6) 1969年富士1000Kmレースに優勝した初期型TOYOTA-7は、
本当に発売されたのか?!問題の広告を検証する。

 
 
 
TOP : Climax ads in 1970.
It seems that the Toyota New 7 early model advertised in the advertisement was not released.

 
 
  1970年発刊の「模型とラジオ 別冊“工作ガイドブック”」のクリヤーボディ特集の中に掲載されていたクライマックス広告内に「えっ!本当?!」というべき内容が書かれていたのだ。
「新発売!!‘69年全日本富士1000キロレースに優勝!!1/24 ニュー・トヨタ7」と書かれていたから驚きだ!
しかしながら、クライマックスの公式広告で、同年の日本グランプリ仕様のトヨタ7以外に5リッターV8エンジンのトヨタ7は見たことがない。これもクライマックスのミステリーなのだろうか?!
 
  この1年前、クライマックスはニッサンの新鋭マシン“R381”をいち早く再現して発売したのだが、実はこの時まだR381は、グループ6仕様のクローズドボディであったのだ。その後、グループ7仕様が日本グランプリに出場可能となったため、急遽ニッサンはルーフを取り去り、オープンボディへと改装したのだった。クローズドボディのR381は、その後一切日の目を見ておらず、すべて、オープンボディに替えられたと考えられる。
そして、クライマックスは、すぐにオープンボディ仕様を製作し、発売することになるのだが、少々勇み足だったようだ。
結果的には、初期だけの仕様のグループ6ボディは貴重品となり、マニアの間では人気になったと聞くが。
 余談だが、このグループ6仕様のR381であるが、世界を見ると前年1967年をもってFIAマニファクチャラーズ選手権規約が改正されており、1968年からは、エンジン排気量3リッターまでのプロトタイプカー(グループ6)と5リッターまでのスポーツカー(グループ4・・・当時。年間50台の生産義務)に変更されていたので、本来は、クローズドボディのR381は、グループ6とは言えないのである。
一体、68年日本グランプリの出場車両規約がどうなっていたのか調べたくなってきたが、それはまた次の機会にしよう。
 
話は戻り、前年にそのようなこともあったので、クライマックスは初期型トヨタニュー7の発売を急遽取りやめて、最終仕様だけを発売したのかもしれない。
しかしながら、もしこの初期仕様トヨタニュー7が1/24のベンツF1のように存在していたら、ぜひ見てみたいものだ。
 
 
 
7) 1/20スケール“スズキ・フロンテ 8S”と“スバルR2”
 の発売理由は?!


 1970年11月頃だっただろうか、行きつけの巣鴨サーキット内売り場にて見慣れない小冊子が置かれていた。名前を見ると、「Modelcar Racing Life」と書いてある。なんだかどこかで聞いたことがあるような名前である。
値段を見ると、なんと30円!!まあ、数ページしかないような小冊子なのでこんなもんか!と思いすぐに購入してしまった。元祖MSL(すでに模型とラジオ内の1特集で別売りもしていた)が1部50円だったので少し割高かな?!とも思ったが、表紙がつい先日日本に来襲してきたG.モレッティ(MOMOの社長だ!)のフェラーリ512Sだったのも気に入ったので買うことにした。
 この小冊子の内容は、日本モデルカー・レーシング連盟も公認した内容であるので色々メジャーレースのことや、最新のレース規約なども書かれており、連盟会員には無料配布されていたと思われる。
そんな中、クライマックスの広告と小冊子内新製品紹介欄に「あれっ!?」と思うようなクリヤーボディが紹介されてた。
「新製品ニュース 12月発売!1/20スケール ミニカーシリーズ フロンテ8S、スバルR2」と書かれていたのだ。
写真のとおり、これらは確かに発売され、存在したのだ。
当時、私も巣鴨サーキット商品売り場の壁に吊り下げられていたこれらを見ているのだが、あまり興味がなく買わずじまいだった。
近年、フロンテだけ縁あって手元に置くことが出来たが今はもうない。
 
 
 
 
 
TOP : Climax ads in 1970.
New model release !"1.20scake Minicar series",

 
 
TOP : Subaru R2 and Fronte 8S of the climax 1/20 scale minicar series
introduced in "Model car Racing Life" magazine in 1970.

 
 
 

 

 
TOP : I owned the Fronte for a while, but now I don't.
 
 
 ところで、クライマックスからなぜミニカーのボディが発売したのかは、次のような理由が考えられる。
小径タイヤ化が進んだ1/24スケールのシャーシと小径タイヤを、1/24のミニカー(当時の500cc軽自動車を指す)と合わせると大きすぎるが、1/20のミニカーに合わせると丁度良く、そのままシャーシが使えるという理由で、クライマックスが1つのアイデアとして発売したのではないかと思う。
先日、LS製1/20スケール“イノチェンティ・ミニ”に1/24のシャーシやタイヤを当ててみたらビッタリだったし、そのキットに入っていたミニ・ライトホイールも1/24に使えたので当時もそのような感覚で考えていたのかもしれない。

 1970〜71年当時は、軽自動車のエンジン排気量が確か500ccに引き上げられたと記憶している。そして、そのエンジンをチューンナップし、国産コンストラクターたちが製作した日本独自のフォーミュラFL500などのレースも盛んに行われだした頃だった。さらに、“エバ・カンナム”などのミニ・カンナムカーもどきレーシングカーも登場し、一時ミニカーブームとなっていたのがその時代だ。
そして、軽カーレースも盛んに行われていたことも含めて、今回のクライマックス製ミニカーシリーズの発売となったと思われる。

 では、実際にレースが行われていたのだろうか?!
1970〜71年当時のメジャーレース規約などを確認してもミニカークラスは新設されていなかった。ただ、新たに1/24スケールのツーリングカークラスが設けられていたのが新しいところであった。
 そして、いつの間にか、ミニカーシリーズはその2台を最後に消えていったと思われる。
 

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