富士GCの初代王者 酒井マクラーレン追撃用最新兵器


TOP : This is "LOLA T280 DFV".at FujiSW in 1972.
The photo above is taken when driving Noritake Takahara
and participating in the "Fuji 300 Mile Race" held at Fuji Speedway in June 1972.
(C) Photograph by Bontaro.

 
このマシンは、1972年FIA世界メーカー選手権用の規定に合わせて、
ローラ・カーズが開発し市販したグループ6のプロトタイプマシンである。
エンジンには、F1エンジンとして開発された“フォード・コスワースDFV”
がデチューンされて搭載されている。 当時のライバルは、Ferrari 312PB、
アルファロメオT33、マトラ、そして、JWミラージュなどのマシンたちであった。
当時、風戸裕と共に新しいドライバー像を作り上げていた高原敬武が、当時
日本で富士スピードウェイ6Kmフルコースを一番速く走るマシンであった酒井正
駆るマクラーレンM12を追撃すべく投入したのが最新のローラT280 DFVであった。


It is a prototype machine with a 3000cc engine for the FIA World Maker Championship.
The LOLA T280 was on the market at the time. Competitors include Ferrari 312PB, AlfaT33 and Matra.

 
 
TOP : 72' LOLA T280 DFV built by Teruo Nishioka.
This 1/24 scale LOLA T280 is an all-handmade one-off model.
The body is a plastic plate extracted from the divided body prototype with vacuum foam.
 
 
 
 TOP : From 1972 AUTO TECHNIC magagine.
This photo is a composite photo.
 
 
LOLA T280が登場した時代背景
 
 高原敬武氏が現役時代に乗っていたマシンたちをご本人の依頼を受け、作り続けている西岡照夫氏だが、今回のローラT280が最後だと言う。高原氏のモデルカーを飾るショーケースがいっぱいになったことが理由というが。
 
 さて、西岡氏の製作記に入る前に、ローラT280が誕生した時代背景について触れたいと思う。
 FIA(国際自動車連盟)世界マニファクチャラーズ選手権の歴史を見ると、まるで恐竜時代の時代分布と似ているように思えてならない。
FIA公認のF1ドライバーズ世界選手権とは別に自動車メーカーの優劣を競う世界選手権は、ガソリン自動車が誕生した1900年前後の頃から存在し、すぐにル・マン24時間レースを頂点としたシリーズ戦が行われ、大いに盛り上がりを見せた。
 恐竜時代の3つの時代の最初の三畳紀というと、両生類が海から陸に上がり、独自の世界を築き始めた時代だ。 これは、自動車レースの戦前戦後の混乱期に似ている。1960年代になると、それまでのジャガーやアストンなどのグレートブリテンの天下が去り、新しい時代へと自動車レースは生まれ変わってくる。 まず、フェラーリの台頭だ。恐竜時代も数億年単位で起こる生命絶滅を経て、ジュラ紀に入り恐竜時代のピークを迎える。 映画「フォード対フェラーリ」の如く、排気量無制限のプロトタイプマシンの壮絶な戦いは長くは続かず、FIAは、この時代にピリオドを打ち、独自のフォーミュラ1エンジンの有効活用路線のためだったのか、1968年より、3リッタープロトタイプと5リッターまでのスポーツカーにタイトルを懸けることになる。 ところが主役になるはずであった3リッタープロトがスポーツカーの脇役となってしまったのだ。FIAの予期せぬ出来事、それが「栄光のル・マン」に代表されるポルシェ917とフェラーリ512Sの登場だった。
 そして、FIAは、フォードを締め出した時と同じように、主役となったそれらの5リッター級スポーツカーを締め出し、1972年より3リッタープロトタイプオンリーの世界メイクス選手権をスタートさせる。まさにFIAは、当時の各F1メーカーの参加を見込んでの規約変更だったのだが。
 蓋を開けると出場車は、フェラーリ、アルファロメオ、ローラ、ミラージュ、そして、ル・マンだけのマトラ、後は古いポルシェの3リッターマシンたちという面々であった。まったく面白みに欠けてしまい真剣に参加したフェラーリの完勝となった。
そんな時、FIAとは別に北米大陸で大人気となっていたのが、排気量無制限のCAN-AMシリーズだ。メイクス選手権を追い出されたポルシェは、このCAN-AMに舞台を移すことになる。そして、ポルシェは、恐竜時代最強の肉食恐竜“ティラノサウルス”が最後に登場したのと同じく、地上最強のマシンをCAN-AMに用意した。 それは、ターボチャージドエンジンである。 ポルシェ917の5リッターエンジンに当時としては初めての試みであるツイン・ターボを装着し、なんと1500馬力近くを絞りだす怪物エンジンを登場させたのだった。
 しかし、あまりの速さに常連のマクラーレンチームなどは1972年をもって撤退してしまい、一部のシャドウなどを除いて面白みがないポルシェのポルシェのためのレースとなってしまうのである。そして、1974年をもってCAN-AMは1966年から続いた歴史に幕を閉じる。
余談だが、日本にもティラノサウルスがいた!そう、ターボチャージド・トヨタ7だ!あの悲劇の事故がなかったらポルシェとの一騎打ちが実現したかもしれないが、今となっては夢物語だ。

 恐竜時代最後の白亜紀となっていた1972年以後、FIAの世界メイクス選手権に登場した1台に今回の“ローラT280”があった。
唯一誰でも購入出来る3リッタープロトタイプカーだったと思う。 有名なのがジョー・ボニエ率いるチームの黄色に赤白ラインのマシンは、有名である。
 
 さて、1973年当時のオートテクニック誌に高原敬武氏のインタビュー記事がある。
「なぜ、1972年度の富士GCにおいて、チャンピオンシップが懸かった2リッターマシンを買わずにローラT280を選んだのか?!」に答えているので紹介したい。
 
 
 
TOP : This article in Auto Technic magazine was taken
when I interviewed Mr.Noritake Takahara in 1973.
 
 
TOP : Noritake Takahara with Lola T280DFV in 72' Fuji Masters 250Kms race.
(C) Photograph by Bontaro.

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(C) Photographs and build by Teruo Nishioka.