藍生ロゴ藍生11月 選評と鑑賞  黒田杏子


妻の知る家のままなり門火焚く

               (神奈川県)鈴木 対山

 対山さんは八六歳になられた。いまひとり門火を焚いている。その住まいは夫人がこの世に居られて共に暮らしていたそのときのまま、どこも変えていない。妻のたましいはその懐かしいたたずまいの家にことしも還ってくる。妻の知る家のままなりと書き、この一行を俳句に詠み上げた作者の心に共感と敬意を抱く



 鉾の稚児雨の袂を重ねけり

               (神奈川県)田 正子
 祇園祭に出かけた作者。ことし平成十八年の鉾巡幸の日は豪雨に見舞われた。いかにもこの作者らしい端正かつ優美な構図の切りとり方である。晴天の耐えがたい暑さ、じりじりと照りつける日の巡幸の句はいろいろとあるが、雨脚の光につつまれて進んでゆく鉾の句も印象的である。



かなかなや母に詫びたきこといよよ
 (岩手県)斉藤 恵子
 作者の母上はすでにこの世には居られない。今は希っても話すことは叶わない。こんな想いは多くのひとの体験するところであるけれど、医師として非常に多忙な日々を重ねている作者の悔いはおそらく、ゆっくりと老母の話に耳を傾ける時間を作れなかったことではないか。素朴な句で、かなかなやもいいが、この句のいのちは末尾のいよよだ。


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