塩澤進午氏のお話を伺っている時、いまだに残念、無念と思われている事が2つありました。1つがデイトナスピードウェイなどに代表されるアメリカンタイプのオーバルスピードウェイを日本で作る事が出来なかった事、そして、もう1つが今や伝説のレースとなった「1968日本CAN-AM」にシャパラルを出場させることが出来なかった事の2つです。
 今回、「創造の軌跡」出版記念として、塩澤氏の当時の無念を晴らす企画として、主宰者の自己満足と我がままも含めて作成させて頂くことにいたしました。題して、「これが本当の1968年日本CAN-AM・・・のはずだった」。
 私からの塩澤氏への感謝の気持ちのプレゼントとして氏へこのフィクションを捧げたいと思います。
過去にも幻の1965年日本グランプリ1970年日本グランプリを作成させて頂きましたが、その3弾として書かせて頂きたいと思います。「またか・・・」と言われる方々も沢山いらっしゃるかとは思いますが、どうかご理解のほどよろしくお願いいたします。

 あの68年CAN-AM最終戦の忌々しい事故がなく、予定通りシャパラルが日本初登場したとする仮定の話しとして、今回はそんな違う歴史をもった世界に皆さんをご案内しようと思います。
これが私なりに考えました塩澤氏が思い描いたであろう第1回日本CAN-AM「1968ワールドチャレンジカップ富士200マイル」。
少しの間、どうぞお付き合いお願いいたします。

 CAN-AMシリーズが日本にやって来る!!

 T.N.T(トヨタ、ニッサン、タキレーシング)の激突で沸いた「68年日本グランプリ」の興奮と余韻がまだまだ残る6月。NAC(日本オートクラブ)よりビッグなニュースが発表された。AUTO SPORT誌7月号の各クラブ情報に「11月23日、富士スピードウェイにて、ワールド・チャレンジカップ富士200マイルレースを行う」と正式にアナウンスされたのだ。このレースは、当時人気上昇中のSCCA(スポーツカークラブオブアメリカ)主催するCAN-AM(カナディアン・アメリカン・チャレンジカップ)シリーズのドライバーやマシンを招いてレースをするという、画期的なイベントでありました。そして、何よりも楽しみなのが、当時最強を誇っていたワークス・マクラーレンと創始者ブルース・マクラーレン、シャパラルとジム・ホール共に出場が決定し、富士での雌雄を決するレースが実現することになったことだ。

そして、10月。主催するNACより正式来日ドライバーとマシンが発表された。

 1968年度CAN-AMシリーズ最終戦「スターダスト・グランプリ」を戦い抜いたドライバーとビッグマシンたちが大挙して日本にやってくる !!
 
 11月10日に行われたCAN-AM最終戦「スターダスト・グランプリ」が行われた直後、SCCA代表ジム・ケイザー氏より日本来日ドライバーとマシンの最終メンバーがNAC塩澤進午氏宛てに電報が入った。
注目のエントリーリストは下記の通りだ。そのメンバーの豪華なこと!!
 

