始動!!DEL
MKIII CONTESSA 販売開始!!
1965年、満を持して開発した2シータースポーツ「デルRSA」の余韻をかって、デル・レーシングの目標の1つであったレーシングカーの開発、販売をついに実現する事となったのです。
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![]() TOP : 1966 Car Graphic magazine. Del MKIII. A Contessa
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上の画像は、カーグラフィック誌1965年6月号に6ページに渡って紹介された“デルMKIII
コンテッサ”です。
その注目度は大きく、あのコーリン・チャプマンが製作したロータス38フォード(1965年インディ500優勝車)のイギリスでの発表紹介の次のページに特集するという力の入れようです。両車、写真を比べてみても遜色ないほどデル・コンテッサの仕上がりは格段に進歩していたように感じました。やはり、第2回日本グランプリを取材した小林彰太郎氏の印象が良かったからでの掲載だったのではとも思ってしまいます。 「東京麻布の塩澤商工は、昨年の第2回日本グランプリのJAFトロフィーレースに、3台のコンテッサをベースにしたフォーミュラ・ジュニアを出場させ、内1台は立原義次の操縦で6位に入賞するという戦績をあげた。その車は、まだ実験的段階のもので、構造的には稚拙であったが、とにかくこの種のレーサーを実際に作りレースに参加させた意欲は高く評価された。
カーグラフィック1965年6月号より抜粋引用
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DEL
MKIII A CONTESSA の初優勝
遂にデルMKIII
コンテッサが優勝する時が来ました。
![]() ![]() TOP: The Winning Del MKIII A Contessa Hino1300 OHV in 1965' Funabashi CK. Driven by Shoichi Honda. 余談でありますが、デルのDELは、スペイン語です。英語でいう of the と同意語です。その意味からするとDELの後にContessaという女性名詞が続く事は本来有り得ません。そういうことから、デル・レーシングでは、DEL MKIII CONTESSAというようにDELとエンジン名の間に形式名を入れることで正式車名としていました。また、デル・フォーミュラのワークスカラーですが、日野自動車と契約期間中に限り“ブラックベースカラー&イエローストライプ”でした。 − デル・フォーミュラの正式名称と仕様 − DEL
MKI
DEL
MKII
DEL
MKIII A
DEL
MKIII B
DEL
MKIII C
DEL
MKIV
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