(2) ミステリー“クライマックス” クライマックスを長い間商品や会社の動向などを見てきたのだが、どうも納得がいかないことが多々ある。 すでに半世紀以上前のことなので、今更どうのこうのというのも意味があるかどうか分からないが、恐竜の化石を見つけて運着をつけるつもりで調べてみたのが下記の事柄である。 とにかく謎の多いクライマックスに迫ってみることにするのでお付き合いお願いしたい! 1) クライマックスの“通販専門店 モケイのデパート”の謎?! 元祖モデル・スピードライフ1967年3月号No.17のクライマックスの広告内に“モケイのデパート クライマックス”が突然記載された。 |
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これは、通信販売専門店で、クライマックスのライバルであるライト工業やゴーセンなどの他メーカー商品も扱う総合模型通販業である。 そのために(有)クライマックス商事という別会社(場所は同じ地区だが住所が違う)を設立して業務を行う内容だった。 ところが、1967年8月号No.21のクライマックス広告において、それまで毎月の広告に必ず記載されていた“モケイのデパート クライマックス商事”が突然消えたのだ。そして、2度と記載されることはなかった。 それ以後は、そんなことは最初からなかったかのように、本業のクリヤーボディの新作を出し続けるのだった。 確証はないのだが、当時のモデルカーレーシング界に精通していた重鎮の方が当時クライマックスは1度災害にあっているのだと伺ったことがある。仮のことはあまり出したくないのだが、もしかしてこのモケイのデパートの突然の消滅に関わったことではなかったのかとふと思ってしまう。 2) クライマックス製サイドワインダー兼インライン・サスペンションシャーシは販売されなかった?! 1967年4月号No.18モデル・スピードライフ誌の特集ページにおいて、クライマックスが開発した「FT-26D用サイドワインダー&インライン兼用サスペンションシャーシ」の発売前提とした解説記事が掲載された。 FT-26Dが発売されたことにより、各社専用シャーシや専用モーターマウントなどを発売していた中だけにタイムリーな開発だと思われた。 しかしながら、以後このシャーシが実際に発売された事実はなく、広告なども私が知る限り見つかってはおらず、AYKの初代広告のゴールドロッドシャーシと同じように発売されなかったのではないかと思われる。 |
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ただ、今思うには、モデル・スピードライフ誌が開発途中のシャーシを安易に掲載紹介するとは思えない。さらに、クライマックス自体にこのようなシャーシを開発するノウハウがあったとは思えず、過去やその後の関係からして、ゴーセンかAYKに開発委託?!をして発売直前に何らかの事情で発売中止になったのではと勝手に想像しているが、どうだろうか。 そして、1つ気になる広告が今更ながらみつかった!。 1967年6月号モデル・スピードライフ誌に掲載された“モデルホビース商会”広告内にて上記クライマックス製シャーシではないかと思われる文面を見つけたのだ。 「FT-26Dモーター専用 わらべ製サイドワインダーシャーシその他、青柳製、クライマックス製、当社インライン等続々発売」 クライマックス製シャーシなど、昔のアルファロメオ・カングーロのシャーシやゴーセンとの合体キット時代のもの以外には存在しない。 この文面は、掲載時期も同じ頃であり、やはり上記シャーシのことを指しているのではないだろうか。(下の画像を参照願いたい) なお、このシャーシの詳細については、またの機会に検証してみようと思っている。。 |
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3) 1/24 チャパラル2EとローラT70MKIIIは、2度発売された?! 1967年3月号モデル・スピードライフ誌に新発売として製作記事が掲載された“チャパラル2E”。そして、同年6月号に同じく掲載された“ローラT70MKIII”であるが、実はこの2台は、その後、木型が新たに製作され再発売されていたことをご存じだろうか。 再発売された時期は、2Eが1968年7月号元祖MSLに同じくクライマックスより発売された“バキューム製ドライバーシート各種”の紹介ページに新原型の2Eが掲載されていることから、68年春頃ではないかと想像される。また、ローラは、1969年春のオール愛知モデルカーレーシング大会に登場していることから、1968後半から69年前半に再発売されたと思われる。詳しい発売時期は、資料がないため断定できないことをご理解お願いしたい。 新たに製作された2台共、なぜかクライマックスの公式広告にはまったく紹介はなく、初代といつの間にか入れ変わって発売されていたという感じだった。 私も運良く2台共、初代と2代目を購入することができたが、その違いに随分と驚いたものだったと記憶している。 特に、2代目ローラは、下の比較写真でわかる通り、まるで違う車のようであった。 なぜにこんなに違うのか、考えられるのは、初代ローラT70MKIIIの木型製作の参考にした実車は、実は、デビューした1967年ロンドン・レーシングカーショーの展示車であった。 この車は、あくまでもプロトタイプであり、フロントカウル上のエアーインテーク・アウトレットの穴が開いておらず、その後のMKIIIの雰囲気とは随分と違う印象を持ち、それを参考にしてしまったのが間違いだったと言える。 さらに、木型自体がダルな感じに製作されてしまっていたため、まるでプラ製ボディをカバーするブリスターパックのようなイメージに出来上がってしまっていた。(下の画像を見ていただきたい) 2Eについても、ローラと同じよう実車よりもダルなイメージであり、特徴のハイ・ウイングなしでの販売となるので、どうしてもシャープさに欠ける。特にフロントカウルの曲線を描くタイヤハウス形状が実車イメージとは随分と違った。 それに対して、2代目2EがCOXの2Eのように凹凸がハッキリした作りになっていたので、当時はカッコよく見えたものである。下の写真でも分かる通り、まるで違う車になった感がある。 |
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