藍生ロゴ 藍生12月 選評と鑑賞  黒田杏子


長生きの父と門火を焚きにけり

(神奈川県)高田 正子

 母上没後、ひとり暮しとなられた父上を迎えた作者。その父と門火を焚く。ふたりの心に還ってくるのは妻であり母であった人の面影。さらに祖父母その他の人々。さらりと詠み上げられているが、この一行の存在感にいささかのゆるみもない。高田正子俳句として残る句である。一字一句すべてに作者の言霊がしみとおっていて丈高い句となっている。人に受けることなどは考えない。この人は常に自分自身を鍛えつづけている。若き日よりその生き方は一貫している。見事な句だ。



また逢はむ山の日暮の吾亦紅

(東京都)二宮 操一
 二宮さんは八十六歳になられた。朝日新聞本社を定年前に辞められて、新宿の朝日カルチャーセンターの講座部長となられたときにお目にかかったのである。この句、日暮の吾亦紅、その色合いとたたずまいが何とも心にしみる。実際にはもうその場所に佇つことは叶わないのかも知れない。暮色の中に沈んでゆこうとしている吾亦紅にまた来ますよと誓っている二宮さんの心情に共感する。年を重ねてこの人の句は若々しくなってきている。



独り坐す独りにきたる秋の風

(東京都)菅原 有美
 この句に出合って、有美さんは自分自身の俳句の鉱脈をようやく掘り当てたと感じた。「藍生」創刊以前から私たちと勉強会を重ねていたが、そののち中国に仕事で出かけたり結婚されたり、そしてかけがえのない産土の地を大津波により失った。現在五十四歳。数え切れない試練を乗り越えて、いまようやくこの人は俳句人生をしっかりと歩み続ける条件を確保し得た。菅原和子・有美・華女三代で句作に打ち込む日々が到来したのだ。この句は菅原有美の自画像であり、句作に向うこの人の意思表明でもある。いくつもの試練がこの人を大きくした。こののちが愉しみである。


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