藍生ロゴ 藍生9月 選評と鑑賞  黒田杏子


竹林の泉に貌を置いてきし

(京都府)河辺 克美

鮮やかな一行である。むつかしいところはどこにもない。臨場感がある。つまり存在感たっぷりの句である。泉に何かを沈めてきたというような句は多くある。顔を映したという句も同様。しかし作者は貌を置いてきたと言う。顔ではなく貌。河辺克美の面が泉に浮んでいるかのよう。しかし、この句がすばらしいのはその泉が竹林の中のあるということ。竹林・泉・貌・置く・たった一七音字の内に、泉という季語の一文字をちりばめてこの句は完璧なバランスを保持している。この人の筆跡は美しい。明快で気品がある。手書き文字を介して選者は投句者と対面する。どなたもご自身の投句の文字には心をこめて頂きたい。誤字、あて字、クセ字は困ります。



崎畑の大根の花なつかしみ

(岩手県)菅原 和子
すべてが津波によって流されてしまった陸前高田市から、ご主人と仙台に移り住まれた和子さん。このほど、ご主人のためにバリアフリーのマンションに越されたとのこと。高田に戻ることは叶わないかとも…。と。岬畑の大根の花がなつかしいのは、そのような人生の中からのつぶやき。心に沁みる句。



ままならぬ身にも蛍のたよりかな

(東京都)糸屋 和恵
幼子を育てつつ新聞社で働く作者。若いときは桜花巡礼も重ね、外国、たとえばアイスランドにも出かけていた行動派。蛍が出ましたよと知らせてくれる友がいる。ままならぬ身にも…。こういう句は糸屋和恵作品として残る。日本語のゆたかさが生きている。


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