藍生ロゴ 藍生8月 選評と鑑賞  黒田杏子


削ぎ落とすものまう無かり燕来る

(岩手県)菅原 和子

 さきの「いざ鎌倉全国大会」の折、句会の場に色紙を廻して、陸前高田市から仙台のマンションに移り住んでおられる和子さんに、「藍生」の仲間一同のお便りとして全員に署名をして頂いたものを私が手紙とカンパその他を添えてお届けした。ほどなく見事な巻紙に墨書された礼状が送られてきて、読む前から涙があふれた。茶人でもある和子さんの背筋の伸びた正座姿のしのばれる文章。そしてこの投句作品に私は対面したのである。松山道後寶厳寺の長岡和尚に蛇笏賞授賞式会場へのお祝のスタンド花を賜ったことへのお礼を申し上げる際、この一句を読み上げ、作者の状況、句の背景をお伝えした。「杏子さん、その人の人生はこれから輝くよ。人間はなかなかそこまで行けない。その人はすでに一遍さんだ。その俳句凄いじゃないの。純無垢の言葉で門外漢の私の胸にも響くよ。ズシンと。大したものだ。俳句の力は」。



町長を退任のころ葉ざくらに

(福島県)齋藤 茂樹
 奥会津三島町の町長を何期もつとめた作者。昭和12年生れ。私が俳句で地域おこしをという佐藤長雄町長の考えに共鳴して奥会津九ヶ町村に足を運ぶようになった頃、齋藤さんは助役だった。ふるさと運動の推進係で芳賀日出男先生に学んだりもして、雪国の民族写真を撮りつづけてこられた。古稀を超え、退任を決意したのであろう。さりげなく詠まれているが葉ざくらに、この下五に想いがこめられている。五十代の齋藤さんと行動、私も思う存分奥会津の山村文化、行事、食べ物、自然に出合わせて頂いたのであった。



惜春やバスがら空きの一人旅

(高知県)西内 柊康
 浜崎浜子さんの片腕として、柊康さんは「四国遍路吟行」という大プロジェクトを無事満行に導いてくれた恩人のひとり。近年は体調を崩されて昔のように、書道に俳句会にという状況ではないと聞く。この句、いかにも西内さんらしい。長身の男性がたったひとりバスの座席に坐って窓の外を眺めている。


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