1966年に船橋サーキットで行なわれたレースの内、異色なレースがあった。 それは、「第2回東京200マイルレース」である。1周3.1Kmを103周する過酷なもの。 ちなみに、前年の第1回では、滝進太郎の駆るロータス・レーシングエランが優勝している。 このレースは、フォーミュラ・リブレレースとして行なわれ、フォーミュラカーとスポーツカーの混合レースと言って良い内容だ。 この年のハイライトは、望月 修が乗る三菱ワークスの“コルトF-3”が、前年と同じロータス・レーシングエランで参加の滝進太郎に対してどのような戦いを挑むかが焦点であった。また、国産フォーミュラカーのデル・コンテッサ勢が、どこまでこの2台に対抗出来るかも、注目される点であった。 しかし、レースは、滝のエランがタイヤバーストでリタイヤしたため、望月の独走で終わった。 それ以外の参加者では、日産チームの北野 元、都平健二、黒沢元治、高橋国光がフェアレディで参加、この順番で2位から4位までを占めた。 |
![]() (C) Photographs by Kazuhiko Hayashi. |
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ロータス・エラン26Rフェイズ2。最新のレーシング・エランである。 この年の第3回日本グランプリに、あのポルシェカレラ6で参加した滝は、船橋サーキットではエランで挑んできた。 まだミッドシップマシンに慣れていないためなのか、それともカレラ6の修復が終わっていなかったためなのかは不明だが、滝のエランを見るのはこれが最後だったように記憶している。 |
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このレースは、あの田宮二郎主演の映画「銭の取れる奴」(・・・だったか・・・)の最後のレースシーンに使われたような記憶がある。 その時は、田宮がエランで優勝しているはず。 |
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(C) Photographs by Kazuhiro Hayashi.