“い ま 生きている” メッセージを舞台から発信 !!

劇団四季『キャッツ』は、二〇〇三年一月一三日、関西でのミュージカル公演六八八回二二カ月のロングラン記録を達成して千秋楽を迎えた。その『キャッツ』にジェリーロラムとグリドルボーンの二役で出演し、華麗な演技で好評を博した若手のホープ木村花代さんに話を聞いた。

ミュージカル俳優を夢見て

―大阪のご出身と聞いていますが。

「生まれも育ちも守口です。ごく普通の家庭に生まれました。父はサラリーマンで学生時代は陸上部、母は家庭の主婦ですが午前中はエアロビクスのインストラクターとして近くの公民館などに教えに行っています。そんな両親の血を受けたのか勉強より運動が好きな子でした」

 

―ミュージカル俳優になりたいという夢を貫いた。

「小学校高学年のとき、学校公演で行った演劇鑑賞会を見て感動し、興味を持ちました。中学校では演劇部にはいり、漠然と舞台への夢をもっていました。進学する守口北高校では演劇部には入らず、プロダクションの経営する俳優養成所に行かせてほしいと中三の終わりに両親に話しました。レッスン料はバイトして自分で払うからと。母は賛成してくれましたが、父は猛反対、大喧嘩して、やるならやってみよということで養成所に通いました。養成所に通う中でテレビの道もありましたが、ワンシーン毎に撮ってつなぎあわすテレビはいや、それよりも何回も何回も練習して通してナマモノを見せる舞台の方がいいとしきりに思っていました。

私があまりにも熱心にやるものだから四年後には父も本当にやりたいんだというのがわかってくれたようで、劇団四季のオーディションに合格してから、四季だったら許すと言ってくれました。しかし、後から母に聞いたのですが、二年後で芽が出なければやめさせろと言っていたようです。高三のとき準合格、卒業後はフリーターをしながらの一年は黙々とやるしかないという感じで自分のやるだけの範囲のことはやったと思っています。

四季以外のオーディションも受けましたが全部だめでマイナス思考になっていましたが、四季がだめならどうしようと考える余裕もありませんでした。幸運にも合格しました」

自分がお芝居をすることに感動して

―劇団四季研究所では落ちこぼれ?

「一九九七年四月、三五期生として研究所に入所。おちこぼれでした。養成所で勉強していたものが全く通用しませんでした。演技も踊りも何も出来ず、下のクラス。歌もうたえない。全くゼロからやらなきゃだめと気持ちを切り替えてスタートしました。うぬぼれもなく、変な自信もなくて良かったのかもしれません。一生懸命練習しました。一年後、四季への入団オーディションを受けました。不合格なら入団出来ません。三五期生は優秀だったのか全員合格しました。初舞台はいっぱいいっぱいでした。まだ実力が伴わないのに出していただいた。とにかく回りも見えないくらい一生懸命でした。プロの世界にたった、やったという喜びはひとつもありませんでした。まだ何もわかっていない一九歳、やりたいことやらなければならないことが多すぎて今の目標・課題をやっていくことで精一杯、舞台に立っているのが夢みたいでした」

 

―舞台に立つことの喜びは?

「最初の二、三年は旅公演が主で全国を四回くらい回りました。旅するのはすごく好きです。自分たちがお客さんの所へ行ってお芝居をするというのにすごい感動しました。ニッセイ名作・子供対象のミュージカル・身体障害者の方に見せる日産労連のお芝居とかをやりながら旅の途中で、ローカル列車に乗って人に出会ったり、美しい景色を見たりするのがとても楽しいのです。お客さんの反応は場所によって面白いくらいに違います。初めてミュージカルを見て、最初は圧倒されてポカンとしている様子なのですが、最後にはすごく感動して下さいますね。本当に新鮮に見ていただけるのがうれしいです」

舞台「キャッツ」で伝えたいこと

―はじめてのロングラン公演が地元大阪。

「『キャッツ』は私にとってはじめてのロングラン公演です。それも地元の大阪ということで実家から通っていますので、気分的にもホッとできるし、家族の会話も増えて父も母も喜んでくれています。高校時代の友達もやりたいことが本当になったね、すごいねといってくれます。初舞台から一歩一歩階段を上がるように徐々にやってきて、今『キャッツ』というところにいますが、これからもずっと階段を上って、常に上を目指して、いい役者になっていきたい。ずっと舞台に立ち、おばあちゃんになっても続けたいと思っています。キャッツの後は未定です。横浜に帰って日々のレッスンをして次に備えたいと思います」

 

―『キャッツ』を見にきた若者たちについて。

「『キャッツ』に高校生や中学生が団体でこられる時があります。数年しか違わないのに時代のズレを感じます。最近の若者はなどと言うのも変ですが、感動してくれないこともままあり、すごく悲しくなります。キャッツはお客さんと一緒になって作る舞台ですが、生きているんだよとのメッセージを一生懸命伝えようとしているのに関係ないような態度をされるとつらいですね。夢が持てない時代なのかなあ。でも夢を持ってほしいと思います。もちろん真剣に見てくれる子もいます。後からでもいいから、あの時は寝てたけどもう一度見てみたい、あの日なんで見なかったんだろうと思ってまた劇場に足を運んでくれたらいいですね」

 

―大阪生まれを意識しますか

「日頃は意識はしていません。関西人はどんな風にあたろうが、人に左右されず自分の道をまっすぐに進む強さを持っていると思います。私も負けそうになった時、関西人なんだと思う時があります。ちょっとやそっとでへこたれへんわというのがどこかにあります。関西人だからと強気でいられる部分、それが関西人としての誇りかもしれません」

 

―ミュージカルの本場、ブロードウエイで演じる夢は?

「憧れますが、舞台人としての勉強が足りなさ過ぎますね。今はずっと四季で日本語の美しさを伝えていきたい」

(二〇〇二年一二月二〇日・大阪MBS劇場にて)

きむら・はなよ

1978年11月28日生まれ。大阪府守口市出身。高校在学中からジャズダンス、タップダンス、クラシックバレエ、演劇など幅広く演劇の基礎を学ぶ。1995年劇団四季関西オーディションを受験するが高校在学中ということもあり準合格。翌1996年再受験、合格。1997年研究所入所。98年2月、『美女と野獣』東京公演が初舞台。稽古熱心で努力を惜しまない前向きな姿勢が認められ、出演3作品目でファミリー・ミュージカル『エルリック・コスモスの239時間』の主役エルコスに大抜擢。『ふたりのロッテ』イレーネ役、『夢から醒めた猫』マコ役など。

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