◎特集 橋下徹氏が やりたかったこと すでにやったこと やろうとしていること

取材1 大阪府立国際児童文学館廃止により我々は何を失うのか—
          大阪の歴史と文化論の立場から

児童文学館外観

大阪府立国際児童文学館の設立と四半世紀の運営

 一九七九年に大阪府は、早稲田大学教育学部教授(当時)の鳥越信氏の所蔵する一二万点の児童書を中心とする本の寄贈先公開募集にエントリーし、選ばれ、大阪府立国際児童文学館構想を具体化した。一九八〇年にその管理運営の受託に関する事業を目的にした財団法人大阪国際児童文学館を一千万円の全額出資で設立し、準備を重ね、文学館は一九八四年の五月五日のこどもの日に吹田市の万博記念公園内に開館した。

 財政的には大阪府からの事業委託費によってまかなわれ、人的には財団の理事等に大阪府職員が一定数入るほか、財団職員にも府職員の派遣があり(現在財団の正職員は一〇人で、総務部門に府からの三人、研究職四人、司書職三人。その他非常勤職員)、土地は独立行政法人日本万国博覧会記念機構(旧財団法人日本万国博覧会記念協会)からの借地、建物は大阪府所有の公の施設である。

 そして児童文学館は開館後、国内外の児童書を収集し現在では七〇万点を越え、調査研究機能をともなう本格的な児
童文学館として、日本最大、世界に冠たる存在となり、国内外の評価は高い。一九八六年から九〇年まで財団の二代目理事長をつとめた司馬遼太郎は「街道をゆく 35 オランダ紀行」朝日文芸文庫二一九頁以下で、連載を書く段で「さまよえるオランダ人」、「フランダースの犬」について、児童文学館の研究員からの深い教示を紹介し、児童文学館の力を讃えている。ちなみに初代理事長は桑原武夫京大名誉教授、現在の松居直氏は福音館書店相談役で五代目である。

大阪府立国際児童文学館の実質

土居安子主任専門員に隅々まで案内を受けた。印象深い点を摘記する。

〈専門職員がすべて目を通し、保存と開架〉

 購入、寄贈本に専門の職員が必ず目を通し、その中から子どもたちに読んで欲しい二万五千冊くらいを開架式のこども室に置いている。これは貸し出しされる(それ以外の数十万点の本は貸し出さない)。こども室にはお話しコーナー、マンガコーナーもある。
 また、こども室には「ほんナビきっず」がある。富士通、筑波大と協力して開発した子ども向け図書検索システムで、検索方法としてタイトルや著者名だけでなく、ゲームをしながら画面をたどることでその子に合ったおすすめ本を紹介したり、「びっくり」、「悲しい」、「こわい」、「うれしい」など、子どもの読後感で本が検索しやすいように工夫している。これらに活用されているキーワードやあらすじは専門職員が実際に読んで分類・付与したもので、子どもと本をつなぐ画期的検索システムと言えよう。

児童文学館館内

〈児童文学館のしていること〉

 国会図書館にもない本を求めて児童文学館に来る人が多い。書庫の中の、貴重書庫(図書、雑誌)は、湿度と温度を一定に保っている。明治期からの絵本、欧米の影響と独自性がよくわかる蔵書となっている。出版された年月日順に分類し、閲覧に供している。ここにしかない「日本一ノ画噺」全巻など明治以後戦前までの図書と雑誌を収蔵している。明治期の本をたどると、文語調から口語体への移り変わり、本デザインの歴史、講談から本への移行、豊富な翻訳児童書も目を引く。
 一般書庫には、海外の児童書もよく揃っている(英語が三分の一、その他が三 分の二)。また、マンガや街頭紙芝居等の資料も充実している。
 どのような文化にあっても、歴史を知ることは現代ひいては未来を見つめることである。よりよい子どもの本を考えるためには、歴史を学ぶことが重要であり、児童文学館は子どもの本の歴史の宝庫である。
 展示コーナーの企画は特別研究員と呼ばれる外部の研究者に、児童文学館の資料を使って研究してもらい、その成果を発表してもらう制度によって実現しているものであり、広いネットワークが館の運営を支えていることがわかる。研究機関でもあるから研究成果を紀要に発表し、シンポジウムなども開いている。
 毎年増える児童書の六〇%は出版社や個人からの寄贈による。

橋下知事が打ち出した方針

 二〇〇八年六月に公表された同知事の「大阪維新」プログラム案(財政再建プログラム案)によると、児童文学館は二〇〇九年度中に東大阪の府立中央図書館に移転し、施設は撤去もしくは利用について検討、前述の財団への委託は廃止し、府の職員は引き上げるとしている。府からの年間支出一億七千四百万円をカットすることになる。児童文学館が収集した資料の管理はできるし、中央図書館で府民に提供でき、おはなし会や読書相談も提供可能としている。
 児童文学館のことを知らない人にとっては、大阪府の財政再建のためにはやむを得ないのかなと思ってしまうところがこの案の困ったところである。
 借地上の建物の処理は、解体すると一億円かかる。
 万博記念機構への借地料は年間二千万円である。

大阪府立国際児童文学館廃止により失われるもの

 北田彰財団常務理事への取材を通じ明確になった点は次の通り。

 図書館にはない保存・研究機能が消滅

 児童文学館には二つの機能がある。

〈そのひとつは児童文学等児童文化の総合資料センターとしての機能〉

 七十万点の児童書等をもち、毎年一万五千点くらいを増やしている。
 資料の収集・整理・保存方法が図書館とは全く違う。
 収集方法として、図書館は本を選ぶが、児童文学館は選ばない。日本で発行された児童書のすべてを集め保存する。そのうち六割は出版社、個人から寄贈を受ける。
 整理・保存方法として、図書館は本を貸すが、児童文学館はこども室の二万五千点以外は貸さない。それと同じ本は保存のなかにもあるから、保存するものと貸すものとは明確に分けている。
 図書館は本を「選ぶ、買う、貸すシステム」、児童文学館は「選ばない、寄贈、貸さない、保存するシステム」。
 この機能が失われることは、児童文学館の有する図書館にはない機能の消滅であり、歴史的損失であろう。

〈もう一つはこどもの読書活動支援センターとしての機能〉

 専門職員がこれまでに培って来たネットワークで、こどもと本をどのようにつなぐかの研究をしている。図書館には研究職はいない。

 児童文学館が府民と直接つながるのは、赤ちゃん絵本リーフレット。これは若い父母にどんな絵本が赤ちゃんにいいかをアドバイスするもので、児童文学館の専門職員、小児科医、児童心理学者などが協力してつくり、保健センターの四ヶ月児健診のときにすべての府域の保護者に渡してもらうシステム。
 前述の「ほんナビきっず」。専門職員と企業の共同研究の成果である。
 児童文学館は全国の市町村図書館、学校図書館、ボランティアグループへの支援をしている。
 児童文学館では、最近一年間に出版された子どもの本を「新刊コーナー」に展示するとともに、毎年、紹介と解説を行っている。これは専門職員がほぼすべての児童書を読み、評価し、キーワードとあらすじをコンピュータに入力したものを活かした講座である。図書館員、学校の先生、読書活動のボランティアさんなどが年間購入する本を決める参考にしている。
 ボランティアグループのお話会での経験をデータベース化する活動もおこなっている。

児童文学館収蔵品児童文学館資料

児童文学館資料児童文学館資料

本だけの凍結保存になってしまう

危惧することの一つに資料収集の継続が挙げられる。資料は集め続けることで活かすことのできるものであり、一度収
集が止まってしまえば、将来さかのぼって収集することは不可能になってしまう。

その他の現実的損失

〈出版社等からの寄贈が受けられなくなる〉

年間一万五千点の本を増やしているが、その六割にあたる九千点は出版社からの寄贈。約二千万円に相当する。全国にある三千を越す図書館に出版社は寄贈できないので、児童書で寄贈を受けているのは児童文学館だけ。価値づけしない、永久保存するということが評価された結果だと思われる。

〈外部資金が導入できなくなる〉

二〇〇七年度で言えば、府立図書館になると受けられない資金は次のようなものである。
外部補助金として、子どもゆめ基金約一千万円、万博記念機構助成金約百万円、企業協賛金・賛助金として、「アジアと日本の絵本」の企画のための在阪企業一一社から賛助金約一五〇万円、ゴーン改革でも残った「ニッサン童話と絵本のグランプリ」の開催費用。このグランプリは童話と絵本文化を広げる新人作家の登竜門といわれている。

団体寄付金として、児童文学館と共同で世界の研究者を顕彰する国際グリム賞のための金蘭会からの寄付金百万円、アジア地域を中心とした海外の絵本購入のための大阪キワニスクラブからの寄付金五〇万円、加えて富士通は共同研究費として、「ほんナビきっず」の制作費を負担している。
他の年度では、科学研究費補助金として文科省や日本財団からの助成があった。

これらが約七千万円、前述の寄贈本代二千万円と合わせると九千万程度になる。つまり、大阪府の負担する約二億円で約一・五倍の事業効果を生み出していると考えることができる。

大阪文化論の立場から

本誌は大阪の歴史を夙に研究し、主筆においてそのまとめを大学の研究会の紀要に発表したこともある(経済科学通信一〇四号、二〇〇四年)。
古代から今日までの大阪を鳥瞰し得られた現代大阪の現状は次のようなものであった。

〈大工業化の進展と失敗、情報化社会での大阪の遅れ〉

戦後約六〇年の大阪の歴史、制度的にハンディを負い徐々に地盤沈下していく大阪が選択した道は、臨海地域を埋め立てての重厚長大型産業の誘致・奨励、これに伴う道路等の都市基盤整備であった。その効果は大阪経済に一定の活気をもたらしたが、公害問題を先頭とする大都市問題を一層発生させ、産業のソフト化を遅らせ、大都市を国民のものにするという視点からは成功をおさめなかった。一九七〇年代から八〇年代にかけての大阪を含む革新自治体の隆盛は、大都市問題の噴出への国民の緊急避難としての意味を持ち、この面で大きな成果を挙げたが、それ以上のものにはならなかった。産業構造の変化には適用できなかった。その後、国際的・国内的政治状況は保守化を選択した。

現代社会における都市や地方の力はソフト化、情報化への適応度という視点から見ることもできるが、関西企業のIT化進展度をみると、関東に次いで第二位の偏差値となっているものの、その水準は関東と比べて低く、情報化の遅れが目立つと言われる(大阪府立産業開発研究所)。二番目ながら一番とは巨大な差というところに大阪のすべての特徴がある。差は開くばかりである。

〈比較でなく独自性の必要〉

歴史は大阪の人々の誇り高い心情に多かれ少なかれ影響をもたらしている。その心情はいつも江戸・東京を見据えている。しかし、所詮比較からは何も生まれない。自然・風土・地理的・制度的条件にかなりの程度規定されながら、自らを発展させる営みが続くだけである。歴史の煌めきと、それを支えた勤労者、農民の自主的営みを引継いでいくのは誰か、何かが問われているのである。

大阪は歴史力をもっている。しかし戦後は不調である。そしてなお大阪を再生させる方途も人物も現れていないと言うべきである。大阪の都市格、グレードは高いとは言えない。

このような中にあって、大阪府立国際児童文学館の存在は、現代大阪における例外的独自性の輝きであると考える。

本稿で述べてきたこの文学館を、このような大阪の歴史、文化論の立場からも、維持するのか発展させるのか、それとも消滅させるのかが、大阪府民に問われている。心ある全国の目が、国際的な目がこの動きを注目している。

※  ※  ※

橋下知事は、文学館の利用状態をビデオで隠し撮りしていた。私設秘書にやらせたというから唖然とする暗さがある。
つぶれた独裁国家の秘密警察の趣である。弁護士を中心に責任追及の声が上がり、関経連の下妻博会長は「大人のやることじゃない」と苦言を呈した。府議会で追及されたが、「謝罪しない」と居直っている(二〇〇八年九月二七日朝刊各紙)。

●特集 元のページに戻る

 

ページトップへ戻る

 

おおさかの街HOMEおおさかの街最新号もくじ季刊「おおさかの街」についておおさかの街バックナンバーおおさかの街へお問い合わせ
おおさかの街