藍生ロゴ 藍生9月 選評と鑑賞  黒田杏子


田を植ゑて名もなき山を見て暮らす

(神奈川県)森田 正実

 ここに詠まれた人物は作者その人ではない。作者はある人の暮らしぶりを描写し、その人の生き方に共感しているのである。ここに描かれたような人は無数に居る。大方の日本の農業者の日常ではないだろうか。この句、中七から座五にかけての言葉のあっせんが実に見事。過不足ないだけでなく、その人の心の充足感、ゆとりのようなものが出ていて読み手のこころをもたっぷりと潤してくれるのだと思う。森田正実という作者がこういう作品を作られるところに到ったことをよろこぶ。



紀州青石滝の記憶を蔵したる

(東京都)野木 藤子
 青石と呼ばれる石は日本列島の各地にある。伊予の青石、阿波の青石などなど。作者はたとえば庭園などで紀州の青石というものに出合ったのではないか。清澄庭園などでもよい。各地から銘石が選び抜かれてあつめられているような場所で、おそらくは雨に濡れて、青石の美しさが際立っていたような場面に遭遇した。那智の大滝、一の滝と呼ばれるあの滝音がたちまち響いてきた。そんな時間がこの句の中に感じられて共感した。



我にまださまよふ力青葉木莵

((京都府)曲子 治子
 青葉木莵の世界で実感できた句。若々しく活力に満ちた画家である作者にふさわしいスケールの大きな句である。言葉が作者の身体を通して発せられている。観念的な句と対極にある。大きく息を吸って、胎の底から深々と吐かれた言葉には新鮮なかがやきがある。


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