藍生ロゴ 藍生5月 選評と鑑賞  黒田杏子


子を捨てて霰たばしる野に出でむ

(鳥取県)菅野 馨子

千葉県から鳥取県へ。公務員の一家に転勤は常にある。二人の幼児と夫婦二人。鳥取県にただひとりの会員。句会も無い。しかし菅野馨子は健在である。この句、竹下しづの女よりもスケールが大きいかも知れない。霰たばしる野に出でむ。ここがすばらしい。

もののふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原   源 実朝

 『金槐集』のこの歌を踏まえているのだ。那須野ヶ原は狩場として知られ、作者の父頼朝もこの地で狩りをしたという。那須野ヶ原に育った私。かつて菅野さんは東洋大学に進学する前は私の母校、栃木県立宇都宮女子高校で学びましたと手紙にあった記憶がある。ともかくこんな句を詠み上げる三十歳の母親の存在は頼もしい。この作者、ファンも多い。




三陸の海鳴り永遠に寒椿

(岩手県)菅原 和子
菅原さんは家屋敷・会社・集落が千本松原もろともすべて津波に攫われて以来、仙台市に移り住んでいる。しかし、住民票は陸前高田のままであるから、岩手県と投句用紙に記される。三・一一以前にこの句に対していたとすれば、よく出来た過不足のない句と思った筈である。しかし、「削ぎ落とすものもう無かり燕来る 和子」の作者の作品としていまこの句に対すると深く心を揺さぶられる。白砂青松渚に藪椿の紅が実に美しかったのだ。これ以上でも以下でもない真実の俳句だ。



鍋破喰らひ津軽の端に生く

(青森県)草野 力丸
鍋破という名前が面白い。この魚の名前と草野力丸という俳人の名前がまたよく響き合う。津軽の端に生くなどと謙遜されているが、この人は津軽の歴史に残る大きな仕事をされている。『白神山地俳句歳時記』をほとんど独力で編集制作刊行されているのである。白神山地の山毛欅の原生林が世界遺産に登録された年から、全国俳句大会を立ち上げ、そこに収録された俳句を生かした歳時記。すべて手弁当で作業に当った根性の人物。


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