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夜の茅の輪とほき森へとすすむなり (京都府)河辺 克美 |
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茅の輪をくぐる。あのまみどりの輪をくぐることを体験している人は多いと思う。この句の眼目は夜の茅の輪である。作者は夜に茅の輪をくぐった。そのとき、その夜の闇に建てられた茅の輪もはるかな森に向って前進してゆく感覚にとらわれたのだ。もちろん、作者自身の身体も森の空間に向って進んでゆくのである。みなづきの夜の闇と青茅の輪の存在が生み出した幻想空間。河辺克美という俳人の感性によって詠み上げられた世界は、不思議な臨場感を帯びてくる。いのちが更新されるその感じがある。 |
大樹しづかにしづかに蛍火をこぼす (東京都)野木 藤子
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この作者の句は常に端正、字余り、字足らずの作品は例を見ない。それ故にか、この句には存在感がある。何の木であろうか。小流れのほとりにに立つその木の梢から、つぎつぎに蛍が降りてくる。あたりは寂かで人家の灯も遠いのであろう。しづかに蛍こぼしけり。と書けば十七音の収まる。しかし作者のひり仰いだ視線に蛍火という存在がゆっくりととめどもなく舞い降りてくる。その神秘的時間がたしかにここにある。 |
黒南風や瞼に母の浮かばむ日
(東京都)高島 秋潮
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この一行に出合って私は衝撃を受けた。母を想えば即座に母の面影は私の前に現れる。高島さんは九十三歳。母上のことを想ってもその映像が見えてこないということもあるのだということ。哀しいというより、これは長寿者の現実なのであろう。浮かぶ日が日常であった人に、浮かばぬ日もめぐってくる。母上への想いは一層深まってゆく。 |
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