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鶯よ何をのんきに啼いてをる (高知県)西田 泰之 |
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作者の意図とはなれるかも知れない。私はこの句を三月十一日の東日本大震災に心を痛めている人の想いのこもった句と受けとった。西田さんは浜崎浜子先生のもとで学ぶ若手のホープである。三十代のビジネスマン。この句と並ぶ他の三句にも作者のこころはこめられていると見る。明るくかがやかしい陽光の中で啼きわたる土佐の鶯。私も聴いたことがあるので、そして作者の鋭敏かつ繊細な感受性をよく知っているので直感的に共感し、その率直な表現に感銘を受けたのである。/td> |
逝く春や親なし子なし家もなし (岩手県)熊谷 トキ子
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岩手県といっても広い。作者の熊谷さんは陸前高田市の人。八十二歳である。しっかりとした筆蹟の投句ハガキを手にして、私は涙がとまらなかった。何度も会っているし、いつもさりげない心くばりで菅原和子さんを支えてこられた人なのである。ご自身は投句も出来る状況を得られたとしても、この句に詠まれたような方々は身ほとりに無数に居られるのではないか。巧いとか、どこが悪いとかという句評は無用。作者のこの一行は勁い。 |
初花の一房ははの熱の掌に (東京都)原田 桂子
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高熱を発して臥しておられる。そのははに作者は初花の一房をとどけた。初花の一房、ここが実にすばらしい。一枝でもない。一輪でもない、一片でもない。一房という表現によって桜を愛し、花を待ちつづけた人への思いやりが十全に伝わってくる。おそらく、作者もこのははも共に句作に打ちこんでこられた同志なのであろう。娘とか嫁とかという立場を越えて句友。俳句という絆に結ばれた二人というイメージがこの一行から受けとれる。 |
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