1968 Nippon Can-Am Entry List (All Fiction)
 
Driver
Machine
1
Mark Donohue
Sunoco McLaren M6B Chevy
(Penske Racing)
2
Peter Revson
Shelby McLaren M6B Ford 
(Shelby Racing)
3
Bruce McLaren
McLaren M8A Chevy (McLaren Cars)
4
Jim Hall
Chaparral 2G Chevy/T-car Chaparral 2H
(Chaparral cars)
5
Mario Andretti
Lola T160 Ford (Holman Moody)
6
Chris Amon
Ferrari 612 (Scuderia Ferrari)
7
Charlie Hayes
Mckee Special (Mckee Team)
8
Chuck Parsons
Lola T160 Chevy (Carl Haas Racing)
9
Sam Posey
Lola T160 Chevy (Autodynamics)
10
John Surtees
Lola T160TS Chevy (Team Surtees)
11
John Cannon
McLaren MKIII (M1C) Chevy
12
Lothar Motschenbacher
McLaren M6B Ford
13
George Follmer
Lola T70MKIIIB Ford (Agapiou Racing)
14
Pedro Rodriguez
Lola T160 Chevy (Team Yasuda)
15
Kenjiro Tanaka/Kunimitsu Takahashi
Lola T70 MKII Chevy (Team Yasuda)
16
Tadashi Sakai
Lola T70 MKIII Chevy (Taki Racing)
17
Masahiro Hasemi
Lola T70 MKIII Chevy (Taki Racing)
18
Shihomi Hosoya
Toyota 7 (Team Toyota)
19
Sachio Fukuzawa
Toyota 7 (Team Toyota)
20
Hiroshi Fushida
Toyota 7 (Team Toyota)
21
Yoshio Outsubo
Toyota 7 (Team Toyota)
22
Minoru Kawai
Toyota 7 (Team Toyota)
23
George Katsu
IMAI-A1/RSC Lotsu Ford(Del Racing)
 さて、それからが大変であった。NAC代表 塩澤進午の過酷極まりない努力の結果、色々な関係者諸氏の協力もあって、先に到着していたマシンおよび部品等を税関より無事に引き取りトラックで富士へ。
さらにドライバーたちのビザ取得で出発出来ずにいた問題もなんとか解決し、11月18日無事に羽田に到着したドライバーとクルーたちを富士へ送り届ける事も出来たのだった。後は、シャパラルとジム・ホールが無事に富士で走ってくれる事だけを塩澤進午は祈った。「何もかもシャパラルが富士で走る事だけを夢見て努力してきた事だから・・・」と。
 11月22日 富士スピードウェイ レフトターン 4.3Km 

 注目のブルース・マクラーレンは、最終戦で傷めた足回り箇所が時間的に修理不可能だったため、本来はデニス・ハルムが乗っていたマシンを富士に持ち込んでいる。もちろん、ゼッケンは#4に修正している。
また、ブルースは、事前に富士レフトターンを2年前に走っているジャッキー・スチュアート(1966年日本インディ優勝者)よりギア比などのアドバイスを受けており、自信満々である。
 今回のブルース・マクラーレンの参加目的は、日本市場へのマクラーレンブランドの売り込みが目的だと言われている。
ブルースは、ドン・ニコルズなどから以前より日本のモータースポーツについてアドバイスを受けていたようで、将来的な市場として日本を考えているようだ。また、噂では同年の日本グランプリで優勝したNissan R381のシボレーエンジンは、ニコルズの手配によるもので、どうもマクラーレン・チューンのスペシャルエンジンだったのではという話も出ている。
しかし、それ以上にブルースは、1964年よりF1に挑戦しているホンダF1の活躍などにも注目していて、今後モータースポーツが発展するであろう日本を含めたアジア〜オーストラリア〜ニュージーランドエリアでのシリーズ戦を企画、アジア地区モータースポーツの発展を考えながら自らのマシンの市場として日本に拠点を作りたいのではないかとも言われている。
もし、ブルース・マクラーレンがもっと長く活躍していたならば、70年代に人気を博した「富士グランチャンピオンシリーズ」は、「パシフィック・グランチャンピオンシリーズ」と拡大発展して、ローラ、シェブロン、マーチ、GRDなどと並んで、マクラーレンの2リッターマシンが走っていたのではないかと想像してしまうのは私だけだろうか。
 

 一方ブルース・マクラーレン以上に注目されていたジム・ホールのこのイベントにかける意気込みはどうだったのだろうか。
ジム・ホールは、この記者団の質問に対して実に素朴な回答をしている。
「私は、ただレースを楽しみに来ている。他に目的は何もない。」としながら、「このイベントを企画してくれた ミスター・シオザワのためにも頑張りたい」と話したという。
 ところで、ジム・ホールは、注目すべきテストを兼ねて富士にやってきていたのだ。
本来1968年シーズンにデビューするはずであった"Chaparral 2H"。しかし、開発の遅れにより結局デビュー出来ず、昨年の"2G"の改造型でシーズンを戦うこととなったジム・ホール。
そんな"2H"をホールは、今回の日本CAN-AMでテストしようという思いがあった。決勝レースには使用するつもりはないというが、世界に先駆けてその姿を見ることが出来る日本のモータースポーツファンはなんと幸せであろうか!
 
