藍生ロゴ 藍生2月 選評と鑑賞  黒田杏子


冬遍路酸素吸入してゐたり

(高知県)弘田 幸子

 遍路の句は多い。年々増えているという印象がある。弘田さんは旧中村市、現四万十市に住んでおられ、この人自身徒遍路で満行も見ているので、遍路・札所・遍路道などにはくわしい。私の句碑のある三十九番延光寺や観光的にも名高い三十八番金剛福寺などにもよく足を運んでおられる。この句、お遍路さんのひとりが酸素ボンベを携行して、吸入している場面に遭遇、事実そのままを詠んだのである。冬遍路が一句の要だ。南国土佐とはいえ、冬の寒さはきびしい。実際に遍路道に身を置いてみれば、車椅子の人もいるし、白杖の人もいる。ハンデを持つお遍路さんは実に多いのである。土佐路の各札所間の距離は他の県のそれに比してどこも長い。この句から、私には室戸あたりの高く白く砕け散るま冬の怒涛音が聞こえてくる。



幸せを忘れぬやうに日記買ふ

(北海道)舘岡 千種
 千種さんの幸せいっぱいの表情が見えてきて嬉しくなる。長い人生の中ではじめて私も去年は一年間欠かさず日記を書きつづけることが出来た。日記買ふという季語を生かした句は多いけれど、幸せを忘れぬやうに。この十二音字はすばらしい。類句はないと思う。



戦場を知らぬ老人死を懼る

(岐阜県)高島 秋潮
 ご覧のようにこの句には季語が無い。無季の句をこの欄でとり上げたことは創刊号以来一度もない。しかし、九十八歳の秋潮さんのこの句を季語が無いからと捨て去ることは出来なかったし、添削することも不要と思った。死を懼れているこの老人は誰なのか。作者自身なのかどうか。私は(A)秋潮さんが戦場体験のない老人として現在生きておられる。(B)戦場体験のある秋潮さんから見て、戦場を知らない人間として年を重ねた老人が死を懼れているのは情けないと見ている。(A)(B)どちらでもよいけれど、百歳近くまで生きてこられて毎月休まず投句されている高嶋秋潮という俳人の死生感が戦場体験の有無とかかわって述べられているこの一句に七十六歳の私は強い衝撃と共感を受けたということを記したい。


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