Dreams of Dreamers  vol. 10

 −ストリートに響くアンデスの調べ−

「ケルマントゥ」 メンバー アントニオ・カマケ

「ケルマントゥ」が結成されたのは、一九九六年ペルーのアレキパという町。音大で民族音楽を勉強していたアントニオが、クラスメイトのフリアンと二人で始めたバンドは、七人にまで増えた。

ある日、演奏を聞いた日本のプロダクションから誘われた。「本当はヨーロッパに行きたかった。それにまだ大学を卒業してなかったから、三カ月くらいで帰るつもりだったんだけどね(笑)」。

一九九七年四月、メンバーのうち五人が来日。東京を中心に半年間活動した。しかしプロダクションとうまくいかず、メンバー同士の考えもすれ違う。東京での活動がいやになり、九八年一月、夜行バスで大阪へ来た。「東京は人がすごく多いでしょ。それにみんな優しくない。友達から、大阪は人も気候もあったかいよと聞いて。来てみたら大阪も寒かったけど、物を買うとき値切れるのがいいね」。

京橋、梅田、三宮などでのストリートライブを始め、福祉施設や教会で演奏したり、様々なイベントのステージに立つ。どこかもの哀しいアンデスの調べを明るくアレンジした彼らならではの響き。子どもからお年寄りまで、ファンも多い。

ファンを悩ますのが彼らのライフスタイル。明日はどこでやってるの、と聞いても「さあー、わからない」。「いつもお昼ごろオフィスに集まって今日はどこへ行こうかと決める。雨だったら屋根のある京橋、お天気だったら神戸、誰かの機嫌が悪かったらお休み」。天気も気分もその日にならないとわからない、だから前もってスケジュールを決めておくのは「絶対無理」。

練習はカラオケボックスを使う。「スタジオは高いし、音がうるさいと言われた。カラオケボックスも何軒か断られたあとで行ったお店に僕らのことを知ってる店員さんがいて、どうぞどうぞって」。

「ストリートでやるのがやっぱり気楽で楽しい。イベントだとマイクが固定されて踊れないし、お客さんにじっと見られるから緊張する。だけどストリートは機材を運んだりが大変なんだ。これからはイベントを主体にしていきたいと思ってる。そしてケルマントゥの名前を日本中に広めたい」

 

「僕の両親は、クスコという田舎で生まれた。ケチュア語(先住民族の言葉)が話せる。学校ではスペイン語しか教えないけど、僕はペルーの昔の音楽をやりたかったから両親に教えてほしいと頼んだ。しゃべれないけど聞けばわかるよ」。最新のCDに入っているアントニオの曲「KAUSAY(私の人生)」では、イントロでケチュア語が使われている。

日本人の妻との間に2子。1975年生まれ、尼崎市在住。

 

南米の楽器や民芸品に興味があったら、メンバーが経営するショップ「KERO'S」(06-6316-7754・http://www.kerumantu.com)へ。チャランゴ、ケーナ、サンポーニャなどが手に入る。03年春頃から教室を開く予定もあるとか。ケルマントゥはもちろんメンバーおすすめのCDも買える。

 

左よりセサル・ティコナ、エフライン・エルナンデス、アントニオ、パブロ・エルナンデス、フリアン・トレス。結成当時からのメンバーはアントニオとフリアン。97年にペルー人のセサル、2001年に大阪で知り合ったメキシコ人兄弟のエフラインとパブロが加入。

ケルマントゥ(KERUMANTU)とは、「KERO」(インカの杯)と「MANTO」(ポンチョ)の2つの言葉を組み合わせた造語。

 

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