 そして忘れてはならないドライバーがもう1人いる。"BIG JOHN"こと、ジョン・サーティーズの来日だ。
我がホンダF1のドライバーとして日本に沢山のファンを持つサーティーズが初めて日本でレースをすることになったのだ。64年のF1ワールドチャンピオンであり、CAN-AM初年度の66年のチャンピオンでもある。
エントラントは、チーム・サーティーズだが、ホンダF1監督の中村良夫氏が応援に駆けつけている。マシンは、最新のローラT160TSシボレーだ。しかし、今シーズンは、マシンが完調ではなく、すべてリタイヤとなっている。富士での活躍を見たいものだ。
 1968年度のCAN-AMシリーズは、ブルース・マクラーレンのチームメイトであるデニス・ハルムが見事チャンピオンに輝いた。
すべては、万全を尽くしたマクラーレンカーズのチーム体制による勝利であったと思う。
そして、ブルース・マクラーレンは総合2位となり、ワークスマクラーレンのワン・ツーフィニッシュにより67年に続いてのシリーズ制覇を飾った。
今回の日本CAN-AMには、総合3位のマーク・ダナヒュー、4位のジム・ホールなどベスト10に入ったドライバーがほとんど出場しており、グッドファイトのレースが大いに期待できるところだ。
また、最終戦のスターダスト・グランプリに初登場したフェラーリ初のCAN-AM専用マシン"612"の参戦も大いに楽しみだ。途中他車との接触でリタイヤするも名手クリス・エモンのドライブは冴え渡り、日本での走行が期待出来る。
 
 さて、11月22日の注目の公式予選がいよいよ始まる。
 予選 

 予選本番の11月22日。まず午前中の予選最初にコースに入ったのは、チーム・トヨタの5台だった。そして、タキ・レーシングの2台のローラもそれに続いた。
昨日やっとのことで、富士入りしたチーム・ヤスダのニューローラT160シボレー7リッターは、まずは安田銀治が軽くドライブ。そして、その年のル・マン24時間に優勝したペドロ・ロドリゲスが安田の支持を受けてローラに乗り込みコースへ出て行く。
 予選が始まって10分ほどたったところで、本場CAN-AMドライバーたちが動いた。シェルビーアメリカンのピーター・レブソンとペンスキー(当時はペンスケと言っていたが・・・)レーシングのマーク・ダナヒューの2台のマクラーレンM6Bが続けざまにコースイン。
この2台、フォードとシボレーのエンジンをそれぞれ搭載している。フォードの援助を受けているシェルビーアメリカンは、ル・マン制覇を初めてフォードにもたらしたチームの1つで、その勢いでCAN-AM制覇も目論んでいたのだが・・・。

 ところで、本命と目されているブルース・マクラーレンは、今だコースに出てきていない。ジム・ホールは、エンジン始動に不具合が生じているようでピット前でカウルを開けて整備中だ。

そんな中、事件がおきた。
なんと期待のジョン・サーティーズのローラがガスケットを壊し白煙を上げながら第1コーナー入り口でストップしたのだ。
サーティーズは、そのまま車を降り愛車を見つめる。「今回もだめか・・・」
元々実際の歳よりも老けて見えるサーティーズだが、68年は特に老けて見えてしまうのは成績によるストレスなのだろうか。
 

 最初に富士レフトターンの最速ラップを取ったのは、ダナヒューだった。
ペンスキーレーシングで作り直された彼のマクラーレンM6Bは、1分17秒2という2年前の日本インディでスチュアートが出した1分22秒49を大幅に短縮するタイムでまずはトップに立った。
 それに続いたのがCAN-AMシリーズ戦では中々結果を残せなかったシェルビーチームのピーター・レブソンだ。1分17秒9でダナヒューを追いかける。

 午前中の予選時間が終わろうとしていた11時30分過ぎ、ビッグ・ニュースがアナウンスされた。
早々にマシンの故障で出場を見合わせることになってしまったあの"BIG JOHN"ことジョン・サーティーズが、急遽シャパラルのスペアーカーとしてエントリーしていた"2H"で出場することが決まったのだ。そして、すぐにジム・ホールとホンダF1監督の中村氏らと共に現在2Hへのシート合わせに入っている模様だ。ボディにかけられていたシートが外され、初めて我々の前に姿を現した"2H"はまさに「弾丸」のように見える!

