藍生ロゴ藍生9月 選評と鑑賞  黒田杏子


どくだみに湧くこの郷愁は古し

(東京都)磯辺 まさる

 磯辺さんが還暦を越えられたと知って驚いた。誰でも年はとるのである。自分の年齢を考えれば、親しい人たちがそれぞれに年を重ねて堂々たる老年期に入っていることは当然のことである。しかし、磯辺さんは別格というイメージがあった。故郷は福島県と伺った記憶がある。年を重ねて、こういう句が詠めるのだ。加齢は詩の、俳句の源泉なのだ。



少しづつ違ふ日の来るつつじかな

(神奈川県)石川 秀治
 つつじは田舎でも都会でもよく見かける花である。石川秀治氏の五十代半ばの日々。充実している筈だ。しかし、退屈という日々もある年齢である。俳句に出合った石川さんは水を得た魚のごとくにいきいきとして句作に打ち込まれた。石川さんも幸運であったが、俳句形式の側でもそれは同じ、良き人を得たのである。この秋、第一句集「海坂」が花神社から出るのでたのしみにしている。石川さんの句に接すると、一人の市民として、勤労者として生きてゆくこころのたたずまいのありようを示唆される心地がする。



夏蝶の奔流にゐるのだとおもふ
(大阪府)たかぎち ようこ
 蝶道というのであろうか。無数の蝶が舞いながら、流れを形成しているともおもえるほどの状況にある。その流れのただ中に佇って、ようこさんはこんな句を作った。実体験かどうかなどは問題ではない。作品の上でいまその奔流に逆らって立つ自分を実感しているのである。コンピュータ・グラフィックスなどをはるかに越える曼陀羅的発想。南方熊楠的コスモロジーとも言える作品である。


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