『カンボジア
僕の戦場日記』
後藤 勝 著、 めこん
1999年4月発行
アジア専門出版社めこんの出版物
情報は、「めこん」をクリック
1966年生まれ、今年34歳の写真家・後藤勝氏の撮った写真が、大きく数十枚も、見開きページで掲載された単行本である。
1997年4月、長期取材の覚悟でカンボジアを再訪した後藤氏が、内戦勃発の前兆をプノンペンで感じるところから本章が始まっている。その後、首都プノンペンでの市街戦だけでなく、タイ国境の戦闘の激しかったソム・ラオング、オスマイチ、アンロング・ヴェングの戦地に赴き、戦場の最前線で写真を撮り続けているが、この本は、写真だけではなく、日記という形を採った詳細な記録となっている。
前線に借り出される少年を含む一般兵士や、戦闘に巻き込まれた市民・農民と行動を共にしていればこそのリアルな写真が、本のページを繰るたびに、見開きページいっぱいに戦争のむごさを伝えるべく現れてくる。
銃弾を受けた瀕死の少女、全身焼けただれの兵士、処刑された反対派の遺体、子供を抱えてジャングルに逃げる農民、地雷と砲撃を避け、河を渡る農民、家の側の壕に逃げ込む子供たち、家族の死の前に泣きじゃくる市民、前線の兵士の横顔、投降したポルポト兵たちなどなど、ニュース報道だけでは伝わってこない臨場感あふれる写真が満載だ。
1997年9月、8年ぶりに一旦日本に帰国した後藤氏は、日本の贅沢にもすぐに慣れ、カンボジアに戻るのが多少怖かったが、カンボジアの姿を出来るだけ多くの人に伝えることのできる写真を撮るためには、少しでも長くカンボジアの人々とともに暮らさねばと、カンボジアに再び戻った。そして戦地の前線にまた飛び込んで行き、1997年末からのカンボジア政府軍乾季大攻勢、更に98年4月の最後のポルポト派拠点陥落の現場に身を置くことになった。
ー 『カンボジアー僕の戦場日記』の目次 ー
まえがき
プロローグ
・・・1960年後半〜1997年2月 カンボジア政情の推移
崩壊する新生カンボジア王国
・・・ 1997年6月2日〜7月4日
内戦勃発の前兆/市街戦前日
首都プノンペン市街戦
・・・ 1997年7月6日
犠牲となる市民/突入する戦車部隊/銃口を突きつける兵士
略奪と処刑/医師も薬も足りない病院
戦闘を追いシェムリアップ州へ
・・ 1997年7月15日〜1997年10月
戦場に向かうハイエナたち/静まり返るアンコール・ワットの町
たたかうポル・ポト投降兵/激戦地ソム・ラオング
逃げまどう農民たち(7月21日〜7月28日)/泥沼の戦闘
引き裂かれた家族/掃討作戦
恐ろしいポル・ポト軍の地雷/置き去りにされる兵士の死体
最前線の少年兵士/炎上する国境の町(オスマイチ)
銃弾に倒れる突撃隊(8月30日)
マラリアで震える/8年ぶりに日本へ帰国
平和な日本で思ったこと
カンボジア政府軍乾季大攻勢
・・ 1997年12月10日〜1998年2月
クリスマスはジャングルの中/夜襲/
オスマイチ山攻防戦(98年1月) 怯える兵士たち
空腹と絶望/野戦病院/待ち伏せ攻撃/病院裏の火葬場
市民に降りかかる砲撃の雨/夜中に負傷 バンコクの病院へ
ポル・ポトを追いタイ国境をさまよう
・・1998年4月1日〜4月16日
制圧されたポル・ポト派の拠点 アンロング・ヴェング
ポル・ポト派市民の生活/投降したポル・ポト兵たち
200高地の激戦/ポル・ポト氏死去 すべてが終わったのか?
祖国を追われたカンボジア難民
・・1998年5月1日〜5月15日
戦闘を続けるポル・ポト軍/憎しみ合う同じ民族
(タイ・スリン県のカンボジア難民キャンプ)
カンボジア国民による初めての総選挙
98年6月20日〜7月24日
選挙に怯える市民/平和更新
内戦の犠牲者・・1998年8月
軍病院 あふれる負傷兵/傷ついた兵士たち
貧困にあえぐ人々
あとがき