 午前中の予選も後15分、ピット前でエンジンを温めていた注目のマクラーレンM8Aにブルース・マクラーレンが乗り込んだ。
そして、シートベルトを着けピットクルーの一人と何やら会話を交わしてゆっくりとスタートして行く。
いよいよ本命マシンのコースインだ!
 

 まずは、ゆっくりと富士のレフトターンを回り、そして、最終コーナーから加速。まさにトップ狙いのアタックが始まった!
第1コーナーをアウトから強引にインに切り込む。そして、あっという間に前を走っていた2台のトヨタ7を抜き去る。段違いのスピードだ!
すぐにヘアピンへ姿を現すM8A。ややリヤを滑らせながら圧倒的なトルクで走り去る。
そして、最終コーナーを一気に立ち上がりストレートを駆け抜ける。なんと、タイムは1分14秒9を記録!!もちろん現在のところのトップタイムだ!

 午前中の予選が終了した。結局、シャパラル、フェラーリなどは出走せず午後の予選に賭けることとなった。

 北米市場拡大を目的としたフェラーリのCAN-AM挑戦は、1967年から開始された。まずは、その年のマニファクチャラーズ選手権を獲得した名車 330P4 を改造したオープン2座席レーサーでの挑戦だったが目立った成績も出せず失敗。その教訓を元に本格的なCAN-AMマシンとして開発された(1969年に参加準備中の3リッタープロトタイプ 312P の改造車とも言われているが・・・)612だったが、製作は遅れに遅れて実際にレースに参加したのは最終戦のラスベガス・グランプリだった。
そして、結果は不運にもメカニカルトラブルでリタイヤ。初戦を飾る事は出来なかった。その意味でも今回の富士でのレースは初めて 612 の実力が試されるレースと言ってもいいだろう。

 午後の予選を前にシャパラルのパドックでは、昼食時間を惜しんでジム・ホールとメカニックがサーティーズを挟んで 2H のシート合わせに余念がない。どうもサーティーズが新しい 2H のシート位置にクレームをつけているようなのだ。説得するかのように話しかけるホールと、首を横に振り続けるサーティーズの話し合いが続く。ところで、今レース本命の1台と目されている 2G であるが、すでにエンジンのウォーミングアップは完了のようでいつでも出陣OKのようである。

 午後の予選が始まった。午前中と同じくチーム・トヨタのトヨタ 7 が鮒子田 寛を先頭に先陣を切ってコースイン。そして、タキ・レーシングの長谷見、酒井のローラ、勝常時のIMAI A1フォードなどが続く。
チーム・トヨタの一員である 福沢と鮒子田は、特別にこのイベントでは、来日中の海外ドライバーたちの世話役的な役割を自ら買って出ている。特に福沢幸雄 は、流暢なフランス語などを交えながらスターリング・モスなどとも交流を深めていた。彼らの視線はすでに海外へと向いていたのかもしれない。

 ここでダナヒューのスノコ・スペッシャルが 1分16秒81という2番目のタイムを叩き出した。その直後をやはりタイムアタックしていたレブソンのシェルビーアメリカン M6B フォードもこれに続き 1分17秒13を出し3番目。
その後をローラT160フォードに乗るアンドレッティ、チャック・パーソンズのローラT160シボレー、そして、サム・ポージーのローラT160シボレーが続く。
午前を休んだチャーリー・ヘイズのマッキー・スペシャル8リッターオールズモビルと勝常時のIMAI A1がコースイン。どちらも今流行のウェッジシェイプボディをまとっている。

 予選終了20分前、ついにあの2台が動いた。まずコースに飛び出していったのはブランニュー フェラーリ612 のクリス・エモンだ。アメリカンV8とは違う12気筒エンジンサウンドが富士に響き渡る。
そして、2H だ。コースに出たサーティーズの2Hは驚くほどの変貌を遂げていた。まずは、完全なクローズドボディだったルーフは、フォーミュラカーのように開放されており、サーティーズのヘルメットが半分ほど見えるようになっている。さらにドライビングスタイルもやや上向きでフォーミュラカーのドライビングフォームに近づいた感じである。決定的にオリジナルと違うところは、弾丸スタイルで本来何も突起物がなかったボディ表面のリアエンドになんと 2G のウイングではないかと思われるような大きなウイングがスポイラー的に装着されているのだ。以前のシャパラル2C風と言って良いだろうか?!

 1周目、エモンのフェラーリとサーティーズのシャパラルは、スロー走行ぎみにランデブー走行をしている。
そして、2周目、シャパラルの後ろにピタリと付いていたエモンが第1ターンでサーティーズをかわしタイムアタックに出た。

 コクピット直後に装着されたウイングとフロントカウル上の可動式スポイラーは果たして効果はあるのだろうか?
それでもエモンは、ヘアピンをタイヤスモークを上げながらややスライド気味に立ち上がっていく。そして、最終コーナーからストレートに戻ってくる。フェラーリサウンズを聞けた当日の観客はなんと幸せだろうか。
タイムは、1分18秒5。エモンはその勢いで次の周に1分17秒9を出しタイムアタック終了となった。

 さて、サーティーズであるが、スロー走行を続けたまま3周したところでピットイン。どうしたことか、そのままパドックへ引き上げてしまった。どうしても全開走行が出来ないのだ。タイムは1分28秒99を出しただけであった。
結局、サーティーズの2Hは、予選をこのまま終了し、決勝レースには最後尾近くからのスタートとなる模様である。

 それと前後して注目の1台 ジム・ホールが駆る シャパラル2G が爆音と共にコースに飛び出していった。
参加車中最大のリアトレッド幅を誇る 2G はまずはゆっくりとしたスピードでヘアピンを通過、そして、立てたウイングを水平に戻しストレートに帰ってきた。アルミニウム製シボレー7000ccエンジンを全開にしてグランドスタンド前を通過し、いよいよタイムアタックに入る。
 アウト側に寄るホール。思い切ってウイングを下向きにしながら第1ターンインサイドに向きを変えて飛び込む。マクラーレンM8Aとは全く違う迫力だ。あっという間にヘアピンに姿を現す2G。思い切った減速で車体が大きく左右に揺れる。お尻を大きく振りながら今度は加速姿勢に移って行く。
最終コーナーに姿を現すのに時間はかからなかった。ウイングを水平に戻し爆音と共にグランドスタンドへ。
タイムは・・・。なんと1分16秒9。さらに次の周にはマクラーレンに迫る1分15秒5だ!!

 予選は、ジム・ホールの3周目のアタック中に終了。シャパラルのポールポジションは、夢となったが、明日の決勝は、最前列にブルース・マクラーレンとジム・ホールが並ぶ夢のスターティンググリッドとなった。
 

Starting Grid 
Bruce McLaren
#4 McLaren M8A Chevy
1'14"92
Jim Hall
#66 Chaparral 2G Chevy
1'15"53
Mark Donohue
#6 McLaren M6B Chevy
1'16"81
Peter Revson
#52 McLaren M6B Ford
1'17"13
Mario Andretti
#7 Lola T160 Ford
1'17"88
Chris Amon
#23 Ferrari 612
1'17"90
Chuck Parsons
#10 Lola T160 Chevy
1'17"97
 Sam Posey
#1 Lola T160 Chevy
1'18"37
Lothar Motschenbacher
#11 McLaren M6B Ford
1'18"40
George Follmer
#16 Lola T70MKIIIB F
1'18"96
Charlie Hayes
#25 Mckee Special O
1'18"99
John Cannon
#62 McLaren M1C C
1'21"98
Pedro Rodriguez
#11 Lola T160 Chevy
1'23"89
Masahiro Hasemi
#27 Lola T70MKIII Chevy
1'24"38
George Katsu
IMAI-A1/RSC Ford
1'26"33
Tadashi Sakai
#28 Lola T70MKIII Chevy
1'26"58
Hiroshi Fushida
#31 Toyota-7
1'26"60
Sachio Fukuzawa
#32 Toyota-7
1'26"73
Yoshio Otsubo
#33 Toyota-7
1'26"97
 Minoru Kawai
#35 Toyota-7
1'27"78
Shihomi Hosoya
#34 Toyota-7
1'28"84
John Surtees
#7 Chaparral 2H Chevy
1'28"99
Kunimitsu Takahashi
#22 Lola T70MKII Chevy
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Text report by Hirofumi Makino

Special thanks "Shingo Shiozawa"