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他人事のやうに病み秋深まりぬ (奈良県)島田 勝 |
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島田さんは闘病中である。五十代に入ったばかり、仕事ざかり。どんなにか無念であろうかと思うばかりであるが、「藍生集」への投句と日経俳壇への投句、両方の作品を読み続けている私は病者となったこの人に励まされつづけている。作品は日を追ってゆたかに、深く大きくなってゆく。肝が坐っている。という日本語を憶う。奈良県の文化財関係の仕事に就いておられた時代のこの人に私は得がたい体験をさせて頂いている。解体修理に入る前の唐招提寺の大屋根に昇らせて頂き、あの巨大な鯱(鴟尾)に手を触れたこと。炎天、手の熱さが脳天から全身に走った。さらに大好きな室生寺の五重の塔が台風で大木が倒れかかり、傾いだ。このときに大修理が行われたが、なんと塔の内部の足場を伝ってかなり上層まで昇らせて頂いた。塔の柱の材は、大地に生えていたときのままの位置に配置されること。永い歳月を経た木材も腐った部分をとり除いて、そのまま使うことなどまのあたりにした。阿修羅像に憧れてスタートした大学一年からの大和古寺巡礼者の私は、このような句友に巡り合えた僥倖が信じがたかった。ともかく今、島田勝作品は輝いている。 |
十三夜死者追ふ夢に目覚めけり (東京都)城下 洋二
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亡き夫人を詠まれた作品。城下さんの句には誰も追いつくことが出来ない。この人の挽歌はまさに悼歌。哀傷の句。万葉集の部立のひとつに挽歌がある。その伝統を現代に引き継がれた高さがあると思う。 |
冬隣ひともしころのひととなる (京都府)河辺 克美
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なんていい句。ひともしころの自分をこんな風に詠める人もめったにいない。冬隣が独特の働きをしている。河辺作品の白眉。 |
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