DEL RACING MOTOR COMPANY BECAME LEGEND 

伝説のデル・コンテッサ

 
 60年代日本モータースポーツファン待望の塩澤進午 著作「創造の軌跡」の発売を記念いたしまして、「くるま村の少年たち」編集部はその発売記念特集として企画ページを制作し、塩澤進午氏に捧げたいと思います。
「くるま村の少年たち」編集部 
 
 2009年10月某日、突然メールを頂いたときに始まります。
「貴方のHPをいつも拝見しています。ぜひ今度お会いしてお話したい事がありますので、お連絡ください。」
そして、送り主の名前には、「塩澤進午」と書かれていました。

 これが私と塩澤進午氏との出会いでありました。
私にとって塩澤氏と言えば、NAC(日本オートクラブ)の総帥であり、60年代に夢を与えて頂いたあの日本CAN-AMやストックカーレースなどを主催された日本モータースポーツ界の偉人であります。
そんな塩澤氏と個別にお会い出来、そして色々なお話を聞かせて頂けることとなり、つくづくHPを続けさせて頂いていて良かったと切に感じています。

さて、塩澤進午氏が、50年代から70年代初頭まで、日本モータースポーツ界で活躍してこられた集大成として出された書籍「創造の軌跡」を読ませて頂くまでは、実は塩澤氏がどのように活躍されてきたかはほとんど知りませんでした。
今回、読ませて頂く機会を頂き、隅々まで読ませて頂きながら、何もかもが初めての中から築き上げられてきたもの、それが単に日本モータースポーツ界だけのものではなく、私などの若輩者が今更ながらの社会勉強をさせて頂ける参考書のようなものだと思いました。
ご本人は、意識していなかったと仰っていましたが、60年代中期、まだまだ自動車メーカーでさえ、自動車レースというものが何か分からなかった時代に、レーシングカーを自ら製作し、さらに市販までされたという国内マシンコンストラクターの草分けであっただけでなく、早くからアメリカのストックカーレース運営に共鳴し、最終的には実を結ばなかったにせよ日本でのスーパースピードウェイ建設のために、全身全霊を捧げてこられた事に対しては、本当に頭が下がる思いであります。

 今回の企画は、氏のまさに子供たちと言うべき デル・レーシング のマシンたちを紹介したいと思います。
また、塩澤氏の著作「創造の軌跡」中に誤り補足などがあり、その箇所をぜひ訂正したいと言う氏の強いご要望もあり、下記ページにて書かせて頂く事になりました。
 

「創造の軌跡」訂正補足ページへ進む
 
1964年5月2日〜3日----第2回日本グランプリ(1964 ' JAPAN GP in SUZUKA)
DEL MKII CONTESSA の登場 

 1964年、前年に日本で初めて行われたFIA公認のイベント「第1回日本グランプリ」の一応の成功により、自動車メーカーの第2回日本グランプリへの姿勢も大きく変化する事になりました。細かく別れた排気量別の各レースにおける優勝車メーカーの宣伝効果は大きく、第2回日本グランプリへの各メーカーの力の入れ具合は相当なものだったと言われています。
そんな中、初めて日本グランプリの主催をすることとなったJAF(日本自動車連盟)は、メインイベントに、将来のフォーミュラ1レース開催を視野に入れたレースということで、フォーミュラ・ジュニアのレース「JAFトロフィーレース」を海外のドライバーやマシンを招いて開催することを発表するのでした。これが日本で初めて開催されるフォーミュラカーレースとなりました。
そして、海外組みだけのレースとなるものと思っていたエントリーリストを見ると、なんと日本からJAFトロフィーにエントリーしたチームがあったのです。それが、デル・レーシングの“デル・コンテッサ”でした。デル・レーシングにおける初のオリジナルマシンでした。正式名は、DEL MKIIとなります。その製作過程については、「創造の軌跡」をお読み頂ければいかに大変な作業だったかがわかります。
ちなみに、デルMKI コンテッサは、試作車につけた名称で、改良型MKIIが最初のレース車となっています。
 


TOP : The JAF TROPHY RACE in 1964'JAPAN GP .
This race was a first Formula car race in Japan.
(C) Photograph by Shingo Shiozawa.


TOP : #1 Del MKII contessa gots a 6th place in JAF trophy.
Driven by Yoshitsugu Tachihara.

TOP : Del MKII contessa and Tsuneo Kojima.

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Special thanks Shingo Shiozawa.