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中空のあをき寂けさ雁渡る (高知県)浜崎 浜子 |
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帰雁の句は多い。句作に親しむことがなければ、雁が渡ってこようと、帰ろうと、そんなことと自分の暮しは関係ないとして、無頓着に人生を送る。最近、私は季語のひとつひとつが懐かしく、得がたい宝物のように感じられてならない。この句のよろしさは、中空のあをき寂けさに作者の心と魂が吸いこまれてゆくところ。読み手もまたその帰雁の空の青さをしみじみと体験させられるのである。単なる描写ではない。作者の年輪の生きた、こころの入った叙景句である。 |
しづしづとまじなひほどの豆を撒き (東京都)深津 健司
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豆撒きは節分の宵、神社仏閣、一般の家庭で行う追儺の行事。これは作者の自宅でのことであろう。もともとは年男が撒いたようであるが、現在は年女も撒く。つまり、男女いづれでもよし、家族がそれぞれに撒く家もある。しづしづとまじないほどの、ここの表現がこの句の眼目である。夫人のたたずまいなども想われるが、ともかく現代の句である。 |
寒木といへば石川仁木の拳
(神奈川県)森田 正実
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寒木という季語がある。寒木は厳冬期の木という意味であろう。石川仁木は我が「藍生」の若き作者。この人名が面白いのだが、仁木を知らない人には共感度が低いだろう。句友を想い、こういう一句が詠みあげられるところに俳句の面白さと味わいがある。 |
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