藍生ロゴ 藍生1月 選評と鑑賞  黒田杏子


五千余の鷹わが屋根を渡りゆく

(鹿児島県)三嶋 幸雄

 伊良湖畔に鷹の渡りを見に行ったことがある。鷹の群は確認出来たけれど、その数は限られていた。この句に出合って、その昔、つまり第二句集の『水の扉』 の冒頭の句を詠んだ八重山行の日を憶い出した。池間島にわたる小さな舟の客である私の頭上を鷹が過ぎて行った。さしば・隼・長元坊などという名前が急に身近に感じられた。三嶋さんは庭に出ていま鷹の渡りをまのあたりにしているのだ。わが屋根をというところに臨場感が出ていて印象鮮明、こころにのこる句になっている。



昆布削る小屋雪虫の群来のなか

(東京都)大矢内 生氣
 北海道であろうか。離島センターという職場に身を置き、島と海に深くかかわってきている作者の句である。鰊群来とか鰰群来という季語は知っている。はじめて出合った言葉だが、雪虫群来という状況はよく分かる。旭川でフロントガラスに吹雪いてくる雪虫に遭遇しているからである。黒々とした肉厚の昆布。それを削る労働の場が綿虫襲来のただ中にあるという。これこそ大矢内生氣俳句だ。



使ひ残しの蝋燭に秋点す
(兵庫県)池田 誠喜
 何でもないことである。新しい蝋燭ではなく、途中まで使ってあるものに火を点すことは日常よくあることである。しかし、これは作者のこころで詠まれた句であって、その蝋燭は亡き父母とか、信仰している仏さまに捧げたものなのであろう。そこに使い残しのもので申し訳ありませんが・・・・・ということばが浮んできたのだ。秋点す。ここも巧いとおもう。秋気も秋声もすべて灯明をつつんでいる。この作者の進境はいちじるしい。


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