藍生ロゴ 藍生9月 選評と鑑賞  黒田杏子


裏方に徹し喜寿なり衣更

(東京都)深津 健司

 深津健司という俳人の自画像である。この人以上に有能な人、誠実な人、努力家といった人を探し出すことはむつかしい。「藍生」の連衆ならば誰もがそう思う筈。私は深津さんと同年。数ヶ月先に生まれている。二十五周年の集いでは深津さんが新宿御苑吟行の折に拾いため、ていねいに磨き上げられた「ひょんの笛」が特製の雅趣ある紙函に収められ、参加者全員に贈呈された。たった一つでもきれいに汚れを除き、磨き上げるのは大変な労力を要するのに二百個余りの「ひょんの笛」を準備されたのである。この句は深津さんの人生観の表明である。ビジネスマンの世界を定年と同時にきっぱり卒業、句作の道一筋に生きることを選ばれた。人生哲学の美学なのかも知れない。健康でよき句友に囲まれ、前進を続ける生活者の愉悦感がすばらしい。



蛇触れしことなし恋をせしことなし

(京都府)滝川 直広
 四十九歳。新聞社で忙しく働く人。この人の句は近ごろ存在感と厚みを加えてきている。一句の中に自分自身のありようを率直に表現することはむつかしい。滝川さんをいつも姉のように見守り、その成長と飛躍を信じ希ってやまなかった出井孝子さんが、存命であったなら、「ホーッ」と言ってよろこんだと思われる一行である。



精魂を使ひ果して田植終ふ

(新潟県)山本 浩
 越の国は小千谷で米つくり一筋に生きる人。八十歳になられた。この人の句を私は二十四年間「新潟日報俳壇」で読みつづけてきたので、特別な親しみがあり、友情と敬意を抱きつづけてきた。中越地震では甚大な被害を受け、そののち手術もされた。しかし一歩も田んぼから退かない。米つくりの句を作りつづけて傘寿。この人の句には真実だけがあふれている。成功作も失敗作も自己模倣の句も含めてすべて山本浩俳句である。山本浩(農業)・斉藤凡太(漁業)・飯塚白山(そば打ち)。この三人の作家は私が新潟日報俳壇の選者として出合った異能の俳人達であり、尊敬してやまない生活者である。


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