藍生ロゴ 藍生3月 選評と鑑賞  黒田杏子


逝く年のおろせば重き荷でありぬ

(東京都)野木 藤子

 背負っている間は気づかなかった。身から外して地面なり床におろして置いてみると、その荷の重さ大きさにあゝと思う。逝く年の、この上五が一句を支えている。考えてみれば、生きてゆくことは荷を負うことである。若いときには、その重さが嬉しかったこともある。生き甲斐であったこともある。暗い句ではない。これからやってくる新しい年のあらたな生き方の手がかりをつかんだ。そんなこころもちもうかがえる印象深い句である。



冬の鵙独居老人とはなれり

(東京都)今西 美佐子
 この世に独居老人は数知れない。作者はつぎつぎに係累を見送って、いよいよというべきか、ついにというべきか、まぎれもない独居者となった。冬鵙の声に耳をあずけて、その事実を噛みしめている作者は沈んではいない。うちひしがれていてはこのような句は詠みあげられない。独居俳人としての覚悟のようなものが感じられる一行に、作者の精神のゆとりも読みとれるのである。



浅草寺小学生の菊花展
(神奈川県)名取 里美
 坂東吟行満行の日。浅草まで鎌倉から出かけてきた作者に恵まれた一句。十月である。菊花展が開かれていて、見事な鉢菊が並んでいた。二人の息子たちを育てている母親の眼は、小学生の菊花展に集中した。菊作りに打ちこんだ小学生たちの労作が並ぶその一角でこの一行を句帳に記してゆくとき、作者はほの ぼのとした思いに包まれたことであろう。


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