大阪市中央公会堂

1918(大正7)年竣工。北浜の株式仲買人・岩本栄之助が1911(明治44)年に、100万円(現在では50〜70億円相当)を寄付して立案さた。ちなみに1914(大正3)年の東京駅の工費は280万円、1931年大阪城天守閣は150万円。鉄骨芯煉瓦石造・地上3階地下1階建て。保存・再生工事の総工費は、103億100万円。2002年12月、国から重要文化財に指定された。

 

ひとつひとつの復原に辛抱強いやりとりがあった

失われたり、改変されたりしていたものは、可能な限り当初の姿に戻された。屋根の上の神像、大集会室の照明器具や金箔、小集会室の刺繍装飾など、大きい物件からさりげない意匠まで。これらの作業は、オリジナルがどういうものだったかを調べるところから始まる。

「復原には、根拠が必要です。設計者側で入手した資料からこうだろうという話と、職人さんの目で見て、あるいは施工者、製作者側が調べてこうですよという話をすりあわせて、決めていくわけですね。

とくに写真しかないものは、ためつすがめつ、とにかく何回も見て、先週も見たけど今日見たらこうやったなあ、なんてことの繰り返しです。それを辛抱強く手間暇惜しまずとことん続けていく。相手方にも覚悟していただいて、灯具、神像、刺繍、みなさんほんとによくやってくれました」

形、材料、色……、最終的な確定を、つねに迫られる。ワーキングで方向づけをするだけの検討できる材料をそろえなくてはならない。「まず自分で探した問題とその答を提示することに追われ続けたのが、苦しかった。ちごてたかな、見落としたかもとか、毎日のように朝の目覚めのしばらくが胸苦しくて」。

大集会室の空間は復原や整備が多岐にわたり、いちばんたいへんだった。橋本さんが専門とする意匠的なことだけでなく、設備や構造にまで、幅広く対応した。

「伝統工芸の職人さんのほうに確かな目と技能がありますから、ここでの諸条件にとっておかしくないかどうか確認するのが設計監理者の立場です。美的な面から技術面まで、オールラウンドに判断できたのではないか。三○年の経験による総合力を活かせたと思っています」

 

当時も今も最先端の技術が結集し使われつづける恵まれた建造物

「公会堂は創建当初も、当時の技術工夫の結晶といえます。結果的にもとの用途のままで、とても恵まれた建物だと思いますね」

今回も、免震レトロフィットによる耐震補強工事をはじめ、先端の技術が駆使されている。修復・復原については、最高水準の伝統工芸に加え、CADやCGも使用した。さらに、文字どおり人手による丁寧な補修。たとえば壁天井のペンキを剥がした後、お湯で洗ってある。煉瓦も花崗岩も、ひどい汚れに当初予定の洗浄法では歯が立たず、ここでも変更が生じた。「外壁だけでも半年以上、内部は洗ったものが落ちてきますから下に養生をして、延べ一年以上ですね。それはもう、壮大な作業です」。

特別室の壁に紋様がある。「これがオリジナルと思ってたら、やりかえられてたんです。位置はずれて、形は微妙に変えられていて、全部やりなおすことにしました」。二五種類の紋様を写真からCADで起こした。上下左右対象な図案だから、元の四分の一をつきとめればよい。実際の制作は刷り師で、版画の作品などを仕上げる職人だ。

屋根の銅板は、伊勢神宮の銅板を葺いた人が親方で、多いときには四○人近くが焼けつく屋根にのぼっていた。金箔押しも、蒸し暑い室内で脱水症状になりながらの作業。「あとでわかったのですが金閣寺を修復した職人さんだったんです。六○歳前後の人でしたが、若い弟子と共に仕事ができたのは技能の継承によかった」。

階段の手すりは鍛造で、すべて手づくり。ひとつひとつの部品をたたいて組み合わせた。「これも、ペンキを剥がしてわかったんです。新たな仕様の対応でコストに跳ね返るんですが、必要な手当てをしていただきました。とはいえ後になるほど苦しくなってきましたけれど」。

 

市民が果たした保存・再生

職人さんはもとより工事関係者の誰もにちょっとでもいいものにしようという気概があふれていた。

「というのも、元のものがいいからです。建物全体は歴史様式ながら、一つひとつに、この時代らしい息吹きをもち優れたものばかりです。それが新鮮に立ち現われてくるというのは、ものすごく良かった。だから、のめり込めるんです」

そういう橋本さんの熱意が、プロジェクト全体の志を大きく包んだのだろう。再生なった公会堂の空間で、「当時はこんなんだったんかと、目のあたりにできた結果に、感動したのが偽らざる気持ちです」。

「この建物は、いろんなアーチストなり職人なりがかかわってできた、総合芸術だと思いますね。大きな枠は建築家が決めたとしても、それをよりよく形にしていく、部分部分を果たす人たちがいて、空間が成り立っています。映画の場合、スタッフの名前が全部でてきますが、建築はいまだにそこまでいってませんけれど」

公会堂建設のために寄付した岩本栄之助がいて、原案をつくった人、設計した人と、創建当初も多くの人がかかわった。八○年の間にもたくさんの手がかけられてきた。歴史的建造物の保存には、そうした時空を超えた対話がある。

「今回さらに、倍以上の人間が参画し、多額の費用がかけられました。全部税金と寄付ですから、最初に岩本さんがえらいのはあたりまえですが、最終的には市民がえらいのだと思いますよ。そんな中で、技術者として努力できた。

そういうことやから、この建物は市民社会の誇りとして、誰からもいつまでも愛されていくでしょう」

 

前のページへ  このページTOPへ  次のページへ