋サーキットは、いつでも幻のサーキットであった。
これは、同じ時期の富士スピードウェイや鈴鹿サーキットについては、常にテレビ放送や雑誌などでも大きく報道されていたため、リアル感覚でいられたのとは、実に対照的だ。
 ということで、今回は、約2年間続いた船橋サーキットのレースとはどんなレースだったのだろうかを当時の画像を紹介しながら船橋サーキットを振り返ってみたいと思う。また、貴重な映像を提供して頂いた林一彦氏(第2回日本グランプリの貴重な映像も提供)のご協力あっての企画であり、この場を借りてお礼を申し上げたい。
 


(C) Photograph by Kazuhiko Hayashi.
 
 上の画像は、なんとも微笑ましい当時の軽自動車によるミニカーレースである。船橋サーキットのような小さいサーキットでこそ似合うレースであった。船橋サーキットでは、新人育成を目的としたレースを主催しており、このレースもその一端で、「日刊ジュニア・チャンピオンレース」というシリーズ戦を組んでシリーズチャンピオンを決定していた。参加資格は、これまでに入賞経験がないドライバーに限られており、まさに登竜門的要素を持つシリーズであった。
クラス分けは下記の通りである。(その名前がお菓子の名前であることが面白い!当時のお菓子のベスト5か?!)

1) アップル・レース : エンジン排気量 500cc以下の車両によるレース
2) ボンボン・レース : エンジン排気量 501-850ccまでの車両によるレース
3) キャンディ・レース : エンジン排気量 851-1500ccまでの車両によるレース
4) ドーナツ・レース : エンジン排気量 1301-1600ccまでの車両によるレース
5) エクレア・レース : エンジン排気量 1601cc以上の車両によるレース

 レース距離は、それぞれ15周47Kmで争われる。改造範囲は、当時のFIAスポーツ法典のグループ2、およびグループ3までなので、限りなくノーマルカー的レースだと思われる。

 当時のミニカーレースは、スバル、マツダ・キャロル、スズライトなども出場しており、後年人気レースとなるジュニア7レースの基盤を築いたクラスであった。当初、キャロルが圧倒的強さを誇っていたが、後のホンダN360の登場により、次第にスバルやキャロルは旧態化し、サーキットから消えていくことになる。

また、レースではなく、タイムトライアル ジムカーナなども毎回行なわれており、下記の画像などはミニカーたちによるものである。
 


(C) Photographs by Kazuhiko Hayashi.

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(C) Photographs by Kazuhiko Hayashi.