鮒子田 寛氏にインタビュー
「マックス・イット・スペシャルってどんなレーシングカー?!」
(くるま村特班員 2016年7月20日取材)

 
 
 
 今回のインタビューを紹介させて頂く前に、「MAC'S IT SPECIAL」とはどんなレーシングカーだったのか当時のAUTO SPORT誌の解説記事を引用活用させて頂きながらご説明したい。 なお、写真とレースレポートは当時CAN-AMシリーズを取材していた我が国におけるモータースポーツ・カメラマンのパイオニアである“ジョー・ホンダ”氏が書かれている。 また、マシン解説は鮒子田氏自らレポートされていた。

 
 CAN-AMシリーズ第9戦のラグナセカに、鮒子田 寛がエントリーした。 日本人として初の本場CAN-AM挑戦である。
マシンは、イノベーション・レーシングの"MAC'S IT SPECIAL"。 776cc2気筒の2サイクル・エンジンを4基マウントして、4WD自動変速の画期的メカニズムをもつニュー・コンペティターだ。
 プラクティス第1日めの10月16日は、日本製CAN-AM野郎と2サイクルCAN-AMマシンを見るために、パドックはひときわにぎやかだった。 ところが、マシンは、エンジン不調。 ギヤのマッチング不良でタイムは1分24秒9。 M8Dのフルムが、2Jのエルフォードが、3.06Kmのコースを1分たらずのスピードでヒロシのわきをかすめ去っていった。 翌17日はオーバーヒートでついにギブアップ-----。

 かくて、ヒロシのCAN-AM初挑戦は予選走行のみにとどまった。 レーシング・マシンの常識をやぶった"MAC'S"のメカニズムは、それがあまりにもイノベイティブ(革新的)であるために、完成まではまだまだ時間がかかりそうである。


                                                             Text report by Joe Honda
注)1970年 AUTO SPORT 12月号より引用活用させて頂きました。


 

 発明狂の考えたニューアイデア

 ここにボブ・アクアイザックという男がいる。彼は少年時代から発明にとりつかれ、その才能と比類のない勤勉さで、自動車用品関係の製造会社を設立した男である。
〜中略〜
 ふとしたことから革命的なメカニズムのCAN-AMマシンを作ることを思いついた。
〜中略〜
 彼の会社“マックス・スーパー・グロス・カンパニー”は、ロサンゼルスとシンシナティに工場を持ち、自動車用の化学製品やラジエーター部品、ハンド・クリーナーの“マックス・イット”を製造販売している。
〜中略〜
まず、デザイナー兼チーフ・メカニックとしてジャック・ホーア、マネージャーなどをスカウトし、“イノベーション・レーシング”が誕生した。

 
スノーモビル・エンジンを積んだグループ7

 マクアイザックの考案したマシンのどこが革新的だったか?! それは主としてパワーブランドにあった。 自然空冷2サイクル2シリンダー・エンジンを4基、前後に2基づつマウントしているのだ。エンジンメーカーは、オーストリアのロータックスが製造しているスノーモビル用で、カナダではボンボディーアの名で売られている。 1基あたり776cc・100馬力だから全部で3104cc・400馬力というわけだ。
 
 さらに奇抜なのはその駆動装置である。 バリ・ドライブ(可変)というスクーターについているようなVベルト・トルコンを使っているのだ。(下記 バリ・ドライブの基本構造参照)
遠心式クラッチを組み込んだ可変プーリーと、Vベルトによって自動変速する装置で、スノーモビル用だからもちろん前進のみ、リバース・ギヤはない。 そして、4つのエンジンとVベルト/プーリーで1本のプロペラシャフトをまわし、この回転力を前後にひとつづつ設けたトランスフォーボックスに伝える。このボックスから左右にドライブシャフトがのびて車輪を回転させるわけだ。つまり4輪駆動である。
〜中略〜


                                                         Text report by Hiroshi Fushida
注)1970年 AUTO SPORT 12月号より引用活用させて頂きました。

 

 鮒子田 寛氏にインタビュー  (くるま村特班員 2016年7月20日東京にて取材)

 
 およそ8年振りに“鮒子田 寛”氏にお会いした。 そして、いつも変わらぬ笑顔で迎えていただいた。 初めてお会いした時はまだ「RTN (レーシングテクノロジーノーフォーク)」の責任者として、ベントレーのル・マンカーなどを開発されていた頃で、その後色々助言を頂きながらHP「鮒子田 寛 レーシング・ヒストリー」を開設させて頂いたことをあらためてこの場を借りてお礼申し上げたい。

 
鮒子田 寛氏(以下 鮒子田) : 久しぶりだね。 元気そうで安心しました。

 Bontaro(以下Bon) : ありがとうございます。 お会いするのは2009年以来だと思います。 
 鮒子田さんは70歳ということですが、全然見えません。

 鮒子田 : ありがとう。 ところでHP「鮒子田 寛 レーシング・ヒストリー」が更新されてないねぇ。

 Bon : すみません。 なんとかレース・リザルトだけでも完結したいと思っていますが・・・・。
 まずは今回あの"MAC'S IT SPECIAL"を特集し、久しぶりに更新したいと思っています。
 
 鮒子田 : あの車は、形にしただけでも凄いことだと思うよ。 2サイクルエンジンを前後に2基づつ積んでの4輪駆動だからね。
 それにトルクコンバーターの自動変速だったしね。

 Bon : あの発想は凄いですね! プーリー/V ベルトで変速するなんて、まるでラジコンのようです。

 鮒子田 : だから走らないよね。 革新的だったけどレースをするにはちょっと無理があったね。 

 Bon : ところで、マックス・イット・スペシャルに乗ることになって経緯を教えてください。 当時のAUTO SPORT誌には、ファイアス トンタイヤとの関係のように書かれていたように思いますが・・・・?!

 鮒子田 : 乗ることになったは、イノベーション・レーシングの会社は、車のケミカル商品を開発・販売をしている会社で、日本の 代理店の推薦があったからだったと記憶している。

 Bon : そうだったんですか。 てっきり日本ファイアストンを仕切っていたあの“ドン・ニコルズ”が推薦したんではないかと思って いました。

 鮒子田 : "AVS シャドウ" をテストした時は彼に頼んだけどね。 ちなみに彼はまだ健在で元気みたいだよ。

 Bon : えっ! それはビックリです。 もう90歳近いのでは?!
 ところで鮒子田さんの当時の夢は“インディ500”出場でしたね!

 鮒子田 : 若き日の夢だったね。 もうちょっとで出られたかもしれないこともあったけどだめだった。
 (注)2001年のインタビュー時にその内容をお聞きしていました。

 Bon : 話は違いますが、鮒子田さんはご自分が乗られたマシンのミニチュアカーを集めていらっしゃると聞きましたが?

 鮒子田 : そう。 トヨタ7系は色々なスケールを含めて持っていますよ。 今回のマックス・イット・スペシャルも良いねぇ〜。
 今欲しいのは、FAのイーグルかな?!

 Bon : あれはインディカーが元になっているんですよね?!

 鮒子田 : そうだね。 だけどFA( 当時のF5000カテゴリーはアメリカではFAと呼ばれていた)に改造してプリムスエンジンが載  っているから雰囲気はだいぶ違うよね。

 Bon : 後は、71年にトランザムシリーズで乗られていた“カマロ”ですかね?!

 鮒子田 : それもなかったね! でも イーグル が欲しいなぁ〜(笑)

 Bon : 見つかると良いですね!

 現在は“童夢”の顧問として活動されていて、今日も出張中にわざわざ寄り道して頂き、お時間取って頂いているわけで 本   当にありがとうございました。

 鮒子田 : 久しぶりにリラックスできました。 また機会があったら会いましょう。

 Bon : ぜひお願いいたします。 

 そう言いながら鮒子田氏は、新幹線乗り場に・・・・。 今日は本当にありがとうございました。
 


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Special thanks : Hiroshi Fushida.
Special thanks : AUTO SPORT Sanei-Shobou