市長も感動。戸数を削らせ、条例改正にまでもちこんだ画期的住民運動
それでも巨大マンションは建ってしまった
建設地の模様
この運動の現場、つまり巨大マンションが建てられた現場は大阪市平野区長吉出戸三丁目にあるNTN(元・西林精工)の工場跡地である。
大阪市の東南に位置し、北は八尾市と接する。バスのほか地下鉄谷町線出戸駅が通勤のターミナル。戦前から戦後にかけて、一面が田や畑の農地および住宅地であった。
一九三八年に西林精工の工場が移転してきたが、当時は、この工場の敷地の南側には住宅が建ち並んでいた。北側および東西には一面農地が広がっていた。その後、西林精工の工場の北東側に福井工業の工場ができたが、周囲が農地であることは変わらなかった。
一九六〇年以降、周辺は徐々に宅地としての整備が進められ、住宅が立ち並ぶにいたった。町会など地域の活動も活発になり、住宅地域としての社会的結合が次第に形成されていった。
NTNの元工場も後に残る福井工業の工場も二・三階建て程度の低層の建物であった。
この地域は都市計画上は準工業地域の指定のまま残っているが、地域の特色としては、住宅地である。実態は住宅地なのに準工業地域のまま残されている地域には、日照権保護のための建築基準法やそれを施行する大阪市の条例は不備のままであった。
平野さんの驚き、怒り
そんな地域に突如、長谷工の巨大マンション計画が持ち上がった。住民運動のリーダーの一人、平野義夫さん(六六歳)は当時
を次のように話す。
「怒髪天を突く、晴天の霹靂とは正にこの事かと思います。二〇〇一年春過ぎての頃、ある日突然に、NTN跡地に高層マンション一五階建、戸数二三八戸、高さ四五メートル、長さ一六五メートルというばかでかい建物が建てられるということを耳にした。しかも業者側の説明が建物に面する最前列の人達だけに個々になされ、既に建築許可も下りているとのこと。
大きな影で近所一体の街が被われてしまう。その影がどこまで来るんやろう、恐らく五〇〇人を超える人達が一挙に入居すれば、村から街に移行して間もない街が壊されてしまうのではないか等、色々な不安が、次から次へと襲ってきたのです。
なんとか阻止できないものか、弱い立場の私達でも一人一人が力を出し合えば、また何かをしないとと、いたたまれない気持ちでいっぱいでした」。
シャニムニ運動
平野さんたちは「断固反対」「日照を奪い尽す権利は誰にもない」、この言葉をスローガンにして反対協議会を組織し、一番古くから住む笹野敏彰さん(六六歳)を会長に選び、立看板を立て、工事車両入口でのピケ、「怒りの炎」としての焚火を年末年始も返上して今も燃やし続けている。
シャニムニ取り組んだ運動は次のようなものだ。
●地元市会議員への陳情
●行政に対しての説明要求
●一四四〇名の署名をもって業者に対しての抗議文の手交
●市長に対しての陳情、市議会に対しての陳情(計画消防委員会)
●平成一三年一二月一七日には原告団を結成し、年明けに「工事差止」を求める仮処分を大阪地裁に申請
行政の不備と矛盾をつく業者の姿勢
準工業地域だけど住宅地なのだから、住宅であるマンションを建てる。しかしあくまで準工業地域なのだから、日照規制などは大阪市では及ばないから高い建物を建てるのは構わない。これが、業者の基本姿勢。
「法に触れないから、建てられるから建てるんや」と……。
「幾度となく対話集会を持ったが、住民側の傷みと不安を解消する答えは業者からはなく、傲慢な態度を変えようとしなかった」と、笹野さん、平野さんは怒る。
裁判の中で一定の妥協を引きだす
住民の多くの被害は、日照が冬至期に二時間以下になる家が数多く出たこと。地域の性格が準工業であろうと住居関係の地域であろうと、日照が一日二時間以下になれば裁判所はその工事を差し止めることが全国の水準である。
それがわかっている業者は差し止められてはならじと、まずお金を用意した。何と、建物の形状は変えないままで一億円支払うと表明したのである。
担当弁護士は、お金でもめるのは運動にとって一番困るとして、原告団に無記名の郵送による一票投票で賛否を問うた。
ここにこの運動の真骨頂をみたと担当弁護士は語る。
「一通が金銭解決、三九通が反対でした。感動しました」。
次に業者は、一三戸削るので六七五〇万円で解決してくれと頼んできたがこれも拒否。
すると業者は金銭解決は無理と見て、一方的に二四戸を削り、その結果を裁判所にアピールし、裁判所はこれにのって仮処分を却下した。
裁判所のわけのわからない理屈に怒った住民は本訴を提起し、いまも大阪地裁で審理中である。
市長怒る。
スピーディに条例改正へ
住民の度重なる大阪市への要請や、住民の側に立って鋭く市会に問題提起した地元の稲森豊市会議員の質問に答えて、大阪市の磯村隆文市長は、平成一三年一二月一四日、大阪市会「計画消防委員会」において、「私が北側に住んでいたらカンカンになって怒るであろう。周辺地域の環境に著しい影響を与えるので行政として指導すべきだ。業者はなにがなんでも建てたら勝ちや、というのでは困る!」と、耳を疑うほどの嬉しい勇気ある発言をしたと平野さんは喜ぶ。
「私達にとりまして勇気一〇〇倍、この言葉を聞いたとき、傍聴に来ていた仲間達と涙して拍手を送りました。行政の長が、我々の立場に対しこんな有難い理解を示された。まだ捨てたもんやない、『大阪には良心がある』と感動しました」と。
その後の市長の対応はすばやかった。
平成一四年八月五日、大阪市建築審査会に『大阪市の日影規制のあり方について(諮問)』を出し、同審査会は一二月一八日にその答申を出し、市長はそれに沿った「大阪市建築基準法施行条例の一部を改正する条例案」を市会に提出。市会は平成一五年三月一八日これを可決した。
この条例が適用されていれば、住民達の日照は冬至期でも三時間以上が確保される。業者は二四戸に加えて、もう六八戸を削らねばならない。
この住民運動の水準の高さを見ることができる経過である。
神戸大学塩崎教室における対案づくり
住民の弁護団が建築工学・住宅学の権威である塩崎賢明神戸大学工学部教授のもとに教えを請いに訪問したとき、意外な光景に目を見張った。
研究室には、このマンションと住民たちの住宅の模型ができ上がっている。加えて、こんな高層にせず中層のまま、既存の住民に迷惑がかからず日照などは確保でき、計画と同じ建築面積がとれ、売上げも十分に確保できる対案の模型などが所狭しと置かれていたのである(上記模型写真)。
弁護士が驚いて尋ねると、塩崎教授は「このマンションのひどさと住民の方々の運動には我々も注目しており、研究室の浅井泰智君が卒業製作にこれを選んだんですよ」とのこと。
この研究の結果と塩崎教授の鑑定意見書はその後大阪地裁に提出され、裁判官の関心を呼んでいるという。
住民の願い
笹野さん、平野さんはこもごも語る。
「裁判官には、現場での検証を通じて実情を確かめられた上での判断をしていただきたい。
光と影。影の影響が、何に、どこに及ぶのかを後世に与えるものと失うものに計り知れないものがあると思われます。
私達地域のものにとって、南側の巨大建物は、『粗大ゴミ』なのです。業者の方々にも、既存住宅と共生できるマンションの建設をしてほしいものです」