藍生ロゴ藍生4月 選評と鑑賞  黒田杏子


 円空の鉈谺して冬ざるる

(東京都)依田 百合

 円空仏の佳品に遭遇した瞬間に成った一行ではないかと推察する。円空作のみほとけはおびただしい数のものが遺されている。美濃に生まれたらしいこの人の入定塚は関市にあるが、芭蕉と同時代人でもあった行者は日本廻国をこころざし、北海道にも渡っている。円空仏はその土地土地の材で刻まれている。鉈目の美しさに息をのんで佇ち尽す作者のこころのたかぶりに共鳴し、手を合わせる。 




雪囲きりりと締めて木魂発つ

(長野県)佐藤 卓代

雪囲の句として類例を見ない。樹木、それも住まいのほとりに共に生きてきた大切な庭木をひとつひとつがんじがらめに縄でくくって囲ったりする。その樹木を囲いあげ、あたかも帯を締めるように締め上げる。そのときに、その樹木の霊、木魂が天に向かってとび翔った。と感じとめた感覚は凄い。




狐火の先頭にをるのかもしれぬ
(東京都)二宮 操一

不思議なリアリテイをたたえた句である。をるのかもしれぬと止めて、自分自身の存在そのものをあらためて考え直したと受けとることも出来るし、かの小川芋銭の川原の土手を列をなして進んでゆく狐火の炎の一群の中に、誰か作者のゆかりある人が居るのではないか、それも先頭に、という風に受けとることも出来る。ともあれ、こういう句をこの作者が詠まれるようになったことは愉しい。俳諧は自由。縦横無尽に詠みあげてよいのだ。



2007年3月へ
5月へ
戻る戻る