ステンドグラス修復は231パネル−

ベニス工房 羽渕恭夫

 

中央公会堂には、ステンドグラスが多用されている。外からも見える三階特別室以外に、中集会室と小集会室にも瀟洒な天窓が約二〇点。その修復を担当した羽渕恭夫さんを、東成区の工房に訪ねた。

 

五一五二片を解体、洗浄、割れガラスを取り替える

二〇〇〇年九月に三階特別室東面外窓から着手して、まず、修復のために下見調査をし、施工計画書を作成しました。

ステンドグラスにはヨーロッパ式とアメリカ式があって、その大きな違いは色ガラスの作り方にあります。公会堂はアメリカ式を採用していました。ヨーロッパ式は筒型ガラスを切って板状にするのですが、アメリカ式は初めから板状のものに色をのせて流れを作ります。ヨーロッパ式はガラスが透明で、後ろから光を当てたときにパアッと輝きますが、アメリカ式は半透明なので、そのままでも色がきれいで明るいのが特徴です。

特別室のステンドグラスは全部解体し、取り外して、洗浄しました。ガラス片は一〇二パネルで五一五二片に分解され、各パネルごとに分類し、破損状態を記録します。次いで、割れガラスの型紙を作成しました。

割れたガラスは接着では持たないので、取り替えなければなりません。そのために、オリジナルと同様のガラス片を探すのに多大な時間を費やしました。ただ、幸いなことに、私の工房は八〇年近く経っていて、古いガラスを多く持っていましたので、それら全てを賄うことができました。

 

枠組みは再利用断念パテは当時を復原

三階特別室はステンドグラスの破損が一番ひどく、死んだネズミやヘビの抜け殻なんかも落ちていました。

ステンドグラスの枠組みは鉛線です。それが腐蝕して脆くなっていたので、強度不足のため再利用は断念しました。

鉛線とガラスとの間のパテは当時のものを復原しています。解体した際にパテを集めて粉にして分析し、原料を調べました。現在では専用のものがありますが、これまでこの程度に破損がとどめられたことを考えると、このパテもまんざらでもないかと思います。

特別室を解体してみると、そのパネルによってクセがあり、当初作成した際には複数の人が作業をしていたことがわかります。今回も私を含め、三人がこの修復に携わりました。

一方、三階中集会室と小集会室のステンドグラスは特別室とは異なり、解体分解せずに修復。洗浄し、ガラス片の割れ箇所は洗浄清掃後、表面断面を接着しました。この修復分は一二九パネルに及び、特別室のガラスほどではないにしても、細かい作業が求められたことに変わりはありませんでした。

 

大阪のシンボル修復にかかわった充実感

ただ、公会堂のステンドグラスには特に目立ったデザイン性は感じられません。とは言え、今から見てたいしたことがないものでも、当時の物流、情報、技術などのことを考えると、大変なことだったかもしれません。また、中集会室には円窓やみおつくしのマークが見られ、海運の名残が感じられました。

今回のこの修復の仕事は私の日常の仕事とは異なっています。最近のステンドグラスの仕事は住宅が主です。公共的な場所に取り付ける方がやりがいがあって、これまでに大阪市役所地下一階の喫茶室や大阪日銀の閲覧室の天井などのステンドグラスにたずさわってきました。

私自身はサラリーマンだったのですが、父親の跡を継ぐために脱サラをし、ドイツ修業を経て、現在に至っています。

二〇〇二年一月までの工期を費やしたこの仕事は大変でしたが、大阪のシンボルである公会堂の修復にたずさわれて、よい経験になったと思っています。

はぶち・ゆきお

ベニス工房株式会社代表取締役。工房名の“ベニス”は雅号「紅州(こうしゅう)」にちなんだもの。1942年生まれ。来る4月3日〜8日、大阪市北区のギャラリー千匹の猫(06-6359-6516)で作品展をひらく。

 

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