藍生ロゴ 藍生11月 選評と鑑賞  黒田杏子


白桃のぽんとおかれてある平和

(京都府)清水 憲一

 ぽんと置かれてある白桃。その場面はいろいろと思い浮かぶ。妻が夫のためにテーブルに上に置いて外出している。この果実は一箇だけであろう。自宅でも旅先のホテルでもどこでもいいのだ。作者は平和を感じとった。戦時に対応する平和でも、夫と妻の心理的平和でも、職場での平和、平穏でもいい。ぽんと置かれてあるそのモノが白桃であることによってこの句は存在感を獲得している。白桃の美しさ、ゆたかさ、色気がこの一行の詩に永遠のいのちを吹きこんでいる。



晩夏光死者たちあまた散策す

(京都府)植田 珠實
 ここに描かれた死者たちはみな作者植田珠實にとって大切な人々であり、愛する人々であり、かぎりなくなつかしい人々であろう。死者という言葉がこの句の中では暗いイメージにつながらない。どこかに華やぎが感じられ、愉しそうでもある。晩夏光という季語の世界を珠實さんの人生観がいきいきとしたものに刷新しているのだ。



原爆忌蝉鳴く声を鐘が消す
(兵庫県)清水 詠
 清水詠という人の投句に私は「俳句とエッセイ」ではじめて出合った。以来四半世紀。「藍生」に参加されてから一度も休むことなく投句されている。私は四十代前半、いま百寿を目前にされておられる詠さんも七十代に入られてまもない時以来のご縁である。そして個人的にはこの十年なのである。私が原爆忌の作品の選にある手ごたえを感じられるようになったのは、選者をつとめている日経俳壇に毎夏、広島や長崎で被爆された方々が投句され、文通などがはじまって以来の十年である。清水さんのこの句、実に格調が高い。作者の思いがこもっている